軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3 すきやきと私

パンツは仲居さん経由で返ってきた。

脱衣場で宿の浴衣だけ着て、どうしようかとうろうろしていたところに持ってきてくれたのだ。

「旦那さんのお着替えに紛れてたそうですよ。うふふ。仲がようございますね」

「だ、だだだだっ⁉」

タオルで包まれていたのは仲居さんの気遣いなのか、市井さんのなのかはわからない。どちらにしろケムから奪い取ってくれたのは市井さんだ。洗い替えの、新しい方のパンツでよかった。いや、よくない。どっちだってよくないんだ。

旦那さんだなんて言われてさらに動揺している間に、仲居さんはそそそっと出て行ってしまった。したいのかしたくないのかもわからない言い訳をするチャンスを逃して、真横でスクワットしているケムをタオルで横薙ぎした。

よく考えたら部屋は別なのに、なんで旦那さんって言われたんだろうか。浴衣に半纏を羽織って隣の部屋を訪ねた。

向かい合わせに用意された足つきの御膳と直角の位置に、黒くて平たい鍋を据えたコンロがある。この、この鍋は……!

「ちゃんとあたたまったかよ」

「は、はい」

いけない。すき焼き鍋に意識が釘付けになってしまっていた……。

何事もなかったかのような顔をつくって、席に着いた。市井さんはもうおちょこに口をつけている。

「いつもなら今時期はわかさぎが旬だったのですけどもねぇ」

「ああ、確かにここのは脂がのって美味かったなぁ」

「あら、以前にもお越しで?」

「泊まりじゃあねぇけどな」

配膳する女将さんと市井さんの会話を聞きながら、なんとなく参加してるような顔で頷きだけはしておく。

わかさぎは食べたことがないけど、いくつもの小鉢や小皿には美味しそうなものばかり載っている。切り身のお魚はなにかと思ったらニジマスらしい。まぐろやはまちの刺身も瑞々しくて、小花が咲くような衣をまとったかぼちゃの天ぷらはオレンジ色が鮮やかだ。

「んじゃおつかれー。よく食って明日も働け」

「はい! おつかれさまです! いただきます!」

目移りしつつも白和えに箸をつけた。にんじんとほうれん草と、こんにゃく。ゴマの風味と豆腐のほんわりした甘さを、こんにゃくの歯ごたえで噛み締められて美味しい。

「お嬢さん、美味しそうに食べられますねえ」

「おう、食わせ甲斐があってなぁ」

「あらまあ、お若いのに素敵な上司じゃありませんか。うらやましいこと」

「否定はしないがよ。ここらだって景気のいいときゃどこもそんな感じだったんじゃねぇか」

「そうですねぇ……本当に最近はめっきりですよ」

せっせとご馳走を口に運ぶ私をよそに、仲居さんと市井さんは世間話をはずませている。ちゃんといい感じのところで頷くことも忘れないようにした。ケムは火のはいったコンロの周りで側転を繰り返している。あれはガスコンロだけど、着火は魔力でされる魔道具だ。

この手の生活に密着した魔道具は広く普及されている。魔道具がないところなんてないと平木の家では聞いていたけど、実際のところはそれほどでもないと習った。こうして客室に持ち込めるようなお手軽なものは案外と高級品だから、やっぱりここは高級宿なんだろう。

あたたまった鍋に細かく刻まれた牛脂が敷かれて、じゅっといい音を立てた。いよいよ……っ。

女将さんは 呑水(とんすい) で手早く玉子を解いてお膳に置いてくれる。それから赤み多めで細かな差しが入った牛肉を、ひらりと開いて鍋に落とした。なんて大きなお肉……。

「っふ、くっくっく」

「なんですか……」

「いや? 食え食え」

美味しいお酒らしくて、市井さんはさっきからすごくご機嫌だ。女将さんにもきれいめモードじゃなくて素で話してるし。

じゅわじゅわと肉の焼ける匂いは、少し満足しかけていたおなかを刺激して食欲が増す。

女将さんがいい笑顔でどうぞと盛りつけてくれたのは、うっすらと桃色が残るお肉に、すごく太いねぎ、糸こんにゃくに肉厚のしいたけ。くったりとしたえのきに焼き豆腐。

箸でつまむだけでほどけてひとくちサイズになったお肉を、溶いた玉子にくぐらせた。あまじょっぱい割下を玉子がやわらげて、お、い、し、い! 臭みもないし肉の甘みと旨味がもう! ねぎもその旨味を吸ってとろっとろだ。美味しい……美味しい……。

すっごく幅広いうどんで締めて、おなかいっぱいで幸せを堪能している間に女将さんは退室していってた。

お膳には水菓子の柿と湯のみだけが載っている。

市井さんのほうには一合とっくりとおちょこと裂きイカだ。お膳の陰に置いてある小皿にはケムの分の裂きイカ。しっかりそこから一本捧げ持ったケムが走り回っている。

「なんかケムが何かとじゃれてるように見えるんだけどよ」

「ケムに回し蹴りを入れては空振っている六本足の鼠モドキがいます」

「なるほどなー。そういや湖のほうにいたのはどんなのだったんだよ」

「蛇っぽかったですね。背びれもあった気がします」

「へー」

「湖いっぱいの大きさだったから、どっからどこまでが背びれだったのかよくわかんな――あっ、えっ、や、やめ」

「そ・れ・は! おかしいだろ! 大きさがよ!」

笑顔を固まらせたままでにじり寄って来た市井さんに、頭を鷲づかみされた。