軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

(43)北への出発

王宮での舞踏会から二週間が過ぎました。

……アルベス兄様に殴り飛ばされたフィルさんは、その後すぐに騎士たちに取り囲まれてどこかへ行ってしまいましたから、どのくらい顔が腫れたのかはわかりません。

私もアルベス兄様に手を引かれて、あっという間に王宮を後にしていました。

馬車の用意ができていたので、もしかしたら陛下が気を利かせてくれたのかもしれませんね。

北棟を出た直後に子供の声が聞こえた気がしますから、あの双子たちからも逃げ切ってしまったようです。

もう一度、あの可愛らしい姿は見たかったので残念でしたが、お兄様が微妙に殺気立っていたから何も言えないままでした。

いろいろお世話になったのに、きちんとご挨拶を……しない方が心臓に優しい方々しかいないから、いいのかなぁ。

とにかく私たちはバタバタしたままラグーレン領に戻ってしまいました。

しばらく経ってからアルベス兄様がボソリと教えてくれたところによると、本当はフィルさんには舞踏会に出るような余裕はなかったそうです。二週間後には北部へ戻らねばならず、その準備のために翌日には軍部に連れて行かれたのだとか。

フィルさんとはもっと話がしたかったような……会うのが恥ずかしいような、なんだか複雑な気持ちです。

こういう時は余計なことまで考えてしまうから、体を動かすに限ります。

ようやく少し落ち着いた私は、手始めに鍋を磨くことにしました。

重い鉄鍋を草を束ねたタワシでゴシゴシと擦っていると、いつの間にか溜まっていた焦付きが少しずつ剥がれていきます。

日々の手入れも大事ですが、たまにはこういう徹底的な磨き上げも悪くありません。特に、無心になりたい時には最適です。

でも、手が止まった瞬間にいろいろなことを考えてしまいます。

特にこの鍋はシチュー用によく使っているので、フィルさんが美味しそうに食べる姿が浮かんでしまいます。

この大きな鍋いっぱいにシチューを作っても、フィルさんと騎士の皆さんがいるとあっという間になくなってしまいます。

アルベス兄様と二人だった時は、何日分にもなったのに。

でも、大人数で食べるのは楽しいです。

賑やかで豪快で、でも決して礼を失わない騎士の皆さんは、フィルさんが来た初日はとても静かでした。今にして思えば、緊張していたのでしょう。

でも、二食目、三食目と過ぎていくうちに賑やかさが戻って、フィルさんも皆さんの中で楽しそうに笑っていて……。

手を止めて微笑んでしまった私は、急に恥ずかしくなって、首を振ってタワシを握りしめました。

「だめよ、ルシア。今は無心に磨くのよ」

小さくつぶやいて、改めて鍋磨きに戻ろうとしました。

ちょうどその時、外が急に騒がしくなりました。

大きな声を出しているのは、我が家に滞在中の騎士さんたちのようです。

それに……気のせいか、フィルさんの声が聞こえたような……いや、まさか、ですよね?

「何かあったの?」

窓から外を見た途端、何かがものすごい勢いで迫ってきました。

それが騎士の制服を着た人間であることに気付いた時には、もう窓のすぐ下まで来ていました。

そして、その人がきれいな銀髪だと認識できた時には、私は抱き抱えられて窓から外へと出されていました。

「よかった! 家にいてくれたんだね!」

「え? フィルさん?!」

フィルさんでした。

正確には、今のフィルさんは騎士の制服を着ていますから、第三軍所属のフィルオード軍団長閣下でしょうか。

「どうしてここにいるの? もう北部へ出発する頃と聞いていたのに!」

「出発したけど、どうしても君にもう一度会いたくなって。ちょっと馬を飛ばしてきた」

「……は?」

北部地域とラグーレン領とでは、方向が全く違います。

もちろん王都からの道も全く違いますから、ちょっと馬を飛ばすような事態はあり得ません。

抱きすくめられて宙に浮いたまま、私は騎士さんたちに首を向けました。

騎士さんたちは農作業を放り出してここに来ていたようです。まだ大きな帽子をかぶっていたり、近くに鍬が落ちていたりしています。

そして、一様に青ざめていました。

「……ここに寄ってもよかったの?」

絶対にいいはずがないとわかっていましたが、一応聞いてみました。

フィルさんは答えません。

無言のまま私の肩に頬をすり寄せています。

「ねえ、フィルさんっ!」

「……このままここにいたいなぁ。塩味のシチューを食べて、美味い豆料理を食べて……ルシアちゃんに溺れたい」

首筋に吐息がかかり、一瞬遅れて肌に柔らかなものが触れました。

背中に当たっていた手もするりと腰へと動きました。抱き寄せる以上の意思を持っているようで、私は思わずびくりと震えました。

でもそれ以上動く前に、フィルさんの手が豪快に捻り上げられていました。

なおも片腕で抱き上げられていた私は、ゆっくりと地面に下ろしてもらえました。