軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第096話 アンジェの憂鬱 後編*

兵に案内され、アンジェリカがその場所に到着すると、そこはなんとも騒然としていた。

なにやら、何者かが帰着したらしい。

十人ほどの人間が、なにやら妙なことをしている。

「ティレルメ神帝国王族のアンジェリカ・サクラメンタである。なんの騒ぎだ」

先頭に立ってアンジェリカがそう言うと、どうやら農民兵だらけであるらしく、右往左往するばかりで、まともな返事をできる者はいなかった。

「もういい、通せ!」

大声で言うと、農民兵たちは散り散りになってゆく。

そして現れた場所にいたのは、地面に敷かれた布の上に横たえられた、一人の騎士であった。

一見して、右足を負傷しているのがわかる。

よっぽど大きな刃物を踏み抜いたのか、大きな傷跡が足の甲を貫通していた。

靴は脱がされていなかったが、靴から溢れかえった大量の血がズボンを濡らしている。

傷は致命傷には見えなかったが、どうにも処置がまともにされていないらしい。

こういう場合は膝を縛るべきで、実際に縛っているのだが、何を勘違いしているのか、圧迫しているわけではない。

靴紐であっても、もう少し強く縛り付けるだろう。と言いたくなるほど、緩く垂れ下がっている。

そんな騎士を見ても、アンジェリカは戸惑わなかった。

措置は間抜けだが、こうやって負傷している兵はそこら中にいるし、今も陣営のどこかで、体力の尽きた者から死体になっている。

しかし、会戦から三日も経ってから、これほど生々しい病人が現れるのは、奇妙であった。

「おい、どうした」

と呼びかける。

「う、うゥウ……」

目が虚ろであった。

血が出すぎている、と一目でわかる。

「おい、処置をしてやれ」

そう配下の者に指示を出すと、すぐさま三人ほどの人間が出て、手早く男のズボンを切り裂いた。

取った布を膝の裏に当てると、重ねあわせた布を ア(・) テ(・) にして、丈夫なロープできつく縛る。

そして靴を脱がす作業に移った。

「おい、何があったのか簡潔に話せ」

アンジェリカは、目についた一人の農民兵に命令した。

「え、えっと××な、落とし穴に落ち×××……刃物があって……」

農民がはなしはじめたのは、あまりに聞き苦しい南部の田舎方言で、アンジェリカには半分も聞き取れなかった。

農民は農民でも、自作農であれば喋りも達者なものだが、農奴のような者のなかには、まともに言葉をしゃべる生活をしていない者がいる。

そういった者たちは、何でも自分でやる自作農と違って、生まれてこの方極端に単純な作業しかやらされた経験がないので、柔軟な作業は「やれ」と言われてもできない。

つまりは筆舌に尽くしがたいほどの無能であり、アンジェリカのような王侯貴族の教育を受けてきた者にとっては、別の生物のように感じられるほどであった。

もちろん、全員が全員そうというわけではなく、中には有能な人物もいることも、アンジェリカは知っている。

だが、戦場に送るにあたっては、できるだけ死んでも損のない人材を選ぶのが合理的判断というものだ。

血の気の多い若者が志願したりしない場合、送られるのは大抵、一番使いようのない無能だった。

おそらく、この出血多量の騎士も、止血を指示することはしたのだろうが、「強く縛って止血する」というだけの内容を理解してもらえず、まともに止血して貰えなかったのだろう。

生きるか死ぬかはわからぬが、不運なことであるな、とアンジェリカは思った。

「そんデ……」

「もういい」

アンジェリカがそう言うと、農民兵は喋るのをやめ、シュンとしてうなだれた。

悪いことをしたな、と罪悪感が湧く。

「将官格の人間を呼んできてくれ。他国の王族が来たと言えば来るだろう」

***

「どうも我々の兵が失礼をしたようで申し訳ない」

しばらくして、いかにもな出で立ちの貴族の男がやってきた。

だらしなくぶっくりと下腹が膨れている。

戦場にいる女が珍しいのか、もしくは戦場で 無(・) 事(・) で(・) い(・) る(・) 女が珍しいのか、好色そうな眼差しでアンジェリカを見ていた。

「失礼ながら、貴殿はどちらの陣営の方ですかな?」

と訊いてくる。

どちらの陣営もなにも、普通は外套に縫い付けてある家紋でわからぬかと思ったが、口には出さなかった。

もちろん、アンジェリカの外套に縫い付けてある家紋は、イイスス教の世界では最も有名な紋章の一つだ。

貴族であれば、知らぬのは無教養とさえ言える。

「わたしはティレルメ神帝国は王族の一員、アンジェリカ・サクラメンタである」

「ほうほう」

壮年の男はヒゲをなでまわした。

そして、自分からは何も言わない。

王族に身分を聞いておいて、自分から喋らぬとは。

普通は、他人に身分を聞く時には、自分からまずは名乗るか、先に尋ねるにしても、相手が名乗ったあとは、自分も自己紹介をするものだ。

「……それで、貴殿のほうは、どのような御立場であらせられる」

一向に喋らぬので、アンジェリカはわざわざ自分から聞いた。

これだから教皇領の人間は嫌いなのだ。

神聖な母国に仕えているという誇りがそうさせるのか、異常なまでに他国人を見下したり、下位貴族であっても、他国王族に優越した地位を持っていると勘違いしていたりする。

ティレルメ王家は、元をたどれば神衛帝国の神聖皇帝が祖なのだから、彼らにとっても尊崇すべき対象であるはずなのだが、途中に貴賤結婚が二度あったことを持ちだしたりして、敬意を払おうとしない。

「わたくしは、この件の処理を指揮しておるフェルムト・カージル伯爵である。マルト市の執政官及び挺身騎士団大隊長をやっておる」

ご大層な肩書であった。

教皇領では、国の全権を教皇を頂点とする聖職者たちが握っている。

だが、徴税や治安維持などの業務は、その管轄外だ。

神に仕えるはずの聖職者が、祭服を着たまま税金を取り立てて回るわけにはいかないし、武器を握るわけにもいかないので、執政官と呼ばれる人々が任命され、彼らが執務を代行することになっている。

その辺りの知識は、アンジェリカも物の本で読んで知っていた。

執政官には、高位の聖職者の身内か、または高位の聖職者に取り入って多額の賄賂を渡した者などが任につく。

また、挺身騎士団というのは、いにしえの神衛帝国時代の騎士団名を借りてはいるものの、実態は領主が編成する私軍にすぎない。

つまり、大仰なことを言っているが、どこぞのマルトという市を任されている貴族で、その市は伯爵領である。という以上の意味はない。

「少し聞きたいのだが、この騎士殿は逃亡した長耳を追っていたのか?」

「うむ。その通りであるが、情けなくも負傷して逃げ帰ってきたようであるな」

やはり、長耳を追っていた騎士であるらしい。

長耳が仕掛けた罠に嵌ったのか、それとも地元の猟師が作った獣用の罠にでもかかってしまったのか、どちらなのだろう。

「それで、竜騎士の方はどうなったのだ」

「帰っておらぬ」

つまりは、なんの進展もないということか。

ご立派なことだ。

「では、長耳の死体はどうなっている」

ついでのように、アンジェリカは聞いた。

「天幕の中で寝かせてあるが?」

「ん? どういうことだ?」

アンジェリカは訝しんだ。

どういうことだろう。

あれほどの損害を与えた長耳であれば、教皇領の文化では、死体を磔にして晒しものにするはずだ。

アンジェリカは、てっきり既に磔になっているものと思っていた。

そういった処刑を見物に行く趣味はないので、見に行かなかっただけだ。

「言葉通りの意味だが?」

と、男は薄笑いを浮かべながら返してきた。

察しが悪い。

「なぜ磔にしないのだ。貴殿の国はいつもそうしているであろう」

アンジェリカの父であるレーニツヒトを殺した長耳どもも、同じように磔にされ、腐るまで放っておかれた。

レーニツヒトは、常から「戦場にて自分を殺した者には敬意を払うように」というようなことを言っていたから、側仕えの者共は死体に辱めを与えないつもりであったが、教皇領の横槍が入り、結局は晒し者にされた。

アンジェリカは、父親を殺した者どもに対して恨みを抱いていないわけではない。

なので、その横槍に対して特に不満があるわけではなかった。

しかし、腑には落ちない。

「ああ、そういうことか。顔が解らぬのだ。墜ちた拍子に顔面を……こう」

男は手を握って、拳を顔面に当てるジェスチャーをした。

「勢い良く岩にぶつけたようでな。顔が解らぬのでは、晒し者にしたところで意味はあるまい」

アンジェリカには、顔が解らぬから晒し者にしても意味がない。という理屈はよくわからなかった。

単にそういうものなのか、と納得する。

そもそも、自分には磔にされ辱められた死体を見て喜ぶ趣味などないのだから、彼らの心理など理解できようはずがない。

まあ、顔がわからないということは、誰だかわからないということだから、本物が捕まらないために偽物を立てて処刑したのだ。などというあらぬ疑いをかけられる可能性もあるか……。

「む?」

まてよ?

「その死体というのは、もちろん耳は長かったのだろうな?」

「切り取られておったが、悪魔なのだから長いに決まっておるだろう」

馬鹿者。と言いそうになって、どうにかこらえた。

「切り取るのは右耳であろうが。左耳は残っているはずではないか」

首印の代わりとして尖った右耳を切り取り代わりにする、というのは、取った首の数に応じて金を支払うといった契約の傭兵や、同様の方法で特別報酬を出している幾つかの陣営で採用されている方法だ。

だが、換金できるのは右耳だけで、左耳は換金の対象にはならない。

それが通るなら、両耳を千切って回る者が続出するだろう。

「さあ……どうであったか……」

ちゃんと調べていないのか。

右耳も左耳もなく、顔も潰れているのであれば、人間の死体と見分けがつかないではないか。

「死体を確認させてくれ」

と言うと、

「ぬ……」

と、フェルムトは渋い顔をした。

商人に帳簿を見せろと言った時の顔とそっくりだ。

敵に寝返っているというのは考えられないので、やましいことはないのだろうが、自分の仕事に口を挟まれるのを嫌がっている。

「損傷が酷く貴婦人に見せられるようなものではないのだ」

わけのわからぬ言い訳をしはじめた。

「今は、どの陣営も重症人と死体であふれかえっているではないか。私は目を塞いでここまで歩いてきたわけではない。理由になっておらぬぞ」

「……見てもどうなるものでもあるまい。特別に酷い死体なのだ」

ゴネはじめた。

苛立たしい。

「どうしても見せぬというなら、正式に……」

アンジェリカがそう言った時であった。

横合いから、ガシャ、という板金鎧の擦れる特徴的な音が聞こえた。

興奮していたためか、アンジェリカはすぐ近くに来るまで、それに気づかなかった。

音の鳴る方向に振り向くと、

「ご機嫌麗しゅう、アンジェリカ殿下」

華奢な体つきをした、若々しい男性がいた。

深紫のマントを羽織り、下には金糸の入った華麗な布服を着ている。

板金鎧の音は、側仕えの挺身騎士団員が着ている、重厚な金属鎧が鳴らす音であった。

男自身は鎧の類は纏っていないが、腰には一本、サーベルのような剣を佩いている。

これもまた、ちらりと見えただけであるが、柄と鞘に豪華な意匠が施してあった。

金に困らない出自だけあって、さすがの服装だ。

父であるレーニツヒトの教えから言えば、重く柔らかい 金(きん) を戦装束に使うのはあらゆる意味で無駄であり、害でしかないので、羨ましくは思わなかったが、美しくは見えた。

「パラッツォ卿。お久しぶりでございます」

この男はエピタフ・パラッツォという騎士で、教皇の甥である。

何の理由でか聖職者にはならなかったが、騎士の道を歩み、今回の十字軍では挺身騎士団大司馬に抜擢された。

大司馬というのは、十字軍やイイスス教の連合軍が出動するときに、カソリカ教皇領の全軍責任者として、教皇から直々に任命される役職である。

つまり、この男は教皇領軍の総指揮官ということになる。

今回の十字軍では、玉座についたばかりの新王であるという事情を 慮(おもんばか) り、愚兄アルフレッドに全軍総監の栄誉を譲ったものの、教皇領軍の頂点という肩書はやはり重く、どこの国の責任者よりも強い発言力を持っている。

アンジェリカは、先の軍議でこの男と会ったことがあった。

その軍議で、アンジェリカは要塞攻略についての新兵器案を出し、エピタフの賛成により採用された。

総指揮官であるエピタフがここにいるのも、その関係であろう。

新兵器は現地で組み立てるものなので、完成まで一週間前後かかる。

要塞の包囲が終わり、それの待ち時間に入ったので、ようやく火災現場を見に来た。といったところか。

「それで、今日はどうしました?」

エピタフは嫌味なく微笑みながら聴いてきた。

微笑みかけられるとドキッとするほど顔が整っている。

「え、ええ…… 件(くだん) の放火について調べているのですが、ここにおられるフェルムト殿の話を聞いていますと、見つかった長耳の遺体というのが、怪しい物に思えまして……」

「ほほう、なるほど。それで検分してみたいと言うわけでしょうか」

「聞いておられましたか」

「はい。失礼をいたしました」

失礼というのは、盗み聞きに対してのことだろう。

「いえ、大声で話していたのはこちらですから……」

「それで……賊の死体を見てみたいということですね」

「その通りです」

「それでは、フェルムト殿、案内をしなさい」

「はっ……?」

「ですから、案内をしなさい。私も見ておきたい」

「で、ですが……まことにお見苦しいものかと」

またはじまった。

アンジェリカは、ため息をつきたくなった。

「構いませんよ」

「あっ……必要ならわたくしが見てまいりますが」

「二度言わせる気ですか?」

エピタフが薄く微笑みながら言うと、フェルムトは凍りついたように固まった。

「は、はい……案内いたします。こちらです……」

やった。

さすがに上司からの天の声とあっては、ゴネるわけにもいくまい。

***

アンジェリカが向かったのは、歩いて一分もかからぬところにあったテントであった。

幕をあけると、血臭が鼻につく。

アンジェリカはハンカチで鼻を覆うと、テントの中に入った。

仰向けに横たえられたその遺体は、布もかけられていなかった。

顔面は潰れており、なるほど識別はできそうにない。

フェルムトの言うとおり、見ていて気分の良いものではない。

「ふむ……」

エピタフは興味深げに遺体を見ていた。

アンジェリカも、台の上にあげられた遺体をひとしきり見る。

確かに両耳とも潰されていた。

鋭利な岩にでもあたったのか、左耳のほうは耳の先端がなくなっている。

だが、着ている服はたしかに長耳の国のものだ。

装備はかなり上等なものに見える。

長耳の鷲乗りというのは、ほとんどが余程の上流階級であるので、鎧が良いのは当然ではあるが、それにしても質が良い。

「しかし、これでは分かりませんね」

と、アンジェリカは言った。

実はこの遺体は鷲乗りではなく竜乗りではないかと思ったのだが、これでは確認のしようがない。

両耳が潰されてしまっており、顔貌も確認できないとなれば、疑うことはできるが、確証は取れない。

竜騎士が帰ってこない関係上、限りなく疑わしいとは言えるが……。

服は明らかに長耳のものなので、死体を偽装するために着替えさせたのかもしれない。

だとすると、全身の服を脱がせて裸にすれば、またなにか新しい傷などが発見できる可能性はある。

だが、それとて確証にはならない。

「……? ご存知ないのですか?」

「何がです」

「悪魔と人とを見分ける方法は、耳以外にもあるのですよ」

えっ、と思わず声を出してしまいそうになった。

そうなのか。知らなかった。

「そうなのですか。 寡聞(かぶん) にして存じ上げませんでした」

「アンジェリカ殿ほどの博識が知らないとは意外ですね。まあ、私も 趣(・) 味(・) が高じて知ったようなものなのですが」

趣味とやらは判らないが、見分ける方法については興味がある。

秘伝の類であれば、外に出ていろと言われても仕方がないが、できれば知りたかった。

「できるのであれば、お教え願いたいのですが」

「もちろん、構いませんよ」

「では、よろしくお願いします」

「はい。それでは早速はじめましょう」

よかった。

エピタフは、まず長耳の鎧を脱がし、肌をさらけ出した。

胸毛が生えており、血にまみれていない肌は、なんだか褐色じみている。

やはり長耳の身体ではない気がするが、アンジェリカは実際に男の裸などをまじまじと見た経験はないので、これを証拠と断言はできない。

そして、エピタフは、サーベルを取り出すと、ゆっくりと長耳の腹に切っ先を近づけ、腹の皮を破るように二つに割り、布で拭うと鞘に収めた。

なんだ……?

あまりに異常な行動だったので、アンジェリカは眉をひそめた。

エピタフは、続いて皮の手袋を脱ぎ、袖をまくった。

まさか……。

「………ッ!」

エピタフは、長耳の腹に素手の腕を突っ込んだ。

手慣れた様子で、グチュグチュと腹の中を探ったと思うと、臓器の一つを引きちぎって、腕を抜いた。

鮮血に染めあげられた真っ赤な腕がでてきた。

エピタフは、何事もなかったかのように、水筒の水をあけて臓器についた血を流す。

生々しい臓器のすがたかたちを確かめると、

「やはりヒトですね。悪魔とヒトとでは、脾の形が違うのですよ」

何事もないように言った。

「お教えするには、悪魔の脾臓と並べて比較するのが手っ取り早いのですが……口頭で説明しますと、悪魔の脾臓はこれより少し大きく、形は若干丸みを帯びています」

「うっ……」

アンジェリカは、生理的な吐き気を催した。

ヒトの腹を割って臓物を取り出すなど……。

趣味が高じて(・・・・・・) というのは、この事か。

理解できん。

「ふむ……やはり、貴婦人には少し刺激が強すぎたようですね。配慮がたらず申し訳ない……」

エピタフは、もはや用はないとばかりに、臓器を捨てるように腹の上に置き、布で手をぬぐった。

「い、いえ。大変勉強になりました……」

「どういたしまして」

エピタフはにっこりと微笑むと、フェルムトに向き直った。

「それで、フェルムト殿? あなたにはこの件の責任者を命じたはずですが……」

エピタフは仮面のような微笑みを顔面に貼り付けていた。

「す、すすすすすいません。ししししかし」

フェルムトは顔面蒼白になり、汗を垂らしながら頭を下げている。

今となっては、エピタフに対するフェルムトの怯えようも理解できた。

血なまぐさい評判を事前に聞いていたのだろう。

「申し開きがあるのですか?」

「ぞ、臓物が悪魔とヒトとでは違うなどという知識はっ!」

「苦しい言い訳ですね。ここにおられるアンジェリカ殿は、まず状況から疑い、私が服を剥いだ時には褐色の肌を見て疑いを強めた様子でした。あなたは疑いもせず、このヒトを悪魔と断定し、そのせいで悪魔二匹は、今も我々を嘲りながらのうのうと逃げている」

「はっ……それは、誠に申し訳なく……。ただいまより全力を上げて追う所存で……」

頭を下げたまま謝った。

「よろしい。あとは神の御前で申し開きしなさい」

「えっ」

フェルムトが、エピタフの真意を確かめようと頭を上げた時であった。

エピタフは右手でサーベルが収められた鞘を持ち、左手で抜き付けにフェルムトの首を打った。

「ングッ」

生唾を飲み込むような声を出しながら、フェルムトは自分の首を手で抑える。

だが、鋭利なサーベルで切り裂かれた首からは、手では抑えようがないほどの鮮血が、おびただしく溢れていた。

「………ガアッガボブッ!」

フェルムトは何かを訴えようと話すが、刃は気道を傷つけていたらしく、血が混じって言葉にはならない。

「ンッグウウッ!」

逆に、話すために肺の空気を使ってしまい、息が吸えない。

吸おうとしても、血が混じるために上手く吸えないのだ。

フェルムトは、膝から崩れ落ち、床の上でのたうち回りながら、しばらくして静かになった。

「……殺すことは、なかったのでは」

血飛沫を浴びたアンジェリカは、抗議するように言った。

吐き気は収まっている。

「アンジェリカ殿は分かっておられない」

「何をです」

「あの襲撃で、我々は補給資材の半分を失ったのですよ……。軍理に聡いアンジェリカ殿であれば、それがどれほどの損失か、分からぬはずはないでしょう。それほどのことをやった大悪魔が、我々をまんまと騙し、ひいては神を 虚仮(こけ) にしたまま、二匹とも無事に逃げ続けている」

教皇領は半分もの資材を一箇所においておいたらしい。

アンジェリカからしてみれば、そちらのほうが管理はしやすく盗難が防げるのは確かだとはいえ、不精をしているようにしか思われない。

「その上、彼の無能のせいで、本格的な追跡が三日も遅れてしまったのです。それはもう、イイスス様への背信と違いはありません。少なくとも我ら教皇領の騎士たちは、全身全霊をかけて悪魔を根絶やしにする必要があるのですから」

「つまり、彼は死罪が妥当な背信者だということですか?」

「そういうことになります」

そんな馬鹿なことがあるものか。

背任罪というならまだしも、背信者ということにはならないだろう。

無能であることは、信仰に唾することだとでも言うつもりか。

「なるほど。ご慧眼に感服いたしました」

アンジェリカは内心に蓋をし、思ってもいないことを言った。

「解っていただけたようで何よりです」

「追跡はどうするのですか? よろしければ私の隊が承りますが」

それが本題であった。

アンジェリカは、ここのあたりの地理を事細かに調べている。

三日の先行を許したといっても、長耳は森の中を徒歩で逃げているのであろう。

街道を馬で行けば段違いの速さが出るし、追いつける可能性は十分にある。

相手はまだ墜ちていない王都に向かっているのだろうから、適当な場所まで先回りすればよい。

そうすれば、教皇領への貸しにもなる。

「いえ、今回のことはペニンスラに頼みます」

「ん……そうですか」

ペニンスラ王国も、襲撃で一部の物資が焼けている。

アンジェリカは、この件についてはいわば部外者なので、当事者にやらせると言うのであれば、引き下がるほかない。

「今回は、戦果を求めぬ彼らが適任でしょう」

そんなに恨みがあるのなら、教皇領の実戦部隊を一部派遣すればよいのに、とも思うが……。

その場合、その部隊は活躍の機会を奪われるわけで、貧乏くじであろう。

ペニンスラ王国であれば、戦果に頓着しないという事情がある。

適任といえば適任かもしれない。

「そうかもしれませんね。それでは、私は自陣に戻ります」

仕事を任せてもらえないのであれば、もうこんな所にいる必要はなかった。

「はい。それでは、ご健勝をお祈りしております」

エピタフは、変わらぬ仮面じみた笑みを浮かべた。

「ありがとう」

その笑顔に薄ら寒いものを覚えながら、アンジェリカは血臭の充満したテントから離れた。