軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

115 カマキリ

悲鳴の聞こえた玄関ポーチに慌てて駆けつけると、イザベラ様は腰を抜かしたように、その場に座り込んでいた。

恐ろしさのあまり投げ捨てたのだろう。

そばには、ひっくり返った日傘が転がっていた。

「ああ、アルバート、虫が、虫が、変な虫がいるのよ」

「えっと、あの・・・」

イザベラ様が震えながら指さす先には、カマキリが前足を広げて威嚇のポーズを取っていた。

カマキリは産卵の季節とあってか、腹が随分と膨らんでいる。

「あの、イザベラ様、カマキリですが・・・」

「カマキリ!?何よそれ、そんな虫なんて知らないわよ!」

どうやらイザベラ様は虫が苦手らしく、顔を青くして叫んでいる。

アルバート様は目を瞬かせているだけだったが、ライアン様はイザベラ様が狼狽える様子が可笑しいのか、後ろを向いて口元を押さえている。

元王族のイザベラ様を相手に、なかなかいい根性だ。

「ご存じないですか?肉食の昆虫なんですけど」

「肉食?知らないわよ。なに、この虫、肉を食べるの?」

「ええ、このカマで、バッタやチョウなどの昆虫を捕らえて食べますよ」

カマキリは私たちが気になるのか、三角形の頭をぐるりと回して私たちを交互に見た。

それを見たイザベラ様が、悲鳴をあげながらアルバート様の後ろに隠れた。

「あ、あ、ああ、そうなのね。ね、ねぇ、怖いんだけど。どうにかならないの?」

「よかったら、捕まえましょうか?」

「えっ?捕まえるの?この虫を?貴女が?」

「アンナ嬢、網がいるんじゃないか?」

「いえ。大丈夫ですよ」

「嘘、ちょっと、アンナ様ったら本気?む、虫なのよ!?虫を触るの!?」

「ええ」

「や、や、止めなさいよ!噛まれたらどうするのよ!?」

「心配ないですよ」

きゃあきゃあ騒ぐイザベラ様の横を通り抜け、カマキリの後ろに回って、胸の後ろをつまむ。

「貴女・・・」

「大丈夫ですよ。カマキリは噛まれると痛いですが、こうやって持てば平気です」

持ち方の見本を見せるようにイザベラ様に近づけると、恐怖に顔を引きつらせ、更に大きな悲鳴を上げた。

馬車で嫌味を言われた、ちょっとした仕返しのつもりだったが、やり過ぎたかもしれない。

「脅かしてすみませんでした。庭に放しますね」

「え、庭に!?庭に放したら、また出てくるかもしれないしれないじゃない!?どこか道端にでも放り出してちょうだい!!!」

「え・・・、そこまでしますか?」

「だって、またうちに出てきたらどうするのよ!?」

イザベラ様の命令に困ってしまう。

カマキリだって、住みやすいからこの庭にいたのだろう。

別に虫が好きだというわけではないが、命あるものをぞんざいに扱うのは気が引けた。

カマキリを掴んだまま考えていると、アルバート様が私の手元を覗き込んできた。

「ああ、メスなのか」

「そうです。かなり大きいですよね」

「メス?なんでそんなことがわかるのよ?」

「お腹が大きいですからね。多分、もうすぐ卵を産みますよ」

興味を持ったのか、イザベラ様はライアン様を盾にしつつ、恐る恐る覗き込んできた。

イザベラ様を怖がらせないよう、ゆっくりとカマキリを裏返して腹を見せる。

「本当ね・・・。虫も、お腹が大きくなるのね。人と一緒だわ」

「そうですね。だから、この時期のカマキリのメスは大変ですよ」

「え、そうなの?」

「卵を産むために、沢山食べないといけませんしね。栄養をつけるために、獲物を狩るのに必死です」

「そんな栄養って・・・」

「栄養不足だと卵が上手く育たないんですよ。それに、栄養がしっかり行き渡っていると、生まれた幼虫の生存率が上がるそうです。メスは、自分の子どもを守るために、沢山食べないといけないんです」

「そうなのね・・・」

「カマキリのオスは何一つ手伝ってくれませんからね。狩りも産卵も、全て自分だけでこなさないといけないから大変ですよ」

「そう・・・」

「まあ、ここまで生き残っているのも奇跡のようなものですけどね。一つの卵鞘から百匹以上生まれますが、この時期まで残るのは数匹なんですよ」

「・・・・・・虫も大変なのね。じゃあ、庭でいいわ。そのカマキリを庭に放してあげてくれる?」

どうやらイザベラ様は、カマキリに同情したらしい。

カマキリをダリアの濡れた葉に乗せてやると、ささっと隠れるように茂っている葉の奥へと消えて行った。

ライアン様は、カマキリの腹を見て思い出したのか、口をへの字にしながら聞いてきた。

「・・・そういえば、カマキリのメスって、オスを食べますよね?」

「あら、ご存じなんですか?」

「子どもの頃、交尾中のメスがオスを食べるのを見て、ちょっとしたトラウマになってますよ」

カマキリのオスが食べられるところを思い出したのか、ライアン様がズボンの前を押さえている。

「でも、メスがオスを食べると、子孫を残す確率が高くなるそうですよ」

「え?そうなの!?」

「弟の受け売りですけどね。自分の子孫を残す確率を高めるためには、オスはメスに食べられた方がいいかもしれませんね」

子孫を残すための栄養補給のためなのか、それとも本能に基づく捕食行動なのか。

真相は定かではないが、理にかなっているからこそ、この行動は淘汰されずに残ったのだろう。

「なるほど。なかなか面白い」

「アルバート殿下、本気でそう思っていますか?私は、残酷だと思いますけどね」

アルバート様は、感心したように頷いている。

だが、ライアン様は、カマキリのオスを自分に当てはめて想像したのか、嫌そうに顔を顰めている。

「もちろん、すべてのオスがメスに捕食されるわけではありませんよ。逃げるオスもいます」

「あら、それじゃあ、子どものためにならないじゃないの」

「でも、他のメスと交尾できますからね。もしかしたら、逃げて沢山のメスと交尾をした方が子孫を残せかもしれません。こればかりは、どちらがいいかはわかりません」

交尾したメスが、必ずしも卵を産むとは限らないのだ。

寄生虫に寄生されたり、産む前に天敵に捕食されたりする可能性だってある。

栄養不足で、卵を産めずに命を落とすメスだっているだろう。

(そういえば、オリバーはどちらが子孫繁栄に有利かを確かめたいと言っていたわね)

オリバーは、確かめることができたのだろうか。

今度聞いてみようと思って顔を上げると、イザベラ様がライアン様を嫌そうに睨んでいた。

「そんなに顔を顰めているけど、ライアン様はどっちなの?逃げるの?子どものために犠牲になるの?」

「私は、逃げるオスに一票を」

「まあ!潔くないわね。そこは口だけでも、妻と子どものために犠牲になると言いなさいよ」

「勘弁してくださいよ。私も命は惜しいです」

先ほど、女性の前ではカッコつけたいと言っていたライアン様だが、どうやら私たちは対象外だったらしい。

「アルバートはどうなのよ?」

「そうですね、では、私は潔く食べられる方で」

「あ、ずるい!一人だけカッコつけて!!」

焦るライアン様に、イザベラ様は軽蔑の眼差しを向けている。

「まったく。ライアン様の騎士道精神は、どこにいったのかしらね」

「何言ってるんですか。そんなの産まれて来るときに、母の胎内に置いてきてますよ」

「はぁ?騎士として、その発言はどうなのかしら!?」

「騎士道精神なんて、まやかしですよ。女性を惹きつけ、男性を鼓舞するための、都合の良い言葉に過ぎません」

「ロマンがないわね。もう少し格好つけたら?」

「格好つけて死ぬ男より、しぶとく生き残る男の方が価値がありますよ」

「は?」

「全体の生存率を上げるためには、その方がいいんです」

「はいはい。相変わらず、口だけは達者ね。これでわかったわ。カマキリのメスは、役に立たないオスなら、いっそ栄養にしてしまった方がいいと考えたんでしょうね」

「ふっ、ふふ」

イザベラ様とライアン様の遠慮のないやり取りが可笑しくて、つい笑ってしまう。

視線を向けると、アルバート様までもが苦笑いを浮かべていた。

「アンナ様も笑っていないで、少しは私を擁護してくださいよ。理論的に考えれば、どちらがいいかなんて、わかりそうなものですよね?」

「そうは言っても・・・」

「理論だけで実証するのは、無理があるだろう。どちらにしろ、カマキリは冬を待たずに死ぬのだ。どちらが良かったかなんて、わからないだろう」

「・・・・・・えっ?死ぬの?」

「カマキリの成虫は、冬を越せませんからね」

「・・・そう。子どもの成長を見届けることができる『人』は、恵まれているのかもしれないわね」

イザベラ様は、カマキリを人に重ね合わせたのか、花壇に向けて同情めいた視線を投げかけた。

もしオリバーがいたら空気を読まずに、生存戦略上どちらが有利かを語り出しただろう。

この場にオリバーがいなくて良かったとホッとしていると、後ろから可愛い声が聞こえてきた。

「・・・あれ、お母様?まだお部屋に戻っていなかったのですか?」

弾むような声と共に駆け寄ってきたのは、従者を従えたセイン様だった。

嬉しそうに笑顔を浮かべたセイン様の手には、色鮮やかなガーベラがあった。

「ええ、そうなのよ。アンナ様たちとカマキリを見ていたの」

「え、カマキリ!?僕も見たい!!」

「え、ええっ!?」

セイン様の思わぬ言葉に、イザベラ様が目を見開いている。

「え、セイン、貴方、カマキリが好きだったの?」

「うん。だって面白いし」

「ああ、じゃあ、もう一度カマキリを探しましょうか?」

「いえ、いいの、いいのよ、アンナ様。そんなことはしないで頂戴」

私の提案に、イザベラ様はみるみる青ざめてしまった。

同情はしても、目にするのは嫌なのだろう。

イザベラ様の二の腕は、鳥肌が立っていた。

「・・・カマキリを見たかったんだけど、だめ?」

「そ、そうね。だめじゃないけど。でも、ごめんなさいね。お母様は、あんまり虫は好きじゃないのよ。それに、カマキリも葉の奥に隠れてしまって、どこにいるかわからないのよ」

「・・・うん」

イザベラ様の言葉に、残念そうにセイン様が俯いた。

しょんぼりするセイン様に、せめてダンゴムシを探そうと座り込む。

すると、セイン様がそっと赤いガーベラを差し出してきた。

「アンナ様、お花をどうぞ。具合が悪かったんでしょう?もう大丈夫ですか?」

(なんて可愛いの!!)

まだ幼いセイン様の優しさに感動する。

セイン様の、打算も何もない純真な瞳に心を打ち抜かれそうだ。

「まあ、綺麗なお花をありがとう。とっても嬉しいわ。もう大丈夫よ。セイン様は優しいのね」

「そうでしょう。セインは、とても優しいのよ」

お礼を言われ、はにかむセイン様の頭を撫でるイザベラ様は誇らしげだ。

そんなイザベラ様に、セイン様はオレンジ色のガーベラを差し出した。

「お母様にも。いつもお仕事を頑張っているから」

「ま、まあ、セインったら・・・!」

イザベラ様は、目を潤ませながら受け取ると、心底嬉しそうにガーベラを眺めている。

一輪のガーベラにすぎないのに、イザベラ様にとってはまるで宝物だ。

「もう、セインったら、なんて優しい子なんでしょう。このガーベラは、我が家の一番目立つ場所に飾らせてもらうわね」

「そんなに喜んでくれるなら、もう一度摘んでくるね」

「ああ、いいのよ。もう十分よ。セインは、そろそろお家に戻りましょうね。あんまり外にいても疲れるでしょうしね」

「もう少しお外にいたいんだけど、だめ?」

「でも、そろそろ家庭教師の先生がお見えになる時間だわ。手を洗って、おやつでも食べていらっしゃい」

「は~い」

イザベラ様が、セイン様の背中を優しく押して屋敷に戻らせた。

屋敷に戻るセイン様の後ろ姿を、愛おしそうに見つめるイザベラ様を見ながら、こそっとライアン様が囁いてきた。

「私には厳しいくせに、セイン様には、至れり尽くせりで大甘なんですよ」

「ライアン様!!聞こえていてよ!!!」

ライアン様が言葉を言い終える前に、イザベラ様の雷が落ちた。

どうやらイザベラ様は、地獄耳の持ち主らしい。