作品タイトル不明
急な心配事
「うわっ、草が生え始めてるよ」
ダビーラ砂漠の真ん中に作った『ほったらかし水源』ですが、少しずつ変化が現れ始めています。
土を固めて作った水盆の周囲は、完全に砂漠と同化して、その水際には草が生え始めています。
既に高いものは五十センチ以上に伸びていて、水辺の周囲に幅三メートルぐらいの緑地帯が生まれています。
水の中にも水草が生えているようで、多くの鳥たちが羽を休めに訪れていました。
「なんか、自然の力って偉大だねぇ」
『そうですな、これほど早く草が育つとは思ってもいませんでした。それに羽虫がいっぱい飛んでますぞ』
ラインハルトの言う通り、草の生えている辺りには、小さな虫がたくさん飛んでいます。
どうやら、その小さな虫を狙う大きな虫やトカゲのような生き物も集まりつつあるようです。
「後は、この草地がどのくらい広がっていくかだね」
『そうですな、水盆の近くは溢れた水で潤っておりますが、その外側はカラカラに乾いたままのようですし、一部砂が入り込んでいる場所もありますから、どうなるか先が見えませんな』
砂漠を吹き抜けていく風の向きにもよるのでしょうが、最初は真ん丸だった水辺が、今では歪んできています。
砂が水に入り込んでいる辺りでは、緑地の幅が広がっていて、草の丈が伸びた辺りは砂の入り込みが阻害されているようです。
「こっちは、何の肥料も与えていないんだよね?」
『与えておりませんな。ですが、川の水には森からの養分が含まれているのではありませぬか』
「あっ、そうか、そうだよね」
この水盆に引き入れている水は、ラストックの側を流れる川の下流から取り入れています。
川の東側は魔の森に接していますし、その更に上流や源流は森林地帯です。
当然水の中には、様々な養分が溶け込んでいるはずです。
「そうか、もしかして、トレントの森にも餌とか与えなくても良いのかな?」
『さて、それはワシにも分かりかねます』
「ちょっと、向こうも見に行ってみよう」
『ほったらかし水源』の状況を確認した後は、トレントを使った緑化計画の経過を観察に向かいました。
「えっ? これって、明らかに広がってるよね……」
こちらも設置した当初は真ん丸だったのですが、砂漠との境が崩れて、あちこち出っ張りが出来始めています。
「わふぅ、御主人様、トレントが森を広げてたよ」
コボルト隊のキルトが、トレントたちの活動の様子を教えてくれました。
「森を広げる?」
「わふわふ、こう木を持って、ズルズルって……」
トレントは、土属性の魔術が使えるそうで、若木の根元の土を魔術で掘り起こし、触腕を使って持ち上げて移動させたようです。
根の周囲の土を完全に落としてしまうと、それこそ養分が足りなくなって枯れてしまう恐れがあるからか、根の周囲だけは元の土を残して移植をしているようです。
なんだか、熟練の植木職人の仕事みたいですよね。
更には、元の土と周囲の砂漠の砂を混ぜ合わせて、保水力のある場所を広げようとしているみたいです。
「おぉ、砂漠の環境に適応しようとしてるみたいだね」
『ぶははは、トレントどもにすれば、いきなり厳しい環境に放り出されて、生き残るのに必死なんだと思いますぞ』
「あぁ、そうか……それは悪い事をしちゃったね、でもここなら頑張り次第でテリトリーを増やし放題だ……って、それは僕らの勝手な思い込みかな」
僕としては、トレントに砂漠の緑化を頑張ってもらいたいのですが、それはあくまで僕らの都合であって、トレントにしたら良い迷惑なんでしょうね。
「そういえば、サンドリザードマンは?」
「わふぅ、ご主人様、あっちに居るよ」
「どれどれ……って、増えてない?」
「わぅ、別の群れが一緒になったみたい」
トレントの森に現れたサンドリザードマンは、以前に見た時よりも五割増しぐらいに数を増やしていました。
今は太陽が照りつける時間なので、みんな木陰でジッと身を潜めています。
「夜になると狩りに出掛けていくのかな?」
「わふわふ、出掛けて行って、増えたり、減ったりしている」
「えっ、減る時もあるの?」
「わぅ、あるよ。でも、すぐに増える」
「どういう事?」
『もしかすると、この近くに別の巣穴みたいなものがあるのかもしれませんな』
サンドリザードマンは、天然の洞窟や自分達が掘った穴の中で昼間はジッとしているそうです。
どうやら、トレントの森以外にも、そうした巣穴があるのでしょう。
「そうなると、個体数が減ったり増えたりするのが当たり前で、捕食しようとしているトレントにとっては好都合なのかな」
『ですな。捕食の最中に気付かれなければ、他のサンドリザードマンは気付かないかもしれませんな』
うちのサヘルもちょっと天然なところがあるので、もしかしてサンドリザードマンは少し残念な種族なのかもしれませんね。
それにしても、砂漠の真ん中でも水さえ有れば何とかなっちゃうんじゃないかと思えてきますけど、これはトレントの奮闘あってなんでしょうね。
トレントの森の様子を眺めていたら、フルトが慌てた様子で飛び出して来ました。
「わふぅ、ご主人様、ユイカが助けてって言ってる!」
「えっ、どうしたの?」
「マノンが噛まれた!」
「案内して!」
急いでフルトの案内で移動した先は、唯香とマノンが働きに行ってる守備隊の治癒院でした。
「どうしたの?」
「あぁ、健人、マノンを治療して、早く!」
「そんな、大げさだよ、大丈夫だから」
切羽詰まった様子の唯香と、戸惑っている様子のマノンの間には、随分と温度差があるように感じます。
一体、何が起こっているのでしょうか。
「マノンが噛まれたって聞いたけど」
「そうなの、感染している可能性が高いから、早く治療して」
「そんな、ちょっと噛まれただけだから大丈夫……」
「大丈夫じゃない! お願いだから治療を受けて!」
ヒステリックに叫んだ唯香の様子から見て、やっぱりただ事ではないようです。
「唯香、落ち着いて。治療はするから、もう少し詳しい状況を教えて」
「マダニ感染症、SFTSに感染している疑いの強い患者さんにマノンが噛まれたの。出血しているし、感染した疑いを拭えない。だから、傷口だけでなくて、全身を浄化する感じで治療してほしい。私は、それだけの魔力が残ってないから……」
「分かった、マノン、うちで治療するから帰ろう」
「えっ、そんな……大丈夫だって、この程度なら……」
「お願いだから、帰ろう」
「うん……」
マノンは渋々といった感じですが、僕と唯香の二人に説得されて、仕方なく帰宅することにしたようです。
家に帰って、リビングで傷口を見せてもらうと、左腕にクッキリと人の歯型がついていて、一部は肌を突き破っていました。
発熱が続いて、かなり全身の状態が悪くなっていた患者だったそうで、他の患者さんが治療を受けている間にも、早く診ろ、治療しろと暴れた挙句に、落ち着かせようとしたマノンに噛みついたそうです。
「洗浄はボクの水属性の魔術でやったし、そんなに大げさにしなくても大丈夫だよ」
「駄目だよ、唯香は患者さんの耳に入れたくないから言わなかったんだと思うけど、マダニ感染症が重症化すると三割ぐらいの人は亡くなるんだよ」
「えぇぇ……」
「ましてや、マノンのお腹には僕たちの子供がいるんだし、感染の疑いが解けるまでは仕事させないからね」
「そこまでしなくても……そういえば、あの患者さんはどうなるんだろう」
「知らない。そっちは僕の領分じゃないからね」
マノンは不満そうでしたけど、知らない誰かとマノンのどちらを重視するかなんて言うまでもないです。
まずは腕の傷を綺麗に治療した後で、背中側から包み込むように抱きしめて、全身に治癒魔術を巡らせました。
噛みつかれた辺りを中心として、些細な異常も見落とさないように神経を集中させます。
事態を察したのか、ネロが現れて僕らを包み込むように横になってくれたので、体を預けて治療を続けました。
「あったかい……なんだか眠たくなっちゃうよ」
「いいよ、治療が済むまで眠ってて」
「うん……」
マノンのお腹はだいぶ大きくなってきていて、臨月ももうすぐだと聞いています。
出産を終えるまでは、このままお休みにしちゃっていいんじゃないかな。
ていうか休ませよう、今日みたいな暴れる患者がまた現れて、お腹の子に何かあってからじゃ遅いですからね。
無事に生まれてくるまで……いや、生まれてきてからも、この二つの命は絶対に守ってみせますよ。