作品タイトル不明
第294話 その頃、王城にて*
ミャロ・ギュダンヴィエルは、その日王城の執務室で仕事を終え、とんとん、と書類を揃えると、机の引き出しにしまった。
「アイリーン、お茶をお願いします」
「はい。あいにく、ぬるくなってしまっていますが、ご容赦ください」
アイリーンがお茶を淹れている間に、ミャロは机の上に散らばった文具を片付け、すべてを定位置に戻した。
暖炉では、ぼうぼうといつになく勢いよく焔が燃えている。見られたくない書類を燃やしているのだった。
「……ふう」
ため息をついて背もたれに背を預けていると、アイリーンがお茶を運んできた。
机に置かれたそれに口をつけると、温度が低すぎて抽出がうまくいかなかったのか、あまり美味しくはない味だった。
ただ、急いで飲むのには都合がいい。
アイリーンは、接客用の椅子に座って自分もお茶を飲んでいた。
「アイリーン。巻き込んでしまってすみません。あなたは逃げてもよかったのに」
ミャロは謝罪の言葉を口にした。
「いいえ、ミャロ様を置いて去るのも気持ちが悪いので。それに、死ぬと決まったわけでもありません」
「……でも、酷い目には遭うかも。あんな連中ですから」
「覚悟の上です――まあ、生きていればなんとかなりますよ」
「はあ……」ミャロは大きくため息を吐いた。「まったく、馬鹿なことをしてくれたもんです」
ミャロがお茶を飲み終えると、ドアが蹴破るように開かれ、それぞれ別の服を着た騎士たちがなだれこんできた。
「ミャロ・ギュダンヴィエルだな」
厭らしい顔を得意げに歪めた男が先頭に立っていた。
「あなたは、ジャノ・エクですね。お噂はかねがね」
ジャノ・エクは、ホウ社の拠点として発展を遂げたスオミで、ホウ家の名代として仕事をしていた男だった。
ユーリの叔父ゴウクの死をめぐる後継者争いで自害した、ラクーヌ・エクの甥である。大貴族であったエク家を残すため、スオミの代官として立場が残されたが、ユーリが政権を握ったあとは早々に任を解かれた。
その際には統治成績を主張して散々揉めたが、結局は強権によって立場から引きずり降ろされた。確かに統治成績は素晴らしく良好だったのだが、それはユーリがホウ社の拠点としてスオミを開発したからであって、彼自身の功績ではまったくなかったからだ。
「ふん。魔女どもが、茶など啜りやがって!」
ジャノ・エクが槍を振り、アイリーンの前のテーブルに置いてあった茶器セットを床にぶち撒けた。陶器が割れる音が一瞬の大合唱を部屋に響かせる。
ジャノ・エクは、その茶器をブーツで踏みしだきながらミャロのところに向かってくる。
「おい」
ミャロの胸ぐらを掴んで、吊るすように立ち上がらせた。
「まともな姿で居られると思うなよ。牢獄に突っ込んで、女に生まれてきたことを後悔させてやる」
「何をしているんですか?」
ミャロは、眉間に皺を寄せて怪訝そうに言った。
「――ふん、立場が解っていないようだな。味方が助けに来てくれるとでも?」
「いいえ、どういうつもりなのかなと思いまして」
まったく、噂に違わずお粗末な人材らしい。先が思いやられる。とミャロは思った。
「女とはいえ、騎士院を出た者の襟を無警戒に取るなんて」
ミャロはそう言うと、両腕で胸ぐらを掴んだ腕を挟み込み、力いっぱい肘の関節を逆に極めた。ジャノ・エクの体勢が大きく崩れると、懐の短刀を抜きながら背中に回り込み、頸動脈に刃を当てた。
「はい、皆さん動かないでくださいね。ジャノさんも、動いたらどうなるか、さすがに分かりますよね?」
短刀は首筋に深く押し付けられている。少しでも横にスライドすればスパリと肉を断ち、致命傷を与えることだろう。
ここから首筋をごくわずかにも動かさず脱出するのは、それこそ達人の技術がないとできない。
「ま、待て」
「喋らないほうがいいですよ。研ぎから返ってきたばかりなので、喉の震えだけで刃が沈みます」
そう言うと、ジャノは喋るのをやめた。
「安心してください。たった一人の人質で、大宰相の脱出を許すとは思っていませんよ。ボクの要求は一つだけ、それも簡単なものです」
そして、ミャロは要求を述べた。
「リャオ・ルベをここに呼んでください」
◇ ◇ ◇
しばらく経ってリャオが来ると、
「ようやくいらっしゃいましたか。はい、お疲れ様でした」
ミャロは首筋から短刀を離すと、体全体を使ってジャノ・エクを突き飛ばした。
「きさまァ!!」
顔を真っ赤にして激高したジャノ・エクは、拳を握り殴りかかった。
だめだ、こいつ。
ミャロは頭の中で、呆れとともに目の前にいる愚かな男への評価を最低ランクに落とした。
身を躱しながら、先程まで首に当てていた短刀を、ヒュッ、と一閃すると、ジャノ・エクの拳に一筋の深い切れ目ができた。
一度はしてやられた、しかも短刀をすでに握っている相手に殴りかかるなんて。脳に海綿でも詰まっているのではなかろうか。
顔も嘘みたいに真っ赤に染まっている。激情に至ったが最後、理性的な思考が一切できなくなる気質なのだろう。酢で締めたタコみたいだ、とミャロは思った。
痛みに拳を引いたジャノ・エクは、なにもかも思い通りにならない現状に苛立った様子で、
「糞っ、おいっ! この女を殺せッ!」
部下に視線をやり、喚いた。
「なにやってんだ、てめえは!」
横合いからリャオの強烈な蹴りが飛び、ジャノ・エクは壁に叩きつけられた。
「ミャロ・ギュダンヴィエルは丁重に扱うよう命じたはずだ! 貴様、なにをしているッ!」
「リャオ殿、しかし――こいつっ!」
「俺の命令は聞けんということかッ!」
リャオは短刀を抜くと、まっすぐにジャノ・エクに突きつけた。
「ならば貴様とて処断する! 命令不服従が許されると思うな!」
「………くっ」
「貴様には、上下関係を明確にしておく必要がありそうだな。あとでもう一度呼ぶ。それまで城下の見回りでもしていろ!」
「……了解しました」
チッ、とミャロに向けて舌打ちをすると、ジャノ・エクは不承不承を絵に描いたような態度で手下を引き連れていった。
「ここはもういい。お前らも出ていけ」
「ハッ!」
手勢のルベ家の兵に命じると、彼らも部屋を出ていき、部屋は三人のみとなった。
「やれやれ……前途多難ですね。リャオさん」
ミャロは、そう言いながら愛用の椅子に座った。
リャオに叩きつけたい恨みつらみや罵詈雑言は山程貯めていたのに、開口一番に口から出たのが優しげな言葉だったことに、ミャロは自分で驚いていた。
アイリーンは席を立つと、掃除用具入れから箒とちりとりを取り出し、地面に散らかった茶器の破片を片付けはじめた。アイリーンと代わるように、リャオはどっかりと来客用のソファに座った。
「――まったくだ。連中ときたら」
リャオは膝に片肘をあてて、指先を額にかけて分かりやすく頭を抱えている。
いい気味だと思う反面、あれじゃ大変だろうな、と思ってしまう。
「手を組むにしても、もうちょっとまともなのは居なかったのですか。彼、息をするように命令違反をしていましたが」
言うまでもなく、軍というものは上下関係と命令遵守に異常なまでに厳しい組織だ。その厳しさときたら、一般社会の法とは別に、軍法という特別あつらえの法が必要とされるほどである。
なぜそれほどの厳しさが必要となるのかといえば、そうしないと戦争ができないからだ。敵を攻撃しろという命令は、常に敵の攻撃に晒されるという裏返しの性質を帯びている。そこには必ず死の恐怖が伴うし、現実に死のリスクが存在する。
これから死地に飛び込もうという時に、恐怖を感じない人間はいない。兵に逃げてもいいという選択肢を与えていたら、戦争という行為はできないのだ。
そして、それは指揮官級の人間なら誰でも知っている戦争のイロハのイだ。しかし、ジャノ・エクはそれを軽んじている。
「どういった経緯で仲間に引き入れたのか知りませんが、騎士院の一年生で教わる鉄則すら軽視するようじゃ、山賊のたぐいと変わりませんよ」
「分かっている。昨日今日手を組んだばかりの急造の味方だ。これから締めていくさ」
「どうだか」
ミャロは不快感に眉間に皺を寄せながら、はあ、とため息を吐いて、背もたれに体重を預けた。
このところ、ため息を吐く頻度が増してアイリーンに注意されていたが、今日は特に多い。当たり前だけれど。
ただでさえ毎日毎日仕事に追われているのに、別次元の面倒事が土砂崩れのように覆いかぶさってきて、土の中で窒息している気分だ。目の前にいるこの男は、なんだってこんな愚かなことを始めたんだか。
「――お前はなぜ残った。逃げる隙はあったはずだろう」
「あの山賊と変わらない連中に、ボクとユーリくんが作り上げてきた官僚機構をグチャグチャにされないようにですよ。放っておいたら、ボクが育てたひよっこたちを蹂躙して、お城に火をつけかねませんでしたから」
リャオが率いるルベ家軍は、こちらに通告なしに突然領境を侵犯すると、シビャクに向けて急速に行軍し、かつて大会戦があったシビャクの北方で近衛軍と睨み合いになった。
しかし問題だったのは警戒しやすいルベ家軍ではなく、シビャク市街に浸透していた元騎士の寄せ集め軍だった。
先程のジャノ・エクのような、ホウ家から放逐された問題ありの騎士たちや、かつてボフ家やノザ家でそれなりの家格だった者たちが、一族の郎党を率いてシビャク市街に滞留しており、一斉に蜂起したのだ。
彼らは一般人なので、シビャク滞在を禁止する法はなかった。連中は国内の不穏分子として厄介扱いされていたが、金が尽きて食うに困れば働くしかないのだし、長期的には庶民に同化していくだろうと考えられてきた存在だった。
そういった不良騎士たちの反乱は、今までも各地で散発的に起こってきたが、その度に簡単に鎮圧されてきた。あまりに簡単だったので、積極的な対策が必要とは評価されてこなかった存在だ。
今回の蜂起も、本来であれば近衛軍で容易に鎮圧できた規模だったが、ルベ家軍の対応で軍を北に拘束された状態で蜂起されたのがまずかった。そのせいで、ほぼ無防備だった王城は窮地に陥った。
ミャロは新大陸関係の文書を焼却しつつ、王城に詰めていた少数の近衛軍を指揮して防衛戦を開始した。そののち、限定的な攻勢を行って鷲舎を奪取した。
ミャロはその際に逃げることも可能だったが、それをせずに王城に留まることを選んだ。
王城には、ユーリと作り上げた官僚機構がそのまま残っていたからだ。目の前の政治を分からぬ獣どもに好き放題にさせたら、虐殺しながら城を蹂躙する可能性があった。
官僚とは、国家を運営し管理するために諸事をこなす組織のことだ。小さな村一つを統治するだけなら官僚は必要ないが、大国家の広大な領土になると、国王と宰相の二人だけではどうやっても統治できない。そのための手足となるのが官僚という存在だ。
しかし、そういった裏方仕事は、えてして民衆の理解を得づらい。特にああいったまともな統治経験もないような馬鹿どもにとっては、しようもない机仕事で甘い汁をすする国家の寄生虫のような存在に見られがちだ。特に古い世代の騎士にとっては、官僚とは魔女の代名詞なので、憎悪と蔑視の対象でもある。
しかし、そういった不見識によって官僚機構が壊されてしまえば、はるか広大な領土の手綱を握り続けることができなくなる。
特に旧ガリラヤ連合の土地には大きなクラ人の組織が残っているので、官僚組織がなくなれば東部の抑えが効かなくなり、シャンティニオンは再び失陥し、せっかく大きくした国家が空中分解しかねなかった。
なので、ミャロは王城に留まって近衛軍を指揮し続けることを選んだ。
いくらなんでも、リャオ・ルベなら統治に官僚が必要であることは理解しているだろうし、ルベ家の正規軍であればふるまいはまともであるはずなので、彼らが来るまで無知な獣たちから王城を防衛しなければならなかったのだ。
ルベ家軍と睨み合っている近衛軍に女王脱出の知らせを送って降伏をさせ、進軍してきたリャオ・ルベが到着すると、王城に詰めていた部隊も降伏した。
だが、ミャロの部屋に最初に訪れたのはリャオではなかった。
「気になるでしょうから言っておきますが、女王陛下は鷲に乗せて逃しましたよ。こういう状況を想定してのことだったのか知りませんが、ユーリくんが鷲の訓練を始めさせていたので」
シュリカちゃんが鷲に乗る訓練を始めたと聞いた時は「えっ、なんで!?」と思ったものだったが、なんだかんだで早速役に立ってしまっている。
運がいいというかなんというか。
「知っている。飛び去るのを兵が見ていたからな」
「そうですか。なら、無駄に王城をひっかきまわして探す必要はありませんね。おめでとうございます」
「ああ」
茶器の破片を片付け終わったアイリーンが、ちりとりに集めた破片を紙袋に収め、床にこぼれた茶を雑巾で拭き清めた。
リャオはそれをちらりと見ると、立ち上がった。
「また来る」
アイリーンの前では話をしづらかったのだろうか。
「ボクの官僚たちに無体をしないよう、お馬鹿さんたちをせいぜい監督してください。彼女たちがいなくなったら、困るのはあなたですよ」
「分かっている」
そう言うと、リャオは執務室を出ていった。