軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

17 結界の中と私

大丈夫。大丈夫。

半透明の結界は隙間なく触手に包まれていて、ずるずると這う触手の内側がよく見える。内側? 多分内側。

別に結界はガラス製じゃないから、割れるときはヒビが入るとか前兆みたいなものがないんじゃないかと思う。

軋みだって感じられない。

大丈夫。大丈夫。

そう口の中だけでつぶやいて息をひそめた。

震える手はケムを抱きしめて押さえつける。

お高い魔道具の結界だし、市井さんが魔力をこめたものだし。

外の音は聞こえない。

結界のドームを隙間なく触手が覆っていて、ちらりとも外の様子はわからない。

大丈夫大丈夫。市井さんは強いんだから。

結界自体がほのかに発光しているから真っ暗闇ではない。ちゃんと自分の手も見える。

暗いところだって別に怖くない。

前世も今世も押し入れや納戸に閉じ込められることはあったけど、いつだってそばには小さな異形がもぞもぞしていた。

どいつもこいつもケムと同じように私のことなんてまるで気にかけている風ではなかったけど、その代わり悪意や敵意もなかった。

この触手とは違う。

ずずっと鼻をすすってしまうけど大丈夫。市井さんが助けてくれる。

今世はともかく、前世で子供だった頃のことはそれほどはっきりと覚えていない。それはそう。誰でもそうだと思う。印象に残るシーンがいくつかといった具合じゃないだろうか。

幼稚園に通っていた時期がある。途中で辞めてじいちゃんに預けられたから、多分わずかな期間だったはず。その頃からもうすでに他の子どもたちとどう遊んでいいのかわからなくて、大抵は隅っこにいたような気がする。

薄暗がりでうずくまっていたのは、確か珍しくかくれんぼの仲間に入れてもらえた時だ。お遊戯ホールの舞台下にある用具入れに隠れたのだけど、普通に忘れられて見つけてもらえなかった。

そんなことを私はなんで今思い出しちゃうんだろう。喉がどんどん熱くなっていく。

ケムの頭っぽいところに顎をうずめたら、ちくちくして痛痒かった。こいつはどこもかしこも、癒しからほど遠い。

この結界、効果時間はどのくらいだったろう。覚えたはずなのに。三分だった? それとも五分だった?

ずるずると這いまわる触手を阻む膜は薄いのに、その中を細かな光の粒子がきらきらしながら泳いでいる。

絡み合う触手の隙間から外が見えないかと目を凝らしていたら、その粒子がどんどん薄らぼけていった。

手の甲で目をぬぐって、でもすぐまた視界は揺らいでしまう。

怖いけど、大丈夫。

怖気だつ気配は膜の向こうから圧し掛かるようだけれど、大丈夫。

見えるものを見落とさないのが私の仕事なのだから、大丈夫。

市井さんは私を忘れちゃったりしない。はずだ。多分。

「……?」

繰り返しゆがむ景色。

しゃっくりがでそうになるのを堪えて目を凝らし続けていると、結界の膜に何かの影が浮かび上がってきた。

触手は膜の向こう側にいるのに、その緑と紫の影がしみ込んでくるように人影をつくりだしていく。

しゃがんだ私がぎりぎり収まる程度の小さな結界なのに。

あとずさりする広さなんてないのに。

「――っち、い、さん」

大丈夫。あれはただの影。

そのくらいわかる。結界をスクリーンにして映し出されてるだけのもの。

だけど、どうしても怖くて、彼の名前が口から小さく零れ落ちるのを止められなかった。

影が色と形を変えていく。

それはピントの合わせられないプロジェクターのような映像だ。

俯瞰しているものだったり、ひどく低いところから見上げているものだったりと、何もかもが薄くゆがんでいるけれど、移り変わるシーンはどれも複数の人間が言い争っているとわかるものだった。

いや、言い争っているわけじゃないかもしれない。一人だけ泰然として他を見下ろすばかりの人物がいる。トミエさんだ。他は見覚えのない男女が入れ替わっているけれど、彼女だけはずっと画面の中心にいた。

自分はきれいだとあれだけ連呼しているくらいだから、確かに美人だ。色褪せたこの映像でもわかるくらいには。

おそらくは実際に見たら鮮やかであろう牡丹の振袖や、フリルやギャザーがたっぷりと入ったハイウエストのワンピース、もっこもこの毛皮のコートと、切り替わる場面すべてで華やかに着飾っている。だけど場所はいつも山道だ。例の地蔵も画面の端にいたりしたから、きっとあの山のどこかだろう。

その装いに似つかわしくない場所で、トミエさんは胸をはって口角をあげている。

私には異形の声や音が聞こえないからなのか、この映像も音はついていない。でもきっともし聞こえていたら、これぞという高笑いがこだましてたに違いない。

女王様のように二人の男性を引き連れてたトミエさんに、土下座している男性がいた。

つれているのが若い女性のこともある。顔ぶれは入れ替わっていても、いつも誰かがトミエさんを前に頭を下げていた。自発的であったり取り押さえられていたりの違いこそあれ、彼女はこの村の暴君であったことをまざまざと見せつけるものばかり。

結界の外側を這う触手はひっきりなしに蠢いている。

うねり、痙攣するように震え、そして映像はまた切り替わる。

私はあまり他人と深く関わったことがない。

それはどうしたらいいのかわからなかったからでもあるし、そもそも関わりたいという欲求も薄かったからかもしれない。他の人がどうなのかは知らないから、比べようもないけど。

じいちゃん以外の家族はみんな私をいないものと同じに扱っていた。

私に向けられる感情は、せいぜいがちょっとした嫌悪とか軽蔑というのが多分近い。ちょっとしたものでも積み重なれば、どこかがすり減っていく感じはあった。それでもその程度。大抵は無関心だ。

だから知らなかった。――こんな怖いものだったのか。

たまにいる怖い異形とは違う怖さ。

この触手もそうかと思っていたけれど、結界越しとはいえここまで間近に来たらわかった。

怖かったのはこれそのものじゃない。その身に纏っているものだ。

うつむいて肩を震わせる女性の髪はぼさぼさで顔をすっかり隠していた。

ぱりっとした絣の着物なのに、裾は薄汚れてしまっていて靴も片方脱げている。

対峙するトミエさんは相変わらず笑いながら、女性の足元に何かを放り投げた。

びりびりと空気が震えて、身が竦む。

どろりとしているのに激しく燃え盛ってもいるような。

そんな気配が背中の産毛を一本一本逆立てていく。

市井さんはトミエさんが恨みを買っているから呪われたと言っていた。

きっとこれがそう。怒りとか、憎しみとか、そういうものなのだと思う。

私を守る結界を囲い込んでいるし、最初は私が襲われたのだと思ったけど違う。

標的は私じゃない。トミエさんだ。

トミエさんのきれいに上がっていた口角がゆがんでいく。

映像のゆがみなのか、この狭い空間に満ちた何かがゆがめていっているのか。

ただの映像だと、そう思うのに。

だけどこれは映像技術がほぼ流通してない今世で見る初めての 映(・) 像(・) というもので。当然特殊撮影なんてないはずで。

この触手が私に見せているものなら、きっと現実にあったことだ。

映像の中に緑と紫がまだらの影が入り込んでいく。

トミエさんはまるでそれに気がついていない表情のまま、影に巻きつかれていく。

そのまま雑巾を絞るようによじれ、ぎゅうぎゅうと細く――。

きぃん、と今では聞きなれた金属音とともに、映像は真っ白な光に切り裂かれた。

冷たくて清涼な空気が流れ込んできて。

「泣いてんじゃねぇよ」

「泣いでまぜん!」

じいちゃん。今度は私忘れられてなかった!