軽量なろうリーダー

どうも、結婚から七年放置された妻です

作者: 高岡未来@4/9最愛姫発売

本文

伯爵令嬢アルベルティーナの結婚は、わずか十歳の年に成立した。

「お母様が亡くなったあとにお父様が迎えた新しいお母様の中にあった、完璧な家族像の中に、わたしは存在しなかった模様で。どうやって体よく家から追い出すかを思案していたら、ちょうどよさそうな縁談話を見つけたようで。それでサルドネ王国の某家にお嫁に出されました」

「それは……なんていうか……」

相槌を打つ騎士装束を身に纏った青年が言葉を濁した。

「返事に困ってますね? ですが、ご心配なく。嫁ぎ先にやって来たわたしは、のんびりのほほんと平和に暮らすことができています」

「そうか。それはよかった」

補足を入れたら会話の相手、昨日知り合ったばかりの騎士、コルドはあからさまにホッと安堵する顔つきになった。

話はここからである。

アルベルティーナは、とっておきの内緒話を打ち明けるように言った。

「まあ……夫には結婚してから七年、一度も会ったことはありませんが」

「……は?」

コルドの目が点になった。

そう、この反応が見たかったのである。

彼とは昨日、王都に辿り着くまであと一日半という距離の街で知り合った。

サルドネ王国と隣国で八年にも渡り続けられていた戦が停戦になり、戦地から引き揚げてくる騎士や兵士たちの姿が街道沿いで見かけることが普通の光景となっていた。

そんな中、アルベルティーナは三人の帰還兵に「国のために命がけで戦ってきた俺たちを慰めろ」と絡まれてしまったのだ。

ばあやを連れているとはいえ、女性二人では男性三人を相手にどうすることもできず困っていたところ、通りかかったコルドが助けてくれたのだ。

目的地が同じ王都であると知った彼は、女性二人では何かと不便だろうと、自身も王都への帰還の途中であるにもかかわらず、荷馬車に乗っていけと親切心を発揮した。

用心棒代わりにちょうどいいかも、と考えたアルベルティーナは王都まであと一日半という旅を彼らと共にすることになり、なんだかんだと打ち解け、そのついでに王都へ旅する理由を話し始めたというわけだ。

「政略結婚って、まあ……コルドの階級なら当たり前だと思うんですが」

「……そうかもしれないが」

その若さで将校階級なのだから、彼が貴族の縁者なのは間違いないだろう。

彼は砕けた話し方をするものの、所作や食事作法など、ふとした時の動作から品の良さが現れていたから。

「政略結婚でも妻を娶ったのに一度も会わないなどいうのは特殊すぎるぞ。どんな最低男だ」

彼はまるでアルベルティーナの代わりだと言わんばかりに憤慨する。

「夫には夫なりの事情があったんです」

「どんな事情だ?」

「詳しくは言えないのですが、わたしの嫁ぎ先は、サルドネ王国でも……まあ、そこそこ大きな家でして」

まさかの王家なのだが、さすがにこんなこと言えないので割愛だ。

「大きな家ってあるじゃないですか。色々と」

「……まあ、大きな家に生まれると、あるよな。色々と」

相槌を打つコルドの声は実感が込められている。

もしかして彼もそれなりに背負うもの、もしくは厄介ごとを抱えているのかもしれない。

「旦那様はわたしの四歳年上なんですけれど」

「十歳で結婚して七年経ったってことは、ベルは今十七歳か。その四歳年上の旦那ってことは……うわ、俺と同じ年だ」

「へえ。思わぬ共通点ですね」

肌のつや張り加減から、近い年ごろかなと見当をつけていたが、まさかまだ見ぬ夫と同じ年だったとは。不思議な縁だ。

「その大きな家に生まれた夫は、実家で兄嫁から命を狙われていまして」

「それは……」

コルドが何とも言えない表情になった。

重すぎる事情にどう返していいのか分からないのだろう。

「大きな家だからこそ、発生する跡継ぎ問題。これが厄介ですよねえ。兄嫁は、夫の弟の優秀さが怖かったんです。自分の生んだ息子を押しのけて、義理の弟が家を継いでしまうのではないかと。そう危惧したんです」

「大きな家というのは、どこも似たようなものなんだな」

妙に実感がこもった相槌が返ってきた。

彼もまた大きな家で家督争いに巻き込まれた経験があるのかもしれない。

やはり大きな家というのは色々と抱えているのだ。

そう、夫の生まれたサルドネ王家も例外ではなかった。

アルベルティーナの夫は、コンラードといい、サルドネの前の国王と後添えとして迎えた妃との間に生まれた第二王子であった。

何とアルベルティーナは、これでも一応王家の一員なのだ。生まれは先日まで戦を行っていた隣国とは違う、サルドネと国境を有した国の伯爵家の娘なのだが、十歳で王族に嫁いだのである。

生まれたばかりのコンラードと兄である王太子の年の差は二十二歳。親子ほどの差があり、さらにその翌年、王太子と妃との間に男児が生まれた。

二人はすくすく成長していき、やがて家臣や貴族たちにその成長具合が知られるようになった。

コンラードはどうやら、父親に似たらしい。勉学にも剣にも優れ、人を惹きつける才は国王が持つ気質とそっくりだった。

文字の覚えも早く、誰であっても物怖じしない闊達なコンラードに、彼の兄の妻、当時の王太子妃は危機感を抱くようになった。

夫はお世辞にも彼の父の気質を全て受け継いでいるとは言えず、有り体に言えば普通であった。

彼との間に生まれた王子がもしもコンラードよりも劣っていたら。

貴族たちは夫の次の代にコンラードを求めるようになるのではないか。彼を担ぎ上げるのではないか。そう考えるようになった。

「夫がまだ十歳になる前に、お父さんが亡くなってしまい、環境が一変したそうなんです。お母さんと引き離されて、彼は兄嫁に育てられることになってしまって」

「そうか。それは……色々あっただろうな」

コルドが痛みを堪えるように目を伏せた。

妙に実感がこもっているように聞こえるのは気のせいだろうか。

「幸いにも夫には少ないながらも親身になってくれる家人がいました」

「そうか。それはよかったな。で、そこからどうして結婚という流れになったんだ?」

「それはですね……」

夫が八歳になる頃、前王は病に倒れ、闘病の甲斐なく翌年息を引き取った。

コンラードの兄が即位し新たなサルドネ王となった。彼は、王妃となった妻から助言を受け、異母弟にロッシュヴァンの土地と公爵位を与えた。

それ以降コンラードは公の場ではロッシュヴァン公爵と呼ばれるようになったのだが、住まいは依然として宮殿で、王妃となった兄嫁の監視下にあった。

王妃はこれだけでは足りぬと考え、コンラードを結婚させることにした。

「勝手に大口の取引先の娘さんと縁を結ばれたら、自分の生んだ息子が家を相続できなくなると危惧し、だったら先に後ろ盾などまるでない娘を宛てがってしまおう。そうして選ばれたのがわたしです」

言葉を変えたが、勝手に有力貴族のご令嬢と縁を結ばれたら困るが、正しい。

「……なるほど」

「わたしは財産分与で夫が与えられた土地にある家で暮らすことになりました。結婚すると聞いていたのにいざ引っ越してきたら夫が不在。最初はびっくりしましたが、夫の味方の家人は、お家騒動には言及せずに、夫は寄宿舎で勉学にはげんでいるのだとわたしに説明しました」

夫の味方の家人というのが、前王からコンラードを託されたドナシアンという名前の元騎士で、現ロッシュヴァン公爵家の家令である。騎士を引退したのち前王の侍従となったドナシアンは、主不在のロッシュヴァンの管理を代わりに行っていた。

なぜならコンラードは相変わらず王妃の監視下に置かれており、もらった土地に赴くことすらできなかったのだ。

ドナシアンは、主に代わり王都とロッシュヴァンを往復し、アルベルティーナの教育にも手を割いてくれた。家庭教師を呼び寄せ、貴族の娘に必要な教育を授けてくれたのだ。

ちなみに勉強以外では自由にさせてくれたから、庭師に弟子入りして家庭菜園を楽しんでみたり、近くの牧場で乳しぼりをマスターしたり、ニワトリに追いかけられたりと田舎生活を満喫していた。

「夫が不在でも何だかんだと楽しく暮らしていたわたしは、家令の説明を信じ込んでいたので、夫に手紙を書きました。こちらでの暮らしは充実しています。旦那様も勉強に打ち込んでいらっしゃるでしょうか、とかなんとか」

「そうか。文通という手段はあるからな。離れていても互いを知ることはできるわけだ」

「それがですね。待てど暮らせど返事は届かなくって。結婚してから七年、ただの一度だって手紙が届くことはありませんでした」

「いくら勉強が忙しくとも、手紙の一通くらい書くことくらいできるだろうに」

「わたしもそう思って、屋敷の様子を見に来てくれる家令に何度か尋ねたんですよね」

「彼は何て?」

「そのたびに家令は、旦那様は忙しく時間が取れないのだと言いました」

「言い訳だな」

「そう考えちゃいますよねえ。わたしも当時は悲しくなったものです」

コルドの一刀両断にアルベルティーナは苦笑する。

「返信も書いて寄越さないなど、妻を放置するも同然だろう。ひどい夫だな」

「当時はわたしもそんな風に思いましたけれど」

と、ここでアルベルティーナは一度唇を閉ざした。

そして一呼吸ののち。

「実はですね、わたしの夫は、妻がいることすら知らなかったんですよ」

「…………は?」

再び彼の目が点になった。

してやったり。本日二度目だ。

ちなみに同じ荷馬車に乗る他の騎士たちからも驚く気配が伝わってきた。

わたしの語り口調、なかなかのものでは? とこっそり自画自賛してみる。

「そう、夫はわたしという妻を娶った事実を知らないんです。多分、今も」

「い、今も……?」

「そのことを知ったのが、今から二年前のことでした。わたしの住む家を管理してくれている夫の家令が戦地に出征することになりまして」

隣国との戦が始まり五年以上が経過し、戦地の人手不足を補うために現役を引退した元騎士にまで招集がかかるようになっていた。戦地における人の命など、場所によっては道端の石ころ並みに軽いものだ。ドナシアンは心のつっかえをなくしておきたかったのだろう。遺言書のような手紙が届けられた。

「万が一自分が亡くなっても、わたしの生活はできるように手配していますからっていう、縁起でもない内容で、それと一緒に謝罪の言葉と理由が長々と書かれていました」

王妃はコンラードの利発さを疎み、監視下に置いた状況下でも折れない彼のしなやかさを忌み嫌うようになっていた。

表向き、自分の息子と公平に扱っていると見せなければならないことにもストレスを溜めていたのだろう。王は静観を決め込んでいたそうだが、あの時点で息子は一人きり。王弟コンラードは何かあった時の場合の息子の代わり。だからあまり無体なことはするなと王妃に釘を刺していたのだそうだ。

だからこそドナシアンは危惧した。そのような状況下でコンラードが結婚し、妻の境遇に同情し親身になって接し、互いに慈しみ合う関係になったら、王妃に格好の餌を与えることになるのではないかと。

コンラードが十二歳の頃、可愛がっていた猟犬の餌に毒が混ぜられ死んでしまったことがあったそうだ。さらに十三歳の頃には、彼の愛馬がやはり、ある朝泡を吹いて死んでいた。証拠はないが、王妃の昏い笑みが忘れられなかったドナシアンは、同じことが起こらないとどうして信じられようかという心境だったそうだ。

コンラードの苦しむ顔見たさに王妃がアルベルティーナに手出しすることを恐れたドナシアンは一計を案じることにした。

最初から結婚した事実をコンラードに伏せておけばいいのではないかと。

ドナシアンはアルベルティーナにこれまで隠していたことを知らせたという内容の手紙を領地の屋敷の使用人頭に届けてもいた。

彼らから聞かされたところによると、実際王妃の手の者と思われる人間が何度か屋敷に侵入したことがあったというのだ。

アルベルティーナが怖がってはいけないと伏せられていたが、なるほど田舎の屋敷にしては男手が多く、みんな筋肉質だったと真実を聞かされて納得したものだ。

どうやって結婚の事実を伏せたまま、結婚契約書に署名させたのかは謎なのだが、返信の手紙が届かない理由は理解した。

ドナシアンの手紙にはさらに、コンラードが結婚の事実を汚点のように考えていて普段は独身者のように振る舞っているのだと情報操作も行ったのだとも書かれてあった。

彼なりに最善を尽くそうと努力していたのだ。

「もっと早い段階で教えてくれればよかったのにって。そう思いもしましたけれど。そりゃあ、わたしはまだ子供で守られる立場だっていうのは分かっていますけれど。ずっと夫に対してもやもやした気持ちを抱えてきたので、これをどこに向ければいいのか……。とりあえず、返信には一発殴らせてほしいから絶対に生きて帰ってこいと書きましたけれど」

「……そうだな。一発くらいは仕方がないな」

コルドはしみじみと頷いた。

「家令の帰還連絡をもらったから王都に向けて旅をしているのか?」

「そうなんですよ。停戦の連絡が国中を駆け巡ったあと、新聞に帰還する人たちの名前が順番に掲載されたじゃないですか。そこに家令の名前も書かれてあったんです」

「そうか。よかったな」

「はい。わたしの夫も無事だそうで。たぶん、最初に帰るのは、王都にある家の方だなって思ったので、王都に向かうことにしたんです」

「ベルの夫も戦に行っていたのか」

「ああ、そういえば話していませんでしたね。お家騒動の一環? として、戦地に将校として送られてしまいまして。これは夫の社会的地位では義務のようなものでもあるので、断ることができずに前線に送られたと聞きました」

「……そうか。人にはそれぞれ、色々あるものだな」

コルドが遠い目をした。

きっと様々な理由で戦地へ送られた者たちを見てきたのかもしれない。

長引く戦の士気を上げるためにとか何とか理由をつけ、王妃はコンラードを戦場へ送ったのだ。宮殿に置いておくよりも死ぬ確率が上がるだろうと見込んで。

四年前のことだった。コンラードは十八歳で前線に向かうこととなった。

さすがにあの時は、心臓が掴まれたようにきゅうと痛んだ。

顔も知らない夫の無事を祈った。何かできることはないかと考えた末に四つ葉のクローバーの刺繍を刺した手巾をドナシアンに託した。

結婚している事実を彼が知らないのであればドナシアンのところで止まっているような気がする。

「いよいよ、ベルは夫に会えるんだな」

「そう……ですね。ちょっと、ドキドキしちゃいますよね。どう名乗ればいいのか分からないので、まずは家令に連絡を入れようと考えていますけれど」

「きっと、いい関係を築けるさ」

コルドが柔和に目を細めた。

希望を口にしてくれる彼の顔を眩しく見つめる。

まだ見ぬ夫と、同じ色の髪色だ。目の色は、コルドがきれいな紫色で、夫は灰色だ。

領地の屋敷にはコンラードの小さい頃の絵姿がかけられていて、アルベルティーナはよく想像したものだ。あなたは一体どんな青年に成長したのかしら、と。

話をしていたせいか、王都はもうすぐ目と鼻の先になっていた。

アルベルティーナは王都に入ってすぐの広場で荷馬車から降ろしてもらい、コルドたちと別れることになった。

「ベルの未来に幸あらんことを」

「あなたもね、コルド。幸運を祈っているわ」

アルベルティーナは手を振り、彼らを見送った。

「いい人たちだったわね」

「一昨日、お嬢様が帰還兵に絡まれた時などは、軍人など乱暴者ばかりだと憤慨しましたが、あのコルドという青年はなかなかに好青年でしたねえ」

旅のお供を務めてくれているばあやがしみじみと頷いた。

「彼がああして帰って来られたのも、コンラード様が停戦をもぎ取ったからなのよね。すごいわ、わたしの旦那様」

荷馬車を見送りながら、一人呟いた。

ようやく王都に辿り着いたのだ。

まずは宿の部屋を取って、ドナシアン宛に手紙を書かなければ。彼もしばらくの間は軍関係の施設に留まっているだろうから。もしくは王都に(一応)あるロッシュヴァン公爵家の邸宅に戻っているかのどちらかだろう。

コルドはアルベルティーナが純粋に夫に会いに来たと考えているようだったが、実はそうではない。

アルベルティーナはコンラードと離婚をするためにはるばる王都までやって来たのだ。

四年前に戦の前線に送られたコンラードは、功績を挙げまくった。

停戦に持ち込んだのは現地での彼の交渉力のおかげだし、条約はサルドネが有利な条件で結ばれるだろうとも聞こえてくる。

つまり彼は戦争終結に貢献した英雄なのだ。

国王はもう、コンラードを無下に扱うことはできない。

それには、もう一つ理由があった。

国王夫妻の第一子である王太子が落馬事故に遭い重傷を負ったのだ。

その場で一命は取り留めたものの、治療の甲斐なく事故からひと月後に命を落とした。

今から一年と三か月前のことだった。

国王には五人の子供がいた。王太子の下には三人の王女が続き、そのあとに生まれた第二王子は現在二歳の誕生日を越えて数か月が経ったばかり。

三人の王女たちは、戦を終えたばかりの難しい局面の政治になど携わりたくはないと言い、婚約者候補の選定に躍起になっているのだと伝え聞こえてくる。

必然的にコンラードの重要性は増すというものだ。それを抜きにしても彼は停戦の立役者だ。

この機会に、彼はその存在をサルドネ国内に知らしめ、王妃に踏みにじられることないように力を蓄えるべきだ。

具体的にどうするかといえば、やはり後ろ盾となり得るような大貴族の娘との婚姻だろう。これが一番いいと思う。

アルベルティーナは、ドナシアン宛に手紙をしたためた。

まずは無事を喜ぶ旨を。その次にコンラードと離婚を希望する旨を書き、ついでにできれば生活拠点としてロッシュヴァンの土地のどこかに庭付き一軒家がほしいことも追記しておく。

「お嬢様……。本当にドナシアン様に届けるのですか?」

「だって、公爵夫人って柄じゃないじゃない」

気が進まないという声を出すばあやに向けて、アルベルティーナはにへらっと笑った。

コンラードはこれまでたくさん苦労してきたのだ。

対するアルベルティーナは、彼から手紙の返事こそこなかったが、周囲の大人たちに守られ、のほほんと暮らしてきた。

彼には幸せになってもらいたい。そのためには分かりやすい後ろ盾が必要だ。

だからアルベルティーナは身を引こうと考えたのだ。

それに……。

(はじめまして、あなたの妻ですって自己紹介をしたあとに……少しでも拒絶の色を見せられたら……悲しくて泣いちゃいそうだもの)

彼にとってアルベルティーナとの結婚は青天の霹靂なのだ。

初対面の時に彼の顔の中に少しでも負の感情を見つけてしまったら、立ち直れる気がしない。

誰だって進んで事故には遭いたくないのである。

だから、アルベルティーナは離婚を選択したのだ。

*

「たたたた大変です!」

「どうした。ドナシアン」

王都に帰還した翌日の夜、バタンという扉を開ける大きな音と共に入室してきたのは、元は父の侍従で、現ロッシュヴァン公爵家の家令だった。

もうすぐ五十に届くという年なのだが、元々騎士だったこともあり、またつい先日まで戦場の後方補給部隊に携わっていたこともあり、実際の年よりも若く見える男である。

普段はもっと余裕のある男なのだが、彼にしては珍しく動転している。

「りりり……りこっ……離婚」

「離婚? おまえ、いつの間に結婚していたんだ?」

独身だったと記憶しているが。

「私ではありません! コンラード様の奥様から、り、り、りこ……離婚したいと、ててて手紙が」

「俺の奥様ねえ」

相槌を打ったコンラードは十数秒後、眉根を寄せた。

「…………………………ん?」

何か、聞き捨てならない台詞を吐かれたような……。

もう十秒、コンラードはドナシアンの台詞を頭の中で咀嚼した。

離婚。コンラード様の奥様。手紙。

「ちょっと待て! 俺の奥様だと⁉ 俺は独身のはずだがっ⁉」

「ええそうでしょうとも。コンラード様がその認識でいてくださったことに大変安心しましたぞ」

「いや待て。おまえ今俺の妻から離婚がどうのとか言っていたよな? その口でどうして俺が独身で安心するんだよ。分かるように説明しろ」

大の男が二人して大声で喚き散らすから、室内は一気に騒々しくなった。

「コンラード様はすでにご結婚されているのです」

「……悪い、ドナシアン。俺に分かるように説明してくれ」

ちょっと言っていることの意味が分からない。

「コンラード様が十五になる手前の頃、一人の女性留学生の後ろ盾になっていただきたいと私からお願いしたことを覚えていらっしゃいますか」

「……ああ。覚えている。確か、王妃殿下が関わっている慈善事業だったか。今度は何の嫌がらせかと身構えたが、中身は何の変哲もない普通の慈善事業だったな。母国にいられない理由持ちの貴族のお嬢さんを女子修道院併設の寄宿学校へ入学させるとかそういう話だったか……」

「ええ、私が必死になって理由を考えました」

何か聞き捨てならない相槌を打たれた気がしたが、ひとまず今は彼の話を聞こう。

「コンラード様に署名を求めました書類が、実は婚姻契約書でした」

「ちょっと待て」

さすがに今度は話を遮らせてもらう。

「コンラード様に気付かれないよう、たくさんの書類の一つとして紛れ込ませ、さらには集中力を欠いている疲れ切った時分を狙い、署名を急かしました」

「だから待てと言っている」

「これも全てはお二人をお守りするためだったのです」

「……分かった。聞けばいいんだな。おまえの告白を」

半眼になったコンラードはドナシアンに着席を促した。

「妃殿下は、コンラード様が国内の有力貴族と婚姻関係による後ろ盾を得られることを厭い、手っ取り早く妻を宛てがってしまえとお考えになったのです」

そうして選ばれたのが外国の伯爵家の娘だという。サルドネ国内から選ぶよりも隣国の貴族の娘の方が後腐れないと考えたらしい。当時まだ十歳だった少女をお取り寄せ、コンラードの妻を見つけてやったとドナシアンに告げたらしい。

「十歳……?」

年齢に引っかかりを覚えた。つい最近どこかで聞いた話である。

「コンラード様と一緒に住まわせてやってもいいと妃殿下はおっしゃったのですが、コンラード様の大切なものを傷つけることを楽しまれている風情の妃殿下の毒牙にかかってはまずいと、私の独断で領地にて預かることにし、コンラード様の命令によるものだと妃殿下にお伝えしました」

考えた末にコンラードに結婚した事実を隠すことにしたのだと続けた。

彼の説明は一理あった。あの王妃ならやりそうなことである。あの女はコンラードが可愛がっていた動物たちを殺したことがあった。

ドナシアンに手を出さなかったのは、彼が前王の腹心だったおかげで、方々に顔が利くほどの人脈を得ていたからだ。

「奥様はコンラード様へ手紙を書いて私に託してくれていたのですが……。このような理由から私が代読し、今日まで大切に保管しておりました」

ドナシアンが語る内容に既視感がありまくりなのだが……と、コンラードの心臓が早鐘を打ち始める。

そう、一昨日王都へ向かう荷馬車で似たような政略結婚の話を聞いたばかりではないか。

あの時は、大きな家というのはどこも内情は泥沼なんだなと遠い目をしたのだが。

いや、彼女の夫が兄嫁に快く思われていないあたりで気付くべきだった。

(彼女はベルという名前だった。俺は仲間内で呼ばれているコルドという愛称を名乗った……)

そういえばコンラードは肝心なことを聞いていないことを思い出した。

「……ちなみに……俺の妻は……名を何というんだ?」

「アルベルティーナ様でございます」

さらりと告げられた名前に、コンラードは頭に岩石の直撃を受けたかのような衝撃を覚えた。

アルベルティーナだから、普段はベルと呼ばれているのだろう。

「やっと……やっと、コンラード様にアルベルティーナ様をご紹介できると、それだけを楽しみに王都に帰還しましたのに。ななななんだって……り、りこ、離婚など……」

聞けば、本日手紙が届けられたらしい。領地から王都に出てきており、逗留している宿の下働きが配達しに来たそうだ。

実物だと手渡されたのは、気が動転したドナシアンによってくしゃりと握りしめられたのだろう、皺になった手紙だ。

そこには、流麗な文字でこんなことが書かれてあった。

『ドナシアンへ。無事に戦場から帰還したあなたを一発殴るのはかわいそうなのでやめにします。その代わり、わたしとコンラード様の離婚について話し合いましょう。わたしのことは心配しないでください。庭付き一軒家さえもらえれば、これまで通りばあやたちとのんびり元気に暮らしていけますので。アルベルティーナより』

慰謝料代わりに庭付き一軒家。ばあやたちとのんびり元気に。

そこには夫であるコンラードの一文字だって書かれていなかった。

コンラードは顔から血の気を引かせた。

これはまずい。

今日初めて妻がいる事実を知らされはしたものの、自分はベル、いやアルベルティーナにとってみれば最低最悪の夫である。

とにかく謝罪だ。

立ち上がったコンラードは大きな歩調で扉の前に向かった。

「コンラード様、どちらへ?」

「俺の妻に会いに行く!」

「そ、それがようございます! まずは誠意を見せねば」

ドナシアンも立ち上がった。

「って、おまえも謝るんだぞ! あと、俺にも謝れ! 人を騙して結婚契約書に署名させるとか、ありえないだろ!」

「あの時は、うっかり騙されたコンラード様が将来あやしい壺を買わされないかと心配になりました」

「騙したおまえが言うな!」

*

長い間続いた戦が終わったということもあってか、王都は明るい空気に包まれていた。

アルベルティーナは、王都観光を楽しんでいた。

「んん~。やっぱり王様の住む都市って大きいわねえ~」

「本当に。大聖堂も市庁舎も立派なものでしたねえ」

「大聖堂で買ったメダイユ、みんな喜んでくれるかしら」

「お嬢様が自らお選びになったのですから、皆泣いて喜びますとも!」

「ばあやは次どこ行きたい?」

「わたしはお嬢様の行きたい場所へお供するだけでございますよ」

逗留先の宿屋と契約している辻馬車は、宿の台帳係が駄賃交渉を代行してくれるため、街中で流れの辻馬車を見つけるよりも安心だ。

「噴水広場を見ようかしら。それともお菓子屋さんの方がいいかしら」

「時間はまだありますから、両方回りましょうか」

無蓋馬車の御者席から尋ねられたため「じゃあ、それでお願い~」と返事をした。

観光ついでに聞こえてくる噂話に耳を傾ければ、停戦の立役者である王弟に対する感謝の言葉がそこかしこから聞こえてきた。

(わたしのまだ見ぬ夫……すごい! 大人気じゃない)

皆の笑顔の裏に彼の頑張りがあったのだと思うと、アルベルティーナも嬉しくなった。

なんだかんだと日中一杯観光を楽しんだアルベルティーナは買い込んだ土産と一緒に宿に戻った。

「楽しかったわね。夕食はどこか、別の店に食べに行きましょうか。こんなにもたくさんお店があるんだもの。せっかくだから色々試してみたいわ」

などと話しながら宿の玄関扉をくぐった直後のことだった。

「アルベルティーナ!」

「お嬢様!」

大きな声を出しながら男性二人がこちらへ近付いてくるではないか。

薄茶の髪に白いものが交じり始めているものの、がっしりした体つきと姿勢の良さで実年齢よりも若く見える壮年の男と、つい一昨日別れたばかりの銀髪の青年騎士だ。

「ドナシアンに、コルドじゃないの」

なぜだか顔から血の気を引かせている二人に、アルベルティーナはのほほんとした声で「どうしたの?」と尋ねた。

「おおおおお嬢様、わたくしめを一発、いえ、千発でも殴っていいので、どうか、どうか、コンラード様との離婚だけは勘弁願います」

ドナシアンがガタガタブルブル震えながらアルベルティーナに縋りついた。

「アルベルティーナ。事情はこのドナシアンから聞いた。今まで放置してしまったことを謝罪させてくれ!」

矢継ぎ早に言われたアルベルティーナは、ドナシアンとコルドを交互に見つめた。

どうしてこの二人が連れ立って自分の前に現れたのだろう。

繋がりが分からなくて首を傾げながら、やはり交互に二人の男性に視線を向ける。

コルドと視線がかち合った。

彼は、一度アルベルティーナから視線を逸らしたあと、決意を込めたように、眼差しに力を込めて見つめてきた。

「お、俺が……きみの夫のコンラード・ル・ソシュール・ロッシュヴァンだ」

言われた言葉が頭の中に入ってこない。

だって、彼は荷馬車で王都に帰還していた、ただの騎士だったはず。

いや、確かにガラの悪い帰還兵を一言で蹴散らせるほどの階級ではあったはずなのだが。

(えっと、目の前の男性がわたしの夫? うそ……。いや、でもロッシュヴァン公なんて名乗ったら詐欺罪で絞首刑よ……)

貴族の、それも臣籍降下で誕生した公爵位を偽りで名乗った先にあるのは首つり台である。命を懸けた詐欺など、割に合わなすぎである。

とりあえずアルベルティーナは、一番尋ねやすい男へ矛先を向けることにした。

「説明……してくれるのよね? ドナシアン」

*

場所を移して、騎士団本部の応接間にてアルベルティーナは、ドナシアンとコンラードの二人から事情説明を受けた。

九割はドナシアンの独白と謝罪であったが。

大体のところは彼から以前受け取った告白文と同じ内容であった。

違うのは、そこに本日初めて対面を果たした夫コンラードの謝罪が載せられたことである。

「本当に、本当にすまなかった。結婚していた事実を今日知らされたとはいえ、それはアルベルティーナには何の関係もないことだ。長い間悲しい思いをさせてすまなかった」

「知らなかったとはいえ、わたしは夫本人に夫との馴れ初めを話してしまったわけで……」

夫と分かる前にただのコルドとベルとして出会ってしまっていたため、どうにも格好がつかない。

彼と何を話していいのか分からないため、アルベルティーナは言いやすい方へまず先に言うことにした。

「結婚の真相の告白が、これから戦場に向かいますってあのタイミングなのも、どうかと思うわよ。怒りたいのに怒れないじゃないの」

「申し訳ございません」

ドナシアンが深々と頭を下げた。

「ここからが本題なんだが……。俺と一から関係を築いてほしい」

「で、でも……」

「七年も放っておかれて離婚したいというきみの気持ちも分かる。しかし……今日結婚していることを知らされた俺としては……きみのことをきちんと知っていきたいんだ」

そう言って彼はポケットから何かを取り出した。

「これを贈ってくれたのは、きみだろう?」

広げられたのは、昔アルベルティーナが手ずから刺した四つ葉のクローバーの手巾。少し黄ばんでいるのは、彼がずっと身に着けていてくれたからだろう。

「前線に出発する前に、ドナシアンから届けられた。昔俺が留学の後見になった少女から戦地での無事を祈る贈りものだと言われたんだ」

コンラードはドナシアンからさる名家の事情持ちの少女のサルドネ留学の後見役に就いてほしいと言われて書類に署名したそうだ。それがアルベルティーナとの結婚契約書だったというのだから笑えない。

「前線へ送られることが決まった時、俺は死んでもいいかなと考えていた。抵抗するのが馬鹿馬鹿しくなっていたんだ。その時にドナシアン経由で届けられた手巾を手にした時、少なくとも一人は俺の無事を願ってくれている人がいるんだって、心に光が射した」

コンラードは懐かしそうに目を細めながら手巾に施された緑色のクローバーの刺繍に指を這わせた。

どうしてだろう。アルベルティーナの心に触れられたような錯覚に陥って、胸がざわめいた。

「ありがとう。きみのおかげで自棄になって敵兵に突っ込んでいかずに済んだ」

「お役に立てたのなら……よかったです」

彼が自暴自棄になっていたら停戦が遠のいていた。

「アルベルティーナ、きみのことを改めて知りたい。俺は昔のように無力ではない。きみを守る力を持っているつもりだ。味方もたくさんいる。だから、改めて俺の妻になってほしい」

「せっかく生き延びたのです。これからのことを考えたら、わたしよりも国内の有力貴族の身内の女性を娶られた方がいいと思うのです」

「俺のために身を引くというのならやめてくれ。俺はアルベルティーナがいい」

真っ直ぐに彼の視線に射抜かれた。

なんて言っていいのか分からなくなる。

だって、彼はずっと苦労してきたのだ。

その間、自分ときたら田舎の領地で命の危険もなくのんびり暮らしてきたというのに。

にもかかわらず、何も与えられないアルベルティーナがこのまま彼の妻で居続けるなんて。

「わたし……仲のいい夫婦に憧れているんです。毎日手を繋いで散歩して、いってきますとおかえりなさいと言い合って、一緒に家庭菜園をやって。そういうの、コンラード様には似合わないじゃないですか。わたしも今更公爵夫人なんて似合いませんし」

アルベルティーナは、ふいと横を向いた。

これだけ言えば彼だって諦めてくれるだろう。

「分かった」

よかった。住む世界が違うのだと理解してくれた。

ほんの少し、胸の奥がつんとしたけれど、気付かない振りをする。

「手を繋いで散歩するのも、行き帰りの挨拶も、家庭菜園も全部やろう。俺だって今更公爵として社交場で愛想笑いなどしたくもない。諸々の交渉が済んだあとは、二人でロッシュヴァンの土地に引きこもってのんびり暮らそう」

「えっ⁉」

アルベルティーナは目を丸くして、彼を見つめた。

目の前でコンラードが目を細めた。

視界の中にアルベルティーナが映っていることを認めた途端に、呼吸の仕方が分からなくなった。

「まずは挨拶からはじめようか。ただいま、アルベルティーナ」

「お……かえり……なさい。コンラード様」

こちらを包み込むような優しい声に、ドキドキしながら返事をしたのだった。