軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

被験者Alpha——藤堂の最期

天井が見えないほど高い。結晶の柱が林立し、その間に琥珀色の光が満ちている。光は壁面からではなく、空間そのものから発しているようだった。空気が光っている。呼吸するたびに微かな結晶の粒子を吸い込んでいるような感覚があり、肺の奥がぴりぴりと痺れた。

そして大聖堂の中央——祭壇のような結晶の台座の上に、繭があった。

高さ2メートルほどの琥珀色の結晶の塊。半透明で、内部がうっすらと見える。女性のシルエット。横たわるのではなく、立ったまま結晶に包まれている。目を閉じ、両手を体の前で組み、まるで祈っているような姿勢。

ドクン。

結晶の繭が脈打った。琥珀色の光が強くなり、弱くなり、また強くなる。心臓の鼓動と同じリズム。コアの鼓動と同じリズム。この繭は——コアに接続されている。

ペンダントが激しく光った。金色の光が繭の表面に当たり、結晶の内部に浸透して繭全体を照らした。女性のシルエットがくっきりと浮かび上がる。

藤堂真理。

鑑定ウィンドウが自動展開した。

┌──────────────────────────────────┐

│ <被験者Alpha:藤堂真理> │

│ │

│ 状態:結晶繭内で生命維持中 │

│ 生体年齢:32歳(結晶化により老化停止) │

│ 実年齢:42歳 │

│ 意識状態:ダンジョンネットワークに接続中 │

│ │

│ 経緯: │

│ 10年前にコアとの対話を試行 │

│ 対話チャンネル開設に成功したが │

│ 自身の意識をネットワークに接続したまま離脱不能に │

│ ダンジョンが結晶繭で肉体を保護・維持 │

│ │

│ 現在の役割: │

│ コアと人類の間の翻訳インターフェースとして機能 │

│ → 一颯が受け取ったメッセージ群の発信者 │

│ │

│ 意識回復の可能性:一時的に可能(推定持続時間30秒) │

└──────────────────────────────────┘

十年間。

十年間ここにいた。結晶に包まれたまま。意識をダンジョンのネットワークに接続して。コアと人類の間の翻訳者として。

俺が受け取ったメッセージ——あの「ここから先は人間のまま行ける場所じゃない」というメッセージ——を送っていたのは彼女だった。十年間、誰かがまた来ることを信じて、ネットワーク越しにメッセージを送り続けていた。

「……藤堂さん」

声が震えた。

結晶の繭に手を触れた。

瞬間——世界が変わった。

視界が白く飛んだ。

次に見えたのは、十年前の映像だった。鑑定ウィンドウが視界全体に拡大し、藤堂真理の記憶がストリーミングされている。

——研究室。白衣の女性が資料を睨んでいる。若い。20代後半。鋭い目。だが唇の端に柔らかな笑みの気配がある。

「真理、また徹夜か」

声がした。研究室のドアに男が立っている。スーツ姿。眼鏡。——影山。今よりも若く、表情に陰がない。普通の大学教授の顔。

「ダンジョンの分析が終わらないの。この構造、生物と鉱物のハイブリッドなんだけど——」

「飯くらい食え」

影山がコンビニの袋を差し出した。藤堂が受け取って中を覗く。おにぎりとサンドイッチ。

「……ありがとう」

彼女の声に微かな温かさがあった。師弟。同僚。あるいはそれ以上の何か。二人の間にある関係は、俺の営業マン時代の直感が読み取った——信頼。深い信頼。

映像が切り替わった。

ダンジョンの中。藤堂がパーティの先頭を歩いている。後ろに——三島鋼一郎。写真で見た顔。三島と同じ引き締まった体つき、同じ真っ直ぐな目。ただし傷が多い。歴戦の探索者の顔だ。

「鋼一郎さん、この先の構造が変わります。結晶化が始まってる」

「わかった。真理ちゃん、俺に任せろ。道は切り拓く」

鋼一郎が大剣を構えた。藤堂が鑑定でナビゲーションを行い、鋼一郎が前衛で道を切り拓く。久我山パーティの探索記録。十年前の、最初のコア到達作戦。

映像がさらに飛んだ。

60層。この大聖堂。十年前の同じ場所。藤堂が結晶の台座の前に立っている。台座には——何もない。繭はまだ存在しない。

「ここで対話ができる。コアの声が聞こえる」

藤堂の声が震えていた。興奮と恐怖の混合。鑑定ウィンドウを通じてコアの情報ストリームが流れ込んでいる。彼女の鑑定レベルも4だった。

「真理ちゃん、本当にやるのか」

鋼一郎の声。背後から。傷だらけの体で59層からここまで来た男の、掠れた声。

「やります。ここまで来たんです。コアと話します」

「俺は——ここまでだ。もう体が動かない。だが——」

「わかっています。ありがとう、鋼一郎さん。ここまで守ってくれて」

藤堂が振り返った。鋼一郎に向けた微笑み。穏やかで、決意に満ちた顔。

「影山先生に伝えて。私は——最後まで研究者として、コアに向き合いますって」

「……ああ。伝える。必ず」

鋼一郎が背中を見せた。59層へ戻る。限界の体を引きずりながら。壁面にメモを刻みながら。俺が読んだあのメッセージを残しながら。

映像がまた飛んだ。

藤堂が台座に手を触れた瞬間。コアの情報ストリームが彼女を飲み込んだ。鑑定ウィンドウが視界全体を覆い、膨大なデータが流れ込む。人類の歴史。ダンジョンの歴史。二つの存在の接点と断絶。

そしてコアの「声」が聞こえた。

言語ではない。データの奔流。だが藤堂の鑑定がそれを翻訳した。

——人類は成長しない。同じ過ちを繰り返す。対話の価値があるのか。

「ある」

藤堂が答えた。データストリームの中で。

「時間がかかるだけ。人間は——遅いの。でも確実に進んでる。もう少し時間をください」

——時間。

「十年。十年待ってください。きっと——次の読み手が来る。私より正直で、私より人間的な人が。その人なら——」

結晶が彼女を包み始めた。足元から琥珀色の結晶が成長し、体を覆っていく。対話チャンネルを維持するための代償。ネットワークに接続し続けるために、肉体を結晶に委ねる。

藤堂が笑った。最後に。

「十年後の読み手さんへ。正直でいてね。コアは——嘘がわかるから」

映像が消えた。

結晶の繭に手を触れたまま、俺は膝をついていた。涙が出ていた。いつから泣いていたのかわからない。

十年。彼女は十年ここにいた。コアに「もう少し待って」と言って、自分の体を差し出して、十年間翻訳インターフェースとして機能し続けていた。

藤堂真理という人間の覚悟の重さに、言葉が出なかった。

「凛——聞こえてるか——藤堂さんが——ここに——」

「——受信——映像——全世界が——見て——」

配信で全世界に流れている。藤堂真理の記憶が。十年前の真実が。

【影山教授の顔……あの人泣いてるぞ】

【十年間ずっとここにいたのか。一人で】

【マコト:藤堂真理はコアとの対話チャンネルを維持するために自らを犠牲にした。彼女のおかげでコアとの対話の可能性が残された】

【ドクター:柊さんの涙腺反射は正常。これで泣かない人間の方が異常です】

繭の表面が温かくなった。いや——データが流れ込んできている。藤堂の記憶の続き。鑑定ウィンドウに新しい情報が表示された。

┌──────────────────────────────────┐

│ <藤堂真理の記憶:追加データ> │

│ │

│ 三島鋼一郎の現在位置: │

│ 75層付近 │

│ 状態:ダンジョンにより「保護」中 │

│ (結晶化はしていない。別の保護形態) │

│ 詳細:コアに拒絶された後、ダンジョンが │

│ 独自判断で生命維持を行っている │

│ 意識は断続的に覚醒している可能性あり │

│ │

│ 影山教授について: │

│ 藤堂の最後の想い: │

│ 「先生は自分を責めるでしょう。 │

│ でもこれは私が選んだこと。 │

│ 先生のせいじゃない。伝えて」 │

└──────────────────────────────────┘

鋼一郎が生きている。75層で保護されている。

そして影山への——藤堂の最後の想い。

「影山教授」

俺はカメラに向かって言った。配信を見ているはずの影山に向けて。

「藤堂さんが伝えてくれって。先生のせいじゃない。私が選んだことだって」

画面の向こうで影山がどんな顔をしているか、見えない。だが——伝わっただろう。十年越しのメッセージが。

結晶の繭が微かに振動した。内部の藤堂のシルエットが——動いた。

目が開いた。

結晶越しに、藤堂真理の目がこちらを見ていた。深い茶色の瞳。穏やかで、疲れていて、でも光を失っていない目。

唇が動いた。結晶を通して、掠れた声が聞こえた。

「——来て、くれたのね」

「……はい。遅くなりました」

「十年。長かった。でも——ちゃんと来た」

声が途切れかけた。意識回復は30秒。残り時間がカウントダウンされている。

「コアは——あなたを待っている。正直に。嘘をつかないで」

「わかりました」

「最後まで——正直で——いて」

繭の光が弱まった。藤堂の目がゆっくりと閉じていく。

「ありがとう——」

最後の一言が結晶の繭に吸い込まれた。光の明滅が穏やかになる。心臓の鼓動のリズム。安らかな眠りのリズム。

藤堂真理は、再び眠りに落ちた。

今度は——永遠に。

繭の前で立ち尽くした。何秒か。何分か。時間の感覚が溶けていた。

涙は止まっていた。代わりに——静かな怒りが胸の底にあった。怒りと呼ぶのは正確ではない。決意に近い何か。藤堂真理が十年かけて繋いだもの。三島鋼一郎が命を懸けて守ったもの。影山が十年間抱え続けた後悔。それら全てを受け取って——前に進む。

鋼一郎が75層にいる。生きている。

三島に伝えなければ。だが——まずはコアだ。コアとの対話を完遂しなければ、何も始まらない。

「凛」

「——はい——」

「鋼一郎さんが75層で保護されてる。生きてる。三島に伝えてくれ」

「——伝えます——必ず——」

凛の声が震えていた。でも言葉は明確だった。必ず伝える。

【三島くん!! お父さん生きてる!! 75層!!!】

【号泣してる。会場全体が泣いてる】

【マコト:冷静に整理する。三島鋼一郎は75層で保護状態。救出の可能性がある。柊がコアとの対話に成功すれば——】

マコトの分析コメントすら感情が混じっている。冷静な分析者が冷静でいられない状況。

繭に最後にもう一度手を触れた。結晶は温かかった。藤堂真理の体温ではなく、データの温もり。十年分の想いが結晶に宿っている。

「行ってきます」

繭に告げた。

大聖堂の奥に、さらなる通路が続いていた。結晶の通路。コアの鼓動が導く道。藤堂が開いた対話チャンネルが、俺を呼んでいる。

鑑定の金色の光が、奥の闇を照らした。65層。70層。75層。そしてその先——コア。

ペンダントの光が穏やかに灯っている。鋼一郎の形見。藤堂の記憶。二人が繋いだ道を、俺は歩く。

元営業マンの足音が、結晶の大聖堂に残響した。