軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

121 公爵邸の夜

(・・・・・・今、何時かしらね)

夜も更け、屋敷の中はすっかり静まり返っていた。

柔らかな寝具に包まれているはずなのに、瞼を閉じるたびに思考ばかりが冴えていく。

これだけ豪奢で寝心地の良いベッドなのに、眠れないのはどうしたわけだろう。

イザベラ様は、セイン様たちを連れて馬車に飛び乗るように行ってしまった。

執事に勧められて蔵書室に案内され、静かな空間でゆっくりと本を読んで過ごした。

遅くなっても誰も公爵邸に戻ってくる気配はなく、私はひとりで夕食を取り、入浴を済ませた。

しかもイザベラ様から指示があったらしく、風呂上りには侍女たちが丁寧にマッサージまで施してくれた。

いつも仕事に追われていたから、こんなにもゆっくりとした時間は久しぶりだった。

あれほど優雅な時間を過ごしたのだから、身体はすっかりリラックスし、今夜はよく眠れるはずだ。

それなのに、まるで眠気が訪れなかった。

寝ようとすればするほど、目の奥が勝手に光るような気がして、布団に身を沈めても落ち着かない。

(・・・・・・眠れるわけないわよね)

思いがけずヘンリー様には会うし、しかも、なぜかダニエル様には求婚されてしまった。

おまけに、強烈な個性を持つイザベラ様に連れてこられたと思ったら、今度はアルバート様から求婚を受けることになった。

こんなに濃密な一日を過ごすことになるなんて、思ってもみなかった。

(・・・・・・・・・・私、アルバート様と本当に結婚するのよね)

自分でも、自分の下した決断に驚く。

今まで先のことを常に考えて、失敗をしないように生きてきた。

それが、王族のアルバート様と結婚。

アルバート様やイザベラ様の話を聞く限り、王族との結婚は華やかに見えても、決して安易な道ではないだろう。

むしろ、華やかさの裏には、苦労のほうがずっと多く隠されているのかもしれない。

(私も、よく決断したわよね・・・)

それこそ今日、「軽率な行動を取らないようにしよう」と自分を戒めたばかりだった。

それなのに、誰にも相談せず、自分の心のままに逆プロポーズしてしまった。

結婚は勢いだというが、本当にそうだったかもしれない。

(だけど、アルバート様と結婚することに後悔はないわ)

けれども、あまりにも自分が歩んできた世界と隔たりがありすぎて恐ろしくなる。

それに、うちの領地や手がけ始めた養蜂事業もある。

思えば、私の肩には思った以上に多くの責任がのしかかっているのだ。

オリバーとも話し合い、これからの道を探らねばならない。

この状況で枕を高くして眠れるとしたら、余程肝が据わっているか、何も考えていない人間だろう。

今後のことを考えると、迷うことばかりで目が冴えて仕方がなかった。

身体の向きを変えたり、枕を抱き締めてみたりしたが、どうにも眠れない。

明日はヘンリー様の披露宴に出席しないといけないのに、このまま朝を迎えるわけにはいかない。

睡眠不足では碌なことが起きないことは、身を持って経験している。

だから、せめてそれだけは避けたかった。

(・・・だめだわ、何か温かい飲み物でも貰ってこようかしら)

寝るのを諦めて廊下に出れば、イザベラ様が少し離れた部屋に入っていくのが見えた。

どうやら、屋敷に戻ってきていたようだ。

お世話になったお礼を伝えておこうと思い、後を追いかける。

「・・・イザベラ様?」

イザベラ様が入ったように見えた扉を、そっと押してみる。

繊細な彫刻が施されたソファに背を預け、イザベラ様は壁を見上げていた。

(えっ?この部屋はなんなの?)

イザベラ様の視線の先には、所狭しと昔の人物の肖像画が飾られていた。

部屋の中央に置かれたソファには、時代も国もばらばらな視線が集まっている。

ソファには、絵画の人物たちの視線を一身に浴びるイザベラ様の姿が浮かび上がっていた。

何か見てはいけないものを見てしまったのではないかという恐怖が、足元から這い上がってくる。

顔をだるそうに扉へ向けて私の姿を確認したイザベラ様は、口元に笑みを浮かべた。

「ああ、アンナ様。ご一緒できなくて、ごめんなさいね。図書館にも寄ったものだから、遅くなってしまったのよ。戻ってから、一度貴女の元に顔を出そうかと思ったんだけど、色々忙しくてね。とりあえず、子どもたちの寝かしつけまでしてからと思ったら、あっという間に時間が経ってしまったの。折角来てくれたのに、悪かったわね」

「いいえ。お気遣いしていただき、ありがとうございます。私は、屋敷の皆さんに親切にしてもらい、ゆっくりさせていただきました」

「そう、それなら良かったわ。それにしても、カマキリって、なかなかいないものなのね。あちこち探したんだけど、どうしても見つからなかったわ」

「・・・カマキリを探すためだけに、そんなにあちこちに行かれたのですか?」

「だって、セインが本物を見たがったからね。でも、カマキリ以外の虫は沢山見つけたのよ。数匹だけど、捕まえることができたわ」

「イザベラ様は、虫がお嫌いでしたよね?」

「ええ、そうね。嫌いというか、生理的に無理なのよ。なんか気持ち悪いじゃない?虫を見ると、鳥肌が立つのよね」

「そんなに苦手なら、無理してカマキリを探しに行かなくてもよかったのではないですか?」

「でも貴女が言ったんじゃない。親のせいで子どもの興味を狭めるなって」

(・・・そんなこと、私イザベラ様に向かって言ったかしら?)

記憶の糸を辿るが、母の思い出を語っただけで、イザベラ様の子育てに文句をつけたわけではない。

「いえ、言っていなかったと思いますが・・・」

「それにほら、あんまり大事にすると、生きて行く力がなくなるんでしょう?」

「それはカイコの話であって・・・」

「人も同じじゃない?」

イザベラ様は、私の話で何を感じ取ったのだろう。

私は思いがけず、イザベラ様の子育てに口を挟んでしまったのだろうか。

考え込むように眉を顰めると、イザベラ様は片方の口元を少しだけ上げた。

「別にアンナ様のせいじゃないから、気にしなくていいのよ、セインの教育方針を少しだけ変えようと思っただけよ」

「・・・そうですか」

「カマキリは見つからなかったけどね、でも、バッタを捕まえることができて、セインが大喜びしていたわ。あとなぜか、フランシス隊長もね。知らなかったわ。フランシス隊長、虫を捕るのが上手なのね」

「そうなんですね」

「ふふっ。フランシス隊長の思わぬ一面を見てしまったわ。こういうのも、たまにはいいわね」

楽しそうに笑いながらも、イザベラ様の横顔には疲れが滲んでいた。

まだ歩けないダイアナ様を連れていたなら、ずっと抱っこしていたかもしれない。

「でも、お疲れになったでしょう」

「そうね、正直疲れたわ。ここ最近、ダイアナの夜泣きが酷くて、よく眠れていなかったから余計にね。でも、セインもダイアナも楽しんだからいいのよ。子どもが笑うだけで、それだけで親は嬉しいの。今日は、本当にいい一日だったわ」

「・・・そうですか」

「不思議よね。外は暑いし、日焼けはするし、カには刺されるし。虫を探しても、いいことなんて一つもないのにね。家にいたほうが、よっぽど有意義な時間が過ごせたはずよ。それに、虫なんて正直見るのも嫌なのよ。だけど、セインが目を輝かせて虫を捕まえる姿を見ているだけで、これ以上ないほど幸せな気分に包まれたわ」

口元に柔らかな笑みを浮かべるイザベラ様だったが、目の下に影ができ、視線は遠くをさまよっていた。

余程草むらを歩き回ったのだろうか。

虫取りは体力も消耗するし、カに刺される恐怖もあるから、短時間でも思った以上に疲れるのだ。

日差しにも慣れていないイザベラ様には、さぞかし疲れが重くのしかかっていることだろう。

「・・・良かったら、ホットミルクをお持ちしましょうか?」

「ホットミルク?」

「ええ、身体も温まりますし、よく眠れますよ」

「・・・・・・そうね、お願いしようかしら」

「では、少しお待ちくださいね」

厨房に向かおうと扉に手をかける。

ふと振り返ると、イザベラ様はまるで会話をするように、一心に絵画を見つめていた。

その姿は、まるで時間が止まったかのようで、部屋全体に独特の空気を漂わせていた。