軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第329話 一夜

「……べつに、部屋にまであがりこむ必要はないんじゃないか」

なんだか生々しい展開になってきた。

「会食の際に怒鳴り合うとかでもいいような……」

「駄目だ。そんな口喧嘩では、関係が破綻したとは思われない可能性が大いに残る。それに、私は演技が下手だ」

まあ、そりゃ見るからに演技が下手そうではあるけれども。

「少なくとも私の方は、大勢の前でやって茶番と思われない自信がない」

「個人的な饗応のため部屋に招き入れて、酒の勢いで俺が肉体関係を迫って、返り討ち、か……」

ルオークの城館に用意されているアンジェの部屋には、ベッドとテーブルと二脚の椅子の他は、大きな鏡が一つ置いてあるだけだった。衣服や化粧は専門の従者が管理しているのだろう。

本当に寝泊まりするだけという感じの、質素な部屋だ。

そのテーブルの上に、オーブンで焼いた肉にハーブを添えた簡素な肴と、ワインの瓶が置かれていた。

「座ってくれ」

「ああ」

椅子に座る。こんな小さな部屋で、女性の国主と差し向かいで飲むのは、なんだか変な感じだった。

「本当ならアルティマの貴腐ワインを楽しんで頂きたいところだが、用意がなくてな」

貴腐ワインというのは、木に成ったまま特定の菌に侵された、要するに腐ったブドウで作ったワインのことだ。たしか気候条件が厳しくて、霧が多い地域でないと成ったまま腐らないんじゃなかったかな。

アンジェが領主をやっていたアルティマの貴腐ワインは、近年特に品質が高いことで知られていた。戦争が起こる前までは。

「飲んだことあるぞ」

貴腐ワインは通常、甘口のデザートワインとして食後に飲むもので、特別な会食の時などに供される。ただただ甘いだけではなく、おそらくは発酵の過程で生じたであろう独特の風味があり、かなり甘かった覚えがある。

「そうなのか」

意外そうな顔をしている。自領の特産物が、まさかシヤルタ王国まで流通しているとは思わなかったのだろう。

おそらく流通経路をたどれば、密貿易をなりわいとするアルビオ共和国の商人がどこぞから仕入れてきた品のはずだ。

「ホウ社は貿易商でもあるからな。付加価値が高くても売れる物なら喜んで仕入れる。各地の名産品については一通り知っているぞ」

「……さすがだな」

アンジェは、こちらのワイングラスにワインを注いだ。酌を返す前に、自分のグラスにも注いでしまう。

それから、自分のグラスをこちらの近くに置いた。

「好きな方を選んでくれ」

ああ。そういう配慮か。

過去に酒に毒を盛られて酷い目に遭った男、という認識があるのだろう。

「じゃあ、こっちをもらおう」

俺はもともと自分のところに置いてあった酒を取った。

「では、乾杯しよう。我々の勝利に」

「ああ。乾杯」

キン、と触れ合ったグラスが音を立てた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

飲んだら乗るな、乗るなら飲むな、なんていう常識は、やはりティレルメ地方にもないらしい。

まあ、少しくらいなら逃げるのに不都合はないだろう。と思いながら、ちびちびとワインをやっていたのだが……アンジェの方はよほど溜まっていたのか、結構いっていた。

「――まったく、貴殿が羨ましい。羨ましすぎる。本人が優秀なのに、部下にも恵まれているとは、天の配剤かなにかなのか?」

「部下ってのは誰のことだ。リャオ・ルベのことか?」

「ばか」

馬鹿って言われた。

「宰相のミャロ・ギュダンヴィエルもそうだし、軍部にはドッラ・ゴドウィンという勇将がいるだろう。あと、リリー・アミアンも」

そこまで言ったところで「あっ」と、突然声をあげた。

「ごめん。リリー女史は亡くなったのだったな」

酒で頭が多少鈍っているのか、一瞬「なんのこと?」と思ったが、次の瞬間には思い出した。そうだ、リリーさんは暗殺が成功して殺されたことにしたんだった。

まだバレてなかったのか。

会社の組織図から名を消す程度の雑な隠蔽はしているが、リリーさんは別に人目を忍んで生きているわけではない。意外と盲点なのか?

「気にするな。もう後任がいる」

まあ、生きてることは言わんといたほうがいいだろう。

「そうなのか。まったく、本当に人材が豊富だな。登用のコツを教えてくれないか」

コツもなにも……。

「ミャロとドッラは、同級生だぞ。学校行ったらそこにいただけだ」

「同級生? あー、うー……」

アンジェは言葉をなくしたように呻いた。

「私も、学校に通えばよかったのか。ずっと家庭教師だったから……」

「かもな。ちなみに、イーサ先生はそこのテロル語教師だったんだ」

「はあっ!?」

アンジェは素っ頓狂な大声を出した。

「こわい。小論文でも書こうものなら心が折れるまで批判されそう」

一体、イーサ先生はこっちでどんな評判なんだ……。

「今は優しい先生だ。たまに本性を垣間見せてくる時はあるけど」

「本性があるのか。こわい」

「怖くない怖くない」

俺はグラスに口をつけ、わずかに傾けて酒を口に含んだ。

「まあ、そのうち会う機会もあるだろう。ワタシ派の布教もあるし」

「あー……そうか。私も、いずれは破門されることになるのか……」

また話が変わった。まあ、俺のようなシャン人とヨロシクやってたら、いずれ破門はされるだろうな。

シャンティニオンの方だと、武力で制圧されて仕方なく恭順しているだけ、ということになっているから、従順な大物貴族が次々と破門されるという事態にはなっていない。だが、自ら進んで同盟を組んだとなると、やっぱり話は変わってくる。

そのうち破門、それも悔い改めれば簡単に許される形の小破門ではなく、大破門という形の布告が行われるはずだ。

「そういうの、気にする方なのか」

「いいや。だが、君主が破門されたとなったら、民は動揺するからな。そっちのほうが大問題だ」

そりゃそうか。

「あーもー、また、悩み事が増えたじゃないか。やめてくれ」

アンジェは駄々をこねる子どものように呻いた。

といっても、話題といえば仕事の話しかないしなあ。

「そっちも大分酔いが回ってきちまってるみたいだし、そろそろやるか?」

懐中時計を取り出して時間を確認すると、そろそろ夜更けも近い時刻だった。

逃げる際はカケドリにまたがって颯爽と逃げる段取りなので、夜が更けるのは構わないのだが、見張り以外全員が寝静まってしまうような深夜になってしまうのも問題だ。それだと噂が回らなくなる。

「もうこんな時間か……」

アンジェも自分の時計で時刻を確かめている。

「どうする、刃物で切り傷でも作るか?」

「ううん」

アンジェは、うめき声のような返事をすると、椅子を立ってベッドに横たわった。

寝られちゃ困るんだが。

俺はテーブルの反対にあるベッドに近寄り、ベッドサイドに腰を下ろすと、顔に腕を当てているアンジェを確認した。

「本当に眠っちまうなよ」

まあ、位置的にはベッドから騒ぎが起こったほうがリアリティはあるか。

「抱いてもいいぞ」

はあ?

「なにを言って――」

「あなたには感謝しているし……なにもかもが上手くいかなかったら、どうせ嬲りものにされる体だ。遠慮はしなくていい」

「そんな理由で、嫌がる女を抱けるかよ」

「私は嫌じゃない。それに――」

アンジェは、続く言葉を口にするかわずかに逡巡したあと、口を開いた。

「私は、あなたの妻に似ているんだろ」

「…………」

そりゃそうだけど。

「もし……あなたが嫌じゃなければ、だけど」

嫌ではなかった。

だが、思わず手を伸ばそうとしたとき、意識に人の影が過ぎった。ミャロ、リリーさん、シャム……その存在に思いを馳せると、キャロルが空けていった空虚を満たしたいという欲求が、薄まっていくような気がした。

きっと、その穴が、あの時のままの形で残っていたのなら、俺は手を伸ばしていたろう。

だが、もう半ば埋まってしまっている。

「……いや。駄目だな。浮気になっちまう」

「そうか……本当にいいのか?」

「ああ。手を出したいのは山々だが、愛する人を裏切るのもな」

俺は後ろ髪を引かれる思いを残しながら、手を引いた。

キャロルに対する寂寥が薄まったような気がして、恐怖に似た感情が心を過ぎった。それが埋まることは、きっといいことなのだろう。しかし、埋まってしまうことに哀しみもあった。

「私は、これまで数え切れないほど求婚され、交渉相手には定番のように体を求められてきたが……こちらから誘惑して、拒む男もいるのだな。新たな発見だ」

「俺だって、理性が必要なかったわけじゃない」

女にとっては拒まれるのは屈辱かもしれない。フォローしておいたほうがいいだろう。

「まあ、いい。これで感情が伴った。ちゃんと演技ができるだろう。 処女(おとめ) に恥をかかせたんだ、これくらいは我慢しろよ」

えっ。

アンジェが上半身をグッ――と起こすと、わずかに遅れてついてきた右手が大きく弧を描き、体重の乗った一閃が頬に突き刺さった。

バッチーン! という激しい音響と共に、ほとんど殴られたのと同じような衝撃が下顎を揺らす。

あまりの勢いにベッドから転がり落ちてしまった。

「いっ――って」

さっきまでアンジェが座っていた椅子に手をかけて立ち上がると、意識がグラッと揺れて、視界が斜めに傾いていった。壁に体当たりしたような感覚で床にぶっ倒れ、体全体に衝撃が広がる。

おいおい、嘘だろ。効いちまってる。

途中で接触したテーブルが倒れ、上に載っていたワインボトルと食器類が、けたたましい音を立てて割れた。

「おまっ――くそっ、足が」

やべぇ、これ立てるか。

床に手を置いてなんとか立ち上がり、叱咤するように足を叩いた。顎が揺らされたせいで、視界がたゆたうように波打っている。

「そろそろ大声を上げるぞ」

「お前な」

物事には限度ってものがあるだろ。

スーッ、ハーッと息をし、頬を撫でる。かなり熱をもっていて、皮が剥けた肌を触っているようなヒリついた刺激があった。

感覚が戻ってきた。くらくらする感じは抜けないが、まあなんとかなるだろう。

外からは従者のものか、駆けつけてドアの前でなにかを相談しているような声が漏れ聞こえてくる。

扉を勢いよく開ける準備が整うと、俺は言った。

「いいぞ」

アンジェはスゥーっと肺いっぱいに息を吸い込むと、

「無礼者っ!!!」

耳をつんざくような大声を出した。