軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第195話 オローン・ボフ*

ボフ家は、将家としては比較的新しい家柄である。

現在のボフ家の領地は、約二百年前に確定したもので、それ以前はムーラン家という将家が支配していた。

当時のムーラン家の頭領は、アーロン・ムーランという男で、少しばかり血気盛んで、 豪放磊落(ごうほうらいらく) を自負する男だった。

そして、その時の女王は、少しばかり魔女寄りで、男性的な文化に嫌悪感を抱く、狭量な女だった。

王城で開催された夜会で、二人は口喧嘩になった。

伝承では、アーロン・ムーランは、その日たまたま呼ばれた吟遊詩人の歌謡を大層気に入り、大酒し我を失い、女王は彼の態度を諌めたが、その言葉も行き過ぎた侮辱であったという。

それから、二人は夜会の参加者が顔面を蒼白にするような口喧嘩を始めた。

当時の王家には、それを仲裁する立場の者もおらず、アーロン・ムーランは憤慨しながら北の自領へと帰っていった。

その後、女王はムーラン家に対して王の剣を差し向け、頭領を暗殺しようとした。

それが失敗すると、頭領は軍を起こし、南下し、近衛軍を撃破する。

電撃的な侵攻であったが、王城島を攻めあぐね、そこに時間を取られていると、いち早く反応したノザ家の軍が、峠を越えてやってきた。

ムーラン軍は近衛軍との戦いで消耗していたので、アーロン・ムーランは決戦を回避し、王鷲攻めを企てた。

王城を攻めとらんと鷲を飛ばしたが、王城島に大量の兵が篭り厳戒態勢を敷いている下では、成功する見込みはなかった。

結局失敗し、近衛軍に討ち取られる。

ムーラン家は取り潰しとなり、ノザ家はその功績で太星勲章を賜った。

ムーラン家は最後こそ舵取りを誤ったものの、領地では概ね善政を敷いており、名望も高かった。

戦に負けたといっても、それはあっという間の話で、領は少しも戦火に焼かれることがなかったので、ムーラン家を慕う住民の中には、王家を恨む者が大勢現れた。

様々なやり取りの結果、大功あったノザ家の者が、分家を立ててムーラン領を継ぐことになった。

その当主になったのは、当時のノザ家頭領の弟である。

ただし、ムーラン家の 末女(ばつじょ) と姻戚を結び、その血を絶やさぬようにすること、という条件がついた。

そうして新たに興ったのがボフ家であった。

ムーラン家の領地は、北と南に少しづつルベ家と王家天領に削り取られたが、大方はボフ家の領地として残る。

ただ、それがノザ家の利益になったのかというと、微妙なところであった。

ノザ家の間には、代々ボフ家を分家として見下す風潮が残り、三代の後にそれが爆発してしまう。

両家の間に深刻な対立が起き、関係が最悪になると、三代続いていた姻戚を結び合う風習も途絶し、両家はまったく別の家になった。

だが、現在では、それも昔のこととなっている。

*****

ボフ家の現在の頭領、オローン・ボフは、王城に入っていた。

数日前、キャロル・フル・シャルトルの名で書面が届き、それが”カーリャ・フル・シャルトルに槍を捧げたのでないなら、改めて臣従の誓いをしに来い”という内容であったため、来ざるを得なかったのだ。

ただし、王都に到着する時刻をわざと夜間に調整し、別邸で一泊して、翌日登城した。

ホウ家側の出方を窺う意図があったのだが、ホウ家はなにもせず、使いの一人も寄越さなかったので、空振りに終わった。

王城では、五人の護衛を付けたまま入ることが許された。

「この部屋でございます。護衛の騎士さまはここまでに願います」

案内のメイドにそう言われると、オローンは怖気づく思いがした。

「なぜっ――」

「中には、ユーリ・ホウ様と秘書の方、お二人しかおりませんので」

オローンの言葉を遮りながら、メイドはそう言ってドアを開けた。

ドアの向こうには、机が見えただけで、人影は見えない。

「わかった」

オローンは、部屋に入った。

パタン、と背中でドアが閉まる。

小さい部屋には、四つ足をした真四角の机があり、その向こうにユーリ・ホウは座っていた。

相変わらず、若い。

それもそのはずで、ユーリ・ホウは、厳密に言えばまだ騎士院生なのだった。

その横には、髪を短く切った、男とも女ともつかぬ、あえて言えば少年のような秘書が立っていた。

「ユーリ殿、御機嫌いかがかな」

オローンは言った。

ユーリ・ホウがどういった立場なのか分からなかった。

王配なのか、天爵なのか。

確実なのは、ホウ家を率いる立場であり、学生の立場でもある。ということだけだ。

「座りたまえ」

ユーリ・ホウは厳かに言う。

「う、うむ。そうしよう」

オローンは、言われた通り、椅子に座った。

年齢差を考えれば非礼とも取れる態度に、オローンは怒りを覚えなかった。

負い目があったせいかもしれない。

「まずは、これを読め」

ユーリ・ホウは短く言うと、隣にいた秘書から一枚の紙を受け取り、オローンの方に滑らせた。

その紙は、オローンの負い目、そのものだった。

オローンが署名をした、魔女との密約書であった。

渡っていないことを祈ったが、既に魔女の手を離れ、ホウ家に渡ってしまっていたようだ。

「身に覚えがございませんな」

オローンは、あらかじめ用意していた答えを言った。

傍らに立つ秘書が、するするとドアの方に向かい、茶でも持ってくるのかと思えば、鍵をかけて戻っていった。

「そうか……まあいい」

「うむ。身に覚えがないからな。このオローン・ボフと我が将家は、引き続き王家に槍を捧げる所存だ」

こういった展開を、オローンが予見していなかったわけではなかった。

自分で署名したのだから、当然予見はしており、オローンは側近の中でも頭の切れる者たちを集めて、起こりうる展開を相談していた。

そこで出た結論は、ホウ家がボフ家を敵にするはずがない、というものだった。

オローンも、それに賛同した。なにしろ、これから十字軍が来るのだから。

ボフ家の戦力は、どう考えても必要なはず。

敵にして、得をする事などありはしない。

「それはない。ボフ家には、絶えてもらう」

ユーリ・ホウは冷徹に言った。

「ど、どういう意味だ」

「こういった密約を魔女と結んでいた者に、騎士の長たる資格があるか。俺はそうは思わない」

「なにをいうっ!」

オローンは、思わず机を叩き、立ち上がった。

実際に激高したわけではない。

こういった時、憤りを表して立ち上がるのは、オローンに染み付いた習性だった。

ボフ家の当主になって三十年、オローンはいつもこうしてきたし、それで事態を解決してきた。

「黙れ。座るんだ」

ユーリ・ホウが言う。

「こんなっ」

オローンは、机に置かれた紙を 掌(てのひら) で握り込んだ。

拳の中で、ぐしゃりと紙が潰れる。

「こんな紙は知らん! 私を誰だと思っている! ホウ家はボフ家をないがしろにするか!」

オローンは、拳をユーリ・ホウに見せつけるように突き出し、立ったまま叫んだ。

「黙れ。俺の言う話を聞け」

「こんな紙はっ」

オローンは、ぐしゃぐしゃになった紙をビリビリと四つに切り裂いて、口に入れた。

唾液をまぶし、喉を使って無理やりに嚥下する。

ごくん、とオローンの喉が鳴った。

「存在すらしていなかった。これで話は終わりだ」

「馬鹿か、お前は……」

ユーリ・ホウは、傍らの秘書に目配せをすると、紙をもう一枚貰った。

机の上に置く。

先程飲み込んだ密約書と、そっくり同じものだった。

オローンは、ぽかんと口を開くしかなかった。

「原本を渡すわけがないだろう。頭が悪いのか」

ユーリ・ホウは、呆れたように言った。

オローンは何か反論をしようと口を開くが、喉から言葉が出てこなかった。

「グッ……」

編めなかった言葉を飲み込む。

「まあ、聞け」

ユーリ・ホウの顔は、先程から一つも変化をしない。

ごみでも見るかのような目で、オローンを見ていた。

「自ら天爵の爵位を返上し、王家から預かっていた領を返すというのなら、ちょっとした地主として家を存続してやろう。直近の三家族を養える程度はくれてやる」

何十歳も年下の、騎士院生から提示された条件は、オローンにとっては話にならないものであった。

「ふざけるなっ!」

「わかった。面倒だから座ってくれ」

「貴様、誰に口を利いているのか分かっているのかっ!」

オローン・ボフは、いつも家臣を叱る時の口調で、そう言った。

オローンは、意に沿わぬ他人を従わせようとするとき、いつもそうしていたし、それが一番手慣れた手法だったからだ。

「俺はボフ家のっ――」

「もういい」

ユーリ・ホウの手は、片手が机の上から無くなっていた。

少し右肩を下げるようにして、右手を机の下に入れている。

カチンッ、という音が聞こえると、シュッという音がそれに続き、強烈な炸裂音とともに、オローンは下腹部を強く蹴られたような衝撃を感じた。

「ぐっ」

急に足に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちる。

肥満で垂れた腹のすぐ下あたりから、おびただしく血が流れて、遅れて奇妙な熱さを感じた。

触れると、そこに穴が空いている。

「だから、座れって言ったんだ」

席を立って近寄ってきたユーリ・ホウは、その手に短刀を握っていた。

「まっ――まてっ! 待ってくれ!」

オローン・ボフは下腹部の傷口を抑えながら懇願するが、ユーリ・ホウは顔色一つ変えず、動きを止めることもなかった。

熟練の料理人が台所の鶏をさばき始めるかのような気軽さで、オローンの髪を掴んで顎を上げると、ぴゃ、っと喉に刃を滑らせた。

「ゴボッ!」

気管が鮮血で満たされ、オローンは喉を抑える。

ほとばしる己の血潮の熱さを手で感じながら、すぐにオローンの意識は途絶えた。