作品タイトル不明
領地
「王国音楽劇場でしたら、存在感があり華やかなドレスの方が見栄えがよろしいというのに……レースやラインストーンなどの装飾が一切ないなんて」
「だが、胸元には刺繍があるだろう?」
「当然です。刺繍すらなかったらそれはドレスではなく、ただの布です。それだけではありません。よりにもよってエンパイアラインのドレスだなんて……」
「シルエットがスッキリしていて良いだろ?今の私が昔のようにウエストから裾にかけて大きく広がるデザインのドレスを着たら、色々と問題があると思うのだが」
「セレスティーア様、もう何度言わせれば気が済むのですか?その口調のほうが問題です。公の場では絶対におやめください」
「分かっ……はい」
王都に持っていく私の荷物を詰めている乳母にギロッと睨まれ、咄嗟に言葉遣いを正した。
叱りながらもどこか嬉しそうな乳母とトルソーに着せられたダークグリーンのドレスを眺めながら、肩の力を抜く。
昨夜、三年ぶりに領地にある本邸に帰って来た。
御爺様と一緒に馬車から下りると、屋敷の外に立って待っていた乳母とお父様の執事のブラムが笑顔で迎えてくれた。
既に社交シーズンが始まっているので、お父様達は王都の別宅で過ごしている。あちらにも侍女や侍従が居るとはいえ、侍女頭である乳母とお父様の執事であるブラムは、本来この時期には別宅で采配を振るっている筈なのに、私が帰ったときに不自由がないようお父様が二人を本邸に残してくれた。
「王都に着き次第ドレスの手直しと靴の試着、装飾品は奥様の物を使用するということで間違いありませんね?」
「お母様の装飾品の中にグリーンダイヤモンドの物があるのでそれを持っていく」
お母様の部屋は亡くなったあと片付けられることなく、そのままの状態で保持されている。
空気の入れ替えは毎日行われ、家具や寝具などは色褪せることなく、高価なドレスや装飾品も位置など変えることなくお母様が触ったまま。
伯爵家の領主夫人の部屋には鍵をかけられ、その鍵を持つ者はお父様と私と乳母の三人だけ。
棚の奥に保管されていたグリーンダイヤの装飾品はお母様が婚約したときにお父様から贈られた物で、テーブルに置かれている一揃いを見て乳母が懐かしそうに目を細めていた。
「まぁ、ドレスのお色だけでなく、装飾品も婚約者様の色に合わせるのですね」
「婚約者なのだからそれくらいは……っ」
乳母だけでなく周囲に居る侍女達も微笑ましげに笑っているのが分かり、気恥ずかしくなって口を噤む。
ブラムは一人眉を顰め「勿体ない」と首を横に振り、乳母から背中を叩かれている。
「ドレスは少し地味ですけれど、奥様の装飾品を付けるのであればそのくらいが丁度良いかもしれませんね」
「イヤリング、ネックレス、髪飾りと一揃いになっている物だから、一つずつ選ぶ手間もなく支度する時間が短くて済む。時間は有限だからな」
「……フィルデ様と話し合う必要がありますね」
床に敷かれた布の上に大量に置かれていた荷物を全て鞄に詰め込み、乳母が立ち上がりながら笑顔でそう口にし、ブラムに向かって何か合図を出した。
恐らく、別室で私と同じように音楽祭で着る盛装を確認している御爺様を呼びに行ったのだろう。
これから乳母に怒られる御爺様を想いながら身を縮こませ、温くなったお茶で乾いた喉を潤した。
「良いですか、お嬢様はバルド様やルジェ様とは違うのです。幼少の頃から完璧に礼儀、マナー、礼節、作法を習得され淑女として育てられていたというのに、何をどうしたらこのようなことになるのですか!」
「いや、それは親……じゃなく、乳母の欲目じゃないのか?」
「そんなことはございません。少なくとも人目だけは気になされていましたし、幾重にも淑女の皮を被ってそれらしく振舞っておりました」
「……」
「御爺様、そんな目で私を見ないでください……」
砦で何を教育したのかと怒る乳母と、元々の素質だと抗議する御爺様。
二人を宥めようと口を挟むと私に多大な被害が及ぶので大人しく口を閉じている。
それにしても……正装姿の御爺様は音楽祭でとても人目を引くのでは?
髭を剃って髪を整え、フロックコートを着たままの姿で私の部屋を訪れた御爺様。
アイヴァン・ツエリ様ほどではないが、既婚者の御爺様も令嬢方からとても人気があったという話は本当なのか、年齢を感じさせない鍛えられた身体も相まってとても素敵だ。
砦に居るときの隊服姿や簡素なシャツ姿が印象深く、本来の姿はこちらなのだということをすっかりと忘れていた。
男性は女性とは違い見えない部分に力を入れる。ヴェストの裏の刺繍に、裏地布には上質な素材を、手袋やカフスボタンといった小物には希少な宝石を使っていることが多い。
御爺様のカフスボタンもルビーの中で最高品質と称される血のように赤い希少な物。今着ている上着も、上品な光沢とシルエットを見る限りとても上質なことが分かる。
フィルデ・ロティシュの名を知らぬ者はなく、誰もが一度は、称賛、嫉妬、羨望といった感情を持つという。
当主として早すぎる幕引きをした御爺様が、数十年ぶりに参加する音楽祭。
その音楽祭の会場は、初代国王が愛する人の為に建てたルアント宮を改装し、王族が特別な催しを行う施設として使用されている。
建物内部には同じ物を作ることは不可能だと言われる巨大なシャンデリアや天井画、繊細で優美な彫刻が各所に施され、広大なホールは通常のものとは異なる造りで、舞台が客席に突き出しその舞台を複数の方向から客席が囲んでいるといったもの。
座席数も三千と多く、外観や観客席の手摺、休憩室を覘くだけでも溜息が出るほどの美しさで、愛する人の為にと銘打っている宮殿だっただけに、湖畔の側には二種類の美しい庭園もある。
夜遅くまで開かれる音楽祭では成人前の子供が招待されているということもあり、終わるとルアント宮の側に建てられた宿泊施設に皆一泊し翌朝王都へと戻って行く。
「お嬢様のお手本として、完璧に社交を終えてお戻りください。分かりましたか?」
「……分かった」
「ワインを飲み過ぎないよう、退屈だからといって居眠りなど以ての外です」
「俺を何だと……って、おい、セレス。そんな目で見るな」
「フィルデ様の次はお嬢様ですからね」
「……はい」
御爺様と顔を見合わせ、まだまだ終わりそうにない乳母の苦言を聞きながらガックリと肩を落とした。