作品タイトル不明
夕食の席
年代物の家具が置かれている本邸の執務室とは異なり、お母様が自ら手掛けた別宅の執務室では柔らかで明るい印象を与える家具や壁紙が使われている。
忙しいお父様が寛げるようにと整えられた執務室は本邸にあるお母様の自室に似ていて、
別宅に来るたびに執務室に入り浸っていたものだ。
「お嬢様の帰宅にバルド様はさぞお喜びになったことでしょうね」
「そうだな」
妙に鼻息の荒い専属侍女達に身を任せながら、先程帰宅の挨拶を済ませたときのお父様の様子を思い出し、目を伏せる。
「目に涙を浮かべて喜んでいた」
「まぁ……」
「私は親不孝者なのだろう」
挨拶をする間もなく怪我の心配をされ、壊れ物でも扱うかのようにそっと私を抱き締めたお父様の瞳は潤んでいて胸が苦しくなった。
「その程度で親不孝者だなんて、泣かされて初めて気付くこともあるのですよ?とくにバルド様はそれくらいしなくては分からない方ですから」
「乳母はお父様に容赦がないな」
「あらあら、当然のことです。私は奥様にお嬢様のことをくれぐれもと頼まれておりますから」
飴と鞭が得意な乳母がにっこりと微笑む姿に身震いしながら、次々と手渡された衣服を身につけていく。
刺繍が施されたグレーのシャツのボタンを留め、その上からジャケットを羽織る。勿論下は細身のズボン。これらの衣服は、音楽祭が終わったあと数日は別宅でゆっくりするつもりでドレスと一緒に作らせていた物で、此処に来る前に乳母を必死に説得し、屋敷の中でだけならと許可を得た。
「奥様がご覧になったら卒倒されそうな恰好ですね……」
「だが、似合うだろう?」
「えぇ、とてもお似合いなことが悲しいです」
溜め息を吐く乳母の前でくるっと回って見せると、幼い子供を見るように目尻を下げ仕方がないと微笑んでくれる。
「夕食の席に義母とミラベルは……?」
「お嬢様が仰った通り一応お伺いはしました。ソレイヤ様は体調が優れないとのことで欠席されるそうですが、ミラベル様は出席なさると……」
「そうか」
前当主である御爺様の帰宅を祝う夕食の席は家族だけが参加するもので、契約結婚という形でロティシュ家に籍を置く義母とミラベルは正式な家族とは認められず本来であれば参加する資格がない。
だが、私は敢えて乳母を使いに出し彼女達の反応を窺った。
恐らく仮病である義母は自身の立場を心得て断ったのだろうに、実の娘を差し置いてお父様に溺愛されると豪語していたミラベルの強気な態度にほくそ笑む。
「どういうつもりなのか……」
「お嬢様?」
「いや、何でもない。そろそろ向かおう」
姿見で軽く恰好を確認したあと、乳母を連れて部屋を出た。
二階には私とお母様の部屋だけではなくそれ以外にも幾つか部屋があり、義母達がロティシュ家に来た当初は彼女達も二階の部屋を使っていた。
それなのに、今は義母とミラベルは離れにある部屋を使っているという。
お父様が周囲に契約結婚だと知らしめる為にそれ相応の扱いへと変えたのだとブラムから聞いた。
相応の扱いとはいえ、粗末に扱われることもなく質素な暮らしを強いられることもない。その辺の貴族よりは格段に良い待遇であることには変わりなく、不自由がないよう配慮もされている。
お父様の対応は遅すぎる気もするが、大切な親友の忘れ形見だと言われれば度が過ぎても責めることはできない。
「大人になると我慢し理解する広い心が必要になるのか……」
「それだけではなく、ある程度は諦めることも必要ですよ。例えば、お嬢様のその言葉遣いを正すことのような」
「……」
余計なことを言わないよう無言で大階段を下り一階にある食堂に向かっていると、途中の廊下に御爺様が立っていた。
てっきりもう食堂に居ると思っていたので驚くと、御爺様は頬を掻きながら「遅かったな」と口にする。
「主役が此処で何をなさっているのですか?」
「着替えに手間取ったんだ」
どうやら私を待っていたわけではないらしい。
気楽な装いを好む御爺様の華やかに着飾った姿に目を瞬いていると、首元が窮屈なのか指で寛げようとした御爺様がブラムに叱られている。
「こんな格好をする必要があるのか……?」
「家族だけの夕食とはいえ、使用人達の目がありますから」
味方じゃないのか?と眉を顰める御爺様に笑顔で首を横に振る。
ヒシヒシと感じる圧力にそうそうに屈した私は絶対に同意しないと心に誓った。乳母とブラムには絶対に逆らえませんので。
「では御爺様、エスコートをお願いします」
「喜んで」
私が差し出された腕に掴まったのを確認したブラムが食堂の扉を開き、御爺様と一緒に中へ入ると、そこには当然のように席についているミラベルが居た。
すぐさまお父様に非難の目を向けた御爺様の腕を指先で軽く叩き、お父様から私へと意識を向かせる。
訝し気に私を窺う御爺様に微笑みかけて足を進め並んで席につき、向かい側に座るミラベルに視線を向けることなくお父様へ頷く。
「では、食事を……」
「おい」
通常であれば当主であるお父様の言葉で夕食が始まるのだが、本日の主役である御爺様はこの状況がお気に召さないらしく開始の言葉を遮ってしまった。
「家族だけの夕食の席に、何故部外者が居る?」
元々御爺様は義母にあまり良い感情を持っておらず、その娘であるミラベルに関しては私とのいざこざがあったので警戒対象だったのだろう。
態と不愉快だという態度を表に出す御爺様にお父様が声を掛ける前に、空気が読めないのか、敢えて読まないのか、ミラベルが先に口を開いた。
「義姉様が夕食の席に招待してくださったのです」
両手を胸の前で組み、哀れを誘うような声で訴えるミラベル。
お父様は少し同情の色を見せたが、御爺様は眉一つ動かすことはない。
「義姉様の乳母が部屋を訪ねてきて、前当主さまとの夕食をどうするのかと訊かれました」
「どうするのか訊かれただけで、どうしてそれがセレスティーアに招待されたことになる?」
「参加しても良いから態々声を掛けてくださったのかと思っていたのですが……違ったのですか?」
顔を曇らせたミラベルが私にそう問いかけてきたので、肯定も否定もすることなくただ静かに微笑んだ。
「……義姉様?」
昔の私はミラベルの不可解な言動や予言が恐ろしくて逃げだした。
だから、数年ぶりに彼女と顔を合わせると思えば緊張もしたし、あの頃の事を思い出し嫌な気分にもなったが、一度距離を置いて心身共に鍛えて戻ってみればどうという事はなかった。
「昔は当然のように夕食の席にいただろう?だから、一応訊ねただけなのだが」
「一応……?」
「お父様から義母とは契約結婚だと聞いた。以前の私はそのことを知らなかったので義母とミラベルが家族の輪に入っていても気にはならなかったが、家族ではないのだから分をわきまえないといけないと思い、乳母に確認させた。まともな教育を受けていればそこで察して断るのだろうが、どうやらミラベルはまだ教育が足りていないようだ」
「家族じゃないなんて……そんな言い方をするなんて、私は義姉様を本当のお姉様のように慕っていますのに」
「姉のように慕っているとしても、家族ではない」
「……でも」
ミラベルが助けを求めるかのようにお父様を窺うが、何も言わず沈黙したまま。
家族の前で、屋敷で働く者達の前で、義母とミラベルの立場をハッキリとさせておく必要がある。
「だが、義母とミラベルはお父様の親友の家族だ。ミラベルが結婚してロティシュ家を出ていくまでは良好な関係を維持するつもりでいる。ですので、このまま夕食を進めても構いませんか、御爺様?」
「……セレスティーアが良いなら構わない。バルド」
「では、食事を始めよう」
この場にはブラムや乳母の他に給仕をする使用人が何人も待機している。
明日にはミラベルの専属侍女が解雇されたことや、夕食の席での事が使用人達の間に広まるだろう。
義母とミラベルについても恩恵はなく、それどころか屋敷で働けなくなると侍女や侍従達が認識してくれればこの夕食は成功となる。
「明日の午後にフロイドがやってくる」
「……お茶の準備をさせておきます」
「断っても構わないが……」
「元々音楽祭の日に顔を見て話すつもりでいましたから」
フロイド様の話題が出てもミラベルが口を挟むことはなく、寧ろ興味もないといった感じで黙々と食事を摂っている……。
「音楽祭の準備は終わったのか?」
「はい。ドレスも装飾品も揃っています」
「義姉様、どのようなドレスなのですか?」
まさかドレスに食いついてくるとは思わず何事かとミラベルを窺うと、「何色なのですか?」と前のめりで訊かれ困惑する。
「ダークグリーンだが……」
「フロイド様の瞳の色ですね!義姉様にとても似合うと思います!」
「……ミラベルのドレスは」
「私は真っ白なドレスです。髪はハーフアップにしてピンクの髪飾りを付け、装飾品は全て金で揃えました」
「……そうか」
「それだけですか?」
詳しく説明された意図が分からず、ジッと私の顔を見つめるミラベルにただ頷く。
ミラベルは何か思案しているような素振りを見せたあと、にっこり笑みを浮かべ食事に戻ってしまい更に困惑することになった。
――何だったのか……。
お父様と御爺様が音楽祭の事を話し合っている間、それとなくミラベルの動向を窺いながら夕食を終えた。