作品タイトル不明
パパになる
「おぉぉおぉぉぉぉ……」
まるで地獄の底から湧き出してくるかのような、邪神のごとき呻き声が聞こえてきます。
もう、かれこれ二時間以上は続いているでしょう。
ここは、ヴォルザードに残ったクラスメイト達が暮らしているシェアハウスです。
既に日も暮れて、倉庫街にあるシェアハウスの周囲は夜の静けさに包まれています。
それだけに、野太い呻き声が一層息苦しく感じられます。
シェアハウスの住人である、近藤、鷹山、それに新旧コンビの二人は護衛依頼で出掛けていて、今夜は帰ってこない予定だそうです。
それでは、僕は何のためにシェアハウスに来ているのか……。
「ふわぁぁぁ……まぁ、ウロウロしてないで座ってなよ、八木」
「国分、手前は気を抜きすぎだ!」
「えー……だって、今のところ僕の出番は無いし」
「だからってなぁ!」
「まぁまぁ、もうすぐパパになるんだから、落ち着きなって」
「んなこと言われたって……落ち着いてられっかよ」
僕がシェアハウスに来ている理由は、八木の嫁さん、マリーデが出産を迎えているからです。
先程から聞こえている呻き声は、陣痛に苦しむマリーデの声で、邪神じゃないよ、ホントだよ。
マリーデが出産を迎えるにあたって、てっきり八木はやさぐれているものだと思っていました。
マリーデの妊娠が発覚して以後、事ある毎にパパになる件を八木イジリのネタに使ってきました。
その度に八木は、まだパパじゃねぇ……とか、往生際の悪いことを言っていたのですが、実際に出産間近となったら、初めての子供を待ちわびる普通の旦那になっていました。
お産をする部屋から追い出されて以後、八木は一度も腰を下ろさずにリビングの中をウロウロと歩き回っています。
「どうせ何も出来ないんだからさ、座ってなよ」
「うっせぇな、だいたいお前は分かっていないんだよ」
「えっ、僕が何を分かっていないって言うのさ」
「あのなぁ、出産ってのは命懸けの一大事なんだぞ! 下手したらマリーデが死ぬかもしれないんだぞ」
まぁ、八木が命懸けというのも分からなくはありません。
日本で出産する場合だって、大量出血によって妊婦さんの命が危ぶまれる状況に陥ることもあると聞いています。
ましてや、医療技術において日本よりも遥かに遅れているヴォルザードでは、妊婦さんが危険に陥る確率は遥かに高くなるはずです。
「やだなぁ……あり得ないよ。何のために僕が居ると思ってるの?」
「それは、浅川さん達でも手に負えない状況に陥った時のためだろう」
「そうだよ。魔力もバッチリ蓄えて、万全な状態の僕がここに居るんだよ。死神なんかの出る幕は無いね」
「ぜってぇだろうな?」
「勿論、絶対だよ。八木だって、送還術の範囲からはみ出して、切断した女子の足を繋げたのを見てたでしょ?」
「まぁ、国分の治癒魔術がトンデモなのは分かってるけど……けど、それでも心配なんだよ!」
「それじゃあ、気が済むまでウロウロしてなさい」
「言われなくても、そうするさ」
そう言うと、また八木はリビングの中をウロつきはじめた。
「おぉ、檻の中の熊みたいだねぇ」
「綿貫さん、未来ちゃんは寝たの?」
「もう、オッパイ飲んで、ぐっすりだよ。ホント、手が掛からなくて助かってる」
八木が落ち着きの無いパパ予備軍だとすると、綿貫さんはもうベテランのママという風格を漂わせています。
「寝る子は育つって言うからね」
「そうそう、でもさ、起きてる時は結構パワフルだよ」
「もう、ハイハイしてるの?」
「いや、まだだけど、ずーっとジタバタ手足を動かして、何が面白いんだか、キャッキャッと笑ってるよ」
「それじゃあ、ハイハイしだしたら大変そうだね」
「昼間はシーリアさんやフローチェさんに見てもらってる時間が長いからさ、大丈夫って言われてるけど、ちょっと申し訳ないなって……」
「アマンダさんとか、メイサちゃんが小さい時って、どうしてたんだろう?」
「あぁ、近所の人に預かってもらってたって」
そう言えばヴォルザードでは、子供は街が育てるんだって聞いたことがありますね。
シーリアさんもフローチェさんも、シェアハウスの仕事以外はやっていないそうですし、可能な範囲で面倒を見てもらっても良いんじゃないですかね。
「それにしても、八木がこんなになるとはね」
「綿貫さんも意外だと思ってるの?」
「まぁ、期待と不安が入り混じって、落ち着かなくなるとは思っていたけど、もっと現実逃避するかと思ってた」
「あぁ、僕も、最後までパパって呼ぶな……なんて言ってると思ってた」
「だね」
僕と綿貫さんがニヤニヤしていると、八木が歩み寄って来ました。
「お前ら、好き勝手言いやがって、俺様はいつだって責任を果たす男だぞ」
「えぇぇぇ……」
「何だ何だ、その反応は! まるで俺様が無責任男みたいじゃないか!」
「まぁ、最近は改善したけど……」
「ガセメガネで通ってたからなぁ……」
「くそっ……てか、国分は人の事を言えんのか? 日本に居た頃なんか……」
「あー、あー、まだ産まれないのかなぁ! 心配だなぁ!」
日本に居た頃の話をされたなら、僕は本当に使えない子でしたからねぇ。
居眠り常習、罰則常習、草むしりのスペシャリストでしたから、黒歴史はそっと封印しておきましょう。
「こいつ、都合が悪くなったから誤魔化す気だな?」
「そういえば、八木、子供の名前は決めたの?」
「はっ? そうだよ、名前! どうしよう……」
「なんだよ、決めてないの?」
「てかマリーデが、男の子だったらケントにしようとか言うんだぞ」
「あぁ、それは駄目な子に育つと思うよ」
「自分で言うんかい! いや、その通りだけど」
「いやいや、別にケントと名付けたからといって駄目な子に育つとは限らないけどさ、八木の息子がケントってのは……」
「おぅ、それいいな! こらケント、遊んでないで勉強しろ!」
「うわぁ、八木をレビンとトレノのオモチャにしたくなった」
「やめろ馬鹿、あいつら夢中になると手加減忘れそうになりやがるんだからな! てか、自分の息子にケントなんて名付けたら、虐待しそうだから駄目だ」
「なんで虐待するんだよ。可愛い可愛いケントちゃんだぞ」
「うぜぇ、絶対にケントなんて名付けねぇ」
八木に怒られるケントちゃんなんて見たくないけど、露骨に嫌がられるのもムカつきますね。
「じゃあ、なんて名付けるの?」
「決まってんだろう。男だったらショーヘイだよ」
「笑福亭?」
「ショーヘイヘーイ……って、違うわ! 大谷さんだよ!」
「女の子だったら?」
「アントワネット?」
「いやいや、なんで不幸に陥りそうな名前付けようとしてんだよ」
「なんとなく?」
「いや、なんで疑問形なんだよ。自分の子供なんだぞ」
「だってよぉ、何を基準に付けたら良いのか分からねぇんだよ」
八木が両手で頭を掻きむしった時でした、不意にそれまで聞こえていた呻き声が途絶えて、束の間の静寂が訪れました。
それに気付いた八木がガバっと顔を上げて、マリーデが居る部屋の方向を見詰めました。
五秒、十秒、重たい沈黙が続き、二十秒が過ぎて八木の顔から血の気が引いていきます。
「おいっ、まさか……」
「ふぎゃ……ふんぎゃぁ! ふんぎゃぁ! ふんぎゃぁぁぁ!」
元気な泣き声が響いてきて、八木はヘナヘナとその場に座り込んでしまいました。
「はぁぁ……良かったぁ……」
「ほら、八木、早く会いに行ってあげなきゃ」
「駄目だ、腰抜けた……」
「もう、しまらないなぁ……」
へたり込んだまま立ち上がれない八木を見て、綿貫さんも苦笑いを浮かべています。
そこへ、ひょこっとマルトたちが顔を覗かせました。
「わふぅ、ご主人様、ヤギ運ぶ?」
「うん、部屋の前まで運んでやって」
「運んでもらうのは有り難いが、ヤギじゃなくて八木だからな」
「わふわふ、じゃあ運ぶよ、腰抜け」
「腰抜けじゃねぇ! いや、腰抜けてるけど、言い方ぁ!」
八木はマルトたちに担がれていき、部屋の前にポイっと放り出されました。
這いずって部屋へと入り、我が子との対面を終えて、十分ほどで八木は戻ってきました。
「どうしたの、八木、顔が真っ青だよ」
「ヤベぇよ、国分……赤ん坊がゴリラの子にしか見えねぇんだけど……」
「いやいや、生まれたばかりの赤ちゃんなんて、そんなもんでしょ」
「そうなのか? そうだよな?」
「大丈夫、大丈夫、大きくなれば人間らしくなるよ」
「そうだよな……てか、人間らしくって何だよ」
「それは物のたとえで……それで、男の子、女の子、どっち?」
「男だった」
「それじゃあ、ショーヘイ君?」
「いや、何か申し訳ないから、ちょっと考える」
お産に立ち会った唯香によれば、母子共に健康状態には問題は無いそうです。
ひとまずは安心したけれど、八木の苦悩は暫く続きそうです。