軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3

魔術師塔は学園からスカウトを行っている。

他の公立・民間の学校や冒険者からも優秀な魔法使いを拾い上げているが、将来魔術師塔の中で魔導士となるようなエリートはそのほとんどが王立学園の出身者だ。だからこそ貴族達も、自分の領地で魔力が特別強い平民が見つかったらわざわざ自分が後援になって王立学園への入学をサポートするのだ。

わたくしも、ユーリスを除けば国一番と認められた魔力があったため、当然いつか魔術師として活動するものだと思っていたし、魔術師塔には憧れがあった。

だから魔法術がろくに使えないこの体になっても、魔術師塔から学園にスカウトのための視察が来る、という連絡には心が躍った。

この体には魔力も、魔法術に耐える体力もないけれど、元々わたくしが持っていた類まれなる才能を見抜かれてスカウトされてしまったらどうしようか。王太子妃との両立は難しそうだから、名誉顧問だったらなってもいいかしら。そんな事を考えながら魔術師塔からやってくる一団の名簿を確認していた所、今私が最も見たくない名前が載っていたのだ。

「あの女……!」

そう、リストの一番下に……マリアンヌ・ヘクト・ボヌフォワと、確かにそう書かれていたのだ。わたくしは苦々しい思いでその文字を見つめた。

何をしに来るのかしら……目障りな女。でも、大丈夫よね。口封じの呪いはまだしっかり効いているはず。もし綻んできていたらかけなおせばいい。

そうよ、わざわざ足を運んで確認する手間が省けたと思えば良いんだわ。エリオットやお母様達は騙せたみたいだけど、学園の皆は「マリアンヌ」が何をしたかをしっかり知っている。呪いを強固にかけ直した上で、わたくしの領分でしっかり叩き潰してあげる事にしましょう。

そうして迎えた当日、魔術師塔からの一陣が到着した講堂は期待と興奮で騒めいていた。いつも模範的な学生達であるが、華々しい活躍を耳で聞く機会も多い魔術師塔の存在は、魔術師を目指している者だけではなく、憧れている者も多い。

今日はここで魔術師塔の活動について等、少し話を聞いた後、希望者は鍛錬場に移動して魔法術を実際に見てもらえる事になる。将来有望な学生は、他の学生の前から魔術師達から卒業後の勧誘を受けるという、とても名誉ある扱いを受ける事ができるのだ。

この後に期待した学生たちの騒めきの中、わたくしは生徒会の役員として彼らの対応をしていく。魔術師塔の揃いのローブに身を包んだ者達の顔を一人一人舐めるように見ていって、そこにユリアが……「マリアンヌ」となって生きているあの女を探したのだ。

けど、そこにはわたくしの見覚えのある顔はいなかった。女性は何人かいるけど、どれも違うわ。なぁんだ……名簿にあっただけで、実際に来るわけないわよね。よく考えたら当たり前よ、だってあんな事をしておいて、学園に足を踏み入れられる訳ないもの。

わたくしはホッと安堵すると肩の力を抜いた。心配事がなくなったら、途端に気が楽になったわ。わたくしもこの後鍛錬場で魔法術を披露する学生に交ざってあげようかしら。

でも、王太子妃じゃなくて魔術師になりたがってると思われたらレオン様に心配されちゃうわ。わたくしは、生徒会役員の並びで隣に座ってるレオン様にチラリと視線を向けた。

彼はね、あの女が来るから、またわたくしが害されないようにって視察に立ち会ってくださる事になったの。王太子の公務として王立学園に来ているのだけど、もう、過保護よね。来ないんだったら、ご足労願わなくても良かったわね。でも、平日にレオン様に会えて嬉しいわ。

わたくしは弾む心を何とか押しとどめて、前を向いた。

講堂の壇上には、魔術師塔から派遣された魔術師達が並び、前に立った若い男性が一人一人紹介をしていく。わたくしはそれを気負わずに聞いていった。あら……今司会進行のような事をしている方、とっても素敵ね。グレーがかった青い髪に、薄い灰色の瞳がセクシーだわ。じっくり見ていたら目が合ってしまって、少し気まずくなった。やだ……わたくしは王太子妃になる身だから、恋慕を向けられても応えられないのに。困るわ。

あら……あの女……。

視線をずらした先で目に入った女に、わたくしは苛立ちを覚えた。何あれ、魔術師として学園に来ているというのに、変に意識して美しくしちゃって。

深い紺色に銀の刺繍で装飾が施された魔術師塔のローブ。化粧やアクセサリーも着けていないのだけど、嫌に目立つ。魔術師、強者として存在感を発する集団のその中でもひと際目を引いた。

豊かに波打つ髪、細い顎。体形を隠すローブの上からでも分かる、健康的だがスラッと伸びた手足に、胸は大きいのに細くくびれた腰。姿勢よく立つ彼女の姿は、まるで女神のような神々しさを放っていた。

……自分の美しさを分かっていて、あえて着飾らない、と見せつけているその気取った感じが何より腹が立つわね。

「最後は彼女。ついこの間までこの学園にいたので顔見知りの学生も多いだろうが、マリアンヌ君……我が魔術師塔にいる中で一番の新入りになる」

「……皆様、お久しぶりです。マリアンヌ・ヘクト・ボヌフォワです。今日は魔術師塔の新人として視察に参加しました」

「な……?!」

頭を下げるその女の言っている事が一瞬では理解できなくて、わたくしは大きく開けた口のまましばらく固まってしまった。

……あれが、マリアンヌ?! 嘘よ、嘘に決まってる。だって、マリアンヌはもっと太ってて、顔だってあんなに美しくなかったわ!

一緒なのは、髪と目の色だけじゃない!!

イザベラも、レオン様も、他にもマリアンヌの事を知っている学生達は大きく騒めいた。それに触れる事はなく、前に立っているメイローと名乗った男が予定通りの質疑応答に進めてしまう。

それによって学生達は、まだ戸惑う者達が強かったものの、魔術師への興味関心の方が勝ってマリアンヌへの注目は次第にひそやかなものになっていった。

「大丈夫か? ユリア。顔色が悪い」

「あ……マリアンヌ様に怪我を負わされた時の事を思い出してしまって……」

わたくしは優しく尋ねて来るレオン様の手に縋った。

「それは良くない。医務室に行った方が良い」

「いいえ……いいえ! 大丈夫ですわ。生徒会として、役目を遂げさせてください」

冗談ではない、わたくしの目の届かない状況を作って、あの女と接触させるわけにはいかないわ! わたくしは体調不良を押して、健気にその場に残る事を決めた。

「魔術師塔での研究内容について教えていただけますか?」

「最近どんな魔物を討伐しました?」

「短縮詠唱が出来ないと魔物討伐で活躍できないって聞いたんですけど、短縮詠唱のコツを教えてください」

そんな、呑気な学生たちの質問がわたくしの耳を素通りする。わたくしの意識は、先ほどマリアンヌだと名乗った女に注がれていた。

いいえ、わたくしだけではない。他にも、魔術師に熱心に質問する学生達以外のほとんど今のマリアンヌに目を奪われていた。

「ねぇ、あれって……本当にマリアンヌ様よね……?」

「まるで別人みたい……!前は、もっと……こう……ふくよかだったし」

「あの美女がボヌフォワ公爵令嬢って、嘘だろ……」

「でも、声は一緒だったよな。見た目だけじゃなく居佇まいとか、態度も別人だけど」

「美しいだけじゃない、近寄りがたいような気品も感じるわ」

タイムスケジュールが動き、講堂から移動するタイミングになっても驚きと熱は冷めない。

それは、鍛錬場に場を移しても変わらなかった。魔術師の言葉をそっちのけでコソコソ話をする学生達に苦笑したメイローが、それを見てパン、と一つ手を叩く。

「きっと、マリアンヌ君に聞きたい事があるんだろう。彼女はとても魅力的になったそうだからね。でも個人的な連絡を取りたいなら、これが終わってからにして欲しいかな」

その言葉にあの女は恥ずかしそうにしていたものの、少し笑いが起きた。マリアンヌに見とれていた男子生徒達は、決まりが悪そうにしている。

そんな場面を見て、わたくしは心中穏やかでいられなかった。

は? どうして、あの女が人気者、みたいな立ち位置で話が進むわけ? おかしいでしょ!

「でも、彼女からは伝えたい事があるらしい。これからの進行をスムーズにするため、いいですか? 局長。ありがとうございます」

一度後ろを向いたメイローに目で合図を送られたあの女が一歩前に出る。わたくし達を見回して、緊張した面持ちで口を開いた。

「皆さん、私はユリア様に傷を負わせると言う大罪を犯しました。ユリア様、大変申し訳ありませんでした。今は心を入れ替えて、魔術師として、そして一人の人間として、この国の利益になる行いをしたいと思っています。どうか、今の私を見ていただければ幸いです」

そうして深々と頭を下げる。

その言葉は、ざわついていた鍛錬場に静寂をもたらした。

「……反省、してらっしゃるのね」

「ええ……声も、震えてらしたわ。嘘ではないように思えます」

誰かがぽつりと呟くと、それに頷くように、ちらほらとあの女の肩を持つような発言が聞こえて来る。

あの女は、わたくしの体で美しくなっていた。

わたくしが捨てたはずの、醜くて、不幸で、誰からも愛されないはずの体で。

そんなの、あっていいはずがない。

わたくしは間違いを正したのよ。ユリアに不当に与えられていた幸福を、本来の持ち主であるわたくしの手に戻したの。

それなのに、どうしてあの女は、まだわたくしの前に現れるの。どうして、わたくしが捨てた体で、また褒められているの。

わたくしが捨てたものを使って人から評価されるなんて許せないわ!

「前のマリアンヌ様なら絶対にあんな風に謝らなかったわよね」

「変わったよね、本当に……。すごく、綺麗になったし……人としても」

「なんだか……私、ちょっと感動してしまいましたわ」

あんなに「マリアンヌ」を嫌って、憎んでいたのに。あんなにわたくしを嫌悪していたくせに!

愚か者達はまた騙されている! 前の、わたくしがマリアンヌだった時と同じ! あの女の巧妙な仮面に騙されている!

ざわついていた雰囲気はやがて柔らかなものへと変わっていった。いつの間にか、あの女には好意的な目が向けられている。

こんな事、あってはならない。許せない! あの女が美しい姿を手に入れて、魔術師として評価されて、「マリアンヌ」を嫌って迫害していた学生達にも受け入れられるなんて!!

「マリアンヌ様は今、魔術師塔でどんな研究をされているんですか?」

「呪いや悪しき魔術に打ち勝つ方法について調べていますわ」

その言葉にわたくしは背中に氷を差し込まれたような気持になった。

あの女が、わたくしの幸せを脅かそうとしている。惨めに不幸にさせるためにかけた呪いを解いて、わたくしの幸せを奪うんだわ。そうに違いない。

魔術師達に卒業後のスカウトをされる学生達の嬉しそうな顔が目に入らないくらい、わたくしは追い詰められている。

地面を踏みしめて立っている感覚がない。目が回って倒れてしまいそう。

魔術師達が帰る頃になっても、わたくしの心は焦燥感に駆られていた。彼らに「今日は貴重な機会ありがとうございました」と挨拶する時にも笑顔を作れていたか自信がない。

「エリオット」

「姉上」

「今日はお父様が、早く帰るから一緒に夕餉を摂ろうっておっしゃってたわ」

「そうですか。なら俺も、生徒会の仕事で遅くならないようにします」

仲良くそう話す二人に、頭の血管から血が噴き出そうなほどに怒りを感じた。

お前、お前、わたくしにはそんな穏やかで嬉しそうな顔を向けた事なかったくせに。見下しと、嘲笑と、諦めしか浮かんでいなかったわ。どうして、どうして。

「マリアンヌ。報告は受けていたが、信じられなかった。けど今日君を見て、考えを改めたよ。君は……変わったんだな」

「レオンハルト殿下」

二人に近付く姿があった。わたくしの、愛おしい人。誰よりもその心を欲した方。そのレオン様が、あの女に歩み寄る。わたくしがわたくしだった時は向けてくださった事のない優しい瞳で。

「本当に、別人みたいだな。こうして友人として会話が出来る事を、嬉しく思うよ」

「殿下にも、長年ご迷惑をおかけしました」

「俺の事をもう好きだと言ったりしない、その理解で良いのかな」

その言葉に、あの女は微笑むだけで言葉を返さない。それを見て、レオン殿下は戸惑いと寂しさが入り混じった柔らかな笑みを浮かべていた。

「ねぇ、ユリア。マリアンヌ様、とっても穏やかになってたわね。ユリアにきちんと頭を下げて謝罪したし……レオン様とも挨拶しかしなかったの、驚いちゃったわ」

「……」

魔術師達とレオン様を見送って生徒会室に戻ったわたくしは、まだ衝撃が抜けきらずに自分の席に着いたままぼんやりとしていた。

今日の視察の報告書をまとめる必要があるのに、手は動かない。

「更生してるって聞いた時には疑ってたけど、本当だったのね。それに、彼女ってすごい美人だったのね、痩せて綺麗になってたし、それもびっくりしちゃった」

まるで、それが喜ばしい事のように語るイザベラに、わたくしの我慢は限界を超えた。

「あんな急に痩せるなんて、絶対おかしいわ! どうせ、変な薬でも使ったんでしょう、すぐに元に戻るわよ。今の態度だって、一時的に猫を被ってるだけに決まってるわ」

そうよ。おかしい。わたくしがあの体だった時は、何をしても変わらなかった。高いお金を出して商人から買った薬だって何回も試したわ。飲むものだけじゃなくて、塗るものや入浴剤として使うものもあった。だけど効果があった事なんて一度もなかったわ。

なのに痩せただなんて、わたくしでさえ手を出さなかった、非合法の薬を使ったに決まってる。

あの女が賞賛されているのに耐えられなかったわたくしは、強い語気でそう断言した。

「変な薬だなんて……さすがに失礼すぎるわよ、ユリア。どうしちゃったの?」

「ああ、今のはちょっと看過できかねます」

戸惑う二人の顔を見て、わたくしはやっと自分がマズイ事を口走った事に気付いた。しまった。あからさまな言葉じゃなくて、もっと「普通じゃ手に入らない薬」とか、ぼかしておくべきだったわ。

「……わ、わたくし。体調を崩したせいで、最近すごく体つきが変わってしまって、精神的に不安定になってたの。それで、痩せたマリアンヌ様が羨ましくて、つい」

「けど、薬物に手を出しただなんて、疑うだけでも酷い侮辱ですよ」

「……」

エリオットの指摘にわたくしは下を向いた。ああ、うるさいわね! あの女の事なんだから、言われるがままにしておけばいいでしょ?!

「ねぇ、イザベラも。あんなに急に痩せて綺麗になるなんて、何か理由があるって思うわよね?」

「退学になってから三ケ月近く経つし……きっと、健康的な運動や食事を心がけて頑張ったんでしょう。何もおかしくないわ」

「でも……」

「私は、応援したいわ。人って、変われるんだって思ったし。マリアンヌ様が反省して、心を入れ替えて素敵な人になってくれたのなら良かったじゃないの。カッとなってユリア怪我をさせたのは良くないけど、もう退学という罰は受けてるんだし」

味方だと思ってたイザベラの酷い裏切りに、わたくしは目の前が真っ暗になりそうな思いだった。

どうして……どうしてわたくしの幸せを壊そうとするの。

もう、レオン様の愛情しか信じられるものがない。けど、わたくしの胸には、魔術師塔に帰るあの女に向けたレオン様の表情が突き刺さっていた。

わたくしには分かる。あれは……「マリアンヌ」が自分を好きじゃなくなったのを惜しむ顔だったわ。

「美しくならないと……レオン様が、あの女の方を見ても後悔なんてしないくらいに」

その一心で、わたくしはその日帰宅してからすぐダイエットを始めた。

人に当たれなくなったせいで唯一ストレスのはけ口になっていた甘味を一切やめた。いいえ、それだけじゃない。口に入れる物を限りなく減らして、体重を減らすために全力を傾けたのだ。

「ユリア! 最低限の食事はきちんと摂りなさい! 体を壊してしまうわ!」

「うるさいわね、お母様も痩せろ痩せろって言ってたでしょ!」

部屋の外に勝手に置かれる食事も一切手を付けない。学園では空腹と戦い、家に帰るとわたくしを醜く太らせようとするお母様やケリーと戦い。

疲れ果てたわたくしはある日、授業中に意識を失い、倒れてしまったのだ。

強制的に帰宅させられた後、医師の診断を受けた結果、栄養失調と過労が原因と判明した。わたくしが体を横たえるベッドサイドで、テネブラエ夫人が泣く。

「あなたの体が一番大切なのよ。痩せろと言っていたのも、健康に過ごして欲しいからで。こんなに、倒れるまで無理をするなんて……」

うるさいわね……。

わたくしはそっぽを向いて、そんな事を考えていた。寝ている間に強制的に何かを口に流し込まれてしまったようで、気分が悪い。もう少しで切りの良い数字まで体重が減る所だったのに、これできっとまた少し戻ってしまったわ。

「だって……マリアンヌが痩せて美しくなっていたのよ。それを見て……レオン様が、惜しむような表情をしたの……」

「ユリア……」

テネブラエ夫人はその言葉を聞くと一層強く嘆いた。

「ユリア、今日レオンハルト殿下がお見舞いに来ますからね」

「レオン様が?!」

その言葉に、わたくしは今すぐベッドから飛び起きたいくらいの歓喜にわいた。

実は一度倒れて堰を切ってしまったようで、わたくしの体は酷く弱ってしまったの。

ベッドから起き上がるだけで息が切れるようになって、わたくしはここ数日体調不良で学園を休んでいた。でもあれから食事をほとんど口にしていないから、また少しは痩せてきたわ。これならレオン様にお会いしても大丈夫かしら。

まったく、もうちょっと前に教えてくださればいいのに。身嗜みを整える時間は間に合うかしら。

その日の午後、わたくしの部屋にレオン様が見舞いに訪れた。寝付いていたのだから肌に負担のかかるお化粧はやめなさい、と止められてしまったけど。今のわたくしはちゃんと美しく見えてるか心配だわ。

わたくしは、心配そうな表情でベッドサイドにやって来たレオン様の手を受け入れて握り締めた。わたくしを見つめる瞳を見て安堵する。ああ、ちゃんと、心から愛する人を心配する目だわ……。

「レオン様……」

わたくしは、か細い声で呼びかけた。白い寝間着の胸元に手を添え、少し弱々しく、そしてどこか儚げに見えるように顔を傾ける。

「どうして、こんな無理をしたんだ?」

「……痩せて……レオン様に美しいと思ってもらいたかったの」

レオン様の声には静かな哀しみが滲んでいた。ああ、愛されているのだ、と実感がじんわり広がる。

涙を浮かべてそう言うと、レオン様の表情が曇った。繋いでいないもう片方の彼の手がわたくしの額を優しく撫でて、小さくため息をこぼす。

「ユリア、そんな事……君は十分に魅力的だよ。君が無理をして身体を壊す方が俺は悲しい」

「でも……私、少し、体形が変わってしまったの。もっと綺麗だったはずなのよ、なのに……学園でだって、きっと噂されてるわ」

「気にしなくていい。人の目なんて。俺は、ユリアが健康でいてくれる事の方が嬉しいよ」

レオン様の手が、私の頬を包む。わたくしの大好きな、甘やかな青い瞳が至近距離で見つめる。

「でも……でも、レオン様だって、前のわたくしの方が美しかったと思ってるんじゃない? 痩せたあの女……今のマリアンヌの方が美しいと思ってるんでしょう?」

「いや……痩せてる方が美しいとかは、一概には言えないし――」

「ほら! やっぱりレオン様も、太った今のわたくしは醜いと思ってるんだわ!」

「そんな事ないよ。今の少しふっくらしたユリアも可愛いよ」

「なら、そう言って」

「え?」

興奮して涙が出て来たわたくしを、宥めるようにレオン様が抱きしめる。でもわたくしの理性はそんな事に騙される事なく、確かな愛の証拠を求めた。

「今のわたくしの方が好きだって……今目の前にいるわたくしを愛してるって……言って……!」

泣きながら愛の言葉をねだるわたくしに、レオン様は少し笑みを浮かべると優しく囁いた。

「……今の君が好きだよ。少しふくよかになったって、君は君だ。愛してるよ」

甘く、愛情を乗せた声。それがわたくしの鼓膜を叩いて、目が更に潤む。

「レオン様……本当に、そう思ってくださってる……?」

「ああ。もちろんだよ」

「なら、証拠をちょうだい」

「え?」

「愛してるって証拠が欲しいわ」

わたくしはそう言うと、そっと目をつむって唇をほんの少し付き出した。

しかし、いつまで経っても待ち望んだ感触はない。

「ユリア……ダメだよそんな。信頼して二人きりにしてくださったテネブラエ夫人を裏切るような真似は……」

応えてくれないレオン様の言葉に、わたくしは更に涙を流した。

「うっ、うう……やっぱり、醜く太ったわたくしには、口付けしたくなんてないのですね……」

「そ、そんな事ない。ユリアを愛する気持ちは変わらないよ」

「なら、証拠をくださいませ……!」

レオン様は、戸惑っていた。けど更に強くねだるととうとう根負けしたようで、ゆっくりを身をかがめて……わたくしに口付けた。首筋からほのかにコロンの匂いが香る。きっと、ユリアだってこんなに近い距離でレオン様と接した事はないはずよ。わたくしは仄かに優越感が胸に灯るのを感じた。

柔らかく、薄い唇が触れる。お互いの頬の産毛が触れ合う感触すら伝わって来そうだった。ああ、なんて……なんて幸せな時間なのだろう。たった今この時間に世界が終わって欲しい。この完璧な時間で世界を終わらせたい。

もっと幸せな方へ、もっと強い幸福感へ、吸い寄せられるようにわたくしはレオン様の首に自分の腕を回して力強く抱き寄せた。体を離そうとするレオン様を許さずに、引きずり込むように。首元をきっちりと覆う寝巻のリボンをほどいた。

「ユリア、それは……」

体に、わたくしの柔らかなふくらみを押し当てられたレオン様が困ったような声を上げた。

「お願い、レオン様……わたくしを愛してるのでしょう? 前のユリアじゃなくて、今のわたくしを愛してくれているのでしょう?」

「……」

「もっと確かな証拠をいただかないと。でないとわたくし、信じられないわ。愛しているのに、わたくし貴方をこんなに愛しているのに、レオン様は違うの? ねぇ」

「ユリア……」

「レオン様も裏切るの? わたくしから……そんなの、許せない。レオン様の愛を失うくらいなら死んでやる! 今すぐ死にたいわ! 殺して!!」

それからもしばらく問答は続いた。けどわたくしは、一歩も譲らなかった。愛を確かめたいと、証拠が欲しいと、証明してくれないと信じられないと言い続けると、やがてふっと抵抗の力が解けたのだ。

――ほら、やっぱり。

レオン様は、ちゃんと今のわたくしを愛しているのよ。前のユリアじゃなくて。わたくしが。

これでいいのよ。わたくしが、今本当に愛されているのは、今のわたくしなのだから。

「やっぱりダメだ、婚前にこんな事を……」

「イヤッ! やめないで……! わたくしを愛してるって証拠をちゃんとくださらないと許さない!」

途中、レオン様が我に返りかけた。わたくしはそのたくましい胸板にすがりつく。背中に回した指が汗ばんだ肌に触れた。抱き合うと素肌が触れ合って、お互いの熱が伝わる。この熱でレオン様の理性を溶かしてしまったのね。

なんて幸せな事でしょう。ああ、ああ、今度こそ、一つになったまま世界が終わって欲しい。

「レオン様、愛してる」

「……じゃあ、俺は城に戻るよ。俺がちゃんとユリアの事を愛していると分かっただろう? これでもう、死ぬなんて言ったり、無理な食事制限をしたりしないね?」

「ええ、誓いますわ」

わたくしは満足げに微笑んで、最後に彼の手を少しだけ強く握った。嬉しそうに頬を染めながら、目をじっと見つめ返す。少し切なげな青い瞳が、わたくしを見つめていた。

この温もりを絶対に手放すものかと、心の奥で固く誓いながら。

「無理に痩せなくても、ユリアは十分綺麗だし、俺は君の事を愛しているよ」

レオン様の優しい言葉に、わたくしの目から涙が溢れた。体に残る鈍い痛みと違和感だって、レオン様がわたくしに愛情を注いでくださった証拠だ。それを思うと、わたくしはとても優しく穏やかな気持ちになっていた。

「ごめんなさい、わたくし、レオン様が好きすぎる気持ちが少し抑えきれなくなっていたみたいですの」

「……そうか」

「でも、今は、レオン様の愛を確かめる事が出来て、とても安心しましたわ」

わたくしが安堵から流した涙をそっと拭うと、レオン様は微笑んだ。

「ごめんなさい、レオン様。結婚前にこんな事、知られたら怒られてしまいますわね」

「そのくらい何でもないよ。君が元気でいてくれることが、俺にとって何より大切だから」

その言葉に、わたくしは心から安堵した。レオン様の愛情と優しさに触れ、やっと、自分を取り戻せた……そう感じる事が出来たのだった。