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追放された王太子の婚約者ですが、やっと自由になりました。

作者: 福嶋莉佳

本文

「エリザ、君には失望した」

玉座の前に立つ私を見下ろし、王太子が冷たく言い放つ。

その隣には、涙をうるませた可憐な聖女。

白いベールの下で震える肩——けれど、その口元はわずかに上がっていた。

「嫉妬にかられて……聖女をいじめるなんて」

「殿下……ですが、わたくしの立場もご理解を——」

「言い訳は不要だ」

ぴしゃりと遮られる。

すると、聖女がそっと王太子の袖に触れた。

「いいのです……殿下。わたくしは平気です。ただ、エリザ様とは離れたほうがよろしいかと……」

「おお。さすが聖女だ」

王太子は深く頷いた。

「彼女の優しさに免じて、刑は軽くしよう。

エリザ・クレール公爵令嬢。お前を王都から追放でとどめる」

ざわめきが一気に膨らむ。

「つれていけ」

命令と同時に、兵士が前に出た。

私は抵抗せず、歩き出す。

背後から、貴族たちの囁き声が降ってくる。

「聖女さまはお優しい……追放で済むなんて……」

「王太子殿下のご英断だ」

重い扉が閉まる。

石の回廊に音が響いた。

その瞬間、肩から何かが崩れ落ちた。

——聖女様……ありがとう。

やっと、これで自由だ!

「鈴木くーん、これもお願い。今日中ね」

上司が笑顔で言いながら、私の机に書類の束を置いた。

「ええ……まだ別件、終わってなくて……」

「頼むよー。君、速いし」

当然のように言い残して、上司は颯爽と去っていく。

机の上には、いつの間にか積み上がった書類の山。

カタカタ……

「……あなたも帰っていいわよ」

「え……先輩……でも……」

「いいのいいの。これも先輩のつとめよ」

苦笑しながら手を振ると、後輩は何度も頭を下げて帰っていった。

静かになったオフィス。

キーボードを打つ音だけが残る。

ふと、誰に聞かせるでもなく呟いた。

「フフ……これが終わったら……長期休み取って旅行に行くんだ……!」

——この言葉が死亡フラグになるなんて、思いもしなかった。

目が覚めたとき、視界に飛び込んできたのは、金色の装飾が施された天蓋だった。

「……え?」

起き上がろうとすると、驚くほど身体が軽い。

壁にかかった鏡に映った顔は——金髪、青い瞳の女の子だった。

「……転生、した?」

混乱しているうちに、侍女が部屋に訪れ、名前を呼ぶ。

——私は、エリザ・クレール公爵令嬢として生まれ変わっていた。

神様ありがとう!

仕事から解放され、お嬢様ライフ満喫ね!

……と、思っていたのだけれど。

「お嬢様、本日はマナーのご講義がございます」

「午後は王宮史の講義、その後は舞踏の稽古でございます」

私を待っていたのは、「王太子妃候補」としての教育の日々だった。

礼儀作法、社交、歴史、宗教、政治……

朝から晩まで予定が詰め込まれ、息をつく暇もない。

「受験勉強の比じゃない……!?」

そしてある日、決定打が落ちた。

「エリザ嬢。君を、王太子の婚約者とする」

王の言葉が告げられた瞬間、両親は大喜びし、貴族たちは喝采した。

拒否なんて、できるわけがなかった。

「……はい」

自由どころか、生活はさらに制限されていく。

外出には許可が必要になり、

発言は記録され、

交友関係まで管理される。

王太子妃教育も一段と厳しくなっていった。

王太子は、見た目だけは完璧だった。

背が高く、顔立ちは整い、物腰も柔らかい。

王族として非の打ち所がない——外見だけなら。

けれど、中身が空だった。

幼い頃から、周囲が尻拭いしてきたのだ。

失敗しても誰かが書類を整え、

言い訳を用意し、

責任の矛先を別の場所へ逸らす。

そして当然のように、婚約者である私の仕事は増えた。

「エリザ、代わりに説明してくれないか」

「君なら上手くやれるだろう?」

会議でそれを言われるのは、一度や二度ではない。

書類の確認、会議の補足説明、貴族への根回し。

王太子に連れられて城下町を回ることもあった。

気がつけば、王太子の仕事の半分以上を私が処理していた。

……詰んだ。

——公爵令嬢としての人生は、楽になるどころか、

別の形の「仕事」になっていただけだった。

転機は、突然やってきた。

「聖女が現れたのですって?」

聖女——王家と婚約すれば国が栄えると信じられている存在。

神殿が正式に認めたその知らせは、王宮中を一瞬で駆け巡った。

謁見の間で、聖女はにこにこ笑っていた。

くりっとした目、柔らかな頬。年の頃は十六、七といったところだ。

「かわいい……」

王太子は、思わず口に出していた。

婚約者の前で言うことだろうか。

私は表情を崩さないようにしながら、心の中で頭を抱えた。

——助かったの?

これで解放される?

そう思う一方で、胸の奥が少しだけ痛む。

こんな若い子に、押しつけていいのだろうか。

聖女と二人きりになったタイミングで、私は声をかけた。

「殿下との結婚は——やめておいた方がよろしいかと」

聖女がこちらを見て、にこっと笑った。

そして、さらっと言った。

「ええねん。だいたい分かってきたから」

え……関西弁?

「驚くよな。実は前世の記憶があんねん」

やはり、そうだった。

彼女も転生者だった。

「親孝行したいんや。前世でずっと働き詰めでなぁ。

今世は、家族にちゃんと……って思ってん」

それから彼女は、王太子の方角を見て、ため息をついた。

「街で見かけてな。あんな王太子が国王なったらあかんと思って」

「それで……名乗り出たのですか?」

「せやで。国のため、言うたら大げさやけど、放っといたらホンマに詰むやろ。

……あんたも、あの子の尻拭いで振り回されとったし」

見抜かれていた。

私は苦笑して頷いた。

「あんたには、あのじゃじゃ馬は無理や。

それとも、王太子妃なりたかった? 王太子、好きやった?」

目を瞬かせた。

そして、ゆっくり息を吸い、答えた。

「なりたくありません。好きでもありません。もう、自由になりたいです」

「せやろな」

聖女は満足そうに頷いた。

そして今。

城の回廊を歩きながら、私は聖女との会話を思い出していた。

『……追放?』

『そう。あんたが悪役になれば、王家はメンツ守れ、堂々と聖女を王太子妃にできる。民は納得する。あんたは出ていける』

合理的すぎる提案だった。

そして——その通りに、すべてが進んだ。

がんばってね、殿下。

聖女(五郎さん60歳)は某会社の元社長だから、しっかり鍛え直してくれるわ。

『任せとき。おったわ、こんな社員』

あの一言が、どれほど心強かったか。

城の前には、馬車が待っていた。

商会ギルドのマーク。五郎さんの実家だ。

御者台の横に立つ侍女が、深く頭を下げた。

「エリザさま。こちらへ」

私は一度だけ、城の方を振り返った。

五郎さんの言葉を思い出す。

『人の心配できるのは、美徳やけど。まずは、自分を大切にせなあかんで』

「はい……」

馬車に乗り込む。

扉が静かに閉まり、車輪が動き出した。

窓の外で、城が少しずつ遠ざかる。

胸の奥にあった重たいものが、ようやくほどけていく。

「どこに行こうかな」

これからの人生は、自分のために生きる。