作品タイトル不明
診療所の手伝い
バルシャニアへの旅行に先立ちまして、本日は守備隊の敷地にある診療所のお手伝いに来ています。
元々は、守備隊のための診療所として開設されたそうなのですが、一般の住民も有料で治療を受けられるようになっています。
唯香とマノンは、日頃からこの診療所で働いていて、ちゃんとお給料も受け取っています。
二人が診療所で働くようになった切っ掛けは、クラスメイト約百五十人と先生をラストックから救出してきた時からです。
当時、ヴォルザードはゴブリンの極大発生に見舞われていて、守備隊のみならず冒険者も参加して、街の存亡を懸けた防衛戦が行われていました。
ラストックから来たばかりの唯香も治療を担当し、その時の腕前を買われて本格的に診療所で働くようになったのです。
マノンも水属性の治癒魔法を会得して、治療の補助や受付業務など多岐に渡って仕事をこなしているそうです。
当初、二人は見習い扱いだったそうですが、今では診療所の主力として活躍しているので、その二人が揃って長期の休みを取ると診療に影響が出てしまいます。
そこで、長期の休みの前に僕が治療を行い、休みの間の負担を少しでも減らそうという作戦です。
診療所での治療は未経験ですけど、僕の治癒魔法はかなりチートです。
治癒どころか再生まで出来ちゃいますから、どんな症例だろうと大船に乗ったつもりで任せてもらいましょう。
ただ、災害現場と違って、怪我の治療よりも病気の治療の方が多くなりそうですよね。
まぁ、病気に関しても腐敗病に掛かっていたベアトリーチェを完治させたり、シーリアさんの母親フローチェさんの治療も行っています。
診療となれば、当然触診が必要になってきますし……患者さんが若い女性でも、それは治療ですから仕方ありませんよね。
胸が苦しい……なんて症状を訴えられたら、呼吸器系の病気の他にも、乳がんも疑わないといけませんし、いやぁ、お嫁さんが五人もいるから邪な気持ちなんてありませんよ。
治療、あくまでも治療の一環ですからね。
「じゃあ、ケントはこの部屋で治療をお願いね」
「任せて唯香、バンバン治療しちゃうよ」
最初の患者さんは、膝を痛めたお婆さんでした。
日本風に言うならば、変形性膝関節症というのでしょうか、足がO脚になってしまっています。
「おや、今日はユイカちゃんじゃないのかい?」
「はい、本日治療を担当させていただきます、ケントと申します」
「えっ、あんたがユイカちゃんの旦那の魔物使いかい?」
「えぇ、そんな風にも呼ばれているみたいですね」
「こりゃ驚いた、あんたSランクの冒険者なんだろう?」
「はい、そうですよ。見た目は頼りないですけどね」
「あははは、自分で言ってちゃ世話ないよ」
ていうか、お婆さんは話好きのようで、なかなか治療が進みません。
それでも、マッサージ風の治癒魔法を使うと……なんという事でしょう、あれほどO脚だった膝が真っ直ぐになったではありませんか。
これぞ、チートな匠の技ですよ。
「こりゃ驚いた、あれほど痛かった膝が何ともなくなっちまったよ」
「どうです、ご満足いただけましたか?」
「膝が治ったのは有難いけど、これじゃあ診療所に遊びに来る理由が無くなっちまったよ」
いやいや、日頃から混雑しているときいてるから、遊びには来ないでもらいたい。
それでも膝の痛みから解放されたのが余程嬉しかったのか、お婆さんは弾むような足取りで診察室から出ていきました。
次に入って来たのは、腰を痛めてしまったお爺さんでした。
腰の痛いお爺さんと、膝の痛いお婆さんという組み合わせを見ていると、リーブル農園のディーノお爺ちゃんとマイヤお婆ちゃんを思い出します。
暫くご無沙汰していますけど、二人とも元気でしょうかね。
お爺さんの後は、釘ではなく自分の指を金槌で叩いてしまったオッサン、その次は背中を痛めたおじいちゃん、足首を捻挫した太ったオバちゃんと続きました。
「てか、若い女性いないじゃん!」
そう言えば、患者の配分はマノンが担当しているんでした。
どんなに期待したところで、本日、僕がうら若き女性患者を担当する可能性はほぼゼロでしょうね。
ええ、分かっていましたとも、こうなる事ぐらい……。
治療の合間に、魔力の回復を補助する薬を飲みつつ、年齢層高めの患者さんたちを治療していると、診察室の外が騒がしくなりました。
「急患だ! 頼む、俺の大事な女なんだ、助けてくれ!」
どこかで聞いたことのある声のような気もしますが、若い女性の患者では、僕の出る幕は無さそうです。
唯香か、他の治癒士の方が担当するのか、隣の診察室へと運ばれていったようでした。
僕がメタボなオッサンの治療に専念していると、診察室の職員用の出入り口からマノンが顔を出しました。
「ケント、その患者さんが終わったら、こっちを手伝ってくれない?」
「いいけど、唯香は?」
「その唯香からのお願いなんだ」
「分かった」
メタボなオッサンの治療をさっさと終わらせて、唯香が担当している診察室へと入ると、見覚えがありすぎる人物が患者に付き添っていました。
「どうしたんだよ、何で治療をしてくれないんだ」
「それを今から説明します。あっ、ケント……」
「なんで手前が……いや、そんな事はどうでもいい、早くヴェリンダを治療してくれ!」
患者に付き添って、唯香に絡んでいたのはギリクでした。
診察台に寝かせられたヴェリンダの口許には血が付いていて、顔には紫色の斑点が浮かんでいます。
素人目で見ても、かなりヤバそうな症状のように見えます。
「ケント、ちょっと……」
「おい、治療は!」
「その相談をするんです!」
食ってかかるギリクを制して、唯香は僕を診察室の外へと連れ出しました。
「どうなってるの?」
「たぶん、消費性凝固障害だと思うの」
「えっ、消化性……なに障害?」
「消費性凝固障害、不全流産による合併症だと思う」
「不全流産って……それじゃあ」
「うん、お腹の子の心音は聞こえないし、たぶん死後かなり経過していると思う」
唯香は、マノンの妊娠が分かってから、不測の事態に備えて、出産に関わる症例を色々と調べているそうです。
ヴェリンダの症状は、調べた症例の状態に似ているそうです。
「僕は何をすれば良いの?」
「お腹に胎児が残っていると、治癒魔術を使っても元に戻ってしまうの」
「送還術を使って、胎児を摘出すれば良いの?」
「出来る?」
「というか、やるしかないんでしょ?」
「うん……」
申し訳なさそうに頷いた唯香の肩をポンと叩いて、僕は影の空間へと潜りました。
胎児を子宮から摘出するならば、影の空間からの方が良いでしょう。
影の空間から覗き見ると、羊水が濁っています。
もう、赤ん坊の形にまで育っている胎児からは、命の鼓動は感じられません。
ヴェリンダの呼吸に合わせて子宮が動くので、余計な場所まで転送しないようにタイミングを計りながら、胎児を子宮の外へと取り出しました。
「送還……」
最初に胎児を用意しておいたトレイに送還し、その後、別の容器に胎盤などの子宮の内容物を数回に分けて取り出しました。
ギリクに気付かれないように、唯香に合図を送り、一緒にヴェリンダに治癒魔術を掛けました。
苦しげだった呼吸が安定し、顔に浮いていた紫色の斑点も消え、ヴェリンダは寝息を立て始めました。
一応、胎児にも治癒魔術を掛けてみましたが、全く効果はありませんでした。
治療を終えて、唯香がギリクに状況の説明を始めました。
「ヴェリンダさんは、もう心配ありません」
「そうか、ありがとう」
ギリクの口から、ありがとうなんて言葉が発せられるとは驚きです。
「ですが、お腹の子供は既に亡くなっていました」
「何だと、どういう事だ!」
唯香に掴み掛かろうとしたギリクの前に、影の空間から飛び出して立ちふさがりました。
「手前、子供を殺しやがったのか!」
「何を聞いてたんですか、既にお腹の子供は亡くなっていて、そのせいでヴェリンダさんが体調を崩してたんですよ」
「なんで、なんで子供も助けてくれなかったんだ!」
「治癒魔術は万能じゃないです。それに、僕らに食ってかかる資格がギリクさんにあるんですか?」
「何だとぉ!」
目を血走らせて睨みつけてくるギリクの悪い噂は色々と聞いています。
それと、最近立ち直りつつあるという噂も耳にしています。
そんな状況で赤ん坊を失うのは辛いでしょうが、僕らに文句を言うのはお門違いです。
無言で睨み返していると、先に目を背けたのはギリクでした。
「ヴェリンダを連れて帰る……」
「症状は改善しましたけど、体力までは戻ってませんからね。それと、亡くなられた胎児はどうされます?」
「後で引き取りに来る……世話になった……」
ギリクはヴェリンダをシーツで包んで、端を結んで作った輪を首で支え、左手を添えて運んで行きました。
新婚旅行を前にして、なんとも後味の悪い状況に遭遇してしまいました。
マノンがショックを受けないと良いけど……後でケアしておきましょう。