軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

■第11話 そして帰路に就く

皇帝陛下の視線を追うと、セットさんとシャインさんが立っていた。音もなく。いつの間に。そして各自、紙を掲げており、「巻きでお願いします」「仕事が迫っています」と書かれていた。

「すみません、リーニャ。政務に戻る時間になってしまいました。一旦ここで失礼します」

申し訳なさそうに手を離してそう言った皇帝陛下の「政務」という単語にハッとする。

屋根裏に潜んだり、道にリンゴを等間隔に配置したり、子犬に真顔で指示を与えたりするものだから、帝国の皇帝ってけっこう暇なんだなーなんて思っていたけれど、そんなことはなかったのだ。

「陛下……暇人じゃなかったんですね……」

「感動の面持ちで言われると複雑な気持ちになりますが、リーニャに見直してもらえてよかったです」

皇帝陛下が仕事に戻るべく立ち上がったので、私も慌ててベンチを立とうとすると、肩を軽く押して制された。

「リーニャは散歩の続きを楽しんでおいてください。城内は安全ですから、どこでも好きに過ごして構いません」

「え、でも……陛下も忙しい身だと分かったことですし、私はそろそろお暇……」

皇帝陛下が仕事をしているのに自分はごろごろ過ごすのも何か気が引けるし、帰るには丁度いいタイミングだし、そう思ったのだけれど。

「遠慮は不要です。というか、まだ帰したくありません」

皇帝陛下は艶然とした笑みで、こう続けた。

「だって、リーニャを完膚なきまでに落とさないといけないのですから」

「……っ」

あの時、花の前で笑う皇帝陛下の瞳をリンゴ飴だなんて可愛らしいものに感じたのは、どうやら見間違いだったらしい。獲物を定めた肉食獣と対面した経験はないけれど、今がそれだと思った。

あ、これ、息の根止められるやつ。

「いえあの余り長居するのもご迷惑ですので速やかに撤退いたしたく存じ上げ」

「そうですか。分かりました」

決死の覚悟で退去の旨を伝えたら、皇帝陛下は意外にもあっさりと引き下がった。何かしら命の危険を感じたのは気のせいだったのかなと安心したのも束の間、すっと耳元に顔を寄せられて、ひどく蠱惑的な声で告げられる。

「昼食」

「!」

思いがけない誘惑の言葉に動揺を隠せない私から身を離した皇帝陛下は、至極残念と言わんばかりの表情で続けた。

「仕事が一段落したら一緒に昼食を頂きたかったのですが。そうですかリーニャは帰りますか」

「ちゅう……しょく……」

「今朝のリーニャの喜びようを知った料理長がそれはもう張り切っていて、昼食も腕によりをかけた最高のものを用意するのだと意気込んでいまして。素敵な昼食になること間違いなしですが、そうですかリーニャは帰りますか」

「うっ」

素敵な昼食という魅惑の言葉に揺れる心に、さらなる非情な追い打ちが掛けられる。

「ポメコも寂しがっていますが、そうですかリーニャは帰りますか」

「えっ」

傍らを見ると、いつの間に起きたのか、ポメコが潤んだ悲し気な瞳でこちらを見上げていた。紐を銜えている。無言で散歩の続きを待っている。健気。

「昼食もポメコも諦めて、そうですかリーニャは帰りますか。リーニャがそう言うのなら仕方がありません。では、今すぐ帰りの馬車を手配……」

「あの、陛下」

膝の上で拳を握り締め、震える声を上げた私に、皇帝陛下はにっこりと応える。

「なんでしょう」

「もう、少しだけ、滞在しても、よろしいでしょうか……」

「もちろん大歓迎です」

こうして、皇帝陛下の巧みな誘惑に負けた私は。

ポメコと庭園で散歩の続きをしたり、ボール投げで戯れたりして過ごし。

三メイドに呼ばれ食堂に向かい、朝食の感動もかくやの素晴らしい昼食を頂き。

なんだかんだと過ごしているうちに空がすっかり夕焼けに染まった今、城門の前に停められた、帰りの馬車の前に立っている。

なお、登城時と同様、皇帝陛下に手を繋がれている。朝と異なるのは恋人繋ぎをされている点である。

「暗くなる前に家に帰さないと、リーニャのご両親に心配をかけてしまいますからね」

城への招待方法に誘拐を選択した人間とは到底思えない至極常識的な発言をし、皇帝陛下は名残惜しそうに手を離した。ちなみに馬車の中には、お土産にと渡されたリンゴの詰まった籠と、いい匂いの石鹸で洗濯されて丁寧に畳まれて可愛くラッピングされた寝間着類が、三メイドの手で積み込まれている。

「……では、陛下、えっと、帰りますね」

「いつでも気軽に遊びに来てください。ちなみにこれは次回の招待状です」

招待状を渡すのが早い。まだ退去もしていない。

差し出された招待状を受けとったが最後、再び登城しなくてはいけなくなるのだと思うと、受け取りを躊躇してしまう。いや振り返ると美味しいものを食べて楽しく遊んだ充実の時間だったのだけれど、なんかこう、この環境に甘んじているといつのまにか帰れなくなっていそうで怖い。

皇帝陛下が言った「夕食」という言葉を今回は辞退できたけれど、今回は気力を振り絞って抗えたけれど、たぶん夕食を頂いたら外がもう暗いから帰るのは危ないという理由で翌朝まで返してもらえなさそうだったから死力を尽くして辞退したけれど、次回も抗えるかは怪しい。

「……。……。……」

「三段パンケーキ」

皇帝陛下がぼそっと呟いた一言に、逡巡していた手が勝手に動いて招待状を受け取ってしまった。だって三段。

一日ですっかり誘惑上手になってしまった皇帝陛下を恨みがましい目で見上げると、それはもう素敵な笑顔を返された。諦めて、その後ろに控える三メイドに目を向ける。

「ライズさん、セットさん、シャインさん、お世話になりました」

「お役に立てたなら何よりです」

「お役に立てたなら光栄ですの」

「お役に立てたなら幸せですわ」

もはやお馴染みの一糸乱れぬお辞儀を見届けた後は、皇帝陛下の足元にいるポメコに声を掛ける。

「ポメコ……元気で……」

「きゃん……」

切ないポメコの声に後ろ髪を引かれる思いだ。沈痛な思いで顔を上げると、皇帝陛下は穏やかに微笑んでおり、無言だったがその表情はこう言っていた。

『もっとポメコを愛でたいですかそうですか遠慮せずもっと長居してくれても全く構いませんよ宿泊していただけるように部屋の用意は当然できていますからご両親にもきちんと連絡しますので翌日には帰しますね翌週でも翌月でもいいですけど』

微笑みで長文を語るんじゃない。

「では……お邪魔しました」

皇帝の城を去るのに「お邪魔しました」が合っているのかは分からないけれど、これ以外の妥当な言葉が思いつかないのでそれ以上は言葉を重ねず、馬車に乗り込む。

「リーニャ。お気をつけて」

「……はい、陛下」

手を振る皇帝陛下と、お辞儀をする三メイドと、おすわりをするポメコに見送られて、馬車は帰路を走る。窓から見える夕焼けに染まった空。寝間着のまま皇帝陛下に馬車に乗せられた今朝が、遠い過去のように感じるくらい、長い一日だった。

馬車に揺られながら、皇帝陛下から聞いた話の続きを思い出す。

『その事務官に、お前最近目が死んでるからたまには仕事をサボれと言われて、あの教会を勧められました。あまり人が来なくて、まして帝城の関係者はまず来なくて、静かで、ぼんやりするには丁度いい場所だと』

『それであの日、何となく教会を訪れてみました』

『ぼんやりしてみようとしたけれど、自分はぼんやりするのが苦手だということが分かったので、早々に帰ろうとしたら』

『シスターの懺悔室という札が目に入って、せっかく教会に来たのだから何かしていこうと思って、入ってみました』

つまり皇帝陛下は、たまたま懺悔室が開かれた初日に、たまたま珍しくサボることを思い立ち、何となく教会を訪れ、何となく目に入った懺悔室に入っただけ、ということだった。

私にとってこの偶然は、悪運と言うべきなのか強運と評するべきなのか、判断が難しいものだけれど。

『そこで、素敵なシスターに出会いました』

そう、本当に嬉しそうに言った皇帝陛下にとって、この偶然は間違いなく幸運だったのだろう。

第2章 終