軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

測定不能

まさかまさかで。私の胃は緊張で収縮している。先生は何事もない様子でメニューなんて眺めているけれど、少しくらい私の表情も見てはどうだろう。

何がどうして私は先生と向かい合って食事をしなくてはならないのだろうか。

さりげなく、違うテーブルに着こうとしたら店員に阻止された。全くの普通な接客だった。

(いやいやいや…私は立場的には使用人なんだけど…)

雇用主と食事を共にするなんて、この職に就いてからあり得ない。先日ディディちゃんにも一般的に無いことだと言ったばかりだ。

(先生はどういうつもりで…?嫌じゃないんです?)

中央に迫る眉間を何とか押し戻しながら、私は向かいに座る先生を見た。

「…」

駄目だ。メニューから目を離さない。

(ううう吐きそう)

項垂れていると、「さて」と声が聞こえた。「さて」じゃない。

恨めしい気もちで顔をもたげる。先生と目が合った。

「き、決まりました?」

先生はこくりと頷く。私は奥歯で色んな気持ちを噛み潰し、注文待ちだった店員を呼ぶ。

(先生は…)

視線でお先にどうぞと伝えてみたが、返って来たのは「君が先に」という合図。こちらに掌を向けられては、店員も私の注文を聞くのを優先する。

(知らないから!先生がどれを選ぼうと!)

私は半ばやけになって、胃が収縮しているにも拘わらずいつものステーキ定食を頼んだ。例え先生よりもいいものを選んでいたって知るものか。

机の下で掌を握りしめ、先生の言葉を待つ。

「彼女と同じものを」

(がくーーっ!)

いつになくいつも以上にしれっと。あんなにメニューを見ていたのは何だったのか。私は机に崩れそうになったところを何とか堪えた。

じゅわあああああああああ

じゅうううううううううう

私たちのテーブルでは香ばしい二重層が奏でられている。

いつもは会いたくて仕方がない肉が今日はどうしてかイマイチ素敵に見えない。原因は明らか。

先生は淡々と両手を合わせ、ぺこりとお辞儀をする。続いて私も習慣的に同じ動作を繰り返した。

「…」

先生からの視線を感じる。

(あ、そうか。真似したのがバレた)

途端に気恥ずかしくなり、顔が熱くなる。先生は俯き気味にフッと笑みを含んだ息をもらし、何も言わずにカトラリーに手を付けた。

「………ッ」

どうしようもない照れが襲ってきた。今ので、半ばやけだったのが完全にやけになった。

(私も食べる!!!!!)

私は向かいに座るのが家の主というのも振切り、目の前のステーキにのみ集中することにした。

「…」

爽やかな風が、空を見上げる先生の髪を揺らしている。相変わらずの無表情なのだが、どことなくご機嫌に見える。頭上に「♪」でも出ていそうだ。

(ようございました…)

一方私はと言えば。気疲れしまくって「美味しかった!幸せ!」と叫ぶこともままならない。

私は16歳から家政婦・メイド業で生きる人間だ。人の様に扱われないことはあっても、客人ましてや家族のように扱われることは無いものと心得ている。

さっきの先生との距離感は私にとってかなりの衝撃で。私を使用人と扱うならば、このようなことはあまりしてほしくない。

(甘えが癖になってしまう…)

どのような意図があって先生は私と食事を共にしたのだろう。私の仕事を認め、給料を払っているのだから雇用契約者という認識はあって然るべきだけれど。

大体からして、部屋だってまとも過ぎる一室をあてがわれている。好条件だと喜んでいたのは他でもない私だ。

(…どうしてこの待遇で皆一週間ももたなかったの!?)

私は改めて大きな疑問に立ち返った。度々思っていたことだった。

まず使用人の一般的な扱いを知らなければこの待遇の良さが如何に貴重か分からない。使用人を雇える屋敷が少ないこの街では、先生のところが初の職場だった先輩が殆どだろう。

(元々この道でやっている人間なら、この待遇は絶対手放したくないと思うはず)

でも、ありがたさが分からないから一週間経たずに離れてしまう、というのも不思議な話で。

だから、干渉嫌いの先生に干渉し過ぎたんだろうな、とか。先生の愛想の無さに付いて行けなくなったんだろうな、とか。想像はしていたものの、それは結局余所者が遠くから箱の外側を見ていただけであって。

街のことや先生のことが分かってきた今なら、あまり偉そうに外側の事実だけを分析するのも憚られる。

私は先生の背中を眺めた。

「…」

この街の人は、先生が好きだから。つい構ってしまうのだろう。

これまでの付き合いで察したが、先生との間合いを詰めるにはあちらが近づいてくるのを待たなくてはならない。

きっと、それが焦れったくなってこちらから距離を縮めてしまうと、先生が離れて行ってしまう。そうすれば、先生に抱いていた期待や憧れ、理想との乖離に苛まれることになるし、先生本人も煩がってしまう。

あの背中を捕まえようとしてはいけないのだ。

そう思った瞬間、胸の中がジクりとした。

(あら…?)

どうしたのだろう。私は一介の家政婦だ。街の人の様に、最初から抱いている尊敬や期待も無い。先生が快適に生活すること、それが私の仕事であり、全てだ。先生とは仕事上必要なコミュニケーションを取れればいい。これからもキッチンの奥から先生の動向を見守って、的確なタイミングでサービスを送球していればいいのだ。

だから、先生がくれる温かさや優しさを過剰に受け取ってはいけない、多分。先生はきっと何ともなくやっていることなのだから。無駄なことはしない。そういう人なのだから。

「…」

先生が振り返る。「用事はもうないか」と訊かれているのだと思った。私は何も言わずに頷きを返す。先生は風を受けながら、森の方へと歩き出した。

家に戻り、先生は例の如く二階へ。私も平常勤務へと戻った。埃を払い、窓を拭き、床を拭き。

余計なことを考えないようにとせっせと手を動かす。そう。頭じゃない。私が動かすべきは手。

自分にそう言い聞かせ、洗濯物を取り込み、家の裏にある給湯施設でお風呂用のお湯を準備し、包丁を研ぎ、シチューを煮込んだ。

そうしていれば、あっという間に夜が来る。いつも通りだ。

ガチャ。

先生がお風呂から戻ってきた。本日の飲み物は紅茶に色んなスパイスとミルクを入れたもの。今日はお待たせしない。トレイに載せて、先生の元へ運ぶ。

「…」

「…?」

先生はトレイを受け取らず、逆にこちらに何かを差し出している。先に受け取った方がいいだろうか。

私はいったんトレイをテーブルに置き、先生に向かって手を出した。

「…」

私の手に乗せられたのは、手のひら大の固いもの。

(え……)

私はそれが何かを知って、固まった。

ふわりと漂う、この香りは。

「せ、先生!」

バッと顔を上げれば、先生は自由になった手でしっかりトレイを持っていた。早い。

「…要望に沿うものかは分からない」

「試してみるといい」と言って、先生は目尻を柔らかくする。それはほんのわずかで、かすかな変化だったが、私にははっきりと分かってしまった。

スタスタと階段を上っていく先生の踵に辛うじてお礼は言えたものの、呆然としているのには変わりなく。

(くれた)

「ど…どう…えええええ!?」

上に聞こえないように、小さな声で叫ぶ。

(えー!?くれた!?)

手の中には確かに私が狙っていた香りのソレがある。店で強請っていたように聞こえたのだろうか。いやしかしそこまで露骨にしたつもりはない。あくまで店の石鹸を吟味していた体を貫いたはずだ。

なのに。

「分からない…先生が分からない…こんなことまでしてくれては…」

遠いと思っていたけれど、丁度いいと思っていた距離感。それが今急に分からなくなってしまった。

『先生が魔法使ったのを見たの、数十年ぶりだって。お爺ちゃんが言ってた』

唐突に、脳裏にディディちゃんの言葉が蘇った。

「―――ッ!」

私は思わずしゃがみ込む。

距離が分からなくなっているのは、私だけか。それとも。

手で包む石鹸の香りが先生を思い出させる。胸の中が熱い。ソワソワとして、どこに落ち着いたらいいのか分からない。

(どうしよう)

あんなに欲しかった石鹸が、急に使いづらいものになってしまったように感じた。