軽量なろうリーダー

ただ、本を読んでいただけなのに~持参金を失った没落令嬢ですが、物語を読み上げたら全てを手に入れました~

作者: みねバイヤーン(石投げ令嬢フルカラー電子コミック①②発売)

本文

「お金がない? 私の将来の持参金も、デビュタント用の準備金も?」

父から告げられたとき、私は耳を疑った。そんなまさか、そこそこ裕福な子爵家のはずなのに?

「絶対に儲かる投資話を聞きつけてだな。信頼できる筋からの情報だったものだから、つぎこんでしまった」

「そんな。私はどうすれば。デビュタントは一年後なのに。デビュタントで出会った素敵な男子と結婚することになったら、すぐに持参金も必要なのよ、お父さま」

「うむ、金策に走るが、それも確実ではない。そこでだ」

父は言いにくそうに口ごもった。

「王都にいる親戚、お前の大叔母にお金を借りてみてはどうかと」

「はあ」

「その、ワシが頼んだところで断られるのがおちだろうから、お前が行ってひとつ頼んでみてくれないか」

「はあー? お父さまー? お父さまがうかつなせいでお金がなくなったのに、私がお願いしにいくのですか? おかしくないですか?」

「まあ、そう言われるとその通りなのだが。なんせあの人は厳しいのでな。ワシとは合わん」

「厳しい大叔母様と私が合うとでも?」

「お前は子どもで被害者だから、ほら」

「ほら、じゃありませんわよ、お父さまー」

私の必死の抗議を父は苦悶の表情を浮かべながらものらりくらりと躱す。

「分かりました。分かりましたわよ。私の未来のためのお金は自分でなんとかしろってことですね。えーえ、よく分かりました。行ってきますわ、王都に」

私はブチ切れ、王都に向かって旅立ったのであった。

「もう、まったくもう。お父さまったらひどいんだから。それにしても、どうやってお願いすればいいかしら。土下座かしら、それとも五体投地かしら」

したくはないけれど、土下座でお金がもらえるなら、いや利子なしで借りられれば御の字だ。したくはないけれど。

お金を持っていそうな雰囲気漂うお屋敷の前で、いつどうやって土下座するか考えていると、扉が開き執事らしき人に声をかけられた。

「当家に何か御用でしょうか」

「は、はい。私、サラ・ファルジャです。あの、ミランダ大叔母様はご在宅ですか?」

「サラさんでございますね。奥様にお伺いして参ります。客間でお待ちください」

突然押しかけた親戚の小娘だ。待たされるだろうなと思ったけれど、客間にすぐミランダ大叔母様が現れた。髪こそ白髪だけど、背筋はピンとしていて、威厳たっぷりの女性だ。この人に土下座は通じないんじゃ。ひと目見てそう感じた。

挨拶を交わし、お茶を飲み、家族の近況を話しところで、ミランダ大叔母様が優雅にカップを置いて私を見つめる。

「それで? どうしたの? あなたのお父さまが詐欺にでもひっかかってお金がなくなって、わたくしに借りて来るようにとでも言われたの?」

「な、なぜそれを」

ズバリと言い当てられ、思わず図星だったことを白状してしまった。

ミランダ大叔母様はため息を吐く。

「何度かあったからよ。あなたのお父さま、わたくしのこと便利なお財布だと思っているみたいね」

「申し訳ございません」

土下座したいくらいだけれど、ソファーに座っているので深々と頭を下げて謝った。恥ずかしい。お父さまってば、なんてことしてくれちゃってるのー。

「頭を上げて。あなたが悪いんじゃないわ。今まではちゃんと返してくれていたから、貸したのよ。でもねえ、昨年貸したお金はまだ返してもらってないの」

「ご、ごめんなさい」

謝らなくていいと言われても、謝らないわけにはいかない。もう、きまり悪くてミランダ大叔母様の顔が見られない。

「こうしましょう。デビュタントまで王都で暮らしなさい。そして、お金を稼ぐのです」

「え?」

「わたくしも若い頃は働いたのよ。高位貴族のお嬢様のコンパニオンをしたわ」

「コンパニオンというと、付き人ですよね? 侍女みたいな?」

「そうね、侍女の少し上といった感じね。パーティーに付き添ったり、デートの際に男女がふたりきりにならないよう、近くに控えていたりするのよ」

「それならできそうです。私、刺繍はできますけど、お料理はできませんので、メイドは難しいかもしれません。いざとなったらメイドをする覚悟はありますが」

お皿洗いならできるかもしれない。悲壮な決意をしていると、ミランダ大叔母様がふっと口元をゆるめる。

「あなたはお父さまと違ってやる気があるようね。若いうちにお金を自分で稼ぐことの大変さを知るのはいいことだと思います。それでは、伝手を当たってみるわ」

「よろしくお願いします」

ミランダ大叔母様はすぐに働き口を見つけてくださった。

ミランダ大叔母様は働く心構えなどを教えてくれたあとに、「真面目に誠実にやればいいのよ。近道、裏技なんてないんだから」と言って、私を送り出してくれた。

初めての仕事は、ヘレナ伯爵夫人のコンパニオン。病気のヘレナ夫人に、住み込みで付き添うことになった。

ヘレナ夫人は数年前に病気になって以来、歩けなくなり、言葉もうまく出てこないらしい。

付き添い方法は、ベテラン侍女がきっちり教えてくれる。

「私は看護経験もありますので、奥様の身の回りのお世話は引き続き私も一緒にします。サラさんは主に、お茶やお食事の給仕、本の朗読、お手紙の執筆代行などをお願いします」

ベテラン侍女に言われ、それなら私でもできそうだと少し不安が和らいだ。

案内されたヘレナ夫人の私室は広々としていて、天蓋つきのベッドも大きい。大人が三人ぐらいは余裕で寝られそうなベッドにほっそりとした老婦人がいらっしゃる。

「サラ・ファルジャです。これからおそばにつかせていただきます。よろしくお願いいたします」

挨拶すると、ヘレナ夫人は微笑んだ。上品な笑顔。

侍女もニコニコしてテキパキと指示をしてくれる。

「天気がよければ窓を開けて部屋に風を入れてください。お茶は呼び鈴を鳴らしてくださればお持ちします。奥様が札を見せてくださいますから、その指示に従ってくださいね」

どんな札があるのか見せてもらう。お茶、果物、スープ、パンなど、食べ物が文字で書かれた札がたくさん。他にも、窓を開けて、窓を閉めて、火をともして、本を読んで、詩集を読んでなど、ヘレナ夫人がしてほしいことが書いてある札がいくつもある。

なんて、初心者に優しいシステム。初めての職場がここでよかった。そう思っていたら、後で侍女にそっと告げられた。

「いいですか、奥様に札を使っていただくのは、最初の一週間だけにしてください。一週間で、奥様が何をお求めでいらっしゃるか、札なしで理解できるようにしてくださいね」

「え、一週間でですか?」

そんなことできるかな。奥様と侍女の会話を聞いたけれど、奥様の言葉はあんまり明瞭じゃなくて、ちっとも分からなかった。

「札でのやりとりが主になってしまったら、奥様がお言葉を発しようと思わなくなるかもしれません。発話に必要な筋肉が使われなくなると、ますます言葉が出にくくなります」

「そっか、そうですよね」

実家の馬丁が似たようなことを言ってたっけ。足をくじいた馬は、治療がある程度進んだら、少しずつ運動をして筋肉を元に戻していくって。そうしないとずっと足がうまく動かなくなっちゃうって。走れなくなった馬は処分されてしまうから、馬丁は心を魔王にして馬を鍛えなきゃいけないって。

私はおつきのコンパニオンだから、心を魔王にしてヘレナ夫人を鍛えるってわけにはいかない。心を魔王にして自分自身を鍛えなきゃいけないんだわ。がんばろう。

一週間、必死に働いた。ヘレナ夫人がいつ何をお望みになるのか。札の内容と発話を結び付け、丸覚えする。ヘレナ夫人の部屋から出たらすぐに手帳にメモする。どんな風に聞こえたか、そのときの表情、時間、身振り、仕草。早くベテラン侍女みたいに、スムーズにやりとりできるようにならなきゃ。

次の週、札を見せずに発言なさったヘレナ夫人は、どことなく不安そうだった。自分の言葉が伝わっているかどうか分からないのって、怖いと思う。伯爵夫人が、自分より身分の低い小娘に言葉が通じなかったら、屈辱とすら感じるだろう。自分を恥じてしまうかもしれない。主人に恥ずかしいと感じさせてしまったら、コンパニオン失格だ。

全感覚を集中し、でもそれが表に出ないように自然な態度で、ヘレナ夫人の発言を聞く。

大きすぎない声で、はっきりと伝わりやすいように答える。

「おはようございます。窓を開けますね。今日はいいお天気になりそうですよ。空気がとっても爽やかです。あ、鳥の声も聞こえますわ。窓際にお座りになりませんか? 胸元が黄緑色のかわいらしい小鳥が見えますの」

ヘレナ夫人の顔が明るくなる。よかった。窓を開けて、で合ってた。

ヘレナ夫人をベッドから助け起こし、ゆっくりと窓際のソファーに支えながら移動する。

ヘレナ夫人がつぶやく。

「ええ、そうですね。ひざ掛けをお持ちいたしますわ。朝の風はまだ少し冷たいですもの。すぐにお茶をご用意します。朝食は何がよろしいですか?」

ヘレナ夫人の膝に柔らかくて軽いブランケットを掛け、背中のクッションを少しずらす。

「紅茶とパン。ジャムとバター。果物ですね。はい、お待ちください」

部屋を出ると、気配を消していた侍女がいて飛び上がりそうになる。侍女が私の両肩に手をのせて、力を込めて押さえながらささやく。

「完璧でしたよ」

「本当ですか?」

「はい。驚きました。素晴らしいです。すぐに朝食をお持ちいたしますからね」

ささやき声で会話を交わす。侍女は心から言ってるみたい。お世辞なんかじゃないって、表情を見れば分かる。よかった。ちゃんとヘレナ夫人の言葉を理解できた。ヘレナ夫人に恥をかかせなかった。

それからも、ヘレナ夫人が侍女や看護師とやりとりされるときは、全力で聞いた。理解できないことがあったら、こっそり確認する。

「あの、先ほどの奥様との会話で分からない言葉があったのですが。えーっと、昨日のなんとかがなんとかだから、今日の昼ご飯はお肉なしのスープにしてと」

「ああ、はい。奥様は、昨日のブランケット・ド・ヴォーは柔らかくておいしかったけれど、胸やけがまだ残っているから、今日のお昼はお肉なしのスープにして、とおしゃったのです」

「ブランケット・ド・ヴォーってなんですか?」

「子牛のすね肉をクリームソースで煮込んだ料理です。異国の料理なので、現地の料理名でおっしゃったんだと思います」

「なるほど。まだまだ勉強が足りませんでした」

こんなことでは立派なコンパニオンになれない。私は侍女に頼み込み、料理人を紹介してもらった。

「お忙しいときにすみません。これから毎日、奥様がお好きな料理、明日のメニューなどを教えてくださいませんか。邪魔にならないように短時間で済ませますから」

「え、はあ。いいですけど」

「もしできれば、料理のレシピ集などがあれば見せていただけないでしょうか」

「いやあ、レシピは秘密なんでねえ」

料理人が渋ると、侍女がコホンと咳払いした。

「奥様のためを思って料理の名前を覚えようとしているだけですよ。材料の配分なんかはいりません。名前と簡単な説明だけならいいのではないかしら」

「まあ、それぐらいなら。はい」

料理人の顔には明らかに、めんどくせーなーという気持ちがにじみ出ていたけれど、私は見なかったことにした。遠慮してたら一人前のコンパニオンになれないかもしれない。

毎朝、ヘレナ夫人が起きる前に台所に行き、やや不機嫌な料理人にあれこれ教えてもらう。

「今日の昼はカチャトーラです。鶏肉をじっくり焼いた後、野菜と一緒にたっぷりのトマトで煮込みます。奥様のお気に入りの料理のひとつです」

「カチャトーラ、鶏肉トマト煮込み、と。分かりました、ありがとうございます。あ、そうだ。この前に出たシュクメルリ、鶏肉のクリーム煮。にんにくの風味はとてもいいけれど、やっぱり匂いが気になるわ、と奥様がおっしゃってました」

「マジですか? そうか、今日のカチャトーラにも隠し味でにんにく入れるんだけど、少し控えめにしておきます。そういう情報、ありがたいです。なんでも言ってください」

「はい、分かりました」

料理人から不機嫌オーラが消えた。こまめにヘレナ夫人の感想を伝えることで、料理人の私への態度はどんどんよくなった。みんな、ヘレナ夫人のために働いているんだもの。喜んでいただきたいって思いは一緒だよね。

料理人のおかげで、料理名が覚えられたころ、侍女が新しい仕事をさせてくれる。

「サラさんはもう奥様と意思疎通が問題なくできますので、これからは本の朗読もお願いします。奥様はご自分で本を読むのもお好きですが、たくさん読むと目が疲れてしまいますので」

「はい」

これは楽しそう。本は好きだ。

「図書室のカギをお渡しします。中の本は好きに読んでいただいて構いませんが、屋敷の外に持ち出すのはお控えください」

「はい、もちろんです」

すごい、なんだかすごい。銀色のカギの重さが、自分の積み上げた信頼のように思えた。

侍女に案内された図書室は大きくて、天井まで届く本棚にはぎっしりと書物が詰まっている。

「奥様がよくお読みになる本はこちらにまとめてあります」

入口に近い本棚を侍女が示す。よく読み込まれている感じの本が並んでいた。

「今日はこちらの本を朗読してくださいね」

「はい」

渡された分厚い本、『楽園追放』は魔族にそそのかされて禁断の果実を食べてしまい、神々から楽園を追放された男女の物語。格調高い文章で描かれた壮大な物語。

朗読しているだけで、何かに罰されているような、自分の行いを顧みなくてはいけない後ろめたい気持ちになるのはなぜだろう。悔い改めよ、罪の深さを自覚しろ、そう問い詰められているような気になってしまう。

ぐったり疲れた翌日は、『聖なる喜劇』を読むことになった。詩人が魔界、地界、天界を放浪する話なんだけど、とにかく長い。韻を踏んだ美しい文章で、これまた背筋を正して読まなければという気持ちにさせる。

スースーとすこやかな寝息が聞こえて、体の力が抜けた。徐々に朗読の声を小さくし、止めてみる。ヘレナ夫人はソファーの上で気持ちよさそうに眠ったままだ。

よ、よかったー。このとっても正しくて品のある本。ぶっちゃけ読むと疲れるんだー。

ヘレナ夫人を起こさないように気をつけながら、椅子に座ったままそーっと手足を伸ばす。体のこりをほぐした後、こっそりと椅子の後ろに隠していた本を取った。図書室で見つけた、おもしろそうな推理小説『そして、みんないなくなった』。

読み始めるとすぐに引き込まれる。謎の孤島に集められた男女が、ひとりずつ消されていく。怖くて背中がゾクゾクするけど、止められない。夢中でページをめくっていると、視線を感じた。

「はっ、すみません」

ヘレナ夫人が興味深げに本を見ている。いつから起きてらっしゃったのかしら。まずい。

(その本、おもしろい?) ヘレナ夫人に問われ、観念する。正直に答えよう。

「はい、おもしろいです。奇想天外な状況で、緊迫した状況が続いてドキドキが止まりません。次どうなるんだろうって、ページをめくるたびにワクワクします」

(そう。聖なる喜劇はおもしろくなかった?)

「聖なる喜劇もおもしろいのですが、どのページにも教訓めいたことが書いてあって、息が詰まりそうになってしまうかも──」

言い過ぎたことに気づいて口を閉じる。失礼な発言をしてしまった。どうしよう。息を潜めてヘレナ夫人をそっと見る。ヘレナ夫人は嬉しいような悲しいような、複雑な表情をしている。怒らせてしまったかしら。どうしよう。背中を冷や汗が伝う。

(続きからでいいから、その本を朗読してくれる?)

「は、はい」

心をこめて、なるべくおもしろさが正しく伝わるよう、少し感情をのせて読み上げる。ひたひたと迫りくる恐怖、手に汗握る緊迫、「え、全員? ウソでしょう」思わず途中で感想を漏らしてしまったけれど、最後に意外な真相が明かされ、屋敷中を駆け回ったかのような心地よい疲労感に包まれる。

「う、うわー。なんてすごい本。こんな本読んだの初めてです」

(明日はその作者の違う本を読んでちょうだい)

「はい」

元気いっぱい答える。次に読みたい本は決まっているのだ。

「では今日は『オリエンタル豪華客船殺人事件』を読みますね」

ソファーに座ったヘレナ夫人が軽く頷く。

豪華客船内で老貴族が刺殺される。一等客船の乗員の中に犯人がいると思われるが、十二人全員に完璧なアリバイがあるという。ええー、いったい全体どうなってんのーの連続だ。プアロ探偵がお茶目でかわいくて、凄惨な事件だけどどんどん読み進められる。「え、またしても全員? ウソでしょう」うっかり驚きの声も出てしまう。明かされた真相は胸に迫り、ちょっぴり涙が出た。

「はあー、すごいですね。こんな物語を思いつくなんて、作者さんは天才ですね」

(そうね)

ヘレナ夫人は不思議なまなざしで本を見つめている。

毎日、ふたりで読書を楽しみ、天才作家アガタ・クレッシェンドの本を全て読み終わったとき、ヘレナ夫人からお願いをされた。

(手紙を代筆してくれるかしら)

「はい、もちろんです」

ヘレナ夫人のお言葉を手紙にしたためる。内容は、今まで読んだ推理小説の感想だった。それぞれの作品に対する驚き、感動、賞賛が率直に語られる。教育的な本でなければ読む価値がないと思って見くびっていたが、それは間違っていた。このような本の楽しみ方もあるのだと知った。わたくしの世界を豊かにしてくれてありがとう。

ヘレナ夫人は語り終わってから、目を閉じてソファーにもたれかかる。お疲れになったみたい。

「早速手紙を出してまいりますね。あ、宛先はどうすれば」

(メアリーへ。執事にそう言ってくれれば届くわ)

「はい、かしこまりました」

手紙を吸い取り紙で乾かし、執事の元に速足で向かう。

「こちらの手紙、奥様がメアリー様へ届けてほしいとのことです」

「メアリー様へ」

いつも冷静沈着な執事が固まっている。どうしたのだろう。声をかけようとすると、すぐに執事は復活した。

「はい、すぐにお届けいたします」

「よろしくお願いします」

ひと仕事終えて、達成感にひたる。私、ちょっとずつ一流のコンパニオンに近づいてるかも。

仕事の合間に図書室に行ってはおもしろそうな本を探し、ヘレナ夫人と一緒に読む。そんな楽しくやりがいのある日々を送っていたら、急に執事と侍女に囲まれた。

「サラさん、緊急事態です」

「サラさん、お気を確かに」

「そんなっ、奥様になにか?」

「お体は大丈夫です。ただ、精神面が心配です。サラさんが頼りです」

「サラさん、普段通りで大丈夫ですからね。いつものように元気よく、ね」

「どういうことですか?」

「めったに屋敷にいらっしゃらない長女のメアリー様が、たった今こちらに」

「奥様もメアリーお嬢様も、よく似ていらっしゃって頑ななところがございます」

「メアリーお嬢様。ああ、あの手紙の方ですね。あら、メアリー様って奥様の娘さんだったんですか」

驚いていると呼び鈴の音が聞こえる。いらだっているような、激しい音だ。執事と侍女がビクッとして姿勢を正す。

「もう時間がありません。たいした説明もできぬまま送り込むことになってしまいますが、どうかご武運を」

「サラさんなら大丈夫です。お祈りいたします」

「え、なんのこと? え、どういうこと? え? え?」

え、って言ってる間に、執事と侍女にぐいぐい押され、客間に放り込まれた。耳がきーんとなりそうな沈黙。なんだか空気まで冷え切っているような。

「サラさん?」

「は、はい」

後ろから名前を呼ばれ振り返ると、扉にへばりついている青年と目が合った。育ちのよさそうな爽やかイケメンさんだ。青年が微笑むと、部屋の空気がほんのり暖かくなった気がした。

「ああ、よかった。僕はフレディ。ヘレナおばあさまの孫です。あの右端にいるのが僕の母のメアリーです」

「ま、まあ。初めまして。どうぞよろしくお願いします」

フレディ様と右端の窓から外を見ているメアリー様に挨拶をする。メアリー様は軽く会釈し、ほんの少し笑みを浮かべた。

ヘレナ夫人はというと、左端のソファーに座って膝の上で両手を握っていらっしゃる。

なんなんだこれは。久しぶりに会う母娘って、こんなになっちゃうの? 経験がないからさっぱり分からないけど。気まずいどころじゃないんだけど。

「ふたりとも頑固でね。その上、自分の不満をうまく言葉にするのが苦手な人たちなんだ。なんでも飲み込んでしまう。飲み込んで消化できればいいけど、そのまま積み重なって胃もたれみたいになってるんだ」

「まあ」

まあ、以外言えることがないぞ。せめてもの救いは、隣のフレディ様がのほほんとした明るい雰囲気なこと。まるでこの状況を楽しんでいるようにも見える。口角が上がっているし、頬にはえくぼまで。

すごいわ。この空気の中で笑えるなんて。

「ああでも本当に、サラさんがいてよかった。おばあさまの言葉を代弁する人が必要だったんだ。執事も侍女も誰もやりたがらなかったから」

「わ、私もやりたくないですけど」

「それ相応のお礼はするからお願いできないかな。例えばデビュタントの準備費用はこちらで全て持つよ」

「やります」

「そうこなくては」

フレディ様は私の手を取ってヘレナ夫人の隣までエスコートしてくれる。

「おばあさま。いい機会ですので、思いの丈をぶちまけてくださいね」

フレディ様は優雅にお辞儀をすると、向こう端のメアリー様の隣に移った。

「お母様。さあ」

フレディ様が促すと、メアリー様は不本意という気持ちを全面に出し、「どうして今さら」とつぶやく。

フレディ様がすぐに後に続いた。

「どうして今さら小説の感想を送ってきたの? 低俗で読む価値がないと言ってたではありませんか。『楽園追放』『聖なる喜劇』のような崇高な本以外は認めないと。それが突然の手の平返し。信用できるわけがありません。どうせ読んでいないのでしょう。何をたくらんでいるの?」

メアリー様になりきって、声音までそっくりなフレディ様。私はあんぐり開いていた口を慌てて閉じた。

え、すごくない? あんなことを私も求められてるの? いや、無理だよね。できるわけない。あなたみたいなことはできませんよーという念をこめてフレディ様を見ると、ニコッとされた。いや、笑われても。

どうしよう。そーっとヘレナ夫人に視線を移すと、ヘレナ夫人の口が動いた。聞き逃さないように集中する。

(本当に読んで、おもしろかった)

「本当に読んで、おもしろかったとおっしゃってます」

ちゃんと伝えたのに、メアリー様もフレディ様も、続きを促すように眉を上げる。

私が勝手に代弁しちゃっていいのかしら。ヘレナ夫人が頷いている。あ、いいんだ。じゃあ、ええっと。

「『楽園追放』『聖なる喜劇』は立派な本です。読むと背筋がピンと伸びるような正しい本です。悔い改め、真っ当に生きて行こうと思えます。読んでいると心が浄化され、聞いていらっしゃる奥様は心安らかに昼寝に入れます」

怒られないかしら、言い過ぎじゃないかしら、チラッとヘレナ夫人を見ると、大丈夫そうだったのでもっと言ってみる。

「アガタ・クレッシェンドさんの本はドキドキワクワクハラハラの波状攻撃。次が気になって本を置くことも、途中でやめて寝ることもできません。読み終わった後は、うわああああ、そう来たかーーーって叫びたくなります。そして、次の本が読みたくなります。恐ろしいほどの中毒性です」

うんうんとヘレナ夫人とフレディ様がうなずき、なぜかメアリー様は頬を赤らめてモジモジしている。

「奥様のお気に入りはプアロ探偵です。研ぎ澄まされた頭脳で謎を鮮やかに解決します。オシャレで几帳面な美食家で、暑さ寒さに弱く、散らかった部屋が大嫌い。亡き夫にそっくりと奥様はおっしゃっていました」

ヘレナ夫人、フレディ様、メアリー様がそっとハンカチを目に当てた。なぜ、泣く? まあいいや、ついでに私の好みも伝えてみよう。

「私が一番好きなのは、トビーとトゥーペニーの『秘密組織』です。私もトビーのような夫とふたりで冒険に出たいです。でも、もし独身のままだったら『乗合馬車パディントン発4時50分』のルーシーみたいに腕利きのメイドになって高給で雇われたいです」

「あなたならどちらも可能ですよ」

ヘレナ夫人、フレディ様、メアリー様がおっしゃる。まあ、皆さんなんて優しいのでしょう。

メアリー様がちょっとうるんだ目で私を見て「ありがとう」とつぶやきます。

フレディ様がまたしても朗々とお話されます。

「ありがとう。お母さまとサラさんが、わたくしの本を本当に読み、楽しんでくれたのが分かりました。娘として、作者として、これほど嬉しいことはありません。売れているらしいとは聞いています。でも実際に読者と出会ったことはなかったのです。それに、認めてもらいたかった母に読んでもらえないなら、わたくしが書く意味ってなにかしら。そう思う日もありました」

フレディ様が情感たっぷりにおっしゃり、メアリー様は目を落とし、ヘレナ夫人はハンカチを握りしめ、私は飛び跳ねた。

「ちょ、ちょっと待ったー。今、今、重大発言を聞いたように思います。さくさくさく、作者っておっしゃいませんでしたかー?」

「はい、秘密なのだけど、わたくしが作者です。」

メアリー様が小さく手を上げる。私は一足飛びでメアリー様の前に行き、跪き、手を差し伸べる。

「握手してください」

「まあ、ほほほ。かわいらしい方ね」

メアリー様の手はほっそりして、乾いていて、ひんやりしてる。その手で、力強く私の手を握ってくれた。

「新作は、次の小説は出るのでしょうか?」

「ええ、間もなく本屋さんに並ぶはずよ」

「どんな、どんなお話ですか? トビーとトゥーペニーですか? プアロ探偵ですか?」

「いえ、メイプル婦人ものなの。タイトルは『鏡は縦にひび割れて』。大人たちのどろどろした薄暗い内面をたっぷり書いてみたのよ」

「メイプル婦人も大好きです! 優しそうで上品なおばあさまなのに、どんなミスも見逃さない鋭さがあって、意外と辛辣な発言をされるとこ、しびれます。どなたかモデルがいらっしゃるんですか?」

メアリー様とフレディ様がそろってヘレナ夫人を見つめる。モデルはヘレナ夫人のようだ。

「はっ、なんと。私、奥様の前でとんでもないことを。失礼しました」

「そんなこと気にしなくていいのよ。あなたみたいな若い方に読んでもらえて嬉しいわ。それに、この屋敷にわたくしの本が揃っているなんて。嬉しい」

(出入りの商人に、発売日に届けてもらっているのよ)

「出入りの商人に、発売日に届けてもらっていらっしゃるそうです」

興奮していたけれど、ヘレナ夫人の声は聞き漏らさないでちゃんとお伝えできた。

「ふたりの雪解けができてきたところで、もう少し近づいてお話しましょうか」

フレディ様がにこやかにおっしゃり、四人で窓際に腰かけ、お茶を飲みながら会話をする。

ヘレナ夫人がとても幸せそうで、私はなんだか涙が出そうになった。

***

長年こじらせた関係は、すぐに仲良しほのぼの大団円なんて結末にはならないけれど、少しずつヘレナ夫人とメアリー様は直接会話できるようになってきた。

ヘレナ夫人、メアリー様、フレディ様からそれぞれ個別でお礼を言われた。

(サラ、ありがとう。あなたの素直さを見て、自分のかたくなさに気づかされました。娘に自分の価値観を押し付けていたことがわかりました。娘とわたくしは別人格、娘の決断を尊重すべきだったと思い知りました。メアリーにも謝りました)

「よかったです。謝るってすごいです。私は父親からちゃんと謝ってもらえてませんからね。今度、ちゃんと謝ってって、催促してきます」

決意を固める私を、ヘレナ夫人は笑いながら見ていた。

メアリー様からはサイン入りの著書をたくさんもらった。

「サラさん、本当にありがとう。わたくしを矯正しようとする母にずっと反発して生きてきたの。こっそり読んでいた推理小説を、くだらないって決めつけられて捨てられたこともあったわ。許せないって恨んでた。母が病気になってからも、寄りつかなかったの。ひどい娘よね。母に謝られて、辛かった気持ちを吐き出せて、距離が縮まりつつあるのよ。あなたのおかげです」

「お役に立ててよかったです。そして、サイン入りの本をこんなにたくさんいただけて感激です! 次の新作を楽しみにしてます。それと、私も父に、デビュタント準備金をなくされた件、ちゃんと文句を言ってみようと思います」

メアリー様と本の話をたくさんできたし、次回作は真っ先に渡してくださるそうだし、嬉しすぎる。

フレディ様からはデビュタント準備金をたくさんいただいた。

「あの、多分父が貯めていた分より多いです。こんなにいただいちゃって、いいんでしょうか?」

「もちろん。サラさんがいてくれて、心強かった。ふたりの間に漂う極寒の空気の中、たったひとりで通訳を試みたことが何回かあってね。魔界とはこのような感じだろうかと思ったものだ」

フレディ様が思い出したのか、フルッと体を震わせる。おかしくて笑っていると、フレディ様が真面目な顔で「実は」と切り出した。

「僕の知り合いの王族関係者から相談を受けているんだけど。もしかしたらサラさんなら王家の力になれるかもしれない」

「え、王家? 私が?」

「どうだろう、やってみる? 王家だから、持参金分ぐらいの謝礼は余裕で出ると思う」

「やります」

「そうこなくては」

ヘレナ夫人とミランダ大叔母様に相談したところ、「普段通りにがんばってきなさい」と快く送り出された。

当日は、フレディ様がわざわざ王宮まで送ってくれた。

「前に説明した通り、サラさんがコンパニオンとしてつくのは、異世界からやってきたらしい女性。こちらが召喚したわけではなくて、空から神殿に降ってきたらしい。こちらが召喚した場合は言語翻訳スキルがつくけど、今回の場合はついてなくて、言葉が通じないそうだ」

「知らない場所に来て、言葉が通じないのって怖いですよね。私がお役に立てるといいのですが」

「サラさんののんびりした雰囲気が癒しになるかもしれない。言葉が分からなくてうまく意思疎通ができなくても、焦らないで。信頼を得るには時間がかかると思うし」

「はい。札をたくさん作ってきました。ちょっとずつ言葉を覚えていきます」

異世界女性が札を嫌がらなければいいな。できれば一週間と言わず、のんびり札を使ってお互いの言葉に慣れていけるといいんだけど。

フレディ様は離宮まで案内してくださった後、「がんばって。あ、でも無理はしないでほどほどに。必要なものがあればいつでも連絡して」と言って去っていった。ありがたい言葉だ。めいっぱい頼らせてもらおう。

離宮の小さな部屋に入ると、儚げな女性がいた。私より背が低くて、年も下に思える。髪と目は黒くて、肌はアーモンド色。この国の出身でないことはひと目で分かる。

女性は私を見ると立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。私も同じように頭を下げた。

怖がらせないよう、そろりと近づき、微笑みながら丁寧に自己紹介する。

「こんにちは。サラです」

自分の胸を手で叩きながら、何度も「サラです」と言うと、女性がぎこちない笑顔で胸を指しながら「ミカ」と返してくれた。

「ミカさん」

よかった。名前が分かった。

「座りましょうか」

ソファーに近づき、座面を手で触れる。私が座ると、ミカさんも少し離れて腰かける。

「お茶を飲みましょうか」

ティーカップの絵とお茶という文字が書かれた札を見せる。ミカさんは目を見開き、おずおずと頷く。よかった、伝わった。

「何か食べましょうか」

クッキー、ケーキ、小さなパン、果物の絵札をミカさんに見せる。ミカさんはクッキーの札を指す。

呼び鈴を鳴らし、使用人にお茶とクッキーを頼むとすぐに持ってきてくれた。

お茶を飲み、クッキーを食べ、「おいしい」と言いながらお腹を撫でる。ミカさんがたどたどしく、「おいしい」と言ってくれる。やった。

そうやって、少しずつ絵と言葉を伝えていく。

最後に、母猫が子猫をくるりと抱え込んでいる絵を見せる。母猫と自分の胸を何度も指し、次に子猫とミカさんを何度も指す。

「サラはミカさんを守る」

母親が子供を抱っこして揺らしてるような仕草をした。分かってくれるかな。

ミカさんの目から涙がぽろりと落ちる。

「あわわ、どうしましょう」

「ありがとう、サラさん」

「え、ありがとうって言葉、どうして知ってるの?」

まだ説明してなかったような。

ミカさんが、ティーカップとお皿を持ち上げ、丁寧にテーブルに置きなおした。

「ああ、分かった。さっき私が使用人にありがとうって言ったのを覚えてたのね。すごい、ミカさん」

「ありがとう」

ミカさんがすました顔で言う。おかしくって、吹き出してしまった。そしたら、ミカさんも笑う。

そうやって毎日ミカさんに言葉を教え、私もミカさんの国の言葉を覚えた。

「趣味は何ですか?」

「しゅみはほんをよむことです」

「まあ、ミカさんも本が好きなのね。私も本が大好き。最近はこの本を読み直しているの」

『そして、みんないなくなった』をかばんから出し、ミカさんに見せる。

「どんなはなしですか?」

「島に集まった十二人がひとりずつ消えて行くはなし。怖くて、おもしろいの」

「しま、じゅうににん、ひとりずつきえる。そして、みんないなくなった。そして、みんないなくなった? あ、あたし、そのほんしってる」

ミカさんが本を手に取ってページをめくる。ミカさんがわなわなと震え始めた。

「ミカさん? 大丈夫?」

「読める、読めるぞ! むははははは」

ミカさんが変な笑い方をする。一瞬ミカさんが光った。え、なにごと?

「ミカさん?」

「あ、ごめんなさい。つい、ムスカを出してしまいました。サラさん、あたしこの本読めます。この本、むこうの世界でも読んでました。タイトルがちょっと違うけど、内容は一緒みたい。すごい、こんなことってあるんだ」

「ミカさん、急に言葉がぺらぺらになってる」

「言語チート、キター」

「ミカさん、おもしろい人になってる」

「あ、つい調子に乗ってしまいました」

ミカさんと笑いながら手を取り合って喜んでいると、急に扉が開き、キラキライケメンとフレディ様が入ってきた。

「フレディ様と、えーっと」

誰かしら、このキラキラした人。

フレディ様がそっと教えてくれる。

「第四王子のコナー殿下ですよ、サラさん」

「で、でんかー」

私とミカさんは慌ててカーテシーをする。

「よい。それどころではない。先ほどまばゆい光が離宮から放たれた。何があった?」

「えー、ミカさんがこの本を見て言語チートを授かられたようです。そのときちょっとピカッと光っていらっしゃいました」

「ということは、ミカは私の言葉も分かるのか?」

「はい、分かります。殿下」

殿下が笑みを浮かべる。キラキライケメンが、直視できないほどさらにまぶしくなる。ミカさんと私も、思わず手で目を覆った。

殿下は、下々の者のそういう反応になれているのだろう。優しい表情のまま話してくださる。

「よかった。異国の地でたったひとり、言葉も通じず辛かったであろうな。我が国に来たのも何かの縁であろう。帰る方法は引き続き探しておるが、一朝一夕には解決しまい。どうか辛抱強く待ってほしい」

「はい。恐れ入ります」

殿下は、私のことも労ってくださる。

「サラ、よくやった。フレディから聞いてはいたが、手柄であるな。どこに嫁に行っても恥ずかしくない持参金を褒美としてつかわす」

「ありがたき幸せでございます」

やった、やったわ。これでいつでもお嫁にいけるわ。相手はいないけれど。

「デビュタントのエスコート相手は決まっているのか?」

「いえ、まだ」

殿下に痛いところをつかれ、うつむいていると、フレディ様が大きな咳払いをする。

「もし枠が空いているようであれば、僕が立候補したい。どうだろう、サラさん」

「本当ですか?」

いつも爽やかイケメンなフレディ様が、一段と素敵に見える。殿下に負けず劣らず輝いている。

「よ、よろしくお願いします。ぜひ」

「やった」

フレディ様が小さく拳を握る。そういう仕草、初めて見た。子どもみたいでかわいい。

フレディ様に見とれていると、バタバタと足音が響く。

「殿下、至急お知らせしたいことがございます」

殿下が手招きすると、侍従が入ってきて殿下の耳元で何かをささやいた。

「なに、母上がお目覚めに? 誠か」

「はい」

「ミカ、サラ。慌ただしくてすまないが、席を外す。フレディはミカとサラから事情を聞くように」

殿下が慌ただしく出て行った。

王妃様、ご病気だとウワサがあったけれど、大丈夫かしら。

ミカさんとフレディ様に新しいお茶を淹れていると、ミカさんが小声で言った。

「あのー、お邪魔でしたらあたしも席を外しますが」

「いやいや」

私とフレディ様が同時にミカさんを止める。フレディ様は咳払いし、ミカさんの方に少し身を乗り出す。

「それで、急に言葉が分かるようになったと?」

「そうなんです、サラさんが持ってきてくれたこの本を見たら、急にわーって。なんでしょう。頭の中の扉が次々開いて、言葉がなだれこんできたみたいな感じです」

「興味深い。この本か。ふむ」

フレディ様は、母であるメアリー様が執筆された本をパラパラとめくり、うなっている。

「どうだろう、ちょっと僕の祖母の家に行ってみませんか。母の許可がもらえれば、もっと何か分かるかも」

そっか、メアリー様が作家ってこと、内緒だもんね。いくら息子といえども、ミカさんに秘密を暴露したらメアリー様に怒られるかもしれないよね。

「ミカさん、フレディ様のおばあさまの家は、私が以前働いたところでもあるんです。皆さん優しいですし、本がたくさんありますよ」

「行ってみたいです。こちらの世界に来てから、この部屋に閉じこもってたので。せっかくだから外の様子を見たいです」

三人で馬車に乗り、お屋敷に向かった。久しぶりにヘレナ夫人のお屋敷に入ると、なんだか我が家に戻ったみたいで安心する。離宮では気を張っていたみたい。

ミカさんと客間で待っていると、すぐにフレディ様がメアリー様と一緒に入ってきた。

「異世界からいらっしゃったミカさんね。サラさんも元気そうでよかったわ。それで、ミカさんがわたくしの本を読んで言葉が分かるようになったと聞きました。どういうことなのかしら、不思議ね」

挨拶を交わしてすぐに、メアリー様が本題に切り込む。

「他の本も持って来てみたけれど、どうかしら」

使用人がメアリー様の本を机に積み上げる。

促され、ミカさんは本を手に取った。

「こ、これは『黒い服を着た男』。クリスティには珍しい冒険ラブロマンス。美少女が大陸を股にかけて大活躍する胸躍る冒険譚ですね。あのヒーローがめちゃくちゃかっこよくて、憧れました。クリスティの中で一番好きかもしれない」

「まあ、そうなの。ほほほほ」

メアリー様が顔を赤らめてドギマギしている。未だに面と向かって自著を褒められると照れてしまうみたい。

「あ、これ『七つのダイアルの謎』です。これも大好き。ヒロインがちゃきちゃきしてて、行動力抜群なんです。『なぜエドガーに頼まなかったのか?』のヒロインと若干かぶってるんですけど、どっちも強くて凛としてて憧れる」

「そう言われてみれば、キャラがかぶっているわね。書き分けって難しいのよね」

メアリー様のつぶやきは、興奮しているミカさんの耳には入っていないみたい。

「ああー、『秋にして君を離れ』もある。これはお母さんのお気に入りでした。大人になると分かることもあるのよってしんみり言ってました。本当にクリスティは女性心を描くのが上手ってお母さん感動してたんです」

「あれは大人の女性たちに熱狂的に受けたと商人が言っていたわ。その通りみたいね」

「おお、『アクロイド殺人事件』。これはもう叫んじゃいました。そんなのありー、ウソだーって。それでまたすぐ最初から読み直したんです。クリスティって天才だなって思いました」

「それはズルいって苦情がたくさんあったと聞いているけれど、二度読んでもらえたなら作者としてはありがたいわ」

パタッとミカさんの手が止まる。メアリー様をまじまじと見て、首を傾げている。

「あのー、作者って聞こえたのですが」

「はい、秘密なのですが、わたくしが作者です」

メアリー様が小さく手をあげた。

「ええっと、クリスティ様?」

「いえ、アガタ・クレッシェンドです」

「うわー、神作家様の別世界線にキタこれー! 神様、ありがとうございます!!」

ミカさんが両手を胸の前で組み、上に向かって叫ぶ。

ミカさんがピカピカと光った。

「ミカさん、また光ってる」

「ホントだ、なんだこれ」

光るミカさんを眺めたりつついたりしていると、執事が扉を開けた。

「ご歓談中に申し訳ございません。奥様が──」

「──突然動けるようになったので、自分で歩いて来たわよ」

ヘレナ夫人が軽やかな足取りで踊るように部屋に入ってきた。

「お母さま、言葉が──」

「おばあさま、踊ってる──」

「これってミカさんの力なのでは──」

全員が光り輝くミカさんを見て、確信した。

「ミカさんは、癒しの聖女だったのね」

私の言葉で、その場の全員が跪く。聖女の奇跡を目撃したのだ。なんという光栄。

厳かな空気の中で、ミカさんが叫ぶ。

「異世界聖女転移、キター! 皆さん、立ってください。だって、本のおかげなんですもん。神作家の本を読みつくして、新しい本がもう出ないことに絶望してたんですもん。神様が、神作家と同時代に転生させてくれたのね。アガタ・クレッシェンド様、たくさん新しい本を書いてください」

ミカさんはメアリー様に懇願する。メアリー様は「書き続けます」と言ってくれた。

私とミカさんは、抱き合って飛び跳ねた。

その後、聖女認定されたミカさんは、第四王子と婚約した。王妃を癒してくれたミカさんに殿下が何度もお礼を言いにきて、自然と愛がはぐくまれたみたい。

ミカさんの正式なコンパニオンとして採用された私には、色んな貴族令息からの婚約依頼が殺到した。

「というわけでお父さま、私はフレディ様と婚約しますから。ミカさん目当てで寄って来る他の貴族は全部断ってください。それと、デビュタント準備金も結婚持参金も、自力で稼ぎました。お父さま、謝ってください。私、怒ってますのよ」

父は事態の急展開に目を白黒していたけれど、ちゃんと謝ってくれた。

「サラ、お前のための資金を使い込んで悪かった。すまない。不甲斐ない父を許してくれ」

「仕方ないですね。これからは、変な儲け話をもちかけられたら、まずフレディ様に相談してください」

「はい」

反省してしょんぼりしている父を、私はじりじりいたぶりながら許してあげた。

だって親子だもの。ヘレナ夫人とメアリー様のこじらせっぷりを見たから、早めに仲直りする方がいいって思ったんだ。

「自分で稼げるようになった上に、ミカさんという友人もできて、未来の母は神作家で、未来の祖母は初めての雇い主で。おまけにこんな素敵な婚約者までできた。私って幸せ者」

「母のおまけってサラに思われないよう、がんばる」

「おまけなわけないでしょう」

「よかった」

ただ、本を読んでいただけなのに。物語を読み上げたら全てを手に入れました。

本の神様が私に微笑んでくれたのかもしれない。