【短編】「もう遅い」のその前に~失わせ屋へようこそ~
作者: こじまき
本文
のんびりした地方都市にある、石造りの小さな家。
《ティナ、君がいないと予算が通らない。どうか戻ってきてくれ。部長の椅子を用意してもいいし、君が再三問題提起していた過重労働の改善についても、鋭意検討するから》
役所仕事における「鋭意検討する」とは、「検討するふりだけして、やらない予定」と同義である。
私はパチンと指を鳴らして、元上司からの手紙を魔法の火で燃やした。
彼からの手紙は、もう何通目だろう。
私の「精緻な幻影」と「正確な未来シミュレーション」による業績を横取りし、面倒な雑務はすべて押し付け、ぶっ倒れるまで働かせた男。
彼に泣きつかれたところで、魔塔に戻る理由がひとつもない。
魔塔時代は給料を使う時間すらなかったから蓄えはあるし、少ないけれども退職金も出たし、祖母が遺した家庭菜園付き一戸建ては居心地がいいのだから。
「今さら後悔しても、もう遅い」
どうやら人間は、失ってはじめて、「当たり前だと思っていたものの大切さ」に気づいて後悔するのがデフォルトらしい。
手柄をもたらす部下、諫めてくれる婚約者、痛まない膝、詰まらない血管、フレッシュな記憶力、有り余る時間などなど…
「…ならば」
ひとつひらめいた私は、暇つぶしがてら商売を始めることにした。
◆
【失わせ屋――言葉では理解してくれないあの人に、後悔のお試し体験を】
そんな看板をかけた数日後、初めての客がためらいがちにドアを押した。
からからと鈴が鳴る。
「後悔のお試し体験っていうのが気になって、来たんですけど…」
「自ら破滅に向かっている人に、『精緻な幻影』と『高確度の未来シミュレーション』をもとに、大切なものを失った未来を体験させるんです」
「私が見せたいものを見せられるんですか?」
「それは保証できません。依頼主さんの希望に近い内容になるかどうかは、状況次第です。説明しますと…」
私の未来シミュレーションは、意図的に「見せたい未来」を作り出すようなものではない。
現状や対象者の考えをもとに、確率の高い結末を導き出すものだ。
「内容の操作はできませんが、だからこそリアルなのが売りです」
「うーん…」
初めての客は、新しいサービスに戸惑っているようだ。
「…ところで、どなたに後悔を体験させたいんですか?」
勧められるまま椅子に腰掛けた中年の女性は、「夫に」と言った。
「本当に不摂生なんです。脂物ばかり食べて、せっかく薄味にしてもソースをダバダバかけてしまうし、お酒もやめてくれないし」
「心配なんですね」
「ええ。まだ小さい子どももいますから死なれたら困りますし、何より…あんな夫でも愛していますから」
愛する夫が身体を壊すことを心配してやって来た、優しい奥さん。
「不摂生を続けていたらどうなるか、体験させたいんです。それで改心して、生活を改めてくれたらと思って。『絶対後悔するよ』といくら言っても、聞いてくれませんから」
そう言いつつも、「本当に効果があるなら、ですけど」とまだ疑っている。
新しい商売だから、無理もない。
モニターも必要だと割り切って、「初めてのお客さんなので、後悔体験は無料にします。でも、もし気に入ったらオプションの購入を検討してくれませんか」と微笑みかける。
「本当に無料だし、オプションも強引な販売はいたしませんから」と何度も説明して、ようやく彼女は納得してくれた。
案内してもらって彼女の家に向かい、「どうもこんにちは」と彼女の夫の肩を叩いて、ふわりと術をかける。
「あなたの未来を、どうぞ」
◇
彼が見るのは、いわゆる生活習慣病の末期。
腎機能が低下し、炎天下で喉が焼けるほど渇いても、コップ一杯の水を飲むことも許されない水分制限。
味のしない食事を運んでくれる妻の服はボロボロで、平日の昼だというのに勉強好きな子どもは家にいる。学校に行けていないのだ。
自分が働けなくなり、けれど治療費はかかり、家族が苦しい生活をしているのだとわかる。
「すまない…」
今さらどれだけ後悔しても、糖尿病の合併症は確実に彼の末端を蝕んでいく。
ハッと気づくと、足の指が終わりを告げるように真っ黒になっているのだ。
「嫌だ、切らないでくれ!嫌だ…!」
壊死した足の指を切り落とされる、痛み。
視界が白濁して、愛する家族の顔すら見えなくなる、恐怖。
それらすべてを五感で体験させたところで、私は術を解いた。
◇
術にかかってから、約五分後。
依頼主の夫は椅子から転げ落ちて現実へ戻り、奥さんの服を確認し、子どもが学校に行っていることを知ってほっとし、靴を脱いでまだつながっている足の指を触る。
額に脂汗が滲んでいる。
「い、今のは…なんだ…?夢…?にしてはいやにリアルな…」
「今の生活をこのまま続けたときの、あなたの未来です」
「そ、そんな…」
「本当にあの通りになるかどうかは、これからのあなた次第ですが」
沈黙のあと、夫は深く頭を垂れた。
「あんな未来は絶対に嫌だ。食事も、酒も、全部見直す」
「そうしてください。あなたを愛して心配して、そして頼りにもしているご家族のために」
私は、呆然としている奥さんを振り返る。
うん、モニターとしては最高の反応。
ここで間髪を容れずオプションのご紹介を。
「今の幻影をカプセルに詰めました。飲むといつでもさっきの幻影を再体験できるので、初心を忘れたときに使えますよ。オプションでいかがです?」
「…あっ!?ええ、いいですね。買います」
「今なら一ダースあたり銀貨一枚。明日以降は一ダースあたり銀貨二枚になります」
奥さんは、迷わずに財布から銀貨を二枚出した。私はその場で二十四個のカプセルを生成して、奥さんに納品する。
「毎度あり。追加購入もできますので、入り用になったらまた」
「お知り合いにもぜひ宣伝を」とお願いして、私は彼らの家を出た。
◆
あの奥さんは、本当に知り合いに宣伝してくれたらしい。
ぽつぽつと依頼が入り、銀貨が貯まり始めたころ…
「旦那様がようやく初恋の女性を奥様として迎えられたのに、照れからか、うまくご夫婦の関わりをもてていないのです」
そう言って、このあたりを治めている子爵家の執事がやってきた。
「恥ずかしさのあまり、奥様を避けたり言葉が少しきつくなってしまったりすることもあって…使用人一同、気を揉んでおるのです」
「ああ…いわゆるツンデレってやつですか?」
「そうです。ただデレの出方がどうにもわかりにくくて…っ!」
執事はぎゅっと拳を握る。
主人思いな使用人だ。
ということは、主人もそれなりの人格者ではあるのだろう。奥さん以外には。
「奥様のお顔は日に日に暗くなっておりますし、このままではいつか奥様に愛想を尽かされてしまいます…それが心配で心配で!」
私は「でしょうね」と頷く。
「意地を張りつづけていたらどうなるか、しっかりお見せしましょう」
屋敷に案内された私は、執務室で「なんだなんだ」と目を丸くする子爵に術をかけた。
「未来をどうぞ」
◇
妻に優しい言葉をかけたい。
「ずっと好きだった。妻になってくれて嬉しい」と伝えて、甘い愛の言葉を囁きたい。
もしそう言えたなら、彼女はどんな表情で、どんな言葉を返してくれるだろう。
でも言えない。
恥ずかしい。
顔を見るとどうしても言葉が出てこない。
そんなことを続けているうちに、妻の顔色が暗くなっていく。
食事もあまり食べていないようだ。
こっちまで病気になりそうなくらい、心配だ。
彼女が食べやすい料理を用意するよう厨房に伝え、香や入浴剤も取り揃えさせたけれど、改善しない。
心配しながら地方に出張へ行き、ようやく勇気を出して彼女の好きそうな土産を買って戻ると…
彼女は屋敷にいなかった。
「離婚してください。目も合わせてもらえない結婚生活は辛すぎます」という手紙だけを残して。
彼女の父からは「娘をこんなにやつれさせて!」と怒りの手紙が届いた。
慌てて出向いたが、説明しようにも聞いてもらえない。
彼女に会わせてすらもらえず、離婚するしかなかった。
広い食卓。ひとりきりの食事。
世界はこんなにも…灰色だったろうか。
「初恋だったのに…!愛してるのに…!コンスタンス…!!」
◇
執務室の皮張りの椅子で目を開けた子爵は、しばらく言葉を発しなかった。
音もなく、ただ目から涙が零れていく。
「…コンスタンスは、この時間は庭でお茶だな?」
「はい、旦那様」
彼は立ち上がり、走り出した。
「嫌だ…あんなの…!」
執事が後を追い、私は執務室の窓から庭を見下ろす。
子爵が真っ赤な顔で、どもりどもり妻に何か言い、頭を下げる。
妻が涙を流して彼に抱き着き、彼女の背中に、おずおずと子爵が腕を回す。
執事が目を潤ませながらこちらを見て、私はちょっと笑って頷いた。
彼の場合は、一度殻を破ってしまえば、オプションはいらないかな。
「一応チラシだけ置いていくか」
――順調だった。ここまでは。
◆
その日の依頼人は、噂を聞きつけて隣の領地からやって来たという、商家のお嬢さんだった。
「父が、姉にとんでもない量の仕事を押し付けているのです。確かに姉は優秀ですが、このままでは倒れてしまいます」
心配した依頼人が何度父親に訴えても、「仕事くらいで死ぬことはない」との答え。
その言い分は、私自身も元上司からよく聞いた。
「いや、普通に仕事で死にますからね」
「そうなんです、それが心配で心配で…!」
お嬢さんはぎゅっと胸をおさえた。
「姉は父と夫婦仲の悪かった前妻の子で立場が弱くて、断れないみたいで…」
「なるほど」
「私が姉の仕事を手伝ったら、父は『姉が私に仕事を押し付けた』と姉を叱りつけて逆効果になってしまうし、母は助けてくれないし…!何とか、父に考えを変えてほしいのです」
「わかりました。お父様に未来を体験してもらいましょう」
立派な屋敷の応接間でふんぞり返る男は、露骨に不機嫌そうだった。
「わしは忙しいんだ、何の用だ」
元上司を思い出すこういう人種とは、話すらしたくない。
私は早速術をかけた。
◇
長女の体調が悪いらしい。
医師が薬を処方しても効かない。
効かない薬ならやめてしまえばいいだろう。
体調が悪くても書類仕事くらいならできるはずだ。
昔からあの娘は、前の妻に似て陰気な顔をして気にくわない。
それでも家に置いて養ってやっているのだから、感謝すべきだ。
多少体調が悪くても、役に立てるよう働いて当然だろう。
「お嬢様…!?」
「お姉様!お姉様、しっかりして…!!お願い、目を開けて!!」
ある日、長女は机に突っ伏したまま動かなくなった。
誰が呼びかけても起き上がることはなかった。
「お父様のせいよ…!私は何回も言ったのに…!絶対に許さないから…!!」
可愛い可愛い最愛の次女はそう言って私を睨みつけ、姉の遺品をもって家を出て行った。
そして山積みの書類と、回らない仕事だけが残った。
「あの娘にできていたんだ。わしにだってできる!」
けれど書類の山は日に日に大きくなる。
「なぜだ、なぜなんだ…」
取引先は日に日に減り、商会は潰れて私は一文無しになった。
最後に感じたのは、空も見えない薄汚れた路地のじっとりとした空気と、吐きそうな汚水の臭いだった。
◇
「なんだこれは…!インチキ魔導士め、わしに何をした!!」
男は現実に戻るなり、机を叩いた。
「こんな幻で脅すつもりか!こんな…こんな捏造された…」
いちゃもんをつけられるのは納得がいかない。
「私が見せたのは確かに幻影ですが、内容について手心は加えてませんよ。独自の魔法式を使って現在の状況や性格・感情から導き出される、確度の高い未来なので」
「わけのわからんことを並べるな!」
「わかりやすく説明したつもりなんですが…とにかく、分岐はありますけれど『このままならかなりの確率でこうなる未来』と思っていただいて差し支えありません。軍用レベルですよ?」
「黙れ黙れ黙れ!!」
男の怒声が響く。
隣で、依頼主であるこの家の次女がびくりと肩を震わせた。
「お父様、お姉様は今の時点でも過労だとお医者様に診断されています。このままだと本当に死んでしまいます!」
「それならばあいつが弱いだけだ!これくらいで倒れるなど甘えだ!」
「どうして、お父様…!どうしてわかってくれないの…」
依頼主は床にへたりこんで、私を見つめる。
「ティナさん、どうしてですか…」
「後悔を体験しても、変われない人もいるみたいですね」
「そんな…」
私は彼女を抱え起こした。
「残念ですが、あなたの親はそういう人間だったということです。それがわかっただけでも、きっと前進です」
依頼主は少し考えて、唇を噛んで頷いた。
けれど父親は、理解していない…理解する気もない顔をしていた。
「出て行け、詐欺師め!純粋な娘を誑かしおって…!」
「はいはい」
数週間後、依頼主から「異母姉を連れて屋敷を出た。遠縁を頼り、姉を療養させる」という手紙が届いた。
「『父はきっと変われる』という幻想を砕いてくれて、ありがとう」という言葉と、あの日受け取り損ねた料金。
そして二人が家を出た後しばらくして、あの商家の破産の知らせが小さく新聞に載った。
あの父親がどうなったのかは、わからない。
きっと「あの詐欺師が悪い」「娘が悪い」とでも言いながら、どこかの薄汚れた臭い路地に転がっているのだろう。
そうなった原因が自分にあるのだと、決して理解しようとはしないまま。
◆
今日も客は看板の前で逡巡し、息を整え、決心して扉を開ける。
「いらっしゃい」
「未来を…大切なものを失った後悔を見せてくれるって本当ですか」
「ええ」
私は椅子を勧める。
「このままでは失うだろうもの…失ってからでは遅いものを、お見せできますよ」
男はごくりと喉を鳴らした。
「今からでも、本当に間に合いますか。気づいたら未来は変わるんですか」
私は少しだけ考える。
たいていの人は、手遅れになってから気づく。
だから私は、手遅れになる前に「後悔」を売る。
「手遅れになる前に変わろう」と思えるかどうかは人ぞれぞれだけれど…
「ちゃんと気づける人なら、きっと手遅れにはなりませんよ」
「そう、ですよね…」
「…まずは料金とオプションの説明をさせていただいても?」