作品タイトル不明
第300話 奇襲*
「アンジェ様」
「なんだ?」
森の中、隣りにいる顔なじみの古参騎士が話しかけてきた。
もうずっと昔のことのように感じる、まだこの国が平和だった頃から近くにいた、アルティマ近くに旧くからの領地を持っている騎士だ。
「轡を並べるとはいっても、この道は、いささか狭すぎますな」
古参騎士は、ささやくような小さな声でおどけたように言う。それでも聞こえるほど、距離が近かった。
それもそのはず、アンジェたちが二列縦隊でひしめいている道は、森の中の小道だった。森の奥にある小村が、わずかに利用するだけの道だ。
人の足で踏み固められ、牛や農耕馬がたまに往来するだけの道に、騎兵が二騎ずつ並んでいる。肩が接するほど狭苦しい。
しかし、このような小道であるからこそ、地元民しか知らない上に出口も目立たない。注意して見ないと気づかない程度に森が途切れ、道があり、また森に戻る。
逃げんとする宿敵の尻に噛みつかんと怒涛の行軍をしているアルフレッドには気づかれまい。
「……すまんな。こんな兄妹喧嘩に、さんざん付き合わせてしまって」
「なにをおっしゃいますやら。私は、あの男の下で郷里を治める気はありませぬ」
彼ら騎士の多くは地主貴族で、故郷の屋敷に生まれ、封土として与えられた小さな村程度の土地を治めている。
「孫の肩にアンジェ様が剣を置き、叙勲されるところを見るのが、私のささやかな夢なのです。仮にアンジェ様が国を去りでもして、我らが許されたとしても、孫があの男に叙勲されるところなど、想像したくもありませんな」
古参騎士は、そう言って嫌そうな笑みを浮かべた。
「――ありがとう」
アンジェは、心からそう思った。彼らの忠心に報いたい。勝って、ねぎらい、忠義を称え、故郷に帰してやりたい。
彼らが住むところは、あの狂人が統べる国ではない。私の作る、優しく豊かな国だ。
「よし……そろそろか」
「ですな」
アンジェリカは、甲冑の面頬を下ろした。鍛えられた鋼の板で視界が狭まると、手に持った剣を前にいる騎士の肩に置いた。その騎士は、短く持った槍を前の騎士の肩に置く。
それが最前列に到達したとき、騎士たちは走り出す手はずだった。
十秒、二十秒。蹄が土を削る音が聞こえる。そして、前の騎士が動き始めると、アンジェリカは馬に拍車をかけて走らせ始めた。
◇ ◇ ◇
森が切れ、パッと視界が明るくなる。そこに広がっていたのは、前進する敵陣の横っ腹を穿つ、手ずから調練した自慢の騎兵たちの勇姿だった。
鈍い包丁で肉を断つようにして、抵抗する敵陣を絶ち割っている。
これなら行ける。細長く伸びた敵陣を貫き、折って返してもう一度貫く余裕すらあるかもしれない。
そう思い、指揮を取ろうと剣をかかげたとき、視界の端になにかが映った。
青。手の込んだ刺繍のはいった、真っ青な戦旗。
その下に、きらりと光るものがあった。鈍い金色。真鍮の仮面。戦場であんなものを着けているのは、一人しかいない。
「アルフレッドだっ! やるぞ!」
アンジェは一瞬で判断を下し、後ろに続く騎士たちに言い放った。抜き放った剣をアルフレッドに向け、明白な意思表示をした。
その一動作で後続の騎士たちは全員が意図を察し、馬首をめぐらせ新たな突破口を作る。
伸びた敵陣を断つ新たな刃が振り下ろされ、列を穿ってゆく。アンジェもまた、それに参加した。
アルフレッド。ここで仕留めれば、すべてが終わる。
あとはもう、誰も苦しむことはない。
終わらせてやる。
絡み合う馬と兵をかき分けて、アルフレッドの元へ最初に到達したのは、運命の糸を誰が引いたのか、アンジェ自身だった。
幸いなことに、アルフレッドはそのとき、別の方向を向いていた。
アンジェは無駄に叫ぶことなく、手に持った重い幅広の剣を振りかぶる。
かつては先王、父レーニツヒトの腰にあり、後にギュスターヴに下賜された剣だった。アンジェには重すぎる剣であったが、ギュスターヴを喪った悔恨を忘れぬよう、常に腰に差していた。
手の込んだ全身甲冑を着込んだアルフレッドは、まだあらぬ方向を向いている。頭を狙え。騎乗で片手でしか振れずとも、剣の重量を使えば兜を打って脳震盪を起こすことはできる。落馬させてから仮面を貫き通し、顔面を割ってやる。
振り下ろした瞬間、動物的な勘か、あるいは単に周囲を警戒せねばならぬと思ったのか、アルフレッドはアンジェの方を向いた。そして今まさに攻撃されようとしていることに気づくと、開いた手を振りかざして刃を防ごうとした。
アンジェの幅広の剣が、研ぎ澄まされた刃とその重量によって、アルフレッドの全身甲冑の篭手を割っていく。中指と薬指の間に入った重厚な刃は、手の甲を保護している金属板を切り裂き、手首まで達した。
「――ッ、アンジェリカッ!」
刃を持っている甲冑の女がアンジェであることを悟ったアルフレッドは、右手で既に抜いていた剣を振るった。
怖いほどに意識が研ぎ澄まされている。片手の横振りでは、剣自体の重量を活かすことはできない。いくら軽量に仕立てた甲冑といっても、こんな手打ちの剣で裂くことは叶わない。
アンジェはそう判断し、冷静に左手を動かした。ホルスターから短銃を抜き、その手を折りたたみ、前腕と二の腕の装甲でアルフレッドの剣を受ける。強い衝撃が腕から肩に伝播するが、次の瞬間には腕を伸ばせていた。
殺す。この距離なら。
アンジェはアルフレッドの真鍮の仮面に向けて照準をつけ、引き金を絞った。カチンと音がして 燧石(フリント) が落ちる。その瞬間、ガッ、と背中に強い衝撃を感じた。
――投石?
「アルフレッド様! お逃げください!」
という声が聞こえたときには、指は止まらず短銃は発射されていた。ドカンッと音を立て、アンジェの左手が跳ね上がる。照準は、アルフレッドの仮面から、右胸にずれていた。
貫通していない。頑丈な胸の装甲は、深く凹んだだけで弾丸の貫通を許さなかった。
しかし、その衝撃で馬上でよろめいたアルフレッドは、落馬しはじめた。
それにしたがって、アンジェリカの右手がなぜか強く引っ張られた。手綱を握るべき手は、短銃を握っている。慌てて短銃を投げ捨てて手綱を取ろうとするが、掴む手は宙を切った。
落馬。
それを意識した時にはなにもかもが手遅れで、宙に浮いた感覚が身を浸した次の瞬間には、地面に打ち付けられる衝撃が体を貫いていた。
◇ ◇ ◇
良質の甲冑が衝撃を受け止めてくれたのか、アンジェは気を失わずに済んだ。
すぐさま肘をついて立ち上がり、アルフレッドを見る。アンジェが手放してしまった幅広の剣を、アルフレッドは真っ二つにされた拳で握り込んでいた。
あれに引っ張られたのか。
アルフレッドは仮面の奥の目を血走らせながら、地面に自分の剣を突き立てて立ち上がろうとしている。しかし、被弾で胸の骨が折れたのか、上手く立てないようだった。
落馬してしまった。
乗っていた馬のほうを見ると、主を捨てて既に離れてしまっている。つい半年前に愛馬を戦場で亡くしたため、新しく買い求めた馬だった。
だけど……。
これは奇襲攻撃だ。彼我の戦力でいえば、こちらが圧倒的劣勢である。敵軍に強烈な一打をくれてやり、あとは脱兎のごとく逃げる。そういう手筈だったのに、自分は落馬して馬は去った。これでは逃げられない。
周囲を見る。味方は少なく、乱戦に紛れてしまっている。戦場の怒号に飲まれ、助けを求める声は届かないだろう。
こうなったら、相打ちしてでもアルフレッドを斃すしかない。
しかし、剣も短銃も手放してしまったアンジェには、武装がなかった。アルフレッドの裂けた手から剣を引き抜き、それでとどめを刺さなくては。
「ア゛ンジェリカァ――よくぞ我が前に現れてくれたなァ、兄が褒めてやる」
アルフレッドは、自分の手が裂けていることなど気にも留めていない様子で、アンジェを見ている。次第に力が戻ってきたのか、重鎧を着込んでいるにもかかわらず、地面に刺した剣を杖にしてゆっくりと腰を上げつつあった。
剣を、早く自分の剣を奪わなければ。
アンジェは徒手空拳のままアルフレッドに接近すると、脇に飛び込み、裂けた手にぶら下がっている愛剣を掴んだ。
その場で身体を翻し、回転の勢いをつけて薙ぎ払う。
アルフレッドは自分の剣で防御し、二本の剣が噛み合った。
「この場で自害しろッ! そうすれば嬲らずに済ませてやる」
「――狂人め! 兄を殺し弟を殺し、妻をも殺し、なにがしたいのだ。一族を皆墓に送り、一人死ぬつもりか! サクラメンタの聖血を絶やさんとする忌み子め。貴様が王になど、ふさわしいものか!」
「口の減らぬ売女がッ!」
アルフレッドが叫ぶと、アンジェの体が弾かれるように退がった。体全部を使って突き飛ばしたのだ。元々、男と女では体重と筋力に差がある。それに加えて、鎧の重量差もあった。力づくの戦いでは勝てない。
しかし――負けるわけにはいかない。早く、早く殺さないと、囲まれてしまう。
そうアンジェが思った時、脇の下から見知らぬ腕が伸びた。革鎧を着けた手が、両脇からアンジェの体を羽交い締めにした。
「なっ――!」
「アルフレッド様! 御仕留めください!」
「――よくやった」
アルフレッドは不気味なほど冷静に言い、剣を腰だめに構えた。柄を腰で支え、体重で刺し貫くつもりだ。
「放せっ!」
アンジェは羽交い締めを振りほどこうとするが、
「死ねッ!」
それを大人しく待っているわけもなく、アルフレッドは駆け出した。
刺し貫かれる瞬間、思わず目を強く瞑った。
そして、体の中に刃が入ってくる瞬間を待つが、それは二秒経っても三秒経っても訪れなかった。
「姫様ッ!」
声が聞こえた。目を開けると、そこには突入するとき話した古参の近衛騎士がいた。
その馬はアルフレッドを蹴倒し、槍は背後で羽交い締めにしている男を深々と突き刺していた。
騎士は潔く刺したままの槍から手を離すと、
「お掴みを!」
と言い、空いた手を差し伸べてきた。
「ああ!」
手に持っている剣を収める時間も惜しい。アンジェは愛剣を手放し、両手でしっかりと手を握った。瞬間、力強く馬上に引っぱり上げられ、ふわりと馬に跨る。
しかし、背を預かる者がいない。
「お前ッ! なにをしている――ッ!」
古参騎士は鐙から足を外し、アンジェと入れ替わりに馬から飛び降りていた。
「いくら自慢の愛馬といえど、甲冑二人は重すぎましょう」
地上で刺し殺した男の肩を足で踏み、槍を引き抜きながら、騎士は言った。
「 彼奴(きゃつ) は私が仕留めまする。姫様はお行きなされ」
「だが――っ」
「振り返りなさるなッ! ここは我が見せ場。吟遊詩人の歌う唄に、華を添えてみせましょう」
アンジェは数秒の葛藤のあと、馬を走らせた。
「すまぬ――すまぬ!」
そう叫び、ちらと後ろを見ると、視界の端で騎士を敵兵が囲もうとしていた。