作品タイトル不明
139 続 ダニエルの思い
「あら、ルーシー様が帰ってきたようですね」
「そうですね」
二人の楽しそうな笑い声に、思わずアンナ嬢と顔を見合わせた。
心配しなくても、どうやら二人の仲は進展しているらしい。
アンナ嬢は嬉しそうに扉へ駆け寄り、勢いよくそれを開けて二人を迎え入れた。
「オリバー!いらっしゃい!」
「・・・・・・姉さん、いきなり扉を開けるのはやめてくれる?僕、驚いたよ」
「驚かそうと思って開けたんだもの。驚いてくれてよかったわ」
「もう成人もしているのに、どうしてそんな子どもじみた悪戯をするの?」
「えっ、だって・・・」
「しかも姉さんは、今日結婚して王族になるんだよね?王族って、こんなふざけたことして許される立場だったっけ?」
「わ、わかってるわよ。ちょっとやってみたかっただけよ」
(ははっ、またやってる)
この姉弟、たまに立場が逆転していて、見ている分にはとても面白い。
オリバーに淡々と責められて、アンナ嬢が慌てたように話題を変えた。
「それより、オリバーったら!ルーシー様に迎えを頼むなんて、ご迷惑をかけたらだめでしょう」
「・・・・・・ああ、悪かったよ。ダニエル様、姉のお守りをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「ちょっと!その言い方!」
オリバーは、ルーシーをちらっと横目で見て頭を下げた。
この様子から察するに、オリバーはルーシーに迎えを頼んだわけではないだろう。
ルーシーは、ほんの少しバツが悪そうに下を向いているが、オリバーに気にする様子はない。
(・・・度量の深い男だよな)
この一年、仕事のこともあり、オリバーとは膝をつき合わせてよく話をした。
世間の評判どおり、オリバーは変人ではあったが、人として信頼できる男だった。
評価の辛い俺から見ても、ルーシーは本当にいい男を見つけたと言わざるを得ない。
「いや、別に構いませんよ。では、私はこれで失礼しますね」
「ええ。ありがとうございました」
「お兄様、ごめんね」
「・・・・・・ああ、別に構わない」
(・・・ルーシーも、俺に気を遣うようになったんだな)
王弟の妃となるアンナ嬢と、もう二人きりで会うことはないだろう。
きっと、結婚前のアンナ嬢と俺を、ゆっくり話させようと気を回したのだろう。
今日でこの恋心にケリをつけるつもりだったのに、結局ケリどころか、知らず知らずのうちに心は深い沼に沈み、抜け出せなくなっていた。
俺は、このままアンナ嬢だけを恋慕い続けるのだろう。
だが、将来の自分の孤独な姿がふと目に浮かび、胸がぎゅっと重くなった。
この気持ちを誰にも悟られまいと、笑顔を必死に張り付けながら、扉に手をかける。
俺の恋心に気付かなくても、人の痛みに敏感なアンナ嬢に、余計な気を遣わせるわけにはいかない。
彼女は、今日、結婚するのだ。
(・・・・・・うわっ!!)
扉を開けた目の前に、まるで待ち構えていたかのようにフランシスが仁王立ちしていた。
予想だにしなかった事態に動揺し、挨拶もそこそこに扉を閉めてしまった。
驚く俺を尻目に、フランシスは満面の笑みを浮かべ、肩にがっしりと太い腕を回してきた。
こいつの体重がどれほどあるのかは知らないが、圧迫されるような重みで、思わず息を呑む。
「ダニエル!待ってたぞ!」
「重いって!おい、自分の体重を考えろよ!いきなりどうしたんだよ!?」
「こうでもしないと、ダニエルは逃げるからな。忙しいって言って、いつも俺の誘いを断りやがって。今日こそ捕まえたからな」
「それは仕方がないだろ。別に避けてたわけじゃなくて、仕事が忙しかったんだよ」
実際この一年、目が回るような忙しさだったのだ。
うちの商会は驚異的な売り上げを記録した。
だが、それに反比例するかのように、俺の自由時間は完全に消え去っていた。
「でも、今なら時間があるよな?俺は、今から休憩なんだ」
「いや、ないよ。結婚式に参列するからな」
「殿下たちは、王都中をパレードしてから教会に行くんだ。まだ時間はたっぷりあるさ」
自分の腕時計を誇らしげ見せつけるかのように、フランシスが腕を差し出してくる。
「・・・それ、うちの品じゃないか」
「ああ、いい時計だろう?性能が良くてお洒落だから、自慢して回っているのさ」
「うちの店のだからな。その精巧さや性能の良さは、俺が一番よく知ってるよ」
「ははっ、まあ、そうだよな」
どうやら俺が知らぬ間にフランシスも、うちの店に貢献してくれたらしい。
無邪気に笑うフランシスを見て、胸の奥がくすぐったくなる。
(・・・確かに、結婚式まで時間の余裕はあるな)
フランシスと顔を合わせることはあっても、立ち話程度でゆっくり話すことなんてなかった。
今日は仕事の予定は入れていないし、たまにはいいかもしれない。
「・・・・・・お茶くらいなら、付き合うよ」
「そうこなくちゃな。じゃあ、せっかくだから寮でお茶を飲もう」
「・・・フランシス、まだ寮にいるのか?いい加減に出たらどうだ?」
「何でだ?」
「古いし、汚いだろう?」
「いや。最近改修されたんだ。綺麗になったから、住み心地がよくなったぞ」
「そうなのか?」
「ああ。まだ冬は経験してないから、わからないけどな。でも、少なくとも隙間風で、レギーじいさんが震えることはなくなるんじゃないかな」
「そうか。それはよかった」
寮の設備は古く、冬になると隙間風が吹き込んだ。
改修されたのなら、レギーの足の痛みも和らぐだろう。
「ただ、レギーじいさんは、お前が渡した毛糸の靴下を今でも愛用しているけどな」
「今でも!?」
「肌寒くなると、あれを履いてるな。年寄りは寒さに弱いからな」
「・・・・・・そうか」
寒さに震えるレギーを見かねて、アンナ嬢の荷物の中にあった毛糸の靴下を渡した。
そんなに気に入ったのなら、今度アンナ嬢に作り方を聞いて、レギーに持って行ってやろう。
「まあ、寮は快適になったし、嫁さんもいないし、俺は当分寮生活かな」
「フランシスは、いいとこの坊ちゃんなんだから、いくらでも嫁に来たいという女性はいるだろう?」
「いや、俺は心から惚れこんだ女性と結婚したいんだ」
フランシスの憧れを抱くかのような真っ直ぐな瞳に驚いてしまう。
これまでフランシスから、女性の話題を聞いたことはなかった。
少なくとも、俺は一度もない。
「・・・・・・お前に、そんな女性がいたのか?」
「いや、いない。でも、そのうち会えるだろう」
自分の将来について何も考えていないのか、フランシスがケロリとした顔で言ってのける。
つまり、見たこともない理想の女性との結婚を夢見ているだけで、現実的な問題は何も考えていないのだろう。
「理想の女性に会えなかったら、どうするんだ?」
「いや、別にどうもしないさ。家は兄が継いでいるし、おまけに子だくさんだから問題はない。嫁さんがいなくても死ぬわけじゃないし、俺は好きなことをするからいいさ」
「好きなことって何をするんだ?」
「鍛錬だ!身体を鍛えるのが、楽しくて仕方がないからな!」
「そうか・・・」
(・・・こいつ、筋肉バカだったな)
分厚い胸板に潰されそうになりながら、思わずため息が出る。
きっと全ての悩みを身体を鍛えることで発散しているに違いない。
揺るぎないフランシスと話していると、自分がひどく小さな男に思えてくる。
「やっぱりお茶はいいよ。結婚式に遅刻したら大変だからな」
「まだお茶を飲む時間くらいあるさ」
「いや、いいよ。街中がすごい人混みで、馬車が通れるかどうかもわからないし」
「だめだ。絶対に飲んでいけ」
腕に力を入れながら、フランシスが真剣な瞳で俺の目の奥を覗き込もうとする。
目の奥を覗き込まれるのは、心を見透かされそうで嫌いだ。
おまけにフランシスの筋肉の厚みと重みで潰されそうになって、ずしんと心まで重くなる。
「・・・・・・しつこいな。何でだよ。何か俺に話でもあるのか?」
「いや、特にはない」
「じゃあ、いいじゃないか。俺は忙しいんだ」
「いや、体調が悪いんだろう?寮で休憩するといい」
「別に問題ない。大丈夫だ」
「お前の言うことは信用できないからな」
「いや、いい加減、その腕をどけろよ」
フランシスは連行するかのように、俺の肩を抱いたまま廊下を進んで行く。
こいつが本気を出したら、俺の身体など簡単に抱きつぶせるだろう。
(・・・・・・・・・前にも、フランシスから言われたな)
俺が友人だと思っているこの男は、俺を『信用できない』と断じる。
アンナ嬢から何か理由があるはずだと言われたが、自分の感情を素直に出すフランシスに、理由なんてあるのだろうか。
「・・・・・・お前、前にも俺にそう言ったよな。『俺が信用できない』って、どういう意味だ?」
「あぁ?そのままの意味だ。今日のお前は、ひどい顔をしている。ダニエルがそんな顔をしているときは、決まって何かあったときだ」
(・・・・・・・・・どういうことだ!?)
フランシスはこともなげに言ってきたが、驚いて固まってしまう。
俺の笑顔は、常に完璧だったはずだ。
「ん?どうした?」
「俺、今、どんな顔をしてるんだ?」
「さぁ?」
「『さぁ』ってなんだよ。なにか根拠があるから言ってるんだろう?」
「そう言われても、俺にはわからないな。お前と違って、俺は言葉に出すのが下手なんだ。ただそう感じるから、そう言ったまでだ」
(・・・・・・直感かよ!)
フランシスの、巨人のようにでかい身体の上についた顔を見上げる。
人間離れしたフランシスは、感覚で生きているのだろうか。
でも、その鋭い感覚で俺を見抜き、今までも気に掛けてくれていたのだろうか。
人に気を遣うことばかりの人生で、自分が気遣われることなどないと思っていた。
俺は思いのほか、自分のことを気遣ってくれる人たちに囲まれていたらしい。
「だから、無理して笑うな!」
フランシスはそう言うなり、俺の背中を大きな手で思い切り叩いた。
(痛てぇよ!この馬鹿!!)
力加減を知らないフランシスに叩かれたせいで、思わず涙が滲んでくる。
いや、これは俺の心か。
フランシスのたった一言が、俺をがんじがらめに縛っていた糸をほどいていった。
誰かに見抜かれ、受け止められるというのは、こんなにも心を軽くするものなのか。
「俺のお茶を飲めば元気になるぞ!レギーじいさんも、俺がお茶を淹れてやると『美味い、美味い』って喜ぶしな」
「・・・・・・年を取ると『渋み』を感じにくくなるからな」
「ん?なんか言ったか?」
「いや、いいよ。せっかくだし、俺がお茶を淹れてやるよ」
「そうか。それは楽しみだな。でもそれなら、俺にもう一度お茶の淹れ方を教えてくれ。後輩たちが、俺の淹れたお茶を飲むと微妙な顔をするんだ」
「やっぱり、不味いんじゃないか」
「いや、少しばかり渋いだけだ。ダニエルは、いつも美味しい物ばかり食べてるだろう?たまには渋いものを口に入れると、元気がでるぞ」
「・・・・・・そこまでして、元気になりたくはないな」
「ははっ、それもそうだよな!!!」
豪快に笑うフランシスの声を聞きながら、王宮の外へ歩み出す。
外に出ると、透き通るような青空が果てしなく広がっていた。
思わず深く息を吸い込み、胸いっぱいにその清らかさを感じる。
フランシスもその青空の美しさに目を奪われたのか、ゆっくりと空を見上げる。
こんなにゆっくり空を見上げたことが、これまであっただろうか。
空の美しい青さが、目に沁みる。
「・・・・・・・・・いい天気だな」
「ああ、そうだな」
夜行性のコウモリは、決して空の青さを知ることはないだろう。
だが人間である俺は、この青の広がりを見上げることができる。
孤独だと思っていたが、案外、未来は悪くないのかもしれない。
暑苦しくて重いフランシスの腕が肩に乗っているのに、不思議と胸の奥は軽かった。