作品タイトル不明
スレイランからの使者
西のスレイランと言えば、卓越した経済力と軍事力を持つ国である。
この国は日常的に戦争を繰り返して猛威を振るっていたが、自国からではなく他国から正妃を迎えたことにより、王位争いという内紛が起こり、ここ数十年でその威力を大幅に落としていた。
血筋や派閥より強さを重視するスレイラン国では女王は認められておらず、直系男子のみに王位継承権が与えられ、国王となり莫大な資産と権力を手にするには個の能力と実績が求められるので各々得意な分野で競い合う。
先代、今代、共に兄弟全て真っ向から王位を争ったと聞くが、次代は違う。
自身の実兄を王位につける為に裏で暗躍する者、勝手に自国を離れ情報収集に努める者などが現れた。更に他国の王女である王妃と自国の大貴族である側室の争いから逃れようと、力のない側室達は息子がまだ幼いうちに継承権を放棄させ、それによって王位争いは第一王子と第三王子の一対一となってしまった。
同盟国の王女でありスレイラン国の王妃という母を持つ第一王子は、母親の祖国の伝手や支援を受け、貿易、外交といった方面で力を振るっている。
それとは逆に、スレイラン国の大貴族であり最大派閥の頂点に君臨する母を持つ第三王子ディック・アールクヴィストは、成人前から母親の実家である侯爵家の力を駆使し、着々と軍事を掌握してきた。
だが貿易や外交といった華やかで目に見えて成果が分かるものとは違い、軍事は成果が現れるまで時間が掛かるうえに、泥臭く地味なものである。第一王子が貴族や民から優秀な王子と称賛されるなか、ディックは人知れず戦地で過ごしてきた。
――機会が訪れるのを待ちながら。
『ラッセル国から使者が来た』
東にあるドルチェ国との諍いを収めて帰還したディックは、その報告の為に国王の執務室を訪れ怪訝な面持ちで父親を見た。普段は活気あふれ厳かな雰囲気をまとっている人が、額に片手を当てながら目を固く閉じ、疲弊した声でそう呟いたからだ。
ドルチェならまだしも、ラッセルとは衝突を避けていた筈だが……?と、ここ最近で何かあっただろうかと自身の記憶を探っていたディックは、続けられた言葉に耳を疑った。
『ニルスが、国境付近で捕らえられたそうだ』
捕らえられたということは、ニルスが何かやらかしたのだろう。
三国で権利を争っている鉱山の件があり弱みを握られるわけにはいかないというのに、外交を担当している第一王子の腹心が身柄を拘束されたのだから、驚くより呆れてしまう。
『軍学校の生徒に接触し、暴行を働いたので拘束したそうだ。生徒は軽傷、ニルスの護衛は一人死去、二人負傷したとのことだ。法を犯したとはいえニルスは王族なので、賓客として部屋に軟禁されているそうだ』
この件で第一王子派閥に痛手を与え、裏で暗躍するニルスを暫くは大人しくさせることが出来るかもしれないと思案していたディックは、軍学校という言葉に目を見開いた。
『……軍学校の生徒とは、まさか』
『シルヴィオとセヴェリーノに接触したらしい』
接触?ニルスの護衛が死去したということは、戦闘があったということ。そもそもあのずる賢い男が何の目的もなく態々シルヴィオに接触したとは思えない。
大切な弟の命が狙われたのだと知り、理性の切れる音がした。
そこからのディックの行動は早かった。
息子の身柄が他国に拘束されたと知り半狂乱になった王妃を黙らせ、自身が引き取りに行くと駄々を捏ねる第一王子を正論で押さえつけ、スレイラン代表としてディックがニルスを引き取りに行くことになった。
『もしかしたら、ニルスを盾に取って鉱山を寄越せと言ってくるかもしれません』
軍学校の生徒が亡くなっているならまだしも、事はこちらの内輪揉めであり、両国を隔てる森の中で起きたことだ。何らかの補償は要求されるとしても、鉱山を寄越せとは言われないだろう。
だがもしかしたら鉱山を要求されるかもしれない。絶対などないので、最悪を想定しての言葉である。
あの鉱山と継承争いから離脱した王子を交換するわけにはいかず、切り捨てることも検討しておくべきだとさらなる一撃を加えれば完璧だ。
『そうはならないよう、最善を尽くします。ですが二度とこのようなことが起きないよう、ニルスには反省させるべきでしょう』
数ヵ月ほどあちらの国に居てもらいましょうかと言ったディックの言葉に頷く国王の横には、顔を真っ青にした王妃と、怒りを込め睨みつけてくる第一王子が。
お前達以上にこちらは怒りでどうにかなりそうなのだと、ディックはそういったことを顔に出さず、挑発するように笑みを浮かべながらニルスにとって屈辱であろう提案をした。
「もう迎えに行く時期か……意外と早かったな」
冬の間とは言わず、一年か二年ほど牢に入れておけばよかっただろうかと考えながら、ディックは馬車の窓からトーラスという街を眺めていた。
街の門が開かれる早朝。初めて入ったトーラスに人気はなく、店は全て閉まっているので何の面白味もない。
だがここがラッセル国を守る拠点であり、絶対に落ちないランシーン砦がある街。
ディックは湧き上がる高揚感を押し込めながら、軍学校がある方角に向かって目を凝らした。
「うちのやんちゃな弟は、此処に居るのか」
王宮内にある王子宮ではなく、母親の生家である侯爵家が所有する屋敷で過ごすことが多かったシルヴィオ。王子宮は退屈だし勉強するのも嫌だという理由で祖父が居る屋敷に入り浸っていたのだが、恐らくそれが理由ではないのだろう。命を狙うような親族が近くにいて穏やかに過ごせるわけがないのだから。
「行動力だけは俺以上だな」
母や兄にすら悟らせずに自国を出たシルヴィオは、ラッセル国に潜むスレイランの者を使って軍学校に入ってしまった。軍学校から問い合わせがくるまで全く気付けず、可愛い孫に強請られ手引きした祖父は、母に酷く叱られていた。
この頃は第一王子の派閥の動きがきな臭く、丁度良いからラッセル国に身を置かせることにした。
だが、普段からシルヴィオと接点のない王子達に知られることはないだろうと高を括っていたのがいけなかった。
軍学校にいたニルスの手駒がシルヴィオを見つけてしまったのだから。
――コン、ココン。
御者が馬車を軽く叩き、ランシーン砦の門についたことを知らせる。
これから馬車の中の確認をし、暫く待ったあと中に入りニルスと対面するのだろう。
「セレスティーア・ロティシュだったか?」
軍学校の演習を狙うというニルスの着眼点は良く、教員という立場の手駒がいて失敗などする筈がなかった。それなのに計画は失敗して牢に入っているのだから、彼の計画はどこでくるったのか。
シルヴィオとセヴェリーノと共に行動していたセレスティーアという少女。
かの有名なフィルデ・ロティシュの孫であり、伯爵家の令嬢。
その令嬢が、怪我を負ってまで大切な弟と弟の友を助けてくれたと聞いた。
貴族の令嬢が、だ。
あの気が強く女王然としている母が、事の詳細を聞き驚いていたくらいとんでもないことである。
今回令嬢には弟を助けてもらった礼と、ニルスが仕出かしたことの謝罪をするつもりでいるのだが……。
「顔か腹を数発殴られる覚悟はしておくべきだろうか」
幼い頃にたった一度だけ、ディックは戦場で剣を振るフィルデを遠目で見たことがある。そのときのフィルデの姿を今でも鮮明に覚えているディックは、まだ見ぬセレスティーアの姿を想像しながら自身の腹をそっと撫でた。
※※※
「迎えに来てやったぞ、ニルス兄さん。残念なことに意外と元気そうだな」
賓客ではなく罪人として牢に入れるよう頼んだ為、スレイラン国第二王子であるニルスはランシーン砦の地下牢に居た。
泣き喚く……とはいかないが、憔悴くらいはしているだろうと期待していたディックは、心身ともに元気そうなニルスを眺めながら肩を竦めた。
「快適に過ごさせてもらったからな」
「それは良かった。直ぐに迎えに来られず胸を痛めていたんだ」
「無能なお前には何も期待していないので、胸を痛める必要はない」
開かれた牢から出て来たニルスは、淡々とした口調で嫌味を言いながら扉近くに立つディックの肩を叩き、そのまま階段へと歩いて行く。
スレイランに戻れば第一王子に叱咤されることになるだろうに、焦りも苛立ちもなく、何事もなかったかのようにニルスは涼しい顔をしている。
胡散臭く何を考えているのか分からないような男がこうも大人しいと、何かあるのではと勘繰るのは仕方がなく、ニルスの動向を注視していたディックは「待て」と声を掛けた。
「ニルス兄上。今、胸元にしまったものは何だ……?」
牢の中に私物などなく身一つで出て来たニルスが、ごく自然な動作で右手に持っていたものを胸元にしまったのだ。やはり何か企んでいるのだろうかとニルスに見せるよう言い、後から後悔することになった。
「ただの髪だ」
「……髪の束?」
「大切な思い出だから持ち帰ることにしたんだ」
大切そうに銀の髪を撫でるニルスに周囲にいる軍人達が頬を引き攣らせているが、ディックもこれに関しては理解など出来ず気色が悪いとしか思えない。
「もしこれを取り上げようとするのであれば、私にも考えがあるが?」
「勝手にしろ」
もういいから早く行けと、ニルスに向かってぞんざいに手を振ったディックは片手で顔を覆った。
ニルス・アールクヴィストという男は異常に執着心が強く、あの男の興味を引いたものの末路を知っているディックは深く、とても深く息を吐き出した。
暗くてハッキリとは見えなかったが、ニルスの手の中にあった髪は銀髪だった。そんな珍しい髪色を持つ者など、ディックが知る限りたった一人だけだが、その一人がああして自身の髪を渡すわけもなく……。
だとしたら、とても最悪なことに、あの髪はこの街にいるという件の令嬢のものではないだろうか?
「……っ、あのクソ野郎。まさか令嬢の髪じゃないだろうな」
唸るように吐き出したディックの言葉は、足取り軽く階段を上がって行くニルスに届くことはなく、暗い地下牢の中でそっと消えてしまった。