軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

執着の違い

砦の門が閉じられ、馬車がゆっくりと動き出す。街の喧騒が遠ざかり、馬車内にはニルスの上機嫌な鼻歌だけが響いている。

「……はあ」

まるで散歩帰りのような顔で窓の外を眺め、時折胸元を押さえ微笑むニルスは心底気味が悪い。つい先ほどまで牢の中に入れられていた者とは思えないその異様さに、ディックがそっと溜息を吐くと、ニルスがふいに口を開いた。

「考えてみたのだが」

その声は妙に軽く、とてつもなく嫌な予感しかしない。

「何をだ……」

「兄上ではなく、お前についてやってもいい」

「……は?」

ディックが思わず声を漏らすと、口角を上げたニルスが言葉を続けた。

「兄上についているのは、私にもそれなりに利があったからだ。けれど、最近はどうも見返りが少なく、ひどく退屈だ」

「俺についても何もないぞ」

「退屈せずにすむ」

どういうことだと睨むディックに、ニルスは楽しそうに目を細めながら「お前に見返りなど期待していない」と言う。

「第一王子を裏切るのか?実兄だろう」

「兄弟といえど敵だ。王位を争う以上、情など不要だろう」

これも何かの罠だろうと警戒するディックに、ニルスはなおも言葉を続ける。

「ただし条件がある」

「……言ってみろ」

「軍部に招き入れろ」

「軍部は俺の管轄だ。お前に手を出させると?」

「そう警戒しなくても、何も企んではいない。ただ軍部で働くのも悪くはないと思っただけだ。そうだな……小隊くらいは率いる立場を寄越すといい」

まるで玩具を強請る子供のようだが、口にしている内容は冗談では済まされない。

「そんなものを、ニルス兄上にやるとでも?」

「では代わりに、兄上が握っている人事権の一部をお前にやるとしよう。欲しいだろう?」

ディックの表情がわずかに揺れたのを見て、ニルスがゆるりと首を傾げた。

「こればかりは、お前にはどうにもできないことだ。内政に関与できる希少な機会だが、どうする?」

魅力的な取引であることは間違いない。

けれど、第一王子から離れてディックにつき、人事権まで寄越すというのに、その見返りが軍部での肩書では釣り合いが取れない。

あまりにも条件が良すぎて、不自然なほどだ。

「どうしてそこまでして軍部に固執する?」

「これの為だ」

「……これと、は」

ディックが途中で言葉を失ったのも無理はない。「これ」と口にしてニルスが胸元から取り出したのが、銀色の髪の束だったのだから。

「っ……それを渡せ。こちらで処分する」

「処分?これを取り上げるのであれば、私にも考えがあると忠告した筈だが?」

「本気で言っているのか……?女性の、髪だぞ?」

困惑するディックに、ニルスは愉快そうに目を細め、髪を指でそっと撫でた。

「屈辱と劣敗の記念として取っておくことにした。それに、あれは興味深い」

「おい、あれとはまさか、セレスティーア・ロティシュのことではないだろうな?」

「へえ……セレスティーアというのか。悪くない名だな」

余計なことを口にしたと内心で頭を抱えるディックをよそに、ニルスは「セレスティーアを気に入った」と、ふざけたことまで口にし始めた。

「殺そうとしたくせに、何を言っているんだ」

「邪魔をする者は皆、殺すだろう?」

「屈辱と劣敗を与えた相手を気に入ったと?気に食わないの間違いだろ」

「それはそうだが……」

そう言い、んーと顎に手をやりわざとらしく考える振りをしたニルスが、ディックにふわりと笑う。

「私の計画は完璧だった。隙も抜かりもなく、邪魔が入らなければシルヴィオは死体になっていたからな」

「……っ」

「そう怒るな。私達はそうして生きてきたのだから、仕方のないことだろう?」

「……」

「けれど、誤算が起きた。シルヴィオを助ける為に、自身の命を投げ出すような愚かな者がいた。助けもなく、勝ち目もないと分かっていて、それでも向かってきた。最後は、自分の髪を、こう、切ったんだ」

とても楽しそうに身振り手振りで説明するニルスだが、自分がどれほど異常か分かっているのだろうか?

「彼女は、ニルス兄上が玩具にしていいような人ではない」

「玩具だなんて、とんでもない。退屈で仕方のないこの人生で、凄く面白いものを見つけたんだ。だから、長く遊べるよう大切にするつもりだ」

「分かってはいたが、救いようがないな」

ディックの言葉に笑ってみせ、髪を胸元にしまい込んだニルスが「それで?」と首を傾げる。

「……」

何を考えているのか分からない男を信用などできはしないが、ニルスが持つ情報や人脈、そして人事権は確かに使える。

「小隊の指揮までだ。それ以上の権限は与えない。それと、何か問題を起こせば責任を取ってもらう」

「責任か……そうだな、そのときは喜んで牢にでも入ろうか」

軍部に入って何をするつもりなのかは分からないが、責任を取ると言うのであればひとまずは問題はないだろうと、そう判断したディックは深く溜息を吐き、椅子の背に凭れ目を閉じた。

※※※

客室の窓から、スレイランの馬車が砦の門を出ていくのを眺め、レナートは小さく鼻で笑った。

(不快だな)

セレスティーアの頬の傷も、無残に短くなっていた髪も、今でも鮮明に思い出せる。

心配だと騒ぐレナートを宥め、笑いながら「行ってくる」と言ったセレスティーアは、泥と血の匂いを纏って戻ってきた。

――僕の大切な人が、傷つけられた。

どれほどの恐怖と痛みに晒されたのかと、そう考えるだけで胸が痛む。

いつだって彼女は、強くて、まっすぐで、その姿は誰よりも頼もしく見えるけれど、誰よりも繊細で弱く、脆く、自分を支えるために強くあろうとしているだけだと思う。

『一緒に居たあの二人の所為で、セレスが怪我をすることになったの?』

どう説明されても納得できるはずがなく、シルヴィオとセヴェリーノの名を心の中で嚙み潰すように反芻していた。

隠しきれない怒りを、必死に押し殺した。

あの二人の所為で殺されかけたのだと、そう口にしてしまったらセレスティーアを悲しませてしまうから。

それに、セレスティーアには酷く醜い自分を見せたくなかった。

『男らしくなったかな?』

髪を切ったレナートを見て驚くセレスティーアに、そう言っていつもの可愛いレナートを演じた。

セレスティーアがレナートの顔を気に入っているのを知っている。だから彼女の前でだけ甘く、柔らかく、天使のように微笑む。

セレスティーアが悲しんでいるなら、笑わせたい。傷ついたのなら寄り添いたい。

でも本当は、セレスティーアにはいつも笑っていてほしいし、傷ついてほしくはない。

――だから、僕がもっと強くなって、彼女の大切なものも彼女自身も、全て守ればいい。

そう決意したばかりなのに……と、胸の奥にある不快さに自分でもうんざりしながら、レナートはセレスティーアの肩へ甘えるようにそっと顔を預けた。

そして、セレスティーアの手元にある……ディック・アールクヴィストのネックレスをギッと睨んだ。

「セレス、それ……」

「……ん?」

「その、ネックレス」

王族が自分の身に付けていた物を贈るということは、家族に準ずる存在として認め、特別に扱うということ。たとえ第三王子が口にしていたように「厄介事」の為だけに渡したのだとしても、周囲からは思慕の証と受け取られてしまう。

それほどの意味を持つのだと、セレスティーアはどこまで分かっているのだろうか。

分かっていても、いなくても、いずれにしても彼女が他の男の物を持っているというだけで不快さは増す。

「黒曜石の物で、誕生祝いの品だって言っていたよね?それなら、伯爵家で管理しておいてもらった方がいいと思うんだ」

「家で……それもそうだな」

「うん。金庫に入れて、厳重に、二度と触れることのないようにね」

セレスの目にも手にも……と、そう思いながらにこやかに告げると、シルヴィオの方から「うわあ……」と小さな声が聞こえてきたけれど無視しておく。

「じゃあ、スノー。これを伯爵家へ送る手配をして」

「……はい」

「御爺様に頼もうと思っていたんだが」

「元帥だと、もしかしたら忘れて放置するかもしれないよ。だから、手配を終えるまでは砦で保管してもらって、あとはスノーに任せて」

「おい、人を耄碌爺のように言うな……」

「でも父上が、元帥は報告書すら送ってこないと」

「……」

「手配を終えるまでは砦で保管しておいてもらって、スノーは父上への報告があるからそのついでに」

「ついでなので、任せていただいてもよろしいでしょうか?」

「ほら」

ね?と小首を傾げれば、セレスティーアはレナートの頭を撫でてふわりと笑う。

それが嬉しくて、レナートは目を細めながらセレスティーアの手に頬を寄せる。

「とんでもねえ代物なんだが、それをついで扱いか……。スレイランの第二と第三もそうだが、こっちでもとんでもねえのに気に入られているもんだ。我が孫ながら、恐ろしいな」

「恐ろしいって……うちの国王陛下を翻弄して遊んでいる人がよく言いますね。父上だってとんでもないと思いますけど」

「……俺がか?」

「その自覚なく人を翻弄するところとか、そっくりですよ」

元帥とルジェ大佐の話に耳を澄ませながら、確かにそっくりだとレナートは思わず笑みを漏らした。

父上だけでなく、母上まで、この国の頂点に立つ二人を振り回しているのが、今、首を傾げて不思議そうな顔をしている、フィルデ・ロティシュなのだからと。

「早く大人にならないと……」

セレスを守れるように、もっと強く。彼女が尊敬する元帥のように。

取り敢えずは形からだろうと、パッとセレスティーアから離れた。

「まずは、セレス離れしないとね」

「……は?」

「俺、頑張るよ」

「……っ、レナート!?」

目を瞬かせ唖然と見るセレスティーアに、レナートはふはっと笑う。

軍学校に入る前の年、セレスティーアが不在の砦でレナートの指導を任されていたのは、ニックだった。彼の側で学んだセレスティーアがあれなのだから、レナートが似てしまうのも当然のことだろう。

「さあ、戻って訓練だ」

「レナート、待て……」

呼び止めようと手を伸ばすセレスティーアに、レナートは静かに口元を綻ばせた。