作品タイトル不明
音楽祭
音楽祭当日の女性の身支度は夜が明ける前の暗い時間帯から始まる。
身支度に時間を掛ける理由は様々だが、大抵は上級貴族の夫人が主催する茶会に招待される為だろう。
毎年行われる王家主催の公式行事、晩餐会や舞踏会など、その都度趣向を変えた相応しい装いを用意できる財力を持つ者であるか、振る舞いや評判、夫人に気に入られることなど。
社交界での地位が決まるのだから、招待する側もされる側も必死だ。
それらを家で講師から学んでいたときはまだ自分には関係がないことだと思っていたし、実際まだ茶会に招待されることはない。
けれど、爵位に相応しい装いは成人前の幼い少女であっても強要されるものだ。
朝早くに乳母に叩き起こされ瞼を閉じたまま手を引かれて向かった先は浴室で、頭から爪先まで丁寧に磨かれたあとは侍女総出で全身のオイルマッサージ。デコルテ、腕、背中、脚はとくに念入りにほぐされ、しっとりした肌からはオイルの良い匂いが。
保湿効果のあるオイルは香りが楽しめるだけでなく、長時間その香りが持続するので社交の場によってオイルを使い分けている女性が多い。
マッサージを終えると自室へと促され、眠気と戦いながらふらふらと移動すると椅子に座らされ、化粧と髪を整えている間に黙々と口に果物を詰め込まれる。
乳母の言葉に適当に相槌を打ち怒られ、注意事項を復唱させられている辺りでやっと目が覚めドレスを着せられ、早朝訓練よりも疲れる身支度を終えれば、窓の外は既に明るくなっていた。
夕方から始まる音楽祭、その会場となる王国音楽劇場に向かう為に王都に別宅を持つ貴族達は当日一斉に馬車で移動を始める。
繊細な彫刻が施された弧を描いた王都の門は大小合わせて五つあり、一番大きな門は普段は厳重に閉じられ緊急の場合のみ使用が許可されている門だ。逆に一番小さな門は王都の警備兵や騎士が出入りする専用の門となっている。
残りは王族と公爵や侯爵、その他の貴族、業者や大衆が使用する門の三つ。
混雑を避ける為に王族は前日には劇場へ、貴族は下級貴族から午前中に移動を始め、上級貴族は午後からの移動と予め決められている。
貴族であれば参加が義務付けられている王家主催の音楽祭は毎年一定数欠席する者が存在しているのだが、それらの者達は王都に別宅を持たず役職もなく領地の収入が安定していない貧しい貴族が多く、高価な馬車は所持しておらず、数日から数週間の間は使う貸し馬車も負担となるので欠席が認められているのだ。
他には病気を患っている者なども当てはまり、私はコレを利用して数年間欠席をしていた。
貧しい貴族は一生に一度のデビュタントや王城で開かれる舞踏会に全力を注ぐ為、それ以外では領地から出ないという貴族も多く、必然的に音楽祭に集まっている貴族は皆裕福な者達となる。
久々に履いたヒールのある靴でゆっくりと大階段を下り、先に外で待機していた御爺様とお父様に微笑みかけながら一緒に馬車へ乗り込む。
用意された馬車は二つ。
今年は御爺様が居るので前方の馬車には前領主、現領主、私の三人が乗り、後方の馬車には義母とミラベルの二人が乗るのだが、文句も言わず眉を顰めることなく大人しく馬車に乗り込んだミラベルは妙に機嫌が良く普段以上に不気味で、首を傾げながら軽食の入ったバスケットを膝に載せ大事に抱きかかえていた。
「ルアント宮は、何度見ても圧巻ですね……」
「どれだけ寵愛されていたか分かる代物だな」
宮殿の入り口で一台ずつ馬車を止め招待状の提示が求められる。
参加人数と護衛騎士の人数を確認したあとはそのまま馬車で門の中へ入るのだが、初代国王の愛と金と熱意が詰まった宮殿の外観は門からはとても小さくしか見えない。広大な庭園の左右に敷かれた石畳の上を馬車が進み、門から長い時間をかけて宮殿へ向かう。
もう、初めから規模が違うとしか言えない代物だ。
最初にお父様が馬車から降り、続いて御爺様が降りれば、馬車の中に居ても聞こえるほど周囲が騒がしくなる。
差し出された手に手を乗せ私が馬車を降りればその喧噪は収まることなく更に広がっていき、ロティシュ家の後継者が軍学校へ入ったという噂が広がっている所為か好奇の視線を浴びることになった。
「全ての人間に理解される必要はないが、だからといって悪意を甘んじて受けるつもりもない」
「はい」
「この場にフィルデ・ロティシュが来た意味を理解しない者達は俺に任せ、セレスティーアは音楽祭を楽しむだけで良い」
「お任せします」
「私も居るのだが……」
「バルドには選別する仕事を与えただろう?」
「既に始めていますよ……」
宮殿内の廊下に敷かれた赤い絨毯の上を御爺様にエスコートされながら歩く。
相変わらず集める視線は減らないが、御爺様が近づくと皆が口を閉じ、熱心に見つめる者や興奮して頬を上気させる者、興味がないと態と視線を逸らす者や薄っぺらな笑顔を浮かべる者と様々だ。
私達の前にはお父様と義母、後ろには護衛騎士とミラベル。
公式な場では形だけの伯爵夫人として義母が父の隣に立ち、形だけの養女であるミラベルは私の背後を歩くことになっている。
「どうした?」
「いえ……」
別宅を出たときと同様に始終笑顔のミラベルが気にかかり背後を窺っていれば、それに気付いた御爺様が小声で訊ねてきたので首を横に振る。
ただ不気味だという理由だけで心配をかけるわけにはいかない。
長い廊下の先には劇場のエントランスがあり、音楽祭の間は社交の場となる。
観覧席へ上がる為の階段の前は上級貴族の夫人達が陣取っており、彼女達の目に留まるべく下級貴族の夫人達は話題の提供を惜しまない。
此処でも御爺様の登場によってエントランスは騒めくが、御爺様を見慣れている一部の上級貴族が動いたことによって徐々に収まっていく。
「お久しぶりです」
「本当に来たのか……」
初めに私達に声を掛けてきたのはフロイドと、この国の宰相であるドレア・アームル様。
宰相様はフロイドの親類なのだから一緒にいてもおかしくはないのだが、こういった場に一切出ないことで有名なので驚いて直ぐに挨拶が出来なかった。
「出席すると手紙を出してあっただろうが……」
「そうだが、何度王都へ来いと言っても隠居したからと頑なに砦から動かなかった男だぞ?」
「孫娘の為だ」
「孫……」
「お初にお目にかかります。セレスティーア・ロティシュと申します」
此方が一方的に顔を知っているだけで会うのは初めてだ。
乳母に言われたように何重にも淑女の皮を被りにっこりと笑顔で挨拶をする。
「ドレア・アームルだ」
「お顔とご活躍は存じております。お会いできて光栄です」
「容姿は似ているが……中身は別物か」
「おい……」
「軍学校へ入ったと聞いている。貴族の子女でそのような暴挙を行うのは後にも先にもセレスティーアだけだろう。今宵はその噂でどこも持ち切りだが、学園ではなく軍学校へ入った理由は何だ?」
周囲に居る者達は皆、息を顰めて耳をそばだてているのだろうと想像すると何だかおかしくなってくる。
私の返事を待つ宰相様や周囲の者達には悪いが、私はただ微笑むだけ。
「理由なんてひとつだけだろう。俺の孫だからだ」
今夜は全て御爺様に任せてあるのだから。
「文句があるならフィルデ・ロティシュに言えと、そういうことだな」
「此方から出向いてやっても良いが?」
意地悪く笑い周囲を牽制する御爺様に宰相様が深く溜息を吐き「中身まで似てくれるなよ?」と口にされたあと、横に立つフロイドの背をそっと押した。
「そのドレス、とてもよく似合っている」
「……ありがとうございます」
照れ臭そうにドレスを褒めるフロイドをボーッと眺めていたら御爺様に肩を叩かれ、平静を保ちながらお礼を口にする。
今迄一度もドレスを褒められたことがないのだから気付かなくても仕方がないと思う。
婚約して三年以上経つというのにこんなにぎこちないのは私達くらいだ……。
「席は隣なのか?」
「そのようだな」
御爺様と宰相様の話に耳を傾けながら少し離れた位置に立つミラベルを再度窺った。
彼女は此方に近づこうとせず、フロイドに視線すら向けない。昨日とは打って変わってフロイドに興味を失ったようなミラベルの態度。
「……何を企んでいるんだ」
思わず口から零れた言葉はオペラの音楽に掻き消された。
上演が終了したあとも、御爺様が少し離れたときも、ミラベルの態度は変わることがなく不審感を募らせていたのだが、そのような事で頭を悩ませていられたのはこれから行われる夜会会場である宮殿の広間へ移動するまでの間のことだった。
「陛下と王妃様にご挨拶を。フィルデ・ロティシュの孫、セレスティーア・ロティシュと申します」
広間の奥にある壇上には王族席が設けられ、王族以外の者がその壇上に上がることは許されていない……筈なのに、「顔を見せろと煩い奴がいる」という御爺様に連れられ何故か私は壇上に立って挨拶をしている。
下に待機している護衛騎士達に止められることなく壇上に上がり、御爺様の「挨拶に来てやった」という言葉に嬉しそうな顔をする陛下……。
状況を理解しようと必死に頭を動かし、御爺様の口からポンポン出る恐ろしい言葉に耳を疑いながら、微かに震える手をそっとドレスの影へと隠した。