作品タイトル不明
二人酒
ヴォルザードへの帰還を翌日に控えた夜、夕食の後でコンスタンさんから呼び出しを受けました。
案内されたのは、宮殿の最上階にある一室でした。
「来たか、ケント」
「お邪魔します、この部屋は……?」
「ここは皇帝のための部屋だ」
窓際に座ったコンスタンさんが手招きして、外を眺めてみろと促してきました。
「あぁ、グリャーエフの街並みが一望できるのですね」
「そうだ、それも平民たちが暮らす街だ」
どうやら、この部屋は宮殿の裏手にあるようです。
防衛用の堀を隔てているものの、ゴチャゴチャとした雑多な建物が並んでいるのが見えます。
日本のような、色とりどりのネオンサインなどは見えませんが、無数の小さな明かりによって人の営みを感じさせられました。
「何て言うか、街が生きているんだって思わされますね」
「街が生きているか……その通りだな。これこそが、我が守りたいものだ」
一般市民の平穏な暮らしこそが守りたいものだと、胸を張って言い切る皇帝陛下は恰好良いですね。
「まぁ、座れ。一杯やろう」
「いただきます」
コンスタンさんは、小さなテーブルを挟んだ向かいの席に僕を座らせると、お酒を勧めてきました。
まぁ、嫌いじゃないですけど、バルシャニアのお酒は強いんですよねぇ。
「良い香りですね」
「だろう? トーグルという地方で採れる杏を使った酒だ」
「あぁ、口当たりが良いですね。でも、結構強い」
「まぁ、ゆっくりやろう。クラウスから、果実酒が好きだと聞いて用意した酒だ」
「そうなんですか、ありがとうございます」
「なぁに、これまでケントに世話になったことに比べれば安いものだ」
コンスタンさんは、自分の盃にも酒を注ぎ、クイっと喉へと流し込むと、喉から鼻へと抜ける香りを楽しむように目を閉じた。
「バルシャニアでの滞在は楽しめたか?」
「はい、色々ご配慮いただき、ありがとうございました。自分を題材にした劇を見るのは、ちょっと恥ずかしかったですけどね」
「ふははは……まぁ許せ。ああでもせぬと、セラの嫁入りを納得しない連中がおったからな」
現皇帝の子供の中で、紅一点のセラフィマは、家族だけでなく国民からも大変人気があったそうです。
そのセラフィマを他国の王族ではなく、一介の冒険者の下へ嫁がせるのだから、簡単には納得してもらえなかったようです。
「それでも、不満に思っている人は多そうですよね」
「あぁ、襲撃の件については本当にすまなかった。まさか、宮殿付きの兵士の中にまで、あのような情報に操られてしまう者がいるとは思っていなかった」
「あの歌劇って人気なんですよね? それでも、まだ僕が騙している……なんて思うんですね」
「歌劇が人気すぎて切符が手に入らず、その不満も利用されたようだ」
「えぇぇ……そんなに人気なんですか」
兵士の間でも、見れた者と見れないでいる者との間に溝ができているらしい。
「見れた者は見れた者で、セラフィマがあんな浮ついた男に心を奪われる訳がないと憤慨しているらしい」
「それは演出の人に言って下さい。というか、あの役者、どうだ俺の方が良い男だろう……みたいな感じで、ちょっと腹が立ったんですけど」
「ふははは……所詮は戦場を知らぬ役者だ、腹を立てるまでもないだろう」
「いやぁ、あまりにも容姿が違いすぎるというか……」
「実物が目立ちたくないと言うから、異なった容姿の者になっただけだ」
「そうかもしれませんけど……」
「それで、嫁のうちの一人でも、よろめいたりしたか?」
「それは、しませんけど……」
「案ずるな、ケントの価値は皆が一番良く知っておる」
グダグダ言わずに飲めとばかりに、コンスタンさんは酒を勧めてきます。
まぁ、勧められれば飲みますけどね。
「だいたい、五人も嫁をもらっておいて、文句を言うなど贅沢にも程があるぞ」
「それは、まぁ、そうですよね」
「ワシなど、リサヴェータ一筋だぞ」
「本当ですかぁ……?」
「当たり前だ、浮気などしようものなら、どれほど怖ろしい目に遭うか……」
「怖ろしい目を知っているって事は、少なくとも一回は浮気したんですよね?」
「馬鹿者、あれは……リサが勘違いしたのであって……浮気などしておらん」
うん、歯切れの悪い様子からも、浮気したのは間違いなさそうですね。
まぁ、事ある毎に唯香にお説教されている僕が言えた義理ではないですけどね。
「セラに不満は無いか?」
「ありませんよ。僕には過ぎた嫁です」
「ならば返せ……とは言わぬ。いつまでも側に置いてやってくれ」
「日本には、お前百まで、わしゃ九十九まで、共に白髪が生えるまで……なんて言葉があるんですけど、白髪どころか皺くちゃになるまで一緒にいるつもりですよ」
「皺くちゃなセラか……想像できんな」
「そうですね、ちょっと想像できませんけど、きっと可愛らしいお婆ちゃんになると思いますよ」
「そうか……そうであろうな」
盃に酒を注ぎながら微笑むコンスタンさんの顔は、一国の皇帝ではなく一人の父親でした。
僕やセラが皺くちゃになる頃には、コンスタンさんはこの世を去っているでしょうが、死別とかはまだ考えたくないですね。
「セラ以外の者も、同じ様に愛しんでおるのだろうな?」
「勿論です。ちゃんと平等になるように日替わりで、順番に休むようにしてます」
「それでは、うまく時期が合わない者も出てくるのではないか?」
「まぁ、そうですね。そういう場合もあります」
「ならば、嫁同士で相談させて、時期が合うようにした方が良いのではないのか?」
「まぁ、効率を考えるならば、そちらの方が良いんでしょうけど、まだ焦る時期じゃないかと……」
「嫁と話し合ってみたか?」
「いえ、話し合ってはいませんけど……」
「ならば話してみるがいい。ケントが思うよりも、精神的な負担を感じておるやもしれんぞ」
コンスタンさんとの間に五人の子供を授かったリサヴェータさんですが、第一子のグレゴリエを身籠るまでは、ずいぶんとナーバスになっていたそうです。
「すでに身籠っているマノンは良いとして、残りの四人は次は自分が……と重責を感じているのではないか?」
言われてみれば、唯香は少し思いつめているようにも見えます。
だとしたら、日本式の妊活を取り入れて、早く子供が授かれるようにした方が良さそうですね。
「ヴォルザードに戻ったら、みんなと相談してみます」
「それが良かろう、早いところ、孫の顔を拝ませてくれ」
「義兄たちは、まだ嫁を貰わないんですか?」
「第一皇子が嫁を貰わないうちは、色々とやりにくいのだろう」
「アンジェお姉……じゃなくて、アンジェリーナさんとは上手くいきそうなんですかね?」
「さて……その件はクラウスと話をする予定だ」
人を移動させるには僕が必要ですが、声を届けるだけならば、コボルト隊がいれば何とかなります。
書簡のやり取りが面倒な時には、闇の盾越しに直接話をしているようです。
「グレゴリエとアンジェリーナ嬢については、ケントは気を使わなくても良い。それよりも、セラが子宝に恵まれるように配慮してくれ」
「バルシャニアに向けた僕の当面の仕事は、早く孫の顔を見せることですね」
「そういう事だ。嫁たちと相談して……励め」
「分かりました」
「それと……用事が無くとも、たまには顔を出せ」
「はいはい、セラだけでも連れてきますよ」
「セラも一緒の方が良いが、お前だけでも顔を出せ」
「えっ?」
「ケント、お前ももう我の家族なんだぞ」
「はい……」
ヤバいです、胸がジーンとして、手元が何だか滲んで見えます。
異世界の父は涙ぐむ僕に、何も言わず酒を注いでくれました。