軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

点と点の間を結ぶ人

ディディちゃんを家まで送った帰り道。私の頭の中には彼女の言葉がぐるぐると渦巻いていた。夜行性の鳥獣が、目を光らせて不審な人間の歩行を見張っている。夜の森が一段と暗く見えた。

「この五日で思い知ったの。現実って違うんだなって。もっと先生と近づけると思っていたし、もっと私自身が役に立つと思ってた」

少女の目がゆらりと陰る。「でも、敵わないから」と悲し気に私を一瞥すると、フイと前を向く。

「私、上の学校に行きます。この街からもっと離れちゃうけど…うんと素敵な大人になって、戻ってくるつもり」

そう言って笑った彼女は、もう子供ではなかった。

(先生ったら…罪な人…)

幼い少女の心を奪っておいて、あんなに素っ気ない態度。彼女はずっと想っていたのに。

(先生に惚れる少女っていうのも、かなり大物だと思うけど)

理想と現実の落差が酷かったのだろう。可哀想なことをして、と些か雇い主を責めたい気持ちが滲む。

「戻りました」

一階は無人と知ってはいるものの、一応断りながら家に入った。ランタンを置き、履物を脱いでいると、フッと頭上に影が落ちた。

先生だ。二階に上がっていると思ったのに、どうしたのだろう。もう20時をとうに過ぎているはずだ。

「何かありましたか?ご入用のものがありますか?」

てっきり用事があるのだと思ってそう尋ねたのだけど。

「今日は月が陰っていただろう」

「あ…?はい…?」

「…」

完全に分かっていない感の漂う返事をしてしまった。先生は気分を害した様子はなく、私をジッと見下ろすと何かを確認したように頷いた。

(もしかして)

今日はいつもより暗いから、帰りを心配してくれたのだろうか。あんなにディディちゃんに素っ気なかった先生だ。希望的観測かもしれないけれど、先生は実は優しいとも知っている。

「異常ありません…」

「なにより」

先生は一言返し、スタスタと歩いてリビングに消えた。慌てて後を追うと、私が出かける前に用意したハーブティーのポットがソファ前のローテーブルに置いてある。お茶の入ったカップがその隣に。

ずっとここに居たのだろうか。待つだけなら二階でいいのに。

「ご心配おかけしました」

「別にしていない」

先生の何ともない顔に、思わず吹き出しそうになる。

(はい、いいです。別に。それで)

先生は私を見て顔をしかめたけれど、何も言わなかった。私は顔を引き締め、にやけそうになるのを留めた。報告することがあるのだ。明日の朝と思ったが、ここに先生がいるならば都合がいい。

「ご報告があるのですが」

ハーブティーのセットを回収して二階に上がろうとしていた先生だったが、そのままソファに腰を下ろしてくれた。了承の体と受け取った。

「ディディちゃんの体験、今日でおしまいになりました。先生にとても感謝しています、と言付かっています」

「面倒を見ていたのは君だろう」

事実を言うとその通りなのだが、そういうことじゃない。先生が容認してくれたからこそ。それも分かった上での発言として、ここは言及を控える。謙虚なのか何なのか。

「…上の学校に行くことにしたそうです」

最も重要な情報に、先生は「そうだろう」とまるで全部分かったかのような反応。

(知っていたのかな。ディディちゃんの本心)

それなら不必要な情をかけなかったのも大変納得が行く。そもそもそういう人であるとは知ってはいるけれど。余計な期待を断ち切るつもりもあったのだろうか。それはそれで全く罪な人だ。

私が先生の気持ちを勝手に想像していると、先生は「まして君の隣ではな」と付け加えた。

「…」

途端に意味が分からなくなった。その物言いは一体。まるで私が彼女を虐めていたようではないか。仲良くやろうとしていたつもりなのに、そんなにきつかっただろうか。

(いや…先生程じゃない)

私は不本意な気持ちを込めて先生を見つめた。先生は珍しく、私を見て目を瞬いた。その不自然さから、先生の言いたいことが私の思ったことと違ったことを理解はできたものの、真意までは伝わらない。

(普段「コーヒー?紅茶?」くらいのシンプルな意思疎通しかしないからね…いつでも何でも伝わると思っては困ります)

先生は軽く首を傾げると、当たり前という顔をした。

「君の日々の作業の量と質について行ける人間が多いとは思わない」

「…!」

面食らった。

(そ、そういうこと…?いやどういうこと?褒めてくれているの?)

捉え方が分からず、じわじわと顔が熱くなるのだけを感じながら口を噤んでいると、そんな私を置いて先生は今度こそ二階に行こうとする。ずるい。言い逃げだ。悔しい。

「ぐうう…」

結局頬を抑えて立ち尽くす私だけがリビングに残された。

「そういう理由で、ディディちゃんは諦めたんじゃないんですからね!!」

ぶつけるところのない文句を吐き、私はお風呂のセットを取りに足音を立てて部屋に向かった。

次の日。コルテスさんが腰を低くしてやってきた。ディディちゃんのことで、わざわざお礼に来てくれたのだ。

「ああ、すみません、結構なものを」

菓子折りを受け取りながら、私は頭を下げる。コルテスさんも再び頭を下げた。ディディちゃんが頑張ってくれたことを伝えれば、コルテスさんは安心したような、肩の荷が下りたような、深いため息をついた。

(お兄さん、大変だね)

私はつい微笑ましくなって笑ってしまった。

ところで、先ほど先生を呼んだのだが、まだ降りて来ない。

「キリがつかないのでしょうか…とりあえず、お茶でも。どうぞ座ってください」

コルテスさんは遠慮したが、そのまま立たせているわけにもいかない。私は殆ど無理矢理彼を椅子に座らせた。

「あ、そうだ。私今のうちにお聞きしたいことが」

先生がいない今が好機、私はかねてより聞きたかった先生の使用石鹸について、商品に詳しいコルテスさんに質問してみることにした。一度店に無かったからといって、諦めはしない。

「雑貨屋を覗くより、専門の店で探した方がよかったかと思いますが…」

私の話を聞いたコルテスさんは「うーん」と大きく頭を傾げる。

「成程…!専門の!そっか、布巾を買うついでだったので…成程…」

深く感心していると、コルテスさんは「いや、でもなあ」と歯切れが悪い。

「何ですか?」

「いえ、先生ですからね…もしかしたら自分で作られている可能性が…」

「え」

私の目が丸くなる。

「あ、ご存じないですか?この香油石鹸、もともとの製作者は先生なんですよ」

「え…ええ…?」

戸惑いが声になってそのまま出た。先生が作った?この街の名産の?あの素敵なお花の香油の石鹸を???

私の隠せない困惑顔を見て、コルテスさんは笑う。

「それこそ俺が生まれるずーっと前の話です。爺ちゃんから聞きました。街がもっと貧しくて、大変なとき。人は先生に助けを求めたそうです。魔法で何とかしてもらおうと思ったのでしょうね」

いつの話なのだろうか。そのときの先生はどんな風だったのだろうか。私はポカンとして話に聞き入った。コルテスさんのお爺ちゃんが子供の時の話に出てくる人がまだ健在で、しかも私の雇用主だなんて。

先生がもっといかにもな『魔法使い』であったならまだしも、普段の先生を見ている限り、私たちと違う存在であるという感覚は無い。

(この街の人たちにとっては普通に受け入れられている現実なんだろうけど…私からしたら信じられないことなんですが…)

コルテスさんは目を細めた。彼の優しさや、先生への尊敬がその瞳から窺える。

「先生がくれたのは不思議な力ではなく、人が自分の力で扱える『方法』でした。街でたくさん咲く花から香油を抽出する方法や、石鹸の練り方を授けてくれたんです。先生はその前から自分で作っていたそうで。結果、街はそれを名産品にして息を吹き返しました」

「…そんなことが」

青年の顔は、柔らかく輝いた。

「だから、街の人はあの方のことを『先生』と呼びます。忘れられない恩がある。その方が今も自分たちの街に居てくれるなんて、俺たちは幸せです」

私は瞠目した。

(単に魔法使いだから、先生と呼んでいるのではなかったんだ)

先生の石鹸情報を入手しようとして、思わぬ話を聞いてしまった。難しい人だと言いながら、彼らが尊敬を込めて「先生」と呼ぶのには理由があったのだ。そしてその尊敬と感謝が今も引き継がれている。

私は街の人たちにも、先生にも感心してしまい、言葉が見つからなかった。私の知らない彼らの関係。余所者であることを、少しだけ寂しく感じさせられた。