作品タイトル不明
冒険と無謀
『ケント様、バッケンハイムにゴブリン共が入り込みました』
「ありゃ……突破されちゃったか? もしかして雨の影響かな?」
寝起きにラインハルトから聞かされた報告は、あまり喜ばしい内容ではありませんでした。
バッケンハイムの南側にある森で異常増殖していたゴブリンの一部が、冒険者や兵士の目を盗んで街に侵入したようです。
昨日の夕方前に降り出した雨は、夜半まで降り続いていました。
ヴォルザードよりも東にあるバッケンハイムでは、もう少し遅い時間に降っていたはずです。
『そうですな。かなり強い降りでしたので視界も悪くなっておりましたし、火属性魔法の攻撃力も削がれておりました』
「ゴブリン共は、雨に紛れて入り込んだんだね?」
『その通りですが、泥団子を投げ付けて投光器の明かりを弱めたり、尖らせた木の棒を砦に突き入れたり、それなりに知恵を巡らせていたようです』
「学院は大丈夫かな?」
『コボルト隊を敷地の周囲に配置してございますので、問題は無いでしょう』
バッケンハイムにある学院には、ヴォルザードの領主クラウスさんの次男バルディーニが在籍しています。
僕自身は特別扱いしなくても良いんじゃないかと思ってるけど、あんなのでも一応ベアトリーチェの兄だし、僕にとっても義理の兄になるので、ゴブリンに食われるなんて死に方をしないように手配はしてあります。
「バッケンハイムは、どんな対応をするつもりなのかな?」
『そうですな……普通に考えるならば、防衛と駆除の両面作戦を強いられる事になりますな』
「それって、人員が足りるのかな?」
『どうでしょう。恐らくは不足すると思われますが、決定的な破綻が起こりそうになるまでは、ケント様への依頼は出されないと思いますぞ』
「だよね。たぶん、今回も手出し無用って言われるだろうな」
今回のゴブリン騒動に対するマスター・レーゼやラウさんの方針は、バッケンハイムギルドに所属している冒険者達の底上げを優先しています。
今後も南の大陸に絡んで、空間の歪みが発生するならば、ゴブリンだけでなくオークやオーガといった魔物まで増えてもおかしくありません。
その時に備えて、所属している冒険者の実力をアップさせる為に今回のゴブリン共を利用しようと考えているようです。
とは言え、ゴブリンの侵入を許したのは、マスター・レーゼやラウさんにとっても誤算だったんじゃないですかね。
朝食を済ませた後、今後どういった対応をするのか、ちょっと覗きに向かいました。
ギルドに顔を出す前に、バッケンハイムの現状を確かめておきます。
「マルト、ミルト、ムルト、サヘル、ちょっと街の中に入り込んだゴブリンを探してくれるかな? あぁ、まだ斬っちゃ駄目だからね」
「わふぅ、任せてご主人様」
「終わったら撫でて」
「うちは、お腹撫でて」
「斬っちゃ駄目とは……残念です」
マルト、ミルト、ムルトは喜び勇んで飛び出して行き、サヘルはちょっと不満そうだったけど、探しに行ってくれました。
「ご主人さま、見つけた!」
「わふぅ、うちも見つけたよ」
「見つけた、見つけた!」
「見つけましたが……斬りますか?」
「えぇぇぇ……そんな簡単に見つかっちゃうものなの?」
街に入り込んだと言っても、広いバッケンハイムなので簡単には見つからないと思っていましたが、思った以上の数が入り込んでいるようです。
バッケンハイムでは、どうやら一般の人の外出は禁止されているようで、人通りの少ない街中のあちこちにゴブリンの姿があります。
細い裏路地、公園の植え込みの中、酒場の裏でゴミ箱を漁っている奴もいました。
これが野良猫だったら、まだ愛嬌があるんですが、野良ゴブリンでは迷惑なだけです。
「これはちょっと……安心して暮らせないよね?」
『そうですな。5、6頭で固まっている奴らもおりますし、そもそも1頭でも女性や子供、年寄りには危険な存在です。このままでは当たり前の生活が営めなくなってしまいますぞ』
いくらゴブリンが魔物の中では弱い部類とは言っても、子供では太刀打ち出来ないでしょう。
コーギー程度の大きさの犬でも、本気で噛み付いて来られたら、一般の人では怪我を負いかねません。
ゴブリンは大型犬に近い体格がありますから、体格の良い大人であっても、本気で攻撃されたら手を焼くはずです。
実際、街中を歩いている冒険者らしい人達も、キョロキョロと周囲を警戒していました。
さすがに、これだけのゴブリンに侵入を許したならば、マスター・レーゼも慌てているだろうと思ったのですが、影の空間から覗いた限りでは、いつもと全く変わらないように感じました。
「おはようございます。お邪魔してもよろしいでしょうか?」
「ケントかぇ? 入りや……」
「失礼します」
マスター・レーゼは、いつもの露出度の高い衣装をまとい、いつものように3人掛けのソファーに横になって長煙管を燻らせています。
そして、1人掛けのソファーには、ちょこんとラウさんが座っていました。
「ほほう、少しは鍛え直し始めたか……」
「はい、おかげさまで有能な眷属がやる気を出しまくっております……」
数日前に、ラウさんから身体の緩み、気持ちの緩みを指摘されて以来、夜中の特訓が再開されております。
まぁ、僕の場合は自己治癒魔術が使えるので、筋肉痛とか肉体疲労は限定的なんですが、精神的な疲労までは治癒させられません。
「あと5年は、サボらずに修行を続けよ」
「えぇぇぇ……5年もですか?」
「当たり前じゃ、1年、2年で身に付く程度の技量は基礎の基礎じゃ」
「でも、僕は術士タイプですし……」
「馬鹿者! Sランクともなれば、色々な人間から謂れの無い恨みや妬みを買うものじゃ。現に殺されかけておるのじゃろうが」
「うっ……そうでした」
以前、カウンセラーの高城さんに化けた、得体の知れない人物に危うく殺されかけたのを忘れていました。
「そなたの眷属は強力であっても、咄嗟の事態では間に合わないかも知れぬ。Sランクに相応しい身のこなしを会得しておかねば後悔するやもしれぬぞ。それとも、若い未亡人を増やしたいか?」
「いえいえ、まだ新婚生活すら満喫していないんですから、あの世に行く気はありませんよ。はい、精進いたします……」
そうですよ、まだお嫁さん達と本格的にイチャイチャしていないですから、死んでる場合じゃないですよね。
てか、安全な場所以外は、影の世界にいれば良いんじゃない?
「それで、何の用じゃ? まさかラウにしごかれに来た訳ではあるまい?」
「はい、街に入り込んだ連中は、どう始末するのかお聞きしたくて」
「手出しは無用じゃ」
「ええ、分かってます。ただ、この先ヴォルザードで同じような状況が起こった場合に、僕はどこまで手出しすべきなのかと思いまして……」
僕がヴォルザードで暮らすようになってから、色んなケースで僕の眷属に活躍してもらっています。
ロックオーガの大量発生とか、ゴブリンの極大発生とか、グリフォンとか……僕らが活躍しなかったら、もっと多くの人が犠牲になっていたはずです。
被害を最小限に抑えるには、眷属のみんなに働いてもらった方が良いのでしょうが、あまり僕らが手を貸し過ぎると、冒険者の質が落ちる心配があります。
ヴォルザードの場合は、魔の森に接しているから冒険者としての仕事は潤沢にありますし、ダンジョンも立ち入りを再開しているそうなので、極端な質の低下は無いでしょう。
それでも、どの程度まで手出しを控えて、どの程度になったら介入するかの加減みたいなものは見ておきたいと思っています。
ぶっちゃけラウさんが、どの程度の手出しをするかなんですけどね。
「ワシは、基本的には手出しせぬぞ。こんな老いぼれに頼ってどうする」
「いやいや、ジリアンがいなくなった後、ラウさんに勝てるような人材がいるんですか?」
「さぁて、いてもらわないと困るのじゃが……」
何だか、期待できそうもない口振りですよね。
街に入ったゴブリンの討伐は、公園や広い通りなどの見通しが利く場所に餌を置き、そこから風属性の魔術で臭いを流して誘き寄せる作戦を行うようです。
「作戦を始めるのは夕方近くになってからじゃ。冒険者の多くは朝までの戦闘で疲れておるからのぉ」
「人手は足りてるんですか?」
「さぁて、どうじゃろうな……足りなければ、何とかするのが才覚と言うものじゃ」
もっとトラバサミとか、扉が閉まる檻みたいな罠とかを使うのかと思っていましたが、意外にもオーソドックスな待ち伏せ作戦のようです。
待ち伏せを仕掛ける場所は既に決まっているそうなので、作戦を始める頃に見学に行かせてもらう事にしました。
『ケント様、この後はいかがいたしますかな?』
「うん、ちょっと学院の周りを見ておこうかと思ってる」
バッケンハイムの高等学院は、領主の親族や金持ちの子供、飛びぬけて成績が優秀な者が集まる学び舎です。
ランズヘルト共和国の各地から生徒が集まっているので、学院は全寮制になっています。
学院の敷地は校舎や講堂、武道場や学生寮など、幾つもの建物と広い運動場や庭園などで構成されていて、既にゴブリンが入り込んでいました。
『生徒や職員は、頑丈な廊下で繋がった学生寮、校舎、講堂、食堂などを除いて、外出禁止となっております』
「ラインハルトから見て、守りは万全?」
『そうですな、自ら堅い守りを緩めてしまうような者が出なければ、大丈夫でしょう』
つまり、自分から外に出るような馬鹿野郎がいなければ大丈夫なんですね。
ただ、学園の広い敷地に入り込んだゴブリンは複数のグループだったようで、一部は仲間割れと言うか縄張り争いを始めていました。
学院の敷地は広くても食糧となる物が無いので、3つほどの群れが、互いを襲撃して一番弱い者が食われているようです。
食われたゴブリンの血の臭いが、更なるゴブリンを呼び寄せているようです。
「うーん……今は何処の群れも10頭以下みたいだけど、大きな群れになると困るよね」
『そうですな。今はまだ上位種が混じっていないようですが、それも時間の問題でしょうし、群れの頭数が増えるのも考えものですな』
「まぁ、夕方の作戦の効果が、どの程度あるのか確かめて、ここのゴブリンに効果が無いなら手を打とう」
『了解ですぞ』
学院に入り込んだゴブリンは、多くても50頭程度なので、コボルト隊にゴーサインを出せば10秒と掛からずに片付けてくれるでしょう。
『それとも、ケント様の訓練に使いますか?』
「えっ? うーん……もうちょい勘が戻ったらね」
『ぶははは、相変わらず慎重ですな』
「魔術で倒すなら楽勝だけど、剣を使って倒すなら舐めては掛かれないからね」
攻撃魔術を使うなら、ゴブリンがどんなに足掻こうと爪も牙も僕には届きませんが、剣を振るっての勝負となれば引っ掛かれたり、噛み付かれたりする恐れがあります。
自己治癒魔術は使えるけれど、進んで痛い思いをしたくはないからね。
学院の様子も確かめたので、一旦ヴォルザードに戻ろうかと思っていたら、警戒を行っていたキルトが話し掛けて来ました。
「ご主人様、なんか出て来た」
「えっ、なんか……?」
「うん、こっち……」
「うわっ、こいつら馬鹿なの?」
キルトに付いて行くと、学院の校舎の一番端、非常用と思われる扉から男子学生と思われる3人が出て来ました。
マッチョ、デブ、ヒョロガリの3人は、それぞれ片手剣と小型の盾を手にしていますが、防具は何も身に着けていません。
「よし、俺達で学院からゴブリンを追い払うぞ」
「任せろ、俺様の魔術で切り刻んでやる」
「頭でっかちクソ真面目のバルディーニとの違いを見せつけてやる」
どうやらデブが、リーダー格のようで、マッチョとヒョロガリを引き連れるようにして歩いて行きます。
てか、バルディーニって、あのバルディーニですかね。
バルディーニと対立しているならば、仲良くなれそう……なんて思いませんよ。
こんな馬鹿げた行動をする連中とは、できることなら関わりたくないんですが、放置する訳にもいきませんよね。
「行くぞ!」
「おぅ!」
校舎を出た3人は、胸を張って堂々と歩き始めました。
向かっているのは、馬上槍の競技を行う馬場の方向のようです。
バルディーニと同学年だとすると、僕よりも一つ年上になるんだと思いますが、みんな
こんなにアホなんですかね。
それとも、この3人が特別なんでしょうか。
花壇の横を通り抜け、広い馬場を見渡せる所まで来ると、遠くにゴブリンの姿がありました。
「おい、いたぞ!」
「あれがゴブリンか……」
「なんだ、ビビったのか?」
「そ、そんな訳ないだろう。思ったよりも大した事ないと思っただけだ」
「あぁ、あんなのは雑魚だ。オークやオーガならまだしも、恐れる必要など無い」
本気で言っているのか、それとも仲間に舐められるのが嫌で強がっているのか、3人は少し腰を屈めながら馬場の向こうにいるゴブリンへと歩み寄って行きます。
3人のうちヒョロガリは、剣を腰の鞘へ戻し、どうやら攻撃魔法を使うようです。
てかさ、花壇の横を通った時から、5頭のゴブリンに後を付けられてるんだけど、全く気付いていないよね。
お前らコントでもやってるのか? 後ろ、後ろって言われたいのか?
『ケント様。助けなくてもよろしいのですか?』
「うん、ちょっと痛い目にあってからの方が良いかと思って」
『なるほど、ただ連れて帰るだけでは、ゴブリンの危険さを理解出来ませんからな』
馬場に単独でいるゴブリンに接近を気付かれたところで、3人はどうやって攻めるか相談を始めました。
自分が一番最初に突っ込むと主張するデブに対して、ヒョロガリが魔術での先制攻撃を主張しています。
「まず最初の1頭だから、魔術で弱らせてから確実に仕留めよう」
「ふん、まぁ最初は確実にいくか……あっ、逃げやがった」
3人の接近に気付いて、唸り声を上げて威嚇していたゴブリンですが、急に背中を向けて走り出しました。
3人の背後から、猛烈な勢いで走り寄って来る5頭のゴブリンに気付いたからです。
「追うぞ!」
「ギピィィィィ!」
「うわぁ、ゴブリンだぁ!」
逃げ出したゴブリンを追って、3人が走り出そうとした時に、背後から後を付けていたゴブリンが襲い掛かりました。
飛び付かれると、爪や牙で怪我をするので、3人に手が届く前にゴブリン達の顔の前に闇の盾を出して突進を止めました。
顔面を強打したゴブリンの悲鳴で、ようやく3人は自分達が狙われているのに気付いたようです。
「来るな! こっち来んな!」
「くそぉ、あっち行け!」
「うぎゃぁぁぁ! なんで……俺……」
突然現れたゴブリン達に慌てふためいたデブが、滅茶苦茶に振り回した片手剣が、ヒョロガリの左腕を直撃しました。
蹲って右手で押さえていますが、ボタボタと鮮血が滴り落ちています。
「馬鹿野郎、なんで近くに来るんだよ!」
「痛ぇぇぇ! 血が……血がぁぁぁ……」
マッチョも組み付いてきたゴブリンに盾をもぎ取られ、メチャクチャに剣を振り回しています。
ゴブリン共は距離を取って、改めて3人を取り囲みました。
上位種では無さそうですが、どのゴブリンも身体が大きく、活きが良さそうに見えます。
南の森での生存競争に打ち勝ち、冒険者の攻撃を掻い潜って街に入り込んだ連中ですから当然でしょう。
「く、来るな! あっち行け!」
「助けて、誰か助けてぇぇぇ!」
ゴブリンに囲まれた3人は、完全にパニックに陥っているように見えます。
『ケント様、もう無理ではありませぬか?』
「だね……闇の盾」
ゴブリン共が一斉に飛び掛かろうとした瞬間に、3人との間を隔てるように闇の盾でグルリと囲いました。
「学院の敷地にいるゴブリンを討伐してくれるかな。死骸は魔石を取り出したら、南の森に捨てて来ちゃって」
『了解ですぞ』
闇の盾で囲まれた3人は、突然の状況変化についていけてないようです。
「なんだよ、これ。どうなってんだよ……」
「助かったのか? それとも……」
「痛い、痛いよぉ……」
いきなり姿を見せて斬り掛かられたらたまらないので、先に声を掛けてから表に出ました。
「この中には、ゴブリンは入って来られない。大丈夫だから剣を下ろして。これから、そっちに行くけど、斬り付けたりしないでよ」
闇の盾から表に出ると、デブとマッチョが目を丸くしていました。
「僕は、ヴォルザードの冒険者だ。色々質問はあるだろうけど、先に彼の治療をするよ」
「あ、あぁ、頼む……」
ヒョロガリの腕の傷は骨まで達する深いもので、太い血管を傷つけたようでかなりの出血がありましたが、治癒魔術で綺麗に塞がりました。
「う、嘘っ……全然痛くない……」
「傷は塞がったけど、失った血は戻らないから、急激な運動は駄目だよ」
「はい、ありがとうございます」
「というか、君らは何で外にいるんだ? 僕が通り掛からなかったら、取り返しのつかない事になっていたぞ」
本当は最初から見ていたし、通り掛かったというのは無理があり過ぎだけど、少し厳しめの口調で問い掛けるとリーダー格のデブがモゴモゴと返事をしました。
「ゴ、ゴブリン程度なら俺達でも……」
「じゃぁ、この闇の盾を解除しようか?」
「やめて! お願い、やめてぇ!」
ゴブリンに傷付けられた訳でもないのに、ヒョロガリは泣き叫ぶように懇願してきました。
本気で、命の危機を感じたのでしょう、他の2人にもその恐怖が伝染しているようです。
「今、僕の眷属が学院の敷地にいるゴブリンを始末している。それが終わったら盾を解除して建物まで送る。建物に戻ったら、許可が下りるまで絶対に外には出ないと約束出来る?」
「する、約束する!」
ガクガクと頷いた3人に剣を鞘に戻させて、ラインハルトから討伐完了の知らせを受けた後、校舎まで送り届けました。
「ラインハルト」
『なんですかな、ケント様』
「もし、ヴォルザードの城壁内にゴブリンの群れが入り込むようなことが起きたら、僕らの手で全部始末しよう。冒険者の質の低下云々は、訓練とかでカバーすれば良いし、被害は未然に防ぐべきだ」
『了解ですぞ。ケント様の御命令とあらば、一頭も残さずに討伐してみせますぞ』
夕方の討伐までは、まだ時間があるので、一旦ヴォルザードへ戻りました。