軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第293話 戦姫会合*

アンジェリカ・サクラメンタは、絶望的な感情を抑えるように、頭を抱えていた。

矢継ぎ早にやってくる、悲鳴に近い声色の報告。不安に駆られている側近たち。兄王アルフレッドと教皇領軍に挟まれ、自軍はもみくちゃにされている。罠にかけられたことが明白になると、即座に総退却を考えたが、退路の選定が難しかった。くそったれの教皇領を味方と思っていたせいで、要所要所を固められてしまっている。

いっそこの期に乗じて、シヤルタ王国軍が大攻勢をかけてくれまいか――敵の活躍を祈るような気持ちになりながら、しかし彼らは一切の動きを見せず、むしろ消極的に陣を縮める動きをみせはじめた。

アンジェが側近に置いている頭脳派たちが、ああでもないこうでもないと意見を喚き散らしているとき、一つの報告が入った。

「シヤルタ王国軍から急使が参りました! 上空を旋回後、白旗を投下し、ゆっくりと降下してきました。白旗には、ユグノー・フランシスと……なぜかフリューシャ風の名前が」

ユグノー・フランシス?

アンジェがその名前を聞いた時、極限状態に置かれた脳が不思議な作用をし、何千何万もの引き出しがある 薬棚(くすりだな) から、たった一つ光った棚がひとりでに開くように、その名前を聞いた時の記憶が鮮明に蘇った。

前々回の十字軍のとき、ペニンスラ王国の小部隊と交戦した際に、ユーリ・ホウが名乗っていたという偽名だ。生き残った者から名を聞いたのを覚えている。ユーリ・ホウは部隊長だった騎士が殺された際にも、なぜか聖標の儀式を行っていて、鎧にユグノーと名を刻んでいった。

「会う。すぐさま、ここに通せ」

「了解しました」

伝令は即座に踵を返し、走っていった。

「アンジェ様。ですが――」

今ではすっかり側近に収まってしまったレオナール・ディヴァーが言った。

「うるさい。二度言わせるな。お前ら! 一言でも口を挟むんじゃないぞ。今は少しでも情報が欲しい」

そう言うと、天幕の中はシンと静まった。

その者は堂々と天幕に入ってくると、

「身体を改めさせてもらいます」

と言った下男に対して、ハッとなにかに気づいたような顔をして、懐に手を突っ込むと短剣を鞘ごと抜き出した。

「すまん、置いてくるのを忘れていた」

男は、教皇領のエリートが話すような 正統発音(リギティマ・アクセント) でそう言った。

「預からせていただきます」

「いい。君に進呈する。郷里の土産にでもしろ」

そう言って下男の胸に短剣を押し付けた。

堂々とした振る舞いは、単なる使者のようには見えない。

というより、アンジェは彼の顔を見たことがあった。一度だけ、崩れた橋と渓谷を挟んで。あの頃から随分成長しているが、確かにあの男が成長した姿だ。

「それで、アンジェリカ殿は――」

机のこちらにいるアンジェと目が合うと、男は少しだけ緊張を孕んだ、しかし余裕を見せた表情を一瞬で崩した。

まるで、人間の群れに一匹だけ化け物が混ざっていたような目をして、アンジェのことを見た。

「――なんでここにいる?」

シャン語でつぶやくようにそう言った。

「戦場に女がいるのがおかしいか? ユーリ・ホウ」

アンジェが、自らもシャン語に切り替えて言い返すと、男はたじろぐように一歩下がり、

「そんなわけ――」

こちらの声が聞こえなかったようにつぶやいた。

そして、ハッハッと浅く呼吸を繰り返し、心臓が不規則に脈打っているのか、胸まで抑え始めた。

時々息が詰まるようで、唾を飲み込むような動きをしている。

なにをしている?

突然持病でも発したのか。

「どうした、おい」

アンジェは近くまで歩いていった。

「陛下、危険です」

そう言った騎士の胸を強く突き飛ばす。

「どけッ!」

「ハァ、ハァッ――」

アンジェは、悪夢を見るような顔をして自分を見つめる男を、じっと見返した。

「持病の発作かなにかか? 一体どうしたというのだ」

「――違うのか?」

違う? なにがだ。

「私は、アンジェリカ・サクラメンタ。栄光あるクスルクセスの聖血を継ぐ者。私の名を知らぬとでも言いたいのか!」

感情を声に乗せてそう言うと、男は浮ついて焦点の定まらない目を、少しだけ正気に戻したようだった。

持病ではない。

ただ、激しく心を揺れ動かす感傷的な何かがあっただけなのか。そう悟った途端、アンジェの心を怒りが支配した。

この状況で、ユーリ・ホウが? あれほど自分を苦しめてきたあの男が、一刻一秒を争うこの状況で、そんなことで立ち止まるのか?

「貴様はなにをしている! 軍を、そして国民の命を背負ってここに来たのだろうが! 我らに魔王とまで呼ばせしめた、ユーリ・ホウともあろうものが、そのザマはなんだ!」

感情のままに一喝すると、男は我に返ったような顔をした。

「――そうだな。そんな場合じゃない」

そう言って、眉間に皺が寄るほど目を強く瞑ると、気を取り直したように、

「では、始めるとしよう」

始めるとしよう、じゃない。

「さっさと座れ! 私の軍が壊滅しようとしているときに、一体どんな冗談なんだ」

アンジェは元の椅子に戻った。今このときも刻一刻と軍は壊滅に向かい、兵は前線ですり潰されている。

「すまない。あんたが先立った妻にあんまりにも似ていたもんでね。化けて出たのかと思った」

――なんだって?

「それは――」

「よく見たら」ユーリ・ホウは言葉を遮るように言った。「あんまり似てもいなかった。続きを始めよう」

「……そうか。すまないが、こちらも火急の 刻(とき) にあるのだ。理解してくれ」

「分かってる。こっちもそうだ」

なんだって?

シヤルタ王国軍は、準備万端に戦力を整えている。どちらかといえば、腐れ教皇領と愚兄がこちらにかかりきりになっている間に、どうとでも動ける立場だ。

「あんたになら、こう言えば通じるだろう。リャオ・ルベが反乱を起こして、シビャクを 簒(うば) った」

――なに?

リャオ・ルベが反乱を起こした。それは解る。国内第二位の貴族が、第一位が不在の時期を狙って反乱を起こす――よくある話だ。

だが、その報告が今の今来たというのか。この会戦が始まるその時に、タイミングを合わせて――ということは、リャオ・ルベと教皇領は組んでいたことになる。

アンジェがそこまで考えたところで、

「敵の謀略はこっちの想像の遥か上を行っている。当然、こちらが用意した本国連絡線はその謀略に組み込まれているから、真正直に使っても無事には帰れない。連中の裏をかく必要がある」

と、ユーリ・ホウは続きを言った。

「なので、あんたの領内を横断して海に辿り着きたい」

ユーリ・ホウは勝手に机上の地図を漁り、ペンを取って通りたいルートを描いた。

なるほど、このルートなら敵軍との接触なしに、策謀の裏をかけるだろう。しかし、当然そのためにはアンジェの許可が必要になる。それなしに強行すれば、各地でいちいち戦闘をしながら血路を切り開き、終点の港町は占領しなければならない。それは、いかなユーリ・ホウであっても追撃軍を背後に抱えながらできる芸当ではない。

「ずいぶんと勝手な言い草だな。貴様には散々してやられた。軍を潰されて貴様が死のうが、喜びこそすれ悲しむことなどない。一体、どこに協力してやる義理がある」

敵陣を二つに割るように、教皇領とアルフレッド軍の間を中央突破して、こちらと合流して動くというのなら話は別だ。しかし、ユーリ・ホウが話しているのはそうではない。それでは普通に会戦をして勝利を掴むのと変わらないし、首都陥落の報が兵全体に浸透してしまっている状況では、そんなぶつかり合いはできないだろう。こちらとは別に撤退していくことになる。

「そうだろうな。もちろん、交換条件は用意してある。あんたは海に向かって退却していけ。当然、道中で散々にしてやられるだろうが、海まで辿り着ければ安全を保証してやる」

おかしなことを言い始めた。

「ハッ――どうやって保証するというのだ? もし仮に辿り着けたとしても、貴様はしばらく本土の反乱軍にかかりきりになるだろ。こちらに援軍を送る余裕などないはずだ。そんな 空手形(からてがた) で私を操れると思ったのか? 馬鹿にするんじゃない!」

「今やっているこの戦いに合わせて、大アルビオ島で大規模な上陸作戦が行われる予定になっている」

ユーリ・ホウの申し出は、アンジェの頭に並んだ幾つかの提示案の斜め上をいくものだった。

上陸作戦?

アルビオ共和国か。

「その作戦は、こちらからの連絡が届いた、その時刻をもって開始される段取りになっている。だから、その戦力を丸々あんたの援軍に引っ張ってきてやろう。連中には港湾攻撃用の砲艦も貸与したからな。お前らがいつか橋を崩した、あんなできそこないの砲艦じゃない。俺たちが牽いてきた砲をそのまま流用した砲艦だ。あれがありゃ、海沿いの都市ならどこだって防衛できる」

それは、あまりにも甘美な提案だった。アンジェは、特効薬を眼前に置かれた末期の病人のように、喉から手が出るほどそれを欲するのが分かった。

「しかし、アルビオの海賊は貴様の部下ではない。独立した国家だ。貴様が今考えただけの提案を、奴らが受け容れるとは限らない」

「受け容れるさ。リャオ・ルベは教皇領と組んでる。政権が奴に移ったら、あんたが散々苦しめられた鷲も徹甲焼夷弾も引き上げになるし、アルビオン攻略など夢のまた夢に逆戻りだ。奴らもそんなことは望むまい。もちろん、協力にはなんらかの形で報いる必要はあるが、それはこちらで考えることだ」

「――もし我々が守られたとして、期限はいつまでになる? どのみち、教皇領が敵に回ったのなら、逃げ切っても、我々は四方敵に囲まれているようなものだ」

アンジェが詰めた話を始めると、ユーリ・ホウは懐から時計を取り出して、時間を見た。

「そんな細かい条件を、ゴチャゴチャと突き詰めてる時間はない。んなこたぁ、この状況を切り抜けてから時間をかけて話せばいいだろ。あと十分以内に帰らないと、味方が撤退を始めてしまうんだ。悪いがさっさと決めてくれ」

酷い言い分だ。突然やってきて、条件を突きつけ、口約束を飲めというのか。

「アンジェ様、従ってはいけません」

レオナールが口を開いた。レオナールは多少シャン語を解すので、話の流れが分かったのだろう。

「この男はユーリ・ホウなのでしょう? そんな危険を冒さずとも、教皇領と取引すれば譲歩を引き出せます」

「なんだ? こいつは」

ユーリ・ホウは不快そうにレオナールを見ると、テロル語で言った。

「私の側近だ」

「ずっとそこに突っ立っていて、やっと考えついた案がそれか。ずいぶん程度の低い男を 侍(はべ) らせているんだな」

「口を慎め」

そう言いながら、アンジェはレオナールの提案を考えていた。

しかし、考え始める前に、ユーリ・ホウはレオナールを見て口を開いた。

「どうやって交渉するつもりなんだよ? もし敵の前線に俺を連れて行って、偶然そこに俺の顔を確かめられる奴がいたとしても、使者もろとも撃ち殺されるだけだろ。奴らは俺を捕虜にしたいんじゃない。殺したいんだからな」

それはそうだ。

教皇領からすれば、ユーリ・ホウを捕虜にしても意味がない。人質にしてシヤルタ王国に譲歩や身代金を期待するにしても、そもそもユーリ・ホウがいなければ政権が変わってしまうわけだから、交渉は成立しない。リャオ・ルベに政権交代した場合、向こうは助けるどころか死んでほしいと思うはずだ。殺す以外の選択肢はない。

「教皇領が怖いのは、ユーリ・ホウを殺せないこと。つまり生かしたまま逃してしまうことです。そこを突いて交渉をすれば……」

言うことを聞かなければ解放するぞ、というわけか。

「あのなぁ……」

しかし、ユーリ・ホウはうんざりしたように頭を掻いた。

「そもそも、殺させないつもりなら顔見せもできねぇし、それじゃ証拠のないガセネタにしかならんだろ。俺が今ここに来た理由であるところの、退路に存在する罠は、アルフレッド領にあるんだからアルフレッドの協力で成り立ってんだよ。もし教皇領がそのネタを信じて停戦したらどうなる? お前らへの攻撃を止めたら、アルフレッドとの信頼関係は破綻するよな。同盟が破棄された場合、本物の俺はシヤルタ王国軍を率いて無事帰還って流れになる。今ここに至って、教皇領がそんなリスクを受け容れるはずがねーだろうが。馬鹿は黙っとけ」

そこまで考えていたのか。

今まで敵対していた陣営にたった一人で乗り込んでくるとは、なんて無謀な男だと思っていたが……もちろん、降りてきたその場で殺されていた可能性はあったはずだが、言われてみれば確かに、この男の身柄を利用することは難しい。

私だったらどうだろう。戦況が一変した直後、敵地に単身赴き交渉をするという決断ができるだろうか……。

「分かった。組もう」

アンジェは口にした。

「アンジェ様!」

「黙れ」

レオナールに短く言った瞬間、

「よし。決まりだな」

と、ユーリ・ホウは立ち上がった。

「お互い急ぎだ。正式な調印書など作ってる暇はねえから、口約束にしとこう。時間を作って、道中の諸侯に通行を納得させる書類は作っておいてくれ。あとで鷲に取りにこさせる」

よほど時間がないのか、ユーリ・ホウは時計を改めて確認しながら言った。

「ああ、そのために――お前の本陣がどこか、空から確認できるようにしてくれ。天幕に旗を貼り付けるか、移動している時は旗を掲げるとかな」

「サクラメンタ帝家の旗がある。一枚やるから、持って行って使者に確認させておけ。おい、用意してやれ!」

アンジェは侍従に対して命令を下した。

「こっちは砲撃をして退却を援護してやる。教皇領との前線ギリギリを狙っていくが、お前らを攻撃してるわけじゃねえから、勘違いすんなよ」

「分かった」

「じゃあな。無事でいろよ」

ユーリ・ホウはこちらに向けて拳を突き出してきた。

男たちがたまにやっているあれか?

まあ、ここに来て握手というのも軟弱な感じがするし、構わないか。

アンジェは拳を出して、力強く拳を打ち付けた。