作品タイトル不明
第285話 キエンの病床
「ユーリ・ホウ閣下をお連れしました」
近習の兵がドアをノックして部屋に入ると、キエンは今まさに医者に問診を受けているところだった。
俺が入ると、医者はキエンから離れて、入れ替わりに部屋を出ていった。
「ユーリ殿、よく来たな。こんな格好で失礼する」
キエンはベッドに座っていた。
ゆったりとしたガウンに受傷した右肩を通し、包帯が巻かれた肩を隠す。血は止まっているようで、包帯は綺麗なものだ。
外からは石畳を雨が叩いている音がする。暖炉で暖められた部屋に、ばしゃばしゃと陰鬱な音が響いていた。
「名誉の戦傷だな、キエン」
「うむ……不覚を取ったわ。しかし、戦いには勝った」
「大体の流れはカルノーから聞いたよ」
俺は先程まで医者が座っていた丸椅子に座った。
「さすが、歴戦の勇将ってところだな。並の将なら、中央をブチ抜かれていた可能性もあった。そのせいで負けた可能性も。ああいう死にものぐるいの精兵は、時にそういった奇跡を起こすもんだ」
俺は実際に戦場を見ても居ないのに、わかったようなことを言った。
少しくらい的外れでも、この場は 戦(いくさ) に勝って傷を負ったキエンを褒めたかった。
「連中は、さすがだ。敵ながら称えたくなるほどの 吶喊(とっかん) であった。騎兵とはかくあるべきと思わせるような……」
手塩にかけて仕上げた自軍の実力を知っているだけあって、キエンにはそれを破りかけた敵軍の凄さに感じ入るところがあるのだろう。
「しかし、勝ったのはお前だ」
「ふっ、多勢を率いて無勢を破る勝利ではあったがな。しかし、将として終幕を勝利で飾ることはできた」
――ん?
「引退するつもりなのか」
それは地味に困る。
「当たりどころが悪かったようでな。右腕が動かぬ」
神経が切れてしまったらしい。
「医者によると、治る見込みもないそうだ。利き手で采配も振れぬのでは、将として前線に立って兵を鼓舞することもできぬのでな。ここらが 退(ひ) き時よ」
「そうか……」
年齢からして仕方がないこととはいえ、ここでキエンが抜けるのは痛い。
とはいえ、キエンは十分に働いてくれた。戦場では、誰しもが死ぬ危険がある。こういった突然のリタイアは、常に起こり得ることだ。
「ユーリ殿、貴君には感謝している」
と、キエンは突然言った。
「急にどうした」
「儂は、負け戦ばかりをしてきた。ユーリ殿も観戦に行ったはずだ。キルヒナでの戦いで、儂は敗軍の将になった。かつて轡を並べたゴウク殿は、とうの昔に亡くなっていて、ホウ家の長は騎士号を持たぬルーク殿だ。自然、シヤルタを守る戦いでは儂が大将になって戦うことになるだろう……そう思っていた。しかし勝つ方法など見当もつかぬ。王都は魔女が牛耳り、将家の半分は腰抜けだ」
あの時のことを思い返してみれば、やはり俺が主導権を握れたのは、ホウ家が王都と女王の両方を握っていたからだ。
もし魔女の反乱がなかったら、正規の手続きでルークからホウ家を継いでいたとしても、年齢や経験の差から、主導権はキエンが握っていただろう。全軍の絶対的な軍権など望むべくもなかった。
「儂は……敵の大軍を前にして、これから蹂躙される民草を背に置き、惨めな負け戦をやって……最後は敗軍の将として土を舐めて死ぬものだとばかり思っておった。ユーリ殿、儂の生涯最大の功績はなんだと思う?」
急に質問が来た。
なんだろう。キエンの功績といえば、軍功以外にも統治の面で幾つかの功績があるが。
「この戦いの勝利か?」
「いいや、王都で……ユーリ殿にミタルを捨てろと言われた時、それを受けた。あの決断こそ、儂が歴史に誇れる最大の功績だと思っておる」
「ああ……そうだな。もしキエン殿の協力がなかったら……シビャクの勝利はおぼつかなかったかもしれない」
あの戦いで天然痘を生物兵器として有効に使うことができたのは、ルベ家とボフ家の南北に長い領地をすべて汚染させることで、敵の全軍に感染が広がるまで時間を稼げたからだ。
あそこでキエンが協力してくれなかったら、ルベ家は蹂躙され、手つかずの村落からは食料も略奪され、敵軍は健全な状態でシビャクに辿り着いていただろう。半死半生の敵をうちのめすというわけにはいかなかった。
たしかに、あの決断はキエン最大の功績かもしれない。
「あの華やかなりし大勝利……その上、この命あるうちにシャンティニオンを見れるとは……今の現状は、儂には夢で想像することもできなかったことだ。ユーリ殿には、本当にいい夢を見させてもらった。感謝しておる」
「夢じゃねえよ。これから、この国はもっと良くなる」
「ふっ、輝かしいシヤルタの未来を見ることができぬのは心残りだが、致し方ない。将をやっていれば、こういうこともある」
キエンは、どこか諦めたような顔をしていた。
そうか……。
「死ぬのか。キエン」
「どうやらな。幸いにも口は動くが、もはや指を動かすのも億劫だ」
「――残念だな。まったく、残念だ」
俺はキエンの左手を強く握った。
年不相応にがっしりとした、しかし油気のない老人の手だ。
「なら、英霊となって草葉の影から見守っていろ。俺は、この先千年は誰からも脅かされることのない国を作ってやる。さぞかし、見ごたえがあるだろうさ」
「……ああ、楽しみにしておこう」
キエンはなんとも清々しい笑みを浮かべた。
「立派な国葬にしてやるからな。もし死んだら、だが」
「それは必要ない。もはや、均衡は破られた。凡将の勘ではあるが……これから国境は荒れる。今この時期に、諸将を半島に戻してまで、国葬をする必要はない」
「……そうか。確かにな。ここは、この国一番の老将の言うことを聞いておこう」
俺はキエンの手を離し、丸椅子を立ち上がった。
「傷に障っても悪い。そろそろ失礼するよ」
「ああ。健闘を祈る」
「じゃあな――あばよ、キエン殿」
気軽に見えるよう手を振ると、俺は病室を出た。
◇ ◇ ◇
建物の外には、大きめの傘をさしたカルノーが立っていた。
「閣下、いかがでしたか」
「分からん。本人は気弱になっていたが」
カルノーは、自らが雨に濡れるのを構わず、俺に傘をかけた。
俺は歩みを止めずに喋り続ける。もうこの街に用はない。急いでシビャクに戻って作戦会議をしないといけない。
「すぐに死ぬようには見えなかったが、ああいう 漢(おとこ) だ。俺の前では気を張っていたはずだからな」
「そうですか……」
「お前は、戦闘についての報告をまとめて、次いでキエンの様子についても逐次報告しろ。もしキエンが死んだら、ルベ家軍は戻して再編成しなきゃならん」
「分かりました。戦闘についての報告をまとめ、キエン殿については慎重に経過観察を行います」
「ああ。頼んだぞ」
考えることが山積みだ。
「……もし、キエン殿がお亡くなりになった場合は、この地の方面軍はどうするのですか?」
鷲留めに着くまで時間が余ったからか、カルノーは質問をしてきた。
「ルベ家の代わりが必要という意味か?」
「はい。今までティレルメ方面の国境は比較的平和でしたが、国境を空けるわけにもいかないでしょう」
「代わりは送り込まない。方面軍は再建しないし、国境も空けない」
「……それは、つまり?」
そう言いながら、カルノーは言葉の意味することを半ば察しているようだった。
「遠征軍を組んで、ティレルメを攻めるということだ。こちらから打って出るんだから、地域の抑えなんざ必要ない」
俺がそう言うと、カルノーは薄く笑みを浮かべて頷いた。
「その言葉を待っておりました」
「お前も、いつまでもルベ家の中で客人扱いは悪いな。今回の戦いには間に合わんだろうが、近いうちに異動にしてやる。望みの部署の異動届を出しておけ」
「はい。そうさせていただきます」
そうこう喋っているうちに、鷲留めに着いた。
ルベ家の鷲を借りるのも悪い。もう少しこの鷲を使わせてもらおう。
「それでは、閣下、旅の安全をお祈りしております」
「ああ。じゃあな」
俺は拘束帯を締めると、空に飛び立った。