軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第141話 もう一つの戦い 前編*

アンジェは、傷ついた狼のように道を歩いていた。

ここは、現地の言葉で「 馴鹿(となかい) 街道」と呼ばれている道で、ここを北西に進むと、トナカイの放牧を糧とする民が暮らしていることから、そう名付けられたらしい。

略奪で奪われ、二束三文で流れてきたシャン語の本で、読んだことがあった。

ここらの地名と名所、街道などについて書かれた、旅行のための本だった。

あれは、なんという題名だったか……。

頭の中が霞がかったようで、思い出せなかった。

アンジェは、あっさりと思い出すのを諦めた。

「姫、馬車にお乗りください」

ギュスターヴが何度めかの発言をした。

「やめてくれ。最後の意地なのだ」

既に馬車を引いている馬は、疲労が限界に達しつつある。

だから、本来なら御者席にいるはずの者も、降りて前に立ち、手綱を持って馬を引いていた。

女の体重といえども、アンジェが馬車に乗るのは、さらなる負担になるだろう。

それに、自分だけ馬車に乗って楽をするわけにはいかない。

この有様は、自業自得なのだから。

*****

四日前……。

アンジェは呆然としながら、打ち崩れた橋の向こうを見ていた。

橋は、真ん中を中心として、五分の四ほどが崩れてしまっている。

あたりにはまだ薄く煙がたちこめ、煙からは 弾薬(たまぐすり) の焼けた臭いがしていた。

「この勝利、我が初陣の何よりの 土産(みやげ) とさせていただく!!」

崖の向こうで、ユーリ・ホウと思わしき者が、勝ち鬨を上げていた。

負けた。

橋が健在であると聞いたときから続いていた、魔術にかけられているような感覚が、たった今、敗北という名の実感に変化したのを感じた。

勝てる戦いだった。

少なくとも、こちらが向こうの戦力や実力を見誤っていて、最初から勝てる見込みがなかった、という戦いではなかった。

つまり、いわゆる「戦う前に負けていた」という戦いではなかった。

……いや、本当にそうだったのだろうか。

こちらの勝利条件が、シャン人の姫を手に入れることだったとすれば、斥候が見た姫二人の姿は、あれも罠だったのだろう。

斥候が去って後、すぐに姫が退去したとすれば、この作戦が勝利条件を満たす可能性は、万に一つもなかったということになる。

やはり、負けたのだ。

最初から最後まで、ユーリ・ホウの指図で踊っていたようなものだ。

「道中お気をつけて帰られよ!!」

一連の作戦をやってのけたユーリ・ホウは、見事なまでに訛りのない 正統発音(リギティマ・アクセント) で、最後にそう言い放った。

その男は、今崖際に立ち、彼が守った人々を背にし、我々に真正面から対峙している。

英雄―――。

その言葉が、アンジェの頭をよぎった。

すべての 艱難辛苦(かんなんしんく) をはねのけ、民も兵も率いて連れ戻し、 殿(しんがり) に残って最後の一兵とともに脱出する。

戦場を脱出する最後の一人となることが将の理想であるとは思わないが、英雄的ではあるとアンジェは思った。

憤懣(ふんまん) と悔しさで心をかき乱されながらも、 憧憬(しょうけい) と 羨望(せんぼう) の念が胸のうちに湧いた。

超えたい。

この男を超えて、王の中の王になりたい。

子どもじみた野望が、胸に去来する。

「弓手はあるか! 前に出てきて奴を射よ!!」

エピタフが、怒りをあらわにした声で叫んだ。

すると、たまたま近くにいたのか、人混みの中から弓を携えた一人が出てきた。

最前列の崖際に到着するなり、

「早く射殺すのだ!!」

と命令が下される。

すぐさま弓手が弓を引き絞り、射放った。

シュパッ、と風を切りながら飛んでいった矢は、軽い……本当にゆるやかな曲線を描いて、吸い込まれるようにユーリ・ホウに向かった。

が、怖気づく様子もなく、ユーリ・ホウは少し動きながらフイと半身をずらし、横にした。

体が横になれば、胸と腹の大部分が隠れる。

体の横は肩と腕でカバーされているのだから、頭に命中でもしなければ、命の危険はなくなると言ってよい。

決闘代理人が良く行う防御術だ。

冷静な判断だった。

みっともなく慌てふためいてくれれば、多少の意味はあったろうが、それもなかった。

それ以前の問題として、矢はユーリ・ホウに届く前に、やたら身長の高い大男に、槍で落とされてしまった。

さきほど、橋の上で勇ましい戦いを演じたという男だろうか。

アンジェは、後方にいたため、橋上での戦いは良く見られていなかった。

不意打ちの矢が落とされたあと、ユーリ・ホウは鉄砲を構え、こちらへ向けた。

アンジェは、先程頭を撃たれたことを思い出した。

ユーリ・ホウの射撃の腕は、なかなかのものがある。

「危ないっ! エピタフ殿を守れっ!」

と反射的に叫ぶと、

「よしなさいっ! 必要はない」

え、とアンジェの頭の中に空白がよぎる。

「悪魔の弾丸が私に当たるはずはありません」

エピタフは、わけのわからない事を言った。

対岸を見ると、のんびりと狙いを定めているのか、ユーリ・ホウがその場で銃を構えて立っていた。

撃った。

妙に響く、一つの発砲音が渓谷に響いた。

弾丸は川を渡り、エピタフを貫いた……かのように見えた。

だが、実際には、弾丸はエピタフの頬を浅く切り裂いたのみで、エピタフを庇おうとしていた隣の騎士の顔面に命中した。

悲鳴を上げる間もなく、その騎士は倒れ伏した。

「ほら、言ったでしょう。神は我々を祝福しています」

なんでもなかったように言う。

エピタフの中では、勝ちなのだろうか……。

アンジェには、どちらかといえば、こちらが神に見放されているようにしか思われなかった。

この世に運命や、運の流れというものがあったとすれば、それはあちらに傾いている。

神はなにもしてはくれない。

神は、腕を地上に伸ばしてなにかをすることはない。

だから、頼ったりあてにする存在ではない。

聖職者は、幸や不幸が起こると理由を後づけして神の意思の代弁者を気取るが、神は地上に影響を与えるものではないのだ。

父はそう言っていたし、死に様をもってそれを証明した。

神の定める王道を体現していた父は、まったくもって不運に散った。

それとも、エピタフのあれは兵を励ますための上辺だけの嘘で、彼自身はそうとは思っていないのだろうか?

アンジェには、わからなかった。

「さあ、我々は道を引き返して、帰りましょう。船が待っています」

エピタフはそう言った。

ここでの戦争は、終わったかにみえた。

*****

「それでは、我々は 殿(しんがり) を担当させていただきます」

アンジェは、早々といい述べて、集団の最後尾を取ることに成功した。

そもそもが、後ろからの追手の可能性など絶無なので、 殿(しんがり) に危険はない。

船に乗り込むのは最後になるので、その点で危険ではあるが、アンジェはひしひしと感じる嫌な予感に従って、そのようにした。

一度上手くいかなかった仕事というのは、えてして続けて上手くいかないものだ。

それは最初から見込みが違っていたからで、最初のズレが後々まで糸を引いてしまう。

今回のことがそれだ。

その予感は、その日の夕方、早々に的中することになる。

*****

「我が軍は、前線にて有力な部隊と激突。アンジェリカ様におかれましては、援軍の用意を……とのこと」

挺身騎士団の伝令がそう言った時、アンジェはおぞましい危機感が這い上がってくると同時に、やっぱりそうなったか、と奇妙な納得を覚えた。

この作戦は、敵地の奥深くに進出しても、敵の増援が出てこないことを前提にしている。

それは、全く根拠のない前提条件ではなかった。

敵は大敗した敗勢の軍であるから、積極的に反撃をしにくることはないだろう。

エピタフはそれを理屈として提示したし、アンジェもまた、一応は理屈になっていると思った。

だが、敵は来た。

後からならどうとでも言える結果論ではあるが、今思えばあまりにも楽観的な見通しだったのだ。

「了解した。貴殿は戻りたまえ」

「はい」

アンジェは、伝令が十分に遠ざかったのを確認すると、初めて口を開いた。

「全軍を、撤退させる」

そう言ってから、その表現におかしな齟齬を感じた。

撤退といっても、そもそもが現在撤退中なのであって、今アンジェが歩いているのが撤退路となる。

「来た道を戻れ」

「ハッ! ですが……」

副長のギュスターヴが応じる。

「後ろから、騎兵の影が見えた。追わなければならない」

アンジェは、はっきりとそう言った。

「……いいのですか?」

「見えたのだ。分かるな」

敗北を味わって、意気消沈しない軍団などはない。

神に忠誠を誓った挺身騎士団であっても、それは変わらない。

どれだけ鍛え上げようが、訓練をしようが、中身は人間なのだ。

物語に出てくる、 死者の王(ウシリス) 率いる 髑髏の軍(スケルニト) のような、物も言わなければ感情もない骨で出来た軍ではない。

一人ひとりが意思を持っているし、恐怖もすれば落ち込みもする。

たゆまぬ訓練と、誇りに支えられた軍ゆえに、目に見えて瓦解はしていないが、士気は間違いなく下がっているのだ。

その上、馬には碌に飼葉を与えておらず、兵も飯を食っていない。

そんな状態では、誰と戦えるわけもない。

アンジェとて、今手勢を率いて何者かと戦えといわれても、かなり難しいだろう。

「私にも見えました。これより彼らを追います」

ギュスターヴはそう追従した。

「私は前線を見てくる」

「姫」

ギュスターヴは、咎めるように言った。

「お前は撤退を指揮しろ。私もすぐに追いつく」

「姫! 危険です!」

「反論はなしだ。敵の陣容も分からぬでは対処のしようもあるまい。それに、エピタフ殿の動きも見なければならぬ」

敵の様子によっては、最悪の場合、部隊を道を使って戻すこと自体が危険になりかねない。

まさか挺身騎士団が鎧袖一触で蹴散らされることはないとは思うが、もしそうなった場合は、街道を進むのは危険だ。

その場合……皮肉な話だが、ユーリ・ホウがやったように、道なき森の中を進むことになるだろう。

「わかりました。このギュスターヴ、指揮をお預かりします。くれぐれもお気をつけて」

「分かっている。見てくるだけだ」

アンジェは馬首を返した。

*****

「エピタフ殿!!」

挺身騎士団をかき分けながらアンジェが往くと、エピタフは馬上からこちらを見た。

「アンジェリカ殿! いかがなされました」

「どうもこうも、戦況を見に来たのです!!」

「そうですか」

そう言うと、エピタフは一瞬だけ目に失望の色を浮かべ、ふいっと顔をそむけた。

なんだ?

「それで、悪魔どもは止まらぬのか」

「おそらく……いえ、無理でございます」

と答えたのは、エピタフが跨った馬の下で跪く一人の騎士であった。

跪きながらも、顔は上げてエピタフを見ている。

見覚えがあった。

アンジェに貸し出された三百の兵にいた、四十人長の一人だ。

「なぜだ。根拠をいいなさい」

「根拠――」その騎士は、一瞬呆然としたような表情をした。「いえ、恐れながら申し上げれば、そういった段階ではないのです! 大司馬におかれましては、今すぐにでも引き返していただかなければ、御身が危険なのです!!」

ああ、とアンジェは前線の様子を察した。

戦列は、恐ろしく仕込まれた調練によって、圧倒的劣勢にあっても粘り強い戦いをしているのだろう。

士気が落ちていることだけが原因ではなく、そもそもが彼らは完全武装ではない。

行軍速度を上げるため、装甲となる鎧は船に置いてきており、軽歩兵化している。

本来であれば、普通の軍であれば、とっくに崩壊して潰走に至っている状態で、ようやく持ちこたえているのではないか。

「ファレンテ殿! 敵は鳥に乗って攻めてきているのか!!」

アンジェは、その騎士の名を名指しにして問うた。

「はい。敵は、全兵が騎兵です!! 隘路(あいろ) が幸いして衝突の勢いは鈍っておりますが、敵部隊も練度が非常に高く―――」

「わかった!」

アンジェは男の言葉を遮るようにして言った。

「エピタフ殿、速やかな撤退を!! 早急に兵を取りまとめなければ――」

「黙りなさいッ!!」

「―――ッ……」

アンジェを面罵したエピタフは、今まで見たことのない顔をしていた。

口端を歪ませ、歯を噛み締めた渋面を作り、何かを睨むように目に力が入っている。

アンジェは、それ以上なにも言えなくなった。

こういう時に口を出すとまずいことになる。と思っているのか、挺身騎士団の他の面々はなにも口にしない。

緊急事態の最中であるにも関わらず、エピタフを中心として将兵たちは不気味なほどに止まり、そのまま三十秒ほどが経った。

「引き返します」

エピタフははっきりとそう言った。

「アンジェリカ殿、言うからには引き返すルートはあるのでしょうね」

「かなりの 長駆(ちょうく) となりますが、あります」

アンジェが言うと、エピタフは、

「ファレンテ、あなたの一隊は、ここに留まって最後の一兵となるまで敵を押しとどめなさい」

と平然と言った。

アンジェは、一瞬思考が止まり、茫然となる。

「エピタフ殿ッ! それはあまりにも……っ!」

思わず口が出た。

エピタフが下したのは、つまりは捨て石になれ。という命令だ。

ここで決死……いや、絶死の抵抗をして、本隊を活かせということだ。

これが普通の軍であったら、そんな命令はできない。

どれだけ激しい撤退戦の 殿(しんがり) であっても、必ず死ぬと決まっているわけではない。

生き残れば褒美や賞賛が待っていると思えばこそ戦えるのだ。

死ぬまで戦え。という命令では、将も兵もやっていられない。

兵を駒として扱う指揮官としての立場からすれば、そういった命令を下したい場面はいくらでも出てくるだろう。

だが、下したところで拒絶されるか、受諾したふりをして逃げられてしまうので、意味がないのだ。

国家や自らの主への忠誠が、自らの命に勝るものでなかったら、そんな命令は”自殺しろ”と言っているのと同じなのだから、それは当然のことだ。

親方に”自殺しろ”と命令されて、自ら命を断つ徒弟がどこにいるだろう。

が、エピタフ麾下の挺身騎士団であれば、信仰と家名にかけて実行するだろう。

エピタフへの信望がそうさせるわけではなく……。

アンジェには、その輝かんばかりの忠誠と献身が、このような扱いで 消(・) 費(・) されるのが、あまりにも哀れに思えた。

「では、オルファンの隊もつけます。彼らは四十名、無傷で残っているはず。頑張りなさい」

「くっ……」

アンジェは歯ぎしりをした。

話が通じていない。

ファレンテは幾らか逡巡したあと、

「………了解しました。我ら三十二名、彼らと協働して任務に当たります」

と言った。

「頑張りなさい」

エピタフは同じセリフを繰り返すと、馬首を翻し、前線の方向へ向かっていった。

撤退を指図しに往くのだろう。

ファレンテの悲壮な決意に対する言葉ではない。

「ファレンテ殿!」

アンジェは、一時は自分の指揮下に編入されていた男に声をかけ、近寄ると馬を降りた。

緊急時ではあったが、声をかけずにはいられなかった。

「なんと申し上げたらよいかっ……」

「いえ、元より我らに死を覚悟せず来ている者はおりません」

ファレンテは毅然とした様子で言った。

「ですが……」

「いいのです。きっと祖国は家族に良くしてくれるでしょう。独り身の若者には申し訳ないことになりますが」

「私が強く反対していれば……」

「いや、そうしないでよかった。言っていたら、どうなっていたか分かりません」

そう庇われながら、アンジェは心の中に、ささくれが刺さるような引っかかりを感じていた。

反対?

口では抗議のようなことを言ったが、反対しようとしていたのだろうか?

いや、私は反対しようなどとは思っていなかった。

口だけのことだ。

彼に上辺だけのことを言うのは、誠実ではない。

「申し訳ありません。私は……私は、反対しようとは思っていませんでした。作戦に、拒否感を抱いただけで……。エピタフ殿の作戦は、合理的です」

エピタフの作戦は、非道ではあるが、この場面においては最も効果的だ。

アンジェは、そのことを認めた。

エピタフの態度を外道のように感じながらも、心の何処かでその決定を諸手を挙げて歓迎している自分があった。

「……そうですか」

男は、切なげに微笑んだように見えた。

「いやぁ……将に命を惜しまれるというのは、いいものだ」

ファレンテは、アンジェの態度から何かを感じ取ったのか、感慨深げにそう言った。

惜しんでいる。

惜しんでいるのだろうか。

しかし、そう思われる資格が、果たして自分にあるのだろうか。

「ファレンテ殿、私は」

「もう十分です」

ファレンテは、会話を区切ると、右手を低く差し出した。

もう言葉は欲していないのだろう。

アンジェはその右手をつかみ、固く握手をした。

「助けていただく御恩……貴方がたのことは一生涯、忘れません」

「はい。それでは、 天府(パラダ) で会いましょう」

「……ええ」

「あなたは生き残ってください。ここで命を散らすのは惜しい」

ファレンテはそう言うと、

「では」

と踵を返し、自分の部隊のほうへ向かっていった。

アンジェには、その背中を見送ることしかできなかった。