軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

19話。長安の政変② 地下牢にて

長安。司空府・地下

「……楊彪め。何が狙いだ?」

突如として現れた軍勢によって問答する間もなく捕えられた王允は、捕えられた際や搬送されていた際、そしてこの場所に押し込められた際に騒ぐだけ騒いだからだろうか。

一連の動きから少し時間を置いた今では、一周回ってある程度の冷静さを取り戻すことに成功していた。

そして冷静になって考えれば、自分が誰の手によって捕らえられたのか? という疑問に対する答えもすぐに浮かぶ。

なにせここは司空府に用意された地下牢なのだ。ならば司空である楊彪が動いたと考えるのが妥当である。

しかし、何故楊彪が動いたのかが王允にはわからなかった。

「逆賊。確かにあの兵たちはこの儂をそう罵ったな?」

――雑兵風情がっ!

少し前の情景。兵士らの顔や態度を思い出すだけで叫び声を上げそうになる王允であったが、すぐに(いかんぞ。今は感情に溺れている場合ではない)と己を叱咤し、考察を続けることにした。

「普通に考えれば楊彪が裏切ったとみるべきだろうよ。しかし、だ。何故この時期に彼奴が儂らを裏切る必要があるのだ?」

今まで以上にすり寄ってくるのならば、まだわかる。

今更ながらに腰が引けて多少距離を置こうとするのも、まだわかる。

しかし、いきなりこのようなあからさまな敵対行動に移った理由がわからない。

なにせ現状、多少の誤差はあるものの、現状は未だ王允や劉焉が想定していた状況と大きく外れてはいないからだ。

そうである以上、現時点で明確に王允と敵対するような行動をとるのは楊彪にとっても悪手に他ならないではないか。

さすがに韓遂から送られてきた使者によって齎された内容は王允をして許容の範囲外だ。それは認めよう。あの情報を耳にしたら、今は益州で出陣の支度をしているであろう劉焉とて計画の修正を余儀なくされてしまうであろうことも間違いない。

「それはわかる。しかし……」

それでも使者が王允の下を訪れたのは今日のことだ。楊彪にどのような伝手があるかは不明だが、西涼の早馬よりも早く現地の情報がつかめるはずがない。

劉焉から連絡が入った? それもない。韓遂が自分よりも劉焉を重視している可能性は否めないが、地理的な関係から、益州にいる劉焉が長安にいる自分よりも早く情報を得る手段は存在しないからだ。

また今回の件で王允が『計算外だ』と判断しているのは、韓遂が送ってきた使者が『自分たちでは董卓に勝つことはできない』と断言したからである。

たとえばの話だが、楊彪が個人的に董卓陣営との伝手があったとして、その董卓陣営に属している者が楊彪に対して『必ず勝てる』と豪語したとしよう。楊彪はそれを武官にありがちな大言壮語でないと言い切れるのだろうか?

「ない、な」

実際には勝てなくても『勝てる』というのが武官の仕事だ。

故に、本来『自分たちが勝つ』と豪語しなければならない立場であった韓遂陣営の者から『勝てない』と断言された王允は大きな衝撃を受けたのだ。

なので、董卓陣営の者が何かを言ったというだけでは、自分や劉焉と完全に敵対する材料としては弱い。

では楊彪も韓遂と組んでいたとしたらどうだろうか?

韓遂が自分よりも楊彪を重視しており、自分よりも先に情報を齎していたら?

そして董卓の勝利と我々の失敗を確信したのだとしたら?

「ない、とは言わぬ。が、今回はなかろう」

事実、呂布が并州勢から追放されてしまった以上、韓遂らを打ち破った董卓が郿に帰還することを阻める者はいなくなった。この上、韓遂らが董卓に敗れてしまえば『羌と連動して長安を落とす』という劉焉の策は根底から覆されることとなる。

こうなってしまえば『劉焉が皇帝となる道は閉ざされた』と判断してしまうかもしれない。そしてそのように判断したならば、楊彪が自分たちを見限ることもあるだろう。

「確かに奴が裏切る可能性はある。だがそれもこれも、今ではない」

そう、結局はそこになるのだ。

まだ韓遂は負けていない。

まだ董卓は郿に帰還していない。

まだ劉焉はあきらめていない。

そして……。

「まだ起死回生の策は潰えていない」

元々韓遂も馬騰も羌も胡も完全に信用していなかった劉焉は、当然自分たちの予想よりも早く董卓が韓遂らを打ち破る可能性を考えていたし、王允が自信満々に告げてきた『呂布が并州勢を掌握する』という計画が失敗する可能性も考えていた。(というか、普通に考えれば董卓に背いた呂布が并州勢を掌握できるはずがないのだから、失敗を念頭に入れるのは当たり前の話である)

なので劉焉はそういった諸般の事情により自前の武力によって長安を落とすことができなくなった際の計画も練っていたのだ。

それが起死回生の策。具体的に言えば『益州勢による劉弁、もしくは劉協の捕縛』である。

確かに董卓が持つ武力は破格のものだ。

だが言い換えれば董卓は武官でしかない。

その証拠に董卓は絶大な権力を持ちながらも、長安ではなく郿に篭ることを選んだではないか。

で、あれば、だ。劉弁を抱え込むことにさえ成功してしまえば、董卓を御することは難しい話ではない。と考えられる。

そもそも劉焉や王允から見て董卓という男は――新政権発足時の影響力を考えれば居ない方が良いのは確かだが――絶対に排除しなければいけない存在。というわけではないのだ。

もっと言えば、至尊の座を狙う劉焉にとって絶対の排除対象は劉弁と劉協であり、王允にとってのそれは太傅という役職に胡坐をかき、偉そうに自分を見下している弘農の若造どもである。

「えぇい! 思い出すだけでも腹が立つっ! ……待て。この儂でさえこうなのだ。儂よりも高齢で長く権力の座にあった楊彪が、皇帝の側近面をしてやってきた小僧に煮え湯を飲まされたことを忘れるはずがないではないか。ならば楊彪の狙いは……儂か!」

そういった意味で、今回の韓遂らを用いた策は、元々どちらに転んでも問題ないという類の計画であった。故に王允は、韓遂らが失敗したところで大筋の計画を変える必要はない。と判断していた。しかし楊彪の立場になってみればどうだろうか。

「儂は早くから劉焉様と繋ぎをとっていたが、彼奴は劉弁や袁術らとの間を行き来していた」

「そして劉焉様が皇帝となった暁には袁術ら逆賊を討伐し、その財を回収する予定であった」

「無論、袁術と繋がりがある彼奴も粛清の対象になる」

劉焉にしてみても、袁術と繋がりのある楊彪など好んで使いたいとは思っていないだろう。

「しかし、劉焉様が皇帝となる前に儂や儂が抱え込んだ人材が逆賊として処分されればどうなる?」

「決まっている。国政を回すためにも彼奴が抱え込んでいる人材を使うことになる。そうせざるを得ん」

清廉潔白な国士であることを自認している王允からすれば、楊彪は利権に塗れた俗物である。なればこそ王允は、新政権が発足した暁には楊彪が持つ袁家との繋がりを批判し、彼らを排除する予定であった。

「彼奴がそれに気付いていたというのであれば……」

「そうだ。彼奴は自分が生き延びるためには儂を排除しなくてはならなかったのだ」

「それができるのは、長安から并州勢が消え、かつ劉焉様が長安に入る前。つまり今しかない!」

何故今になって? ではない。今こそが絶好の機なのだ!

楊彪は裏切った。しかしそれは劉焉を裏切ったわけではない。彼はあくまで王允を裏切ったのだ。

「逆賊云々は劉弁に対するもの、か。そして劉弁が死ぬか劉焉様に皇帝の位を禅譲した後であっても……」

劉焉は楊彪を罰せない。

なにせ下賤の血が流れていようとも、子供であろうとも、傀儡であろうとも、今の劉弁は皇帝なのだ。過ちを糺すために行っている義挙も、権力の座を追われようとしている小僧にとっては反逆にしか見えないだろう。

まして捏造するまでもなく、楊彪の下には様々な証拠があるのだ。そこから劉焉の関与している部分を省いて奏上することなど、司空である楊彪にとってなんら難しいことではない。

「小僧どもでは楊彪の狙いに気付けぬであろうな」

むしろ嬉々として王允を討とうとするはずだ。その後、忠臣と有能な文官を失ったこの国にどんな混乱が待ち受けているかも理解できぬままに、だ。

「おのれ、おのれ、おのれっ!」

権力に取りつかれた妖怪にしてやられた。それを自覚した王允は吠え、そして考えた。

これからの漢がどうなるか? ではない。

己はどんな扱いを受けるのか? を。

ここでいう『扱い』とは、決して拷問だの処刑だのといった肉体的なものではない。

史に於ける扱いだ。

忠臣として扱われるのであればまだいい。

だが十常侍がごとき国賊として扱われるのは我慢ができない。

しかし、楊彪は逆賊である袁術と近しい存在だ。

そんな男が袁家を疎んじていた王允を飾り立てようとするであろうか?

答えは否。断じて否。

むしろ王允を国賊とし、王允と敵対していた者こそを忠臣と讃えるであろう。そのような扱いを受けて良いのか?

「……おのれ楊彪っ! 貴様だけは、貴様だけは絶対に許さぬぞっ!」

良いわけがない。そも、真の国士がそのような扱いを受けていいはずがない!

血の涙を流さんばかりに叫ぶ王允。本来であればその声は誰の耳にも届かずに風化していくだけであったはずだ。しかし、幸か不幸かこの日は違った。

「随分と恨まれているようですが……司空殿、何かなされたので?」

「はて? とんと覚えがございませぬなぁ。持書御史殿にお心当たりは?」

「ない。とは言えませぬが、そこな罪人は司空殿を呼んでおりますぞ?」

「ほほほ。今更この年寄りになんの用があるのでしょうなぁ」

「貴様らっ!」

叫んでいた王允の目に入ってきたのは、60を超えた老人の二人組であった。

一人は先ほどまで恨みをぶつけていた裏切り者。司空楊彪。そしてもう一人は……。

「久しいですな。司徒殿。いや、今はただの逆賊だったか?」

「おぉぉぉのぉぉれぇぇぇぇぇ! 貴様が、貴様が黒幕かぁぁぁぁぁ!」

「ははは。吠えろ吠えろ。今の貴様にはそれしかできんのだからな」

牢よ砕けよと言わんばかりに叫ぶ王允。

そんな楊彪に対する恨みなど比較にならないほどの強い情動を向けられようとも、なおも矍鑠とした態度を崩さぬ気骨の人、その名は蔡邕。

「カッカッカッ」

ある意味で楊彪以上に王允との因縁があるこの老人は、今も牢の中で騒ぐ王允を見やり、決して娘には見せない表情を浮かべながら静かに嗤っていた。