軽量なろうリーダー

【短編】支えるのが当たり前?そんな結婚生活なんてごめんですわ

作者: あさぎかな@電子書籍化、コミカライズ連載準備中

本文

「なんで皆、最前線で共に戦った聖女ではなく、あの女の肩を持つんだ? ここ数年でここまで王都が腐り切っているとは正直、落胆した。……俺の隣は聖女が相応しい。どうにかしてあの女から婚約解消を言い出さないか……」

サロンで話していた声を聞いた瞬間、私とあの人と一緒に過ごした時間は無価値なものに変わった。

『共に兄と義姉を支えていこう』

幼い頃、そう交わした約束も、遠征中ずっと祈って想い続けていた気持ちも全て過去のモノ。

まだやり直せる。そう思いたかった。

「貴方がそれを願うのなら、私も自分の本当の願いを貫いても良いわよね」

私の言葉は闇に溶けて、誰にも届くことはなかった。

***

リティーナ王国では紅茶と珈琲が有名で、穏やかな気候と画家や芸術家の工房が多いため絵画展を頻繁に行う観光名所にもなっていた。

しかし五年前、数百年は眠っていると言われたドラゴンが目覚めたことで、魔物が活性化し国境周辺への大規模な討伐隊が編成する運びとなった。

王弟であるブルクハルト殿下が最高責任者として現地に赴く。私はそれを見送り、物資や野宿に対して負荷が掛からないように、様々な開発および魔道具に力を入れた。

嵐や雪に耐えられるテント素材、室内の温度調整、持ち運びが楽な簡易ベッド、何より加工食品の瓶詰めや缶詰、冷凍食品などの改良にも成功したことで、騎士達の士気を維持し続けることができた。また病や怪我も薬草や回復薬をできるだけかき集めて送った結果だったと思う。

もちろん帝国から聖女や神官の派遣、公国から騎士団や魔法武具などの支援があったからこそ、被害も最小限に収まったのだ。

だから凱旋パレードで、ブルクハルト殿下と聖女が二人乗りしていたのを見た時は我慢した。護衛騎士及び、国王と王妃……いやパレードで花ビラを撒いていた王都住人まで複雑そうな顔をしていたが。

この国で婚約者がいる場合、平民でも異性との二人乗りは御法度だというのは常識だ。任務や仕事の一環でやむを得ない場合は別だが、凱旋という人の目がある場所で、仲睦まじい姿は顰蹙もの。

この国は神獣の血を引く者が多い。特に王家は神狼の性質を引き継ぎ、伴侶は一人。愛人や側室を儲けようものなら、退位に追い込まれることも珍しくない。

はるか昔、愚かな王が婚約者を軽んじて、愛人を愛でていたことで国を傾かせ、国が滅びかけた──という前例がまであるのだ。故にこの国では愛人はもちろん不倫や浮気は、一瞬で支持率が暴落する。

今まさに凱旋パレードで英雄という好感度から最低クソ野郎の称号にまで落ちている。そのうち花びらではなく、石が飛ぶんじゃないだろうか。

この国の恋愛傾向は、相手に一途として有名でもある。それは神狼の血を引いている部分が大きい。政略結婚もあるが、相手を尊重し大事にするというのは大前提で、遊び人は恋人、婚約者がいないこと、独身を決めている相手に限る。それでもかなり心象は悪いが。

今回の討伐は同盟三カ国との共同戦でもあった。帝国か大国の影響でも受けたのかもしれない。だから凱旋パレードは我慢した。

その後の出迎えにブルクハルト殿下は「ああ」で終わらせた。その後のお茶会、祝賀会、夜会……三カ月間、エスコートすらせず、当日に出られないだとか、予定が入ったなどとボイコット。

王弟の政務も、会議も、外交も婚約者の私が五年前から変わらずにこなす。それが当たり前だと言わんばかりで、いくら言っても「今までできていたのに、どうして俺がしなければならない」と言い切った。その上で「休息もさせてくれないのか」と三カ月丸々休んで口にする。

私は王宮に入って休める日は、数える程度でしたが。そんな苛立ちを抑え込んで「では私はいつ休めと言うのですか?」と呟けば「戦場に出たこともないくせに」と、言葉を拾われて責められる。

『俺が戦場に行けるのは、お前が残ってくれるからだ。戦場は違うけれど、お互いに頑張ろうな』

遠征に出るときに言った言葉を貴方は、もう覚えてすらいないのですね。自分だけが辛く過酷な道を歩いてきたと。

私は王族の仲間入りをしたわけでもない、公爵令嬢で婚約者なだけの小娘を王城に一人置いて行くことを──少なくとも遠征前の貴方は知っていたはずのなのに。

遠征から戻った貴方は、気遣いも、思いやりもない。

色々限界だったのだ。

常に周囲の目があり、タイトなスケジュールに減らない公務。そのほとんどが王族の印が必要なものばかりで、王妃や国王に許可をとるなど仕事を増やしてしまった。王妃は体が弱いので、王妃の仕事の補佐もしていたから、頼みやすくはあるものの、私に仕事を任せて申し訳ないと気を遣わせてしまうのだ。

国王は国王で多忙かつお目通りがそもそも難しい。これは側近の大臣が、私をよく思っていないことに起因する。大臣の娘が王弟に惚れ込んでいるから、私を失脚させたいと思っていると言ったところだ。

政略的な婚約だったけれど、お互いに思う気持ちはあった。少なくとも五年前までは──。

王弟殿下と私は婚約しているだけ。王族ではない。だからこそ、まだ鞍替えの可能性があると思ってしまうのだ。

「エレオノーラ様、あの男の首を」

「いいの。……いつもありがとう」

十年間、ブルクハルト殿下と婚約してからずっと私の護衛騎士フェルディナントは、いつも私の味方だ。褐色の肌に、黄金の瞳、白髪と異国の出身だけれど、いつも私のことを考えて動いてくれる。専属侍女のレティもそうだ。二人がいたからこそ、王城での生活もなんとかこなしてこれた。

「今は結婚していなくて、よかったと思っているわ」

今まで彼の隣に立っても、恥ずかしくない姿でいたい。そんな気持ちも、淡い恋も砕け散った。

***

祝賀会当日。

ドラゴンの討伐から事後処理を終えた騎士たちがようやく戻り、また討伐に協力した各国の代表を呼んでの大々的なパーティーとなった。皇帝と公王の姿もある。本来であれば私は王弟の婚約者としてエスコートされて入場されるが、彼の姿はない。

結局私は「公爵令嬢」という肩書きだけで父と兄、母と共に入場する。両親と兄にはこれまでのことを伝え、今日も同じようにエスコートしないのなら婚約破棄する旨を受け入れて貰えた。

父は打算的な部分があるので、今回のことで王家から散々搾り取ることに大賛成だったし、母は「愛が欠片もないなら良いんじゃない」とばっさり。母も父も良くも悪くも貴族として公爵家に非がなく、財政が潤うのなら何でもいいのだろう。下手に間を取り持とうとして失敗した兄よりは楽でいい。

「アーレルスマイアー公爵及びアーデルトラウト夫人、ご子息ツェーザル様、ご息女エレオノーラ様ご入場です!」

その言葉に全員がざわついた。無理もないだろう。

さすがにどんな馬鹿であろうとも婚約者がいるのに、婚約者を連れ添わずに公の場にエスコートなしで現れるなどこの国の常識としてあり得ない。それこそ婚約破棄されても仕方がない──相手の過失となる。

もちろん物理的に不可能な場合は、ドレスを自分の髪の色や瞳の色の物を纏わせる。誰の婚約者か、示すためだ。けれど今日私は真っ赤なドレスに、金色の薔薇の刺繍を施したものを着用している。私を着飾る物に彼の髪の色も瞳の色もない。

ブルクハルト殿下は黒髪で青い瞳をしているのだ。私の髪はプラチナゴールドの髪に、翡翠色の瞳。五年前までは彼の色のドレスを贈ってくれたけれど、今回はなかった。それが殿下の答えなのだろう。

周りの貴族たちも私の装いに色々と察したようだ。批難や中傷するような視線よりも、同情的な視線が圧倒的に多い。もう慣れた。

国王陛下と王妃の入場でも、王弟殿下は姿を見せなかった。本日の主役でもある彼は国王陛下の入場と乾杯の後で登場した。その隣には純白のドレスに身を包んだ聖女と一緒に。

「王弟ブルクハルト・ベルツ・バルシュミーデ殿下、……聖女テレーザのご入場です」

今日が結婚式とでも思っているのか、仲睦まじく微笑み合っている。正直嫉妬よりも「頭大丈夫かしら」と心配してしまう。すでに王侯貴族としてのルールを二桁は破っている。

周囲の視線など気にせず、祝賀会を楽しんでいる。和やかな音楽、豪華絢爛なパーティー会場、色とりどりの料理にワイン、紳士淑女の楽しそうな声。

賑やかな雰囲気のままで、祝賀会は終わる──はずだった。でもそうはさせない。ようやく姿を見せたのだ、ここで決着をつける。

「エレオノーラ・アーレルスマイアー、前に」

「はい」

周囲がざわついた。ついにきた、と周りの貴族も気付いたようだが、帝国や公国の使者、そして何故か王弟──ブルクハルト殿下は分かっていないようだった。本来なら聖女とスイーツを楽しんでいる場合ではないだろうに、何が起こるのか全く分かっていないらしい。

(本当にこの五年で彼は、この国のしきたりを忘れてしまったのね)

王家にも伝えておいたのだ。

遠征に出て五年間、そして王都に戻ってここ三カ月の彼の態度を。何度も話し合いを提案したが、彼に会えたことはなかった。

だからこそ確実に現れる場所で決着をつける。国の醜聞だろうが、言い逃れできないようにするため──それが公爵家及び私と王家の出した答えだった。

内々に話を進めることも失敗し、全くもって自覚のない王弟の目を覚まさせるための断罪。

「この十年、王弟ブルクハルト・ベルツ・バルシュミーデとの婚約、そして国に貢献したこと感謝している。だが愚弟の度重なる契約違反、及び公爵令嬢を軽んじる発言、政務の放棄──なにより最も許しがたい、婚約者が居る身で愚かな言動を積み重ねたことにより、此度は王家有責での婚約破棄を認める」

「ありがとうございます」

「──っ、お待ちください。兄上」

ここに来てようやくベルクハルトが声を上げた。何を言い出すのだろうか。

許しを乞う?

それとも逆ギレ?

「まだ結婚もしてないのに、婚約者であることを笠に着て好き勝手やっているエレオノーラに非がないというのですか? 王弟である以上、他の女性との関係も大目に見るべきでは? 幸いにも聖女テレーザは側室でも構わないといってくれ」

「愚か者が!!!!」

国王陛下が激高し、王妃は卒倒した。まさかこの国で側室制度がないことを知らないはずがないというのに、よりにもよって口にするとは──。

貴族で稀にそんな人間はいたが、あっという間に没落していった。他国ではどうか不明だが、この国では不貞は、もっとも許しがたい罪となっている。もちろん結婚後に性格の不一致や、もろもろの事情で離婚。あるいは思い人が出来た場合であっても、まずは関係を全て清算してからアプローチする。それが大前提の国だ。

それらをすっ飛ばして、王弟妃をお飾りと宣言し、側室を置くなどよく言えたものだ。

「なにを……。兄上も、この国も考え方が狭すぎる。隣国では一夫多妻などよくあることだ」

「であれば、お前は全てを捨てて国を出ればよかろう。この国でそのようなことは認められないし、認めるつもりもない。たった一人の伴侶に対して、お前はどのように考えているのだ?」

「国が決めた政略結婚相手だろう」

さらっととんでもない言葉を言う。

「いいえ。私とブルクハルト様はお互いの意思で婚約致しました。それも覚えていないのですね」

久しぶりに言葉を掛けたけれど、顔をしかめるだけでそこに愛など微塵も残っていなかった。それがまた悲しい。

「……覚えていないさ。そんな昔のこと。この五年、戦場で戦ってきた俺にとってこの国の考えも、認識も、法も窮屈だった。何もかも選ばれた中で決める。自由などないし、責務ばかりが重くのしかかってばかりだ。命のやりとりをして、心から相手に身を委ねられると思ったのは、テレーザだけだ。けれど責務を全うするのに、エレオノーラは必要なのだからしょうがない。形だけでも側に置くことを許す代わりに、好きなだけ贅沢な暮らしをすればいい。それでお互いに満足だろう」

なぜそれでトントンになると思ったのか。私は理解できない。

「私がいつ贅沢な暮らしを望んだのですか?」

「そのような服に身を包んで、なにが贅沢してない、だ。戦場では──」

「ここは王都のパーティー会場です。それに出るには、それ相当の礼服であるのは貴族として当然では?」

何でもかんでも戦場の話を出せばいいと思っているのなら愚かすぎる。彼はどうしてここまで愚かになってしまったのだろう。以前はもっと聡明で、少なくとも相手を軽んじることも、筋を通さないことなんてなかった。

(何がそんなに彼を変えてしまったのだろう)

「ああ、うるさい。お前は傍に居るのが当たり前だったんだ。これからも傍に居るのが当然なのに今さらいなくなったら、誰が俺の仕事を肩代わりするんだ」

「その隣の聖女がするのではないですか」

「お前は俺を愛していないのか?」

「はい」

「!?」

どうしてそこで驚くのだろう。あれだけ貶して、蔑ろにされて許すというのか。私は天使でも、神様でもない。

「もう愛しておりません。筋を通さず、他の女に走り、蔑ろにする伴侶など今後の人生を共にしたいと思いませんもの。何度も話し合いの場を設けるよう手紙も書きましたし、部屋にも訪れました。しかしそれを全て拒絶し、王弟の仕事を丸投げしたのは殿下でしょう。私も愛のない結婚など望んでおりません」

「……っ、ずっと愛していると、いったくせに」

なぜ昔のことを持ち出すのか。昔は愛していたけれど、今の殿下を見て愛するなど誰が出来るのか。

「殿下、私は貴方の臣下でもなければ、奴隷でもありません。無償の愛にも期限があるのです。家族や両親であっても相手を思いやり、気遣い愛情を返すことも必要です。愛情は相手が思いを返してくださるから、愛することを続けられるのですよ。少なくとも私は、そのような愛でなければ想い続けるなんて無理ですわ」

世の中には天使や聖女のような心の広く、懐の広い方がいるのかもしれない。けれど私はそうじゃないのだ。

「王家の、内情と仕事を知った今、そう簡単に婚約をやめることはできない。俺に構ってほしいから、婚約破棄などとだいそれたことを言い出したのだろう?」

それが殿下の切り札だというのなら、なんともお粗末すぎる。

「“虹精霊の雫”……。これで特定の人物に関わった一切の記憶は失います。この国で不貞は殺人の次に重い罪ですわ。不貞を働き、婚約破棄あるいは離縁する場合、被害者には国からこの雫が支給されるのを忘れてしまったのですか?」

「……!」

本気で存在を忘れていたのだろう。本当にこの五年で別人になってしまったようだ。私の知っていた殿下はもういない。

「殿下との縁が切れれば、同時に王家で学んだこと全ても消去されます。国王陛下及び王妃様からもこれらの雫を用いて、婚約破棄する承諾を得ていますわ」

「俺は認めていない!」

子どものように喚く。どうして急に認めないというのだろう。サロンでは婚約破棄を望んだくせに。

「もう殿下が認める、認めないではすまないのですよ。今までありがとうございました。どうぞ、思い人とお幸せに」

できる限り、丁寧に一礼して今回の騒動に幕を下ろした。

そう、ここで終わるはずだった。

「すまない、リティーナ王国国王。この婚約破棄について、我が国も謝罪しなければならないことが出来た」

「ケテルディア帝国、皇帝殿がいかなる理由で謝罪を述べたのですかな?」

皇帝は手を翳すと、白い法衣に身を包んだ青年が前に出た。

「そこにいる聖女テレーザが複数人の異性に対し、魅了魔法及び精神干渉をしているという分析結果が出ました」

聖職者による発言に、その場の空気が凍りついた。

「証拠を固めてから、内々に貴国と会談で話をする予定でしたが、思っていた以上に状況は最悪なものになっていたので、この場で明かさせていただきました」

その言葉に話が大きく変わった。

すぐさま聖女テレーザは捕縛され、王弟ブルクハルトは神官たちに治療のため隔離。「王弟殿下の支離滅裂な言葉は、全て聖女テレーザによるものでは?」という声がちらほら出た。

加害者ではなく被害者として王弟ブルクハルトに同情が浮上したが、それでも婚約破棄は覆ることはなかった。ただ作為的に、聖女の画策による部分を考慮して「婚約解消」となったが。

***

二週間後。

婚約解消となった後、私は予定通り“虹精霊の雫”を口にしようとしたが、王家はそこに待ったを掛けた。少しだけブルクハルト殿下との時間を作ってほしいと懇願されたのだ。

洗脳されていたから。

精神干渉によって操られていたから。

本心ではなかった──と、国王陛下と王妃様の言葉に、色んな思いを呑み込んでブルクハルト様と五年ぶりのお茶会をすることになった。

「本当にすまなかった」

「どうかしていた」

「図々しいことだとわかっている。それでも、もう一度だけやり直してほしい」

精神干渉が切れて、洗脳や魅了が解けたブルクハルト殿下は何度も頭を下げた。

「帝国や公国でのあり方を他の騎士たちに聞いて、自分たちの国が変わっていること。窮屈だと同意してくれて、いつしかその考えに染まっていったのだと思う。同時に常に治癒魔法をして傍に居た聖女テレーザの献身に、惹かれていったのも……俺が悪かった」

「そうですか」

聞いてもいないのに彼はべらべらと語る。

どんな返答を求めているのだろう。「そんなことないですよ」とか。ありえない。とにかく苦痛でしかない。約束の時間が過ぎるまで地獄が続いた。

しかもあの聖女と閨を共にしていたこと、聖女のお腹には王弟殿下の子が宿っている。それを隠したまま、私に謝罪する殿下にはほとほと愛想が尽きた。せめて最後ぐらい誠意を見せて欲しかった。

「謝罪は本当にそれだけですの?」

「……そうだ。俺が愚かだった」

「そうですわね。聖女と閨まで共にして婚約した時の契約すら守れず、それを隠して謝罪というのですから、どこまで馬鹿にされているのかしら」

「……! あれは俺の子供じゃない! 他にも数人の異性関係があった」

「……でも閨を共にしたのでしょう?」

「……それは操られて……」

都合が悪くなると言葉を濁して、黙り込む。本当に誠意をどこに忘れてしまったのでしょうね。

「国王陛下と王妃様の顔を立ててお会いしましたが、私に気持ちが戻ることはありませんし、今後殿下とお会いすることもないでしょう」

「エレオノーラ!」

それが全て事実だったとしても、それでも過去にしでかした事実は変わらない。傷ついた言葉も、思いもそう簡単には消えないし、忘れられるほど甘い物ではなかった。だからこそ私は傷ついた心をリセットするために“虹精霊の雫”を口にした。

そしてそれがブルクハルト殿下にとって、最後のチャンスでもある。全てを忘れた私に対して本当に思っているのか、あるいは上辺だけの気持ちだったのか。

本当にやり直したいのなら、記憶を失った私に一からアプローチをして、信頼を勝ち取ってもらいたい。五年前の殿下だったら、私の考えに気づく。

でも今の殿下の場合、可能性は低いだろう。それぐらいに変わってしまった。それでももう一度、信じられるかは、殿下の言動次第ですわ。

私(・) の(・) 十(・) 八(・) 年(・) 間(・) を(・) チ(・) ッ(・) プ(・) に(・) 賭(・) け(・) を(・) し(・) ま(・) し(・) ょ(・) う(・) 。

(その結末を、今の私がわからないのは少しだけ悔しいけれど)

**ブルクハルト視点**

エレオノーラが隣にいる。それが当たり前で当然だと思っていた。いなくなることなどない。それこそ翌日になったら、太陽が昇るのが自然の摂理のように、俺の隣にエレオノーラがいるのは当たり前と信じ切っていた。

それにエレオノーラは俺に惚れ込んでいる。いつだって俺が足りない部分を補って、俺の支えになってくれた。燃え上がるような思いはなくとも、共に兄と義姉を支えて、国のために生きようと誓った。

大切な存在だった。

いつからか、エレオノーラの笑顔を見なくなった。いつも元気で屈託のない笑顔を見せた彼女が淑女の──人形のような笑顔を向ける。立ち振る舞いも完璧で、どこか機械的で、表情も乏しくなった。

そのたびに自分と距離が出来たように感じてしまう。

エレオノーラは有能で優秀で、俺の足りない部分を助けてくれる。俺は剣の腕ばかりで、政治や交渉事は苦手だった。それでもエレオノーラが支えてくれて助かっているし、いつも傍にいてくれて嬉しい。

『王弟殿下にはもったいないお方だ』

そういった声が聞こえるようになってから、自分の中で何かが狂った。エレオノーラの隣に立つのは俺だけ。そう周りに認めさせるため、ドラゴン討伐に喜んで志願した。エレオノーラを一人残すことになるが、彼女なら何とかするだろう。そんな気持ちで、彼女と向き合うのを最初に放棄したのは俺だ。

ドラゴン討伐は過酷だが──悪くなかった。

テントや食料物資が途絶えることなく、ある意味環境的に悪くもなかったのだ。治療に必要な薬草や回復薬も潤沢だった。

ドラゴンは一匹ではなく、配下にワイバーンの群れを飼い慣らしており、それらを倒してようやく討伐が終わった頃には、五年の月日が経っていた。その頃には帝国や公国の貴族や騎士との交流も深めており、討伐が終わった宴では故郷の話になった。

「これで子どもに会える」だとか「妻が待っている」と言う言葉を聞いて、自分にも婚約者がいたことを思い出す。手紙も来ていたし、物資も送ってきていたが、ろくに目を通していなかった。むしろあの戦いの中ではそんな余裕もなかったし、面倒で返答も代筆を頼んだ。

「ブルクハルト様も故郷に待っている人がいるのですか?」

「ん、ああ。婚約者がいる」

そう呟いたときに、テレーザがとびきりの笑顔を見せたのだけは印象深かった。

テレーザがよく話しかけてきて、気にかけることが増えた。愛くるしい笑顔に、従順で甘え上手。エレオノーラにはないものだ。

それから王都に戻るまで窮屈な日々に逆戻りすると思うと、足が中々進まない。

テレーザは王国を案内してほしいというので、深く考えずに了承した。周りの騎士たちから批難されたが、恩人に対して失礼だろうと一喝したら黙った。

「ああ、エレオノーラ様がお労しい」

「あれだけ尽くされたのに」

こんなところまでエレオノーラの話が出てくるとは思わなかった。アレは王都の安全な場所で悠々自適に暮らしているというのに、騎士たちはこぞってエレオノーラを褒め称えていた。あれが何をしたというのか。

日に日に戦場にすら出てこなかった婚約者に、腹立たしく思うようになった。何もしていないのに、王弟の婚約者と言うだけでちやほやされている。

気付けばエレオノーラが憎くて「どうして婚約者なのだろう」と苛立ちと怒りでどうにかなりそうだった。顔を思い出すだけで苛立ち、声を聞けば癇にさわる。

俺が選んだんじゃない、政略結婚で選ばれただけの女。王弟妃の座を望む傲慢で、我が儘で、好き勝手散財する悪女。

王都に着く頃にはエレオノーラは悪女だと信じて疑わなかった。それが正しくて、愛する者と引き離される。なんとしてもテレーザだけは守らなければならない。

「そうだ。そんな悪女なら使い潰してしまえば良い」

なんと愚かな。

あまりにも愚かだった。

精神干渉、洗脳、魅了。それらがあったとしても心のどこかで相手を思っていたら、言葉にストップが掛かるという。けれど俺はそれがなかったそうだ。

心のどこかでエレオノーラに対して、疎ましく思っていたところがあったのだろう、と。「残念だ。あの子ほど君のことを真に思っていた女性はいないというのに」と、兄上には心の底から残念がっていた。

婚(・) 約(・) 解(・) 消(・) 。

それが操られていたことを考慮された温情だった。

自分が正気に戻って、自分のしでかしたことの大きさに後悔が募る。過去の記憶ばかり今になって蘇る。

俺はエレオノーラの何を見てきた?

あの子の頑張りを、俺は……一番傍で見てきたのに。

エレオノーラが心をすり減らしながら、頑張っていたのに。本来なら家族との時間、友人との時間、与えられた幼い頃の時間全てを王弟妃教育一色だったのをずっと見て知っていたはずだった。

王妃の体が弱かったからこそ、王妃を支えるためにそれらの教育も受けて、王家に尽くすために生きてきた彼女を、俺は踏み躙った。

「そんなつもりじゃなかったの! ブルクハルト様! 助けて!!」

聖女テレーザは全ての力を封じられ、処刑された。俺だけではなく帝国、公国でも王子や公爵令息などに同じことをしてきたらしい。帝国で似たような手口を行い追われたため、公国では冒険者ギルドに上手く取り入って戦場にきていたそうだ。より位の高い男に乗り換えようと企んでいたという。

帝国は逃げ出した聖女の行方を追っていたらしいが、名前や身分、髪の色まで変えていたことで探しきれなかった。王国にも数年前から懸賞金など警戒態勢を敷いていたが、まさか遠征にいるとは思わず確認やその事件との結びつきに気付くまで時間がかかったらしい。

俺は当初戦場から帰ってきたことで、人が変わったのではないか──と心配されていたそうだ。特に王国では神獣の血を引いているため、その側面で気性が激しくなる、荒々しくなるなどの症例があったらしい。だからこそ精神干渉や洗脳、魅了ではなく、長年の戦闘による後遺症、あるいは精神的な疲労から不安定になっているかもしれないと慎重になっていた。

エレオノーラが三カ月後に婚約破棄を言い出したのも、それらを見極めるためだったのだろう。

エレオノーラが“虹精霊の雫”を飲んで、王弟ブルクハルト・ベルツ・バルシュミーデを忘れて三年。

俺はエレオノーラのいなくなった分の政務と、再教育を受ける日々が続いた。最初は針のむしろで居心地は最悪だった。だが日々仕事をこなしていくうちに、少しだけ周囲の空気は変わった──と思う。

もっともすでに王家としての籍はない。あれだけのことをしたのだ。臣下として王家のために全てを捧げると誓い、今代限りの公爵として爵位だけを得た。

エレオノーラはどうしているのか。

あの後、一度も会えなかった。いくら記憶を失ったとはいえ、面会などエレオノーラの精神によくないと公爵家から返答が返ってきた。

何度か通ったが一カ月も経たずに、足が遠のいた。周りのガードが固いのが悪い。

妨害ばかりするから会えなかっただけで、本当は毎日会いたい。

手紙も最初こそ送ったが返事はない。反応がないとやる気が出ないのだと気付かされる。

でも俺はエレオノーラのように筆まめではないからしょうがないだろう。大体何を書けばいい?

謝罪か?

もう何度も口にしたし、反省している。記憶を失った彼女に謝罪をして心象を自分から悪くするなど愚行だ。時間をおけば警戒も緩んで、会えるんじゃないか。

大丈夫だ。エレオノーラは五年もずっと待っていてくれた。だから三年ぐらいなら余裕だろう。それに久しぶりに再会したほうが運命的じゃないか。

その日、不思議な夢を見た。

彼女が王弟妃として隣にいて、俺が傍でそれを眺めている姿を。

だからだろうか。気付いたら屋敷を飛び出していた。不思議と体が軽く、足取りも軽い。公爵家に向かったが、エレオノーラの匂いはない。

(エレオノーラ……)

ふと懐かしい香りがして、その匂いに引っ張られるように走った。

来る日も、来る日も走って王都郊外にある屋敷に辿り着いた。可愛らしい大きさの屋敷で白い小さな花が咲き乱れていた。そういえばエレオノーラはこういった花が好きだった。

『薔薇や百合は綺麗だけれど、私は小さくて可憐な花が好きだわ』

『いつか小さな白い花の花畑を作りたい』

そんなことを言っていた。

言っていたのに、俺は──そんな願いも思い出も忘れていた。今はよく昔の夢を見る。戦場では一度も見なかったのに。

俺が遠征で王都を離れるまでは、エレオノーラとも良好な関係だった。一緒にお茶をして、息抜きに市井に出てデートだってしたし、勉強だって──。

ずっと二人で頑張ろうと言ったのに、最初に約束を違えたのは俺だった。

俺がずっと、エレオノーラに甘えていたのだ。

「エレオノーラ」

「あら。アナタ、 庭(・) に(・) 子(・) 犬(・) が(・) い(・) る(・) わ(・) 」

子犬?

庭に出てきたエレオノーラは着飾った姿ではなく、動きやすい紺色のドレス姿だった。あれから三年経ってますます大人っぽくなり、美しかった。

なにより淑女のような笑顔とは違う。子犬というよく分からない言葉が聞こえたが、子犬でも迷い込んだか?

「私が見てきますよ。もしノラでしたら獣医に診せなければなりませんし、貴女に噛み付いたら大変です」

「もうフェルは心配性ね」

「このぐらい当然です」

フェル?

褐色の肌に、白髪の髪。間違いない、あの異国人であり護衛騎士だったフェルディナントか。しかしいつものような甲冑に身を包んでいないし、騎士服姿でもない。

いやそれよりもエレオノーラに近すぎないか?

思わず睨んでしまっていたが、フェルディナントと目が合った瞬間、俺に気付いたのかハッとした顔をする。俺が無断で来たことに眉を顰めるのも分からなくはない。本来なら先触れを出すべきだ。

「エレオノーラ、それとフェルディナントだったか。い、言い訳になるかもしれないが、その体が動いてしまってだな……」

我ながらなんとも情けない言い訳ばかり並べてしまう。しかしフェルディナントは俺の言葉を無視してエレオノーラの頬にキスをして、なにか呟いていた。

いやいや待て!

護衛騎士としての範疇を超えているだろう。庇護対象者に触れるなど騎士としてありえな──。

そこでようやく俺は、二人の左薬指に同じ指輪があることに気付いた。仲睦まじく微笑み合う姿を見ても、信じられなかった。記憶を失ってリセットしてもどこかで、そうどこかで淡い夢を見ていた。

エレオノーラは俺の隣にいなくなるはずがない。だから何をしても許される。そう思っていた。本気で。

ざっざっざ……。

俺の前に現れたフェルディナントは片足を立てて跪くと、俺と同じく視線を合わせた。

「ブルクハルト殿下。報告通りに神獣になられたのですね」

「は?」

「ああ、その反応からしてまだご自身が人だと思っておられるのですか?」

フェルディナントはどこか憐れんだ目で俺を見る。俺は人間だ。少なくとも昨日、鏡を見たときは間違いなく人間だったはずだ。

今自分の手を見るが人間──ではなく獣の前足だった。

「!?」

「王家の方々は神獣の血が色濃く残る。元々神獣が人となったのは、愛した伴侶が人だったから。神獣だった狼は生涯、ただ一人だけを愛すると神々に誓い、万が一その愛を偽り、見下し、愛などと到底呼べるようなものではなくなった時、その姿は再び獣に戻るという。貴方は最期までエレオノーラ様を自分の所有物としか思わなかったのですね」

「違う!」

そんなはずはない。そんなことは思ってない。

でも──。傍に居るのが当たり前で、俺を支えるのが当然だった。そういう環境だった。

「違う、と言いたげな顔ですね。ですがずっと見てきた貴方は一度でもエレオノーラ様を支えようと、守ろうとしましたか?」

支える?

守る?

誰を?

「は? エレオノーラは一人でも十分やっていける、俺が支えなくても、守らなくても自分の身ぐらい自分で守れるだろう。それにそうならないように護衛騎士のお前がいるんだろうが!」

支えるのは臣下の役目だ。

守るのは護衛騎士の仕事だ。

俺の役割でも仕事でもない。そもそもエレオノーラは弱くないし、俺と対等であることを望んだんだ。俺に支えられたら、彼女の矜持を踏み躙ることになるではないか。エレオノーラが俺を支えるのは──。

ふとどうして俺はしてもらうだけで、しようとはしなかったのか。俺が王弟だから?

そうだ。俺は支えられるべき存在で、エレオノーラは支える存在だった。俺たちの関係はそういうものだ。

フェルディナントは凍るような鋭い眼差しで俺を睨んだ。

「エレオノーラ様が強いとでも? 心が鋼だとでも? そんなわけないでしょう。なぜ殿下は自分のことばかりなのでしょうね。……ですが、一つだけ貴方には感謝しております。ブルクハルト殿下、エレオノーラ様を手放してくださってありがとうございます」

「手放してなど──」

「エレオノーラ様は王家に嫁がず、花を愛で絵を描く毎日を楽しんでおられる。先月ようやく私と夫婦になってくださって、一代限りですが子爵位も事業の功績によって得られました。もうブルクハルト殿下のエレオノーラはおりません」

「!?」

お前のじゃない。そう叫ぶがフェルディナントの表情が崩れることはなかった。

「私が生涯エレオノーラ様を支え、守り、ドロドロに甘えさせて、ずっと傍で愛し続けますのでご安心を」

ピシャリと現実を叩き付けられた。それでも未練がましく屋敷に残ろうとしたが、結局王宮に戻った。

王宮に戻る途中、遠征への資金援助はエレオノーラ個人の資金だったことを知った。雨漏りのない温度調整の出来るテント、ふわふわのベッド、栄養食、それら全てはエレオノーラが企画して、遠征軍に送っていたのだ。

だから遠征の騎士たちはエレオノーラを……。

何もかも後から知る。気付かされる。

俺はここまでエレオノーラに支えられてようやく立っていたというのに、自分一人で立っていると傲っていたのだ。愚かだ。あまりにも。

「あ。あ。あ。あ。あああああああああああああ!!!」

その日、王宮に戻り、俺は王弟ではなく神獣として迎えられた。罰を受けて王家を離れたというのに、結局俺は戻ってくる。なんとも皮肉なことだ。

神獣となった今、この国を守る存在として魔物や飢饉などの厄災から遠ざけるだけ。ただ伴侶を得る機会は永遠に失ったのだ。

いや、あの聖女の甘言に身を委ねて床についた時点で、その資格は永遠に失われたのだろうな。

自分から大切だった者を手放した。残る生涯、苦しみもがき、耐えろという。

俺のせいだ。

そう思い反省するが、ふと「どうしてこうなったのだろう」と疑問が浮上する。どこで間違えたのだろう。絶対におかしい。俺だけこんな目に遭うなんて不公平だ。エレオノーラは俺を愛していると言ったのに、支えると言ったのに、どうしてこうなったんだ?

約(・) 束(・) し(・) た(・) の(・) に(・) 。

エレオノーラに会いたい。もう一度会えばわかってくれるはずだ。だってエレオノーラはずっと俺の傍にいたのだから。俺を愛していると言ったのだから。

そう喚いても、誰も相手をしなくなった。離宮を完全に封鎖して、俺は名ばかりの神獣と扱われた。

そして兄は俺を表向き病死と公表した。俺はここにいるのに。朽ちる離宮と共に俺は瞼を閉じた。やり直したい──そう呟く声は誰にも届かない。

***

エレオノーラ・アーレルスマイアー。

公爵令嬢。

王都貴族学院を卒業。

父と母、兄の四人家族だ。

趣味は──花を愛でること、絵を描くこと。

好きな色は白。

好きな季節は冬。

それから、それから── 王(・) 家(・) の(・) 方(・) と(・) 婚(・) 約(・) し(・) て(・) い(・) た(・) ら(・) し(・) い(・) 。

「お嬢様、まだ体調が悪いのですから安静にしてください」

「 フ(・) ェ(・) ル(・) は大袈裟よ。もうあれから一カ月も経っているし、そろそろ外に出ても良いと思うの」

「!?」

護衛騎士のフェルディナントは、なぜか驚いていた。私、変なこと言ったかしら。幼い頃から私の傍にいて守ってくれる 護衛騎士(ナイト) 様。名前が長いから「フェル」と呼んでいたはず。

それとも今はもう呼んでいないのかしら?

両親から“虹精霊の雫”を飲んだと聞かされたが、私には長い夢を見て目が覚めた──という感覚だ。確かに色々抜けている部分や思い出せないこともあるけれど、日常生活は問題ないし、記憶の保管も不思議と残っていた。その殆どがフェルと一緒に居た時間なのだけれども。

「フェルは私をずっと支えてくれたし、守ってくれたもの。そりゃあ覚えていなかったら薄情じゃない」

そう言った私にフェルディナント──フェルは少しだけ泣いていた。男の人が泣くのを初めて見た気がする。頬から零れ落ちた涙がとても綺麗で、そして胸がギュッと痛くなった。

気付けば彼の頬に触れて涙を拭っていた。

「フェル、いつもありがとう」

「……っ、いいえ。いいえ、私は一番大事なときに、貴女様のお心を守れなかった。騎士失格です。申し訳ありませんでした」

そんなことはない。いつだって私の記憶の中にフェルはいてくれた。穴だらけの世界の中で、貴方の存在がどれだけ救いだったか。

雨の日に紫陽花が見たいと、言った私に傘を差してくれた。

レティの持って来たドレス選びに協力してくれたこと。

領地内の視察で市井に下りたときも、傍を離れないでいてくれた。

レティと一緒に夜食を届けてくれたこと。

暗殺者が襲撃したときに守ってくれたこと。

家族よりも長く傍で支えて、守ってくれた。

少なくとも私は一人じゃなかったの。

友人の顔も、専属侍女のレティも覚えている。

「本来なら護衛騎士を辞するべきなのに……」

「そんなことないわ。フェルが護衛してくれたからこそ、私の記憶は空っぽじゃなかったんだもの」

記憶の保管にフェルが中心となっていた。きっと以前の私はフェルを頼りにしていたのだろう。そしてずっと傍に居る安心感に支えられていた。

それは愛とは違うのだろうけれど、心の支えであったことは間違いないだろう。

今は恋とか愛に時間を傾ける気持ちは湧かない。けれどもし、もう一度誰かを好きになるのなら──私は……。

「でも、そうね。すぐじゃないけれど、もし……責任をとってくれるのなら、助かるわ。婚約解消した令嬢なんて、売れ残りそうだもの」

「貴女様に限ってはないかと」

フェルは苦笑するも、すぐに真っ直ぐに私を見返す。

「けれどお許し頂けるのなら、全力で貴女様を生涯愛し、支え、守り、一緒に歩みたいと考えています」

「ふぁ」

ストレートな言い回しに頬が熱くなる。

「そ、そうね。今はバタバタしているし、いろいろあるもの。その……落ち着いたら……お父様たちに相談……してみましょう」

「ええ」

“虹精霊の雫”を口にしたあとですぐに婚約というのは外聞が悪い。どれだけ相手が悪かろうと、体裁は大事だ。特に貴族なら。

私としてはまったく記憶がないので、傷心とかない。雫の効果は一途で情に厚い人のための救済処置で「今度こそ良い人生を」という部分が大きい。昔、心を病んでしまった令嬢や令息がいたからだ。

一度壊れたものをなんとかしようとするのには、膨大なエネルギーと時間が必要となる。愛がなくても情が残っているからと再構築しても破綻することが多いらしい。

結局、問題を起こした本人が改めて、変わらないと意味がないのだ。それをいうと私の相手はダメだったらしい。面会謝絶で簡単に心が折れて、都合の良い言い訳を並べたとか。

根性のない。

それと現在王家はてんやわんやらしい。きっと私の抜けた穴を塞ぐのに忙しいのだろう。私、優秀だもの!

学院でも上位で卒業したのですから!

自由になった今、何をしようかしら。花を愛でるのも良いけれど、ああやっぱり絵が描きたいかも。スケッチでもいいわ。

それに事業もやってみたいし、旅行! どこか知らない場所に行ってみるのも楽しそうだわ。美味しい物も食べてみたい。レティが言っていた「激辛カリー」という料理があるらしいし、どんな味なのかしら。

本も読みたいわ。恋愛小説。とびっきり甘い感じの。

「エレオノーラ様。……今は混乱もあるでしょう。ゆっくりで構いません。ゆっくり時間をかけて私個人を知っていただくところから始めさせてください」

「……!」

はにかんだ笑顔はとても狡いと思うのだ。

私が恋をするまでどのくらい時間がかかるか分からないけれど、その過程も含めて楽しみたいと思うのだ。