軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

新しい家(2)

……これ、このまま齧っていいのかな?

でも何だかすぐに食べてしまうのは勿体ない気がして、綺麗な赤いその果物を眺めて過ごす。

果物からは甘酸っぱい、いい匂いがする。

今生で初めての果物だ。

果物を眺めて過ごしているうちに、馬車の前に外にいた小太りの男性が乗って「発車しまーす!」と声をかけられた。

ややあって、ガクンと横向きに体が揺れる。

隣の女性にぶつかる前にセレストさんの手がわたしの肩を掴んで引き寄せた。

馬車はあまり速度が出ていないらしいが、ガタゴトとかなり揺れて、地面の凹凸の感触が直にお尻の板から伝わってくる。

……これ、長時間乗ったらお尻が痛くなりそう。

揺れる度にもぞもぞとお尻の位置を動かしていたら、横にいたセレストさんが「ああ」とこちらを見る。

「すみません、触りますね」

セレストさんがわたしの両脇に手を入れる。

またヒョイと抱えられて、セレストさんの膝の上に下された。

そこも揺れるには揺れるけれど、セレストさんの足の上だから、お尻への衝撃は少ない。

「馬車は乗り慣れないとお尻が痛くなってしまいますから、慣れるまではこうしていましょう」

セレストさんに寄りかかるような格好なので安定感もあり、お尻の下は痛くない。

でもこれはちょっと恥ずかしい。

隣にいた女性が「懐かしいわねえ」と目を細めた。

「私の子供も昔はよくそうして抱えてあげていたわ。子供の肌は弱いから、板張りの椅子だと擦れて赤くなっちゃうのよね」

女性がふふふと笑う。

子供がこうして膝の上に抱えられるのは、そう珍しい光景ではないのかもしれない。

わたしがセレストさんに抱えられても他の人も特に気にした様子はなく、ガタゴトと馬車が揺れているだけだ。

セレストさんがわたしの手の中の果物を見る。

「綺麗なポムですね」

このリンゴみたいな果物はポムというらしい。

随分と可愛らしい響きの名前だ。

セレストさんの言葉に頷く。

わたしがずっと眺めていたからか「帰ったら食べましょうか」とセレストさんの手がわたしの頭にふわっと軽く触れた。

フードの上から一度だけ撫でて離れていった。

馬車はそれからしばらく街の中を進み、時々停まって、人が乗ったり降りたりする。

隣にいた女性は最初の駅から二つ目で降りていった。

降りる時に女性に手を振られたので、わたしは小さく振り返しておいた。

わたし達が降りたのは、最初の駅から数えて四つ目で、多分、そこそこ第二警備隊の詰所から遠いのだと思う。

セレストさんがまず先に降りて、次にわたしの両脇を抱えて地面へ降ろしてくれる。

わたし達が降りると馬車はまたゆっくりと動き出した。

セレストさんがわたしの手を握る。

「家はすぐそこですよ」

歩き出したセレストさんについて行く。

街は柔らかなベージュ、淡いオレンジや黄色、淡い水色、白など可愛らしい色合いのレンガの壁に、濃い赤やオレンジ色の三角屋根の建物が身を寄せ合うように建っている。

建物の窓には住人が育てているのだろう植物が飾ってあり、家の前にも植物が置かれていて、その緑と街の建物の色合いとが互いによく映える。

道は白に近い色の石が丁寧に敷き詰められていて、表面はきちんと平らに均してあるため歩きやすい。

近所の人なのか、たまにすれ違う人にセレストさんが挨拶をして、相手もセレストさんに挨拶を返す。

駅から百メートルも離れていないところでセレストさんが立ち止まった。

「ここが私の家です」

見上げた家は、淡いオレンジ色のレンガ造りの家で、屋根は三角形で赤く、小さな出窓があった。恐らく三階建てで、数段上がったところに玄関があるので下にも半地下があるかもしれない。半地下だろう部分と階段は薄い灰色だった。

セレストさんに手を引かれて階段を上がる。

玄関の扉をセレストさんが開けた。

チリリンと鈴の音がする。

「ただ今戻りました」

セレストさんが声をかける。

玄関を入ってすぐは廊下になっており、奥に階段が見える。廊下の左右には六つの扉があった。

奥から「はぁい」と柔らかな女性の声がする。

「おかえりなさいませ、セレスト様」

そう言って左手奥の扉から出てきたのは五十代ほどの女性で、まじまじと見てしまった。

耳は尖ったり長かったりしておらず、丸くて、髪色も瞳の色も柔らかなブラウンで、でも身長は高すぎずも低すぎずもない。

セレストさんがわたしを見る。

「彼女は我が家に通いで来てくれている使用人です」

女性はわたしを見ると屈んでくれた。

「初めまして、セレスト様のお家で働かせていただいております、セリーヌ=オードランと申します」

目尻を下げて微笑む女性からは敵意を感じない。

「……わ、たし、ユイ、です」

「ユイ様ですね。よろしくお願いいたします」

ニコニコと笑う様子に少し肩の力が抜ける。

セレストさん以外の人がいたのには驚いたけれど、暴力を振るわれる心配はなさそうだ。

「部屋の準備は出来ております」

女性──……セリーヌさんの言葉にセレストさんが頷いた。

「まずは休憩しましょうか。……二階の居間にお茶を持ってきてください」

「かしこまりました」

セリーヌさんが頭を下げると下がって行く。

セレストさんがわたしの手を引いて奥に進む。

二階へ通じる階段を上がり、廊下を進むと、突き当たりの右手にある扉をセレストさんは開けた。

そこは広い部屋で、大きな暖炉があって、暖炉の前には揺り椅子が一つ置いてある。室内には他にソファーやテーブルなどもあり、壁際には飾り棚が並ぶ。

促されて三人がけのソファーに座った。

わたしの横にセレストさんも座る。

「今日からここがユイの家です。ここにはあなたに暴力を振るう者も、命令する者もいません。美味しい食事も食べられます。だから安心して過ごしてください」

その言葉に頷いた。

「あり、が、と」

暖炉には火が灯っており、部屋全体が暖かい。

座っているソファーもふかふかだ。

全体的に派手さはなく、ダークブラウンの木製の家具と優しいモスグリーンで統一されていて、落ち着いた雰囲気だ。

「後であなたの部屋に案内しますね」

「わ、たし、のへ、や?」

「ええ、そうです、自分の部屋があったほうが良いですから。あなただけの部屋に、あなただけのベッド、机や椅子もあって勉強が出来ます。暖炉もあるから暖かいですよ」

……わたしだけの部屋。

前世では殆ど入院していたから個室だったものの、そこは自分の部屋とは言い難い。

今生ではずっと奴隷で、狭い牢屋の中に大勢でギュウギュウに詰め込まれて過ごしてきた。

そわそわするわたしにセレストさんが小さく笑う。

「部屋が気になるようですね」

それに頷き返す。

「でもその前にお茶を飲みましょう。喉が渇いていませんか? それに美味しいお菓子も出ますよ」

「ぉ、かし」

お菓子どころか甘いものなんて前世以来だ。

警備隊で保護されている間も食事はあったが、お菓子が出てくることはなかった。

「これからは毎日食べることが出来ますよ」

フード越しに頭をまた撫でられた。

その控えめな手つきはどこか恐る恐るといった感じで、わたしが嫌がれば、きっともうしないだろう。

……別に嫌じゃないけど。

部屋の扉が叩かれ、外から「セリーヌです」と声がする。

セレストさんが「どうぞ」と声をかければセリーヌさんが入ってきた。

「お茶をお持ちしました」

ゴトゴトと小さな音を立てて、サービスワゴンも部屋に入ってくる。

テーブルの脇で止まるとセリーヌさんがテキパキと動いてお茶の用意をしてくれた。

ティーカップにお茶が注がれるのが見える。

更にミルクと、多分砂糖が入れられる。

そのティーカップがわたしの前に置かれた。

セレストさんのものは何も入れてない。

テーブルには大きいお皿も置かれ、その上にはクッキーなどの焼き菓子が並んでいた。

見上げれば、セレストさんがわたしの手の中のポムというリンゴによく似た果物を取って、それをセリーヌさんに渡した。

「昼食の時に切ってください」

「はい、分かりました」

セリーヌさんはポムを受け取ると、ニコニコした様子で頷いた。

セレストさんがわたしを見る。

「どうぞ、好きに食べて、飲んでください」

言われて、まずはティーカップに手を伸ばす。

カップは少し熱いくらい温かくて、顔を近付ければいい匂いが漂ってくる。

そっと口をつける。

……甘い。

前世で飲んだことのある紅茶はペットボトルのものだけで、それよりこちらのほうがあっさりしている。

紅茶の良し悪しは分からないが美味しいのは分かる。

甘くて温かな紅茶を飲むとホッとする。

セレストさんが手を伸ばしてお皿のクッキーを一枚摘むと、わたしの前へ差し出した。

両手でティーカップを持ったまま、それにかじりつく。

さく、と音がして口の中でほろほろと崩れ、香ばしい小麦粉の香りと優しい甘さが口いっぱいに広がった。

「美味しいですか?」

問われて、何度も頷いた。

「おい、し、です」

「好きなだけ食べていいですよ」

セレストさんがお皿ごと手に取り、差し出すので、わたしは膝の上にティーカップを置いて、クッキーや焼き菓子を摘んでは紅茶を飲んでを繰り返す。

どちらも甘くて美味しい。

八番(わたし) になってから初めてのお菓子だ。

甘さが身に 沁(し) みる。

……幸せ。

でも沢山は食べられない。

クッキーを数枚、フィナンシェみたいな焼き菓子を一つ食べたらもうお腹いっぱいだ。

「お、なか、い、っぱい、です」

セリーヌさんが「あら……」と眉を下げた。

セレストさんがそれに首を振り、わたしを見る。

「では残りは午後のお茶の時間にまた出してもらいましょう。大丈夫、誰も盗りませんよ」

もう一度、頭を撫でられる。

「さあ、ではそろそろユイを部屋に案内しましょうか」

「!」

セレストさんが立ち上がって手を差し出してくる。

それに手を重ねれば、優しく引っ張られて自然に立ち上がった。

歩き出したセレストさんに引かれて部屋を出る。

元来た道を戻り、右手にあった扉のうちの、階段側の扉へ向かう。

扉のドアノブを掴むとセレストさんが振り向いた。

「ここがユイの部屋です」

開けられた扉の向こうには、先ほどいた部屋と同じくらいの広さの部屋があった。

扉の正面に大きな暖炉があって、右手には大きな本棚が両側の壁に並んでおり、真ん中に真新しい机と椅子が置かれている。

左手を見ると化粧台のようなものと、ベッド、そして扉が一つ。

部屋は壁紙は他の部屋と同じくモスグリーンだが、カーテンやクッションなどは落ち着いたレモンイエローで統一されていて、可愛らしい。

「今は最低限の物しかありませんが、これから色々と増やしていきましょうね」

促されて中へ入る。

わたし一人で使うにしてもかなり広い。

「あちらの扉の向こうは衣類を保管しておく場所です。本棚にはとりあえずいくらか本を入れておきましたが、今度一緒に本を買いましょう。何か小物を飾ってもいいですよ」

セレストさんの話を聞きながら部屋を見回す。

机も椅子もピカピカで、机の上には筆記用具らしきものが既に置いてあった。

でもどれも前世のものとは全く違う。

一冊だけ置いてあった本を開いてみたが、中身は真っ白だった。

本棚にはセレストさんが言うように数冊だけ本が並んでいたものの、ほぼ空に近い。

今度はベッドへ向かう。

……大きい。

前世の病院のベッドより一回りほど大きい。

その上にヌイグルミが座っていた。

「ああ、それもユイのものですよ」

……クマかな?

それにしては青いクマだ。

でも可愛い。

ベッドに上がって、一抱えほどもある大きさのヌイグルミに抱き着くとモフモフしていた。

「か、わぃ、い」

セレストさんが頷いた。

「そうですね、可愛いです」

セレストさんが嬉しそうに笑っている。

……本当にこの部屋がわたしの部屋なのか。

つい一週間ほど前までは狭い牢屋で過ごしていたのに、今はこんなに綺麗で広い部屋をもらえるなんて。

ベッドから降りてセレストさんのところへ戻る。

セレストさんはわたしが近付くと、当たり前のように屈んで目線を合わせてくれた。

「せれ、す、と、さん」

名前を呼べば「はい」とセレストさんが応える。

「おへや、あり、が、と。きれ、ぃ、か、わぃ、い。すご、く、う、れ、しぃ」

「それは良かった」

こんな素敵な部屋をもらえるなんて。

手を伸ばせば、セレストさんが手に触れて、握り返してくれた。

……こんなに良くしてくれるのに。

わたしは何も返せないのだろうか。

「ユイに喜んでもらえるのが、一番嬉しいです」