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『お前が運命の番だなんて最悪だ』と言われたので、魔女に愛を消してもらいました

作者: 志熊みゅう

本文

今日は第一王子・フェリクス殿下の成人の儀だ。竜族である王族には、成人を迎えると、番と対となる『番紋』が現れるという。今日はその番紋を見極めるため、国中から年頃の令嬢がこの大聖堂に集められた。

成人の儀では、王族の始祖とされる竜神に誓いを立てる。祭壇に立ったフェリクス殿下が天に向かって剣を高く突き上げると、神の光が聖堂いっぱいに降り注いだ。これが竜神の誓いである。

銀色の長髪がその光を反射し、美しく輝き、私はその幻想的な光景に、思わず見惚れていた。そして次の瞬間、私の胸元が輝き『番紋』が現れた。鼓動が速くなるのを感じた。

私は番として祝福され、殿下に愛されるはずだった。しかし、殿下が発せられたのは驚くほど冷酷な言葉だった。

「――何でお前が番なんだよ。ちっ、本当に最悪だ。」

私、クロエはシュヴァリエ侯爵家の長女だ。シュヴァリエ侯爵の正妻であった母とは幼い頃に死に別れ、すぐに愛人とその娘、異母妹のマリエルが侯爵家に移り住んだ。愛人は隣国出身で平民だ。だから結局父は、愛人とは籍を入れなかった。それでも彼女や異母妹のことを溺愛しており、私はいつも蚊帳の外だった。

「お前の金髪と青い目は、エリザベトを思い出す。ああ忌々しい。」

父は母と瓜二つの私を嫌った。使用人たちも、その力関係が分かっているから、私にだけ冷たかった。

ある日、父は異母妹だけを連れて、王宮の茶会に出向いた。すぐに第一王子のフェリクスとマリエルは仲良くなったらしい。きっとマリエルこそ第一王子の番に違いない。皆がそう言っていたことは私だって知っている。

「うそでしょ?どうしてお姉さまなの?どうして私じゃないの?」

隣にいたマリエルが叫んだ。

「番など関係ない。私が愛するのはマリエルだけだ。」

あまりに前例のないことに、皆が騒然とした。

竜族の番は絶対――けれど私は愛されなかった。

それからも、私は殿下に恋焦がれるのに、殿下の態度は冷たかった。この前も殿下とマリエルが侯爵家の庭で楽しそうにお茶をしているのを見て、胸が張り裂けそうだった。舞踏会でも必ずエスコートをされるのはマリエル。私ではない。

王は殿下とマリエルの結婚に反対していると聞いた。番を正妃に迎えるべきだと。だが彼は聞く耳を持たなかった。マリエルを妃に迎えると言い張っている。

私は限界だった。二人が並んで歩く姿を見るのも、事あるごとに番の彼から冷徹な言葉をかけられるのも。

父は「マリエルに番紋が現れればこんなことにはならなかった。お前はつくづく母に似て忌々しい女だ。」と言い、マリエルの母には「本当に邪魔な子」と言われた。

だから私は王都の外れに住むという、どんな願いでも叶えると噂の魔女の店に向かった。ありったけのお金を持って。

「あら、お嬢さん。貴族の娘さんかい?今日は何の用?暗殺?それとも呪い?」

薄汚れた半地下の店内には、白髪の老婆がいた。私の思いつめた表情を見て、よくない案件だと察したのだろう。

「いいえ。違います。私は……私は、番との縁を切ってもらいたいのです。」

「番?竜族のことかい?」

少し驚いたように老婆が言う。竜族はこの国の王族とごく一部の上位貴族のみだ。老婆も依頼の重さに気づいたのだろう。

「そうです。私、番に嫌われていて……もうこのままでは生きていけない。」

今まで我慢していた涙が溢れ出して、止まらなかった。

「番の縁ね……。」

「番が異母妹を好きだというんです。だからもう苦しいんです。」

「まずはこのお茶をお飲み、気持ちが楽になるから。」

魔女はその場で薬草を調合すると、湯を沸かし、茶を淹れてくれた。不思議な香りがする。けれどすぐに気持ちが和らいだ。

「これ、おいしいです。」

「そりゃよかった。では、ここで少し待っていて頂戴。」

静寂の中で時間だけが過ぎる。小一時間すると老婆が戻ってきた。

「お前さんは、まず番がどういうものか分かっているかい?」

「竜族の伴侶だと。」

「番は竜族の魂の片割れだ。生まれ変わっても、また同じ相手と番になる。」

「え、そんな。私はどうすれば……。ずっとずっと苦しいままなんですか?」

「私もどうしてこんなことになっているのか、よく分からないのだが、お前さんの番は、何か悪いものにでも憑りつかれておるのかもしれないな。」

「悪いもの?」

「それを上手く祓えれば、気持ちがこちらに向くかもしれん。」

「……だとしても、もう何かを頑張るのは私には無理です。このまま消えてしまいたい。」

「死んでも番との縁は切れん。魂ごと消すしかない。」

「ではいっそ魂ごと……。」

「早まるんじゃない。そこまで追い詰められているのならば、一つ提案がある。」

「提案?」

「お嬢さんの中から人を愛するという気持ちを消し去るのじゃ。」

「その気持ちが無くなると、私はどうなるんですか?」

「番のことを恋しいと思わなくなる。相手が別の女性と一緒にいても嫉妬もしない。ただ生涯、お前さんは誰かを愛することができなくなる。たとえ自分の子であっても。」

ごくりと唾を飲み、そして考えた。そもそも、私は誰かに愛されたことなどあっただろうか。幼い頃に死に別れた実母は私のことを思ってくれたかもしれない。でもそれすら記憶にない。

「結構です。私は人に愛された記憶がありません。そんな私が誰かを愛する資格などもともとないのです。」

「いいんだね。分かった。後から取り戻すことはできないよ。」

「はい。」

魔女が複雑な呪文を唱える。そして私は気を失った。

目が覚めると、もう朝だった。ソファの上でゆっくり体を起こすと、老婆が話しかけてきた。

「気分はどうだい?」

気分。それは驚くほど穏やかだった。番を求めて渇望した、あの感覚はもうどこにもない。

「ええ、とてもいいです。」

「術は成功した。これでお前さんは番から解放された。」

「ありがとうございます。」

「餞別に、もう一個お前に魔法をかけてやろう。」

魔女が何やら呪文を唱えると、魔法陣が浮かび上がり、黒い靄が私を包んだ。

「これは目くらましの魔法。これで相手が竜族であっても、お前さんがどこにいるかはすぐには分からない。」

「何から何まで、ありがとうございます。このご恩、なんと礼を言えばよいか。お代はおいくらですか?」

「実は感情というのはいい魔力の源でね。昨晩だいぶ重苦しい感情を頂いたから、お礼はこれで十分。」

「ありがとうございます。」

「それでお前さんはこれからどうするんだい?」

これから……私は押し黙った。殿下は私を虫けらのように扱うのに、王宮は番として囲いたがる。実家には、父、愛人、そしてマリエル。家にも戻りたくない。

「平民として生きていきます。当座のお金はありますから。」

「そうか。では北を目指すといい。ディオール辺境伯家は昔のよしみだ。おそらくお前を匿ってくれる。」

魔女は一筆したため、それを私に託した。私は魔女に言われたように北を目指した。

北への旅は、驚きと発見の連続だった。そして私がいかに小さな世界で生きていたかを実感させられた。道中、お触書で、私がお尋ね者になっているのに気づいた。第一王子の番が行方不明だと。しかし、張り紙には私の名前と金髪で碧眼とだけあった。姿絵すらない。本気で探す気がないんだろうと察した。

辺境伯家に着くと、まずは門番に主人に見せて欲しいと魔女の手紙を渡した。戻ってきた門番は私を丁重に応接間に案内してくれた。

「ディオール辺境伯の妻のコンスタンスと申します。実は私も半地下の魔女のお世話になって。辺境伯と結婚できたのは彼女のおかげなの。あなたも大変だったみたいね。」

「はい。でも彼女に救われました。」

「ふふ。何も恐れることはないわ。そもそも『番』なんて、おかしな道理なのよ。」

彼女も番絡みで何かあったのだろうか。少し気になったけど、初対面の人にあまり踏み込んだ話は聞けない。

「あなた、もともと貴族令嬢よね?だったら娘たちの勉強を見てくれないかしら?家庭教師としてお給金も弾むわ。」

「ありがとうございます。喜んでお引き受け致します。」

私はそのまま城内に住み込み、家庭教師として、子どもたちの面倒をみるようになった。

人を愛する気持ちが、私が思っていた以上に、人を人たらしめる感情であると気づいたのは、それからだった。

昔は孤児院に奉仕活動に出向いても、子どもたちがかわいくてかわいくて仕方なかった。でも今はそういった感情がない。

誰かに優しくされてもそうだ。感謝はすれど、愛着は湧かない。うれしい、かなしい、楽しい、腹が立つ、そういった感情はある。でも愛情だけがどうしても湧いてこないのだ。

それでも与えられた仕事だと割り切って、家庭教師として、辺境伯の娘たちと接した。

「クロエ先生、この部分がよく分かりません。どうして刺繍の入ったハンカチを渡されて、顔を赤らめたんですか?」

「ああ、それはね。隣国では好きな男性に刺繍の入ったハンカチを渡すという文化があるの。愛の告白と捉えたのでしょうね。」

「先生に恋人はいないの?」

「いないわ。」

「先生と結婚したいっていう男の人がたくさんいるって、お母さまが言っていたわ。」

「あら、そうなんですね。」

辺境伯夫人から、そんな話は聞いていない。人を愛する気持ちが私にないことを魔女の手紙で知っているから、あえて伝えないのだろう。

「なんかもったいないわ。先生、絵本のお姫さまみたいできれいなのに。」

絵本――おそらく『竜王と番の姫』のことか。この国で一番有名な童話。竜王が攫われた番を探して冒険するという話だ。

「はいはい。私の話はもういいわ。課題の本を読んでください。」

「はーい。」

それから、いくつかの季節が巡った。でも殿下とマリエルが婚約したという話を聞かない。さすがに王都から遠く離れても、王族の冠婚葬祭くらいは耳に入るはずなのに少し不思議だった。

そして辺境で二度目の春を迎えた頃だった。王都での社交シーズンを終え、自領に戻ってきた辺境伯夫人に声をかけられた。

「クロエさん、ちょっといいかしら。」

「はい。」

「王都で聞いてきた話なのだけど……。」

「王都でですか?」

「クロエさんの番って、もしかしてフェリクス殿下なのかしら。」

「――そうですが、彼がどうかしましたか。」

「ああ、やっぱり。実は彼とあなたのご実家が――あなたのことを探しているみたい。」

「どうしてでしょう?彼は番よりも私の異母妹を選んだはずです。何を今さら。」

「あなたの異母妹――マリエルさんは処刑されたわ。そのお母さまも。」

「処刑……?」

「あの方は隣国の出身で、魅了のスキルをお持ちだったの。それであなたのお父さまに近づいた。娘さんも同じように魅了のスキルがあった。そして今度は――殿下を誑かしたのね。新しい王宮付きの魔術師が殿下の異常に気づいたそうよ。」

「それで父は母を蔑ろにし、殿下は番を無視したんですね。納得しました。」

「……竜族は番が近くにいないと、本来とても不安定になるの。毎晩泣き叫んで、あなたを求めているって。だから従者たちも、それはもう必死にあなたを探している。」

「そうですか。」

「あなたが元の場所に戻りたいと思えば、戻る場所はある。――あなたは本来愛されるべき人なの。だからどうしたい?」

自分を否定した父の顔、殿下の顔が頭に思い浮かぶ。

最悪だ。番として殿下に恋焦がれる気持ちがない今、初対面で舌打ちされたこと、最悪だと罵られたことが、今さらながら頭にくる。

「それはここに置いて頂くのが難しくなったということでしょうか?ならば荷物をまとめて出て行きます。」

「いいえ、違うの!私もね。番で色々あったから、あなたのことは守ってあげたい。でもいつまで私たちがあなたのことを隠しておけるかは分からないから、覚悟はしておいて欲しいの。」

「――分かりました。」

それから、辺境伯夫人の話を聞いた。夫である辺境伯とは幼馴染で結婚の約束をしていたこと。なのにある日、突然公爵令息の番だと分かり、攫われたこと。その時は恐怖と困惑で、彼を番と認識できず、何とか屋敷を抜け出し、半地下の魔女に助けを求めたこと。そして半地下の魔女が公爵令息を呪い殺したこと。

「我ながらひどいことをしたわ。でもそのくらい怖かったの。どうして番紋が現れても、番を恋い慕う気持ちが生まれなかったのか、自分でもよく分からないんだけど、いきなり攫われて部屋に閉じ込められて、本当に本当に怖かった。」

全て合点がいった。辺境伯夫人は私と逆の立場だった。だから贖罪のつもりで私を助けてくれた。私もあのまま王都にいたら、フェリクス殿下やシュヴァリエ侯爵家の者に殺されていたかもしれない。

「そうだったんですね。お話しして頂いて、ありがとうございます。」

それからしばらくは、屋敷の外に出ないようにした。晴れの日も、雨の日も、屋敷の中で子どもたちに勉強を教えながら過ごした。

しかし王都を離れて約三年、遂に辺境伯領に王家の遣いの者が来た。

「この領の司祭から、辺境伯の屋敷に金髪で碧眼の娘が家庭教師として雇われていると聞いた。話を聞きたい。」

潮時だ。むしろよくここまで隠し通せたものだ。金髪に碧眼は貴族の特徴。平民の中にいたら、もっと早くに見つかっていただろう。

「――こちらが、当家の家庭教師です。」

「はい、ご紹介にあずかりました。家庭教師のクロエと申します。」

「ク、クロエだと。クロエ殿、失礼だが、胸元を確認させてもらっても。」

「胸元ですか?」

私は、ドレスのボタンを一つずつ外し、鎖骨の下にある番紋を見せた。

「――あなた方が確認したいのはこれでしょう?」

従者たちは手元にある書類と照合し、フェリクス殿下に現れたものと同じかどうか確認した。

「ああ番様!よくぞご無事で。長らくの非礼をお許しください。フェリクス殿下が王宮にてお待ちです。」

従者たちは感無量といった様子だが、こちらにそのような思いはない。

「私は『最悪な番』なんでしょう?今さらなんだというのかしら。」

「その件については、殿下から詳しくご説明があります。ですので、まずは王宮までご同行を願います。」

「それ、私には選ぶ権利がないの?本当にどこまでも失礼な人達。」

従者たちは私が泣いて喜ぶとでも思ったのだろうか、困惑した表情を浮かべた。

それから辺境伯夫妻や子どもたちへの挨拶もそこそこに、馬車に乗せられ、王都に向かった。

王都では実家にもよらず、まっすぐ王宮に連れて行かれた。

「クロエ、我が番。――会いたかった。」

フェリクス殿下だ。銀髪は昔のまま美しいのに、その表情はやつれていた。すぐに抱き寄せられたが、全く感情が動かない。

「離してください。――『私が愛するのはマリエルだけだ』と仰っていたではありませんか?」

私の声が怒気をはらんでいたせいか、殿下が狼狽えた。

「違う。あれは誤解だ。あの女どもが私を誑かしたんだ。」

殿下自ら、事の顛末を説明してくれた。

異母妹のマリエルは魅了のスキルを使って、無意識に殿下を洗脳していった。彼女自身は自分の力に気づいていなかったそうだ。だが、その母親――父の愛人は、娘が自分と同じ魅了のスキルを持つことを知っていた。幼い頃からマリエルを王宮に送り込み、殿下を少しずつ籠絡していった。

マリエルがいつも身に着けていた母親とおそろいのルビーのイヤリングは、実は魅了の力を増強させる魔道具だったという。

「王族に精神魔法を使うなんて重罪だ。既に王命で処刑されている。君こそ私の番だ。もう何も恐れることはない、クロエ。」

「随分と王族にとって都合が良い話ですよね。番というのは。」

「……どうしてだ?君も同じように私のことを思ってくれているとばかり。」

殿下が深く傷ついたという顔をした。

「私は初対面で殿下に『最悪だ』と言われたんですよ。覚えていないかもしれませんが。」

「あれは本当に申し訳なかった。マリエルに魅了されていた頃の私は、私であって私でなかった。自分でも番の君にあんなことを言ってしまったことが、本当につらい。」

「そうですか。非礼への謝罪、ありがたく受け取っておきます。」

「君は番だろう?以前はマリエルと私がお茶を飲んでいるのを辛そうに眺めていたではないか。」

「あら?魅了されていても、そういうことは覚えているんですね。」

淡々と返すと、殿下の頬を一筋の涙が伝った。まずい。言い過ぎた。不敬と言われて、牢屋に入れられるかもしれない。なんと声をかけようか考えていると、隣にいた黒いローブの男がおもむろに口を開いた。

「私は王宮付きの魔術師セザールと申します。番さま、少し鑑定させて頂いてもよろしいでしょうか?」

彼が私の額に手を当てる。鑑定のスキルか。魅了と同じように希少なはずだ。

「番さま、まさかと思いますが、悪い魔女と何か契約をされませんでしたか?」

「悪い魔女?いい魔女の間違いではなくて?」

「やっぱり。こんな術式を扱えるのは、あの半地下の魔女しかいない。彼女はこの国の転覆を企む悪い魔女ですよ。まずは、あなたにかけられた認識阻害魔法は解かせて頂きます。殿下に番紋があるということは、あなたはまだ生きているはずなのに、どうしてその居場所が分からないのか不思議だったんです。」

セザールが呪文を唱えると私の周りに黒い靄が顕現し、瞬く間に霧散した。

「あら残念だわ。すぐにまた逃げ出そうと思ったのに。」

「あと……それと引き換えに、あなたは感情の一つを魔女に売り渡したのでは?」

「ええ。私はあの老婆に『愛情』を消してもらったの。恋心も嫉妬心もすべて消えて本当にすっきりしたわ。」

「愛情を?どういうことだ。セザール。」

「魔女の好物は、感情や魂です。それがいい魔力源になるのです。愛情を失えば、今後殿下を愛することも、御子を身ごもっても、我が子すら愛することができない。」

セザールはそう言いながら、青ざめていた。

「どうして誰からも愛されたことがない私が誰かを愛さなきゃいけないの?人を愛するなんてつらいだけ。こんな非対称性ないわ。」

殿下に強く抱き寄せられた。

「――そうか。残念だが、これは私に与えられた罰なのだろうな。君が愛してくれなくても、私は君を愛し続けると、ここに誓おう。だからどうか近くにいて欲しい。」

声色が悲しそうに震えていた。

私が『保護』されたと聞いて、すぐに父も登城した。

「クロエ!!無事だったのか。本当に本当に心配したぞ。」

「あのお父さまが私の心配ですか?それこそ『本当に』びっくりです。」

「長い間、すまなかった。あの女狐はとんでもない女だったんだ。お前はエリザベトの生き写しだ。彼女にも申し訳なかったと思っている。」

「お母さまは、お父さまの裏切りで気を病んで亡くなったと聞いています。私に謝るよりその墓前に謝ったらどうですか?」

「……クロエ?」

「私は、魔女に『愛情』を消してもらいました。こうしてお父さまと再会しても何の感情も湧きません。ですから私に謝るよりも、お母さまの墓前に謝った方がまだ意味があるのではと言っているのです。」

「なんということだ……。愛情を感じない人生など、色のない絵画と同じではないか。」

今までずっとマリエルばかりをかわいがってきた父が、初めて親らしい表情を見せた。それでも私の感情は一ミリも動かなかった。

「どうして誰からも愛されなかった私が誰かを愛さないといけないのです?私を縛るあの感情が無くなって、私はとても幸せです。」

「ク、クロエ……。」

それからすぐに、私はフェリクス殿下と婚約させられた。私の意思など関係なく王命で決まった。

本来、番はお互いに惹かれ合い、求め合うもの。だから制度もそれに合わせてできている。片一方に愛情がないということ自体、極めて異例のことなのだ。

そして竜族の番への執着は、とても恐ろしいものだ。私が一度、半地下の魔女と接触し、逃亡したということで、余計に王家を警戒させた。結局、私は王宮内に閉じ込められ、幽閉同然で生活することになった。

「あなたに言っても仕方ないことだけど、おかしな制度よね。番って。どうして『最悪な番』をこんなところに縛り付けておくのかしら。これじゃあ監禁だわ。」

侍女に愚痴をこぼす。

「番さま……。あれはフェリクス殿下の本意ではなかったのです。殿下は番さまのことを愛しておられます。」

「あらそう。今日の妃教育は午後からでいいかしら?午前中は本が読みたいの。」

「分かりました。教育係に伝えます。」

辺境伯家にいる間、家庭教師として、日々自分でも勉強していた。だからか、妃教育は聞いていたより楽だった。そのため多少の手抜きは許された。

殿下は少しでも私の機嫌を取ろうと、ドレスやアクセサリーをたくさんプレゼントしてくれた。私が甘いものが好きだと聞きつけて、毎日のように王都で流行っているお菓子や、紅茶も差し入れてくれる。

それ自体はうれしいし、殿下の気遣いに対して感謝の気持ちもある。でもどうしても彼を愛することはできなかった。

どうやって私の愛情を取り戻すか――それは王宮付きの魔術師の大きな課題になった。半地下の魔女も捜索されたが見つからず、色々な術を試されたけど、結局どれも効果はなかった。

私たちの結婚式は、フェリクス殿下の王太子就任と同時に執り行われた。

父と共にバージンロードを歩く。今までろくに愛情なんて向けてこなかったのに、こういう時は父親のような顔をするんだなと感心した。

「王太子夫妻万歳!」

「『王子さまと番』の劇みたいだわ。」

「キャー素敵。私も竜族に愛されてみたい。」

パレードでは国民たちが私たちを祝福してくれた。あの無茶苦茶な馴れ初めは都合よく『王子さまと番』という劇に書き換えられ、大ヒットした。

もちろん半地下の魔女は私をだまし隠した悪者で、国民たちは私が『愛情』を失ったことも知らない。本当にうれしそうに祝福してくれた。

「愛しているよ、クロエ。我が半身。」

私は何も返さなかった。けれどここから逃げたとしても、竜族は地の果てまで追っかけてくる。それならば、家庭教師と同じように、王太子妃を仕事だと割り切ることにした。

――国民の前で笑顔で手を振ることも

――フェリクス殿下の手を取り宴に参加することも

――彼と閨を共にし、子を成すことも

――義母である王妃さまのお話を聞くことも

――賓客をもてなすことも

――孤児院に視察に行くことも

全部仕事。そう考えると、愛情が無くてもその役割を果たすことができた。

私はすぐに懐妊した。国全体、お祝いムードだ。フェリクス殿下は特に喜んでくれた。それでも私は役割を果たしたという安堵感はあっても、腹の中でうごめく我が子を愛おしいとは思うことはなかった。

「もしかしたら、妊娠が契機で愛情の残渣が目を覚ますかと思いましたが、ダメでしたか。」

王宮付きの魔術師、セザールの鑑定もすっかり定期健診のようになっている。

「……そうか。だめか。」

殿下が私を抱きよせたまま悲痛そうに言った。

「クロエが腹の子を愛せなくても、私がその分愛するから心配するな。」

「心配ですか?何が心配なのですか?」

「……そうだな。変なことを言ってすまん。」

殿下の気持ちは分からないでもない。

いくらボールを投げても、それが投げ返されることはない。でも彼はボールを投げ続けなければならない。私が番である限り。だからある日、私は言った。

「殿下もセザールに言って、愛情を消してもらえばいいのに。楽になりますよ。」

「これは私が君とのつながりを感じられる大切な感情だ。消してもらう必要はない。」

「そうですか。」

「それにずっと水を与え続ければ、ある日芽が出るかもしれないからな。私は諦めない。」

正直諦めてくれた方が楽なのにと思ったけど、また泣きだすだろうから、あえて言わなかった。

生まれた子は男の子だった。王子の誕生で皆が喜んだ。でも赤子を見た私の表情を見て、殿下が言った。

「子育ては乳母に任せる。君は会いたい時だけ息子に会えばいい。」

「それは助かりますわ。」

実際は会いたい時なんてなかった。たまに乳母が連れてくるが、抱いても泣きわめくだけ。世の母親はこの生き物を『愛情』たっぷりに世話しているのだから、本当にすごいと思った。

その後も私は懐妊し、元気な子を三人産んだ。王太子妃としての仕事もそつなくこなし、国民たちは素晴らしい国母だと私を讃えた。

王が崩御すると、フェリクスが王になった。王妃としての仕事はさらに大変だった。でも私の口添えで外交が上手くいったり、各領の視察に行くだけでありがたがられるので、そこにやり甲斐はあった。

ある日、息子である王子に言われた。

「母上には人を愛するという感情がないの?」

「ええそうね。」

「かわいそう。代わりに僕が母上を愛してあげるね。」

それから王子は毎日のように小さな贈り物をくれるようになった。庭で摘んだ花に、私を描いたという絵。お世辞にも上手いとは言えないが、うれしそうに渡してくるので、一応部屋に飾ることにした。

従者たちはそれを感慨深げに見ていた。

***

それから数十年の時が経ち、私は死の淵に立った。結局生涯、私に愛情が戻ることはなかった。

「クロエ、しっかりしろ。クロエ。」

「母上!母上!」

私は彼らに一度も愛情のボールを投げ返すことができなかった。半地下の魔女はやはり悪い魔女だったのか、そう考えたこともある。

けれど、もしあの時、愛情を消し去らなければ、私はあれ以上生きていけなかった。それもまた事実だ。

「生まれ変わったら、また君は愛情を取り戻す。来世では必ず、君を、君だけを愛すと誓う。だからこの生の分も、互いに愛し合おう。」

来世か。そういえば、輪廻転生しても、この縁を断ち切ることはできないと半地下の魔女が言っていた。ではまた来世でも、私は彼と出会い、そして今度は――お互いをちゃんと愛し合うのだろうか?果たしてそれは幸せなことなのだろうか?

そんなことを考えていると、段々と意識が遠のいていき、私はそのまま永い眠りについた。