軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ちいさな娘、その『事件』。

どうして様子を見に行ったのか。と、尋ねられれば、ケニスは返答に困っただろう。

その直前に会ったラティナの顔色が酷く悪く、心配になったというのも大きい。

だから、普段なら聞き逃してしまうような、小さな異音に気付く事が出来たのだろう。そして、それが気になって、様子を見に行ったのだ。

それが『ベター』では、あった。

--『ベスト』は、兆候に気付いて、事前に止める事が出来ること。……だったのだが。

クロイツの街は秋を迎えていた。

ラティナは友人たちと共に、街の中心部にある『 黄の神(アスファル) 』の神殿に併設されている学舎に通いはじめていた。

『 黄の神(アスファル) 』は学問を司る神。クロイツのようなある程度大きな街には、どこでも神殿があり、就労前の子どもたちに、最低限の教育を行うことを担っている。

クロイツの場合は、八歳になる年の秋からの二年間がそれに充てられている。

ラーバンド国内の識字率は、街住みの者に限れば悪くはない。

商売人などに限らず、街中で『情報』は文章で示される。労働者たちや冒険者たちにとっても必要な能力だった。

「ラティナ、なんか元気ないか? 」

「ううん。だいじょーぶ。げんきだよ」

学舎に行く準備をしながら、どこか沈んだ表情をしたラティナの様子に、デイルが不審な顔をする。

だが、ラティナはすぐに表情を取り繕い、笑顔を作った。

彼女は学舎に通いはじめた当初は、毎日本当に楽しそうにしていた。

『新しいことを学ぶ』こと自体が楽しいのだと、デイルにも弾んだ様子で報告していたのだった。

それが、ここ数日変だった。

ぎゅっとラティナを抱き締めると、彼女は不思議そうな顔をした。

「最近……学舎で何か変わったことでもあったのか? 」

びくん。と、ラティナの体が小さく跳ねた。

下を見て小さな声で答える。

「……あたらしい女の先生が、きたよ」

「何かそいつとあったのか? 」

「ううん。みんなは、まえの先生のほうが、べんきょうおもしろいって言ってるけど、それだけ」

『それだけ』とは、とても思えないラティナの様子に、デイルは眉をひそめる。だが、なかなかに頑固なラティナの口を割らせるのは、容易な事ではないのだった。

「ラティナ、心配かけるのは、悪いことじゃないからな。俺は本当にお前が大切なんだから……ちゃんと甘えてくれよ? 」

「デイル……だいじょーぶ。ラティナ、ちょっと先生のこと…… こわい(・ ・ ・) だけだから……」

--この時に、もっと気にかけるべきだった。と、デイルは思う。

『踊る虎猫亭』で暮らし、荒くれものの『冒険者』と接しても、笑顔を絶やさず、臆することもないラティナが、『怖がる』ことの意味を考えるべきだったと--

更に数日が過ぎ、ラティナはますます沈んだ様子を見せていた。

友人たちと過ごす時間は楽しいらしい。新しい友人も出来たのだと言う。毎日を、そう報告していた。

だが、ラティナは『先生』の事にだけは、触れようとはしなかった。

彼女自身、苦手に思って避けているのかもしれない。

そんな風に大人たちが思っていた矢先の事だった。

真っ青な顔をして、ラティナは帰って来た。

酷い様子だった。

いつものように出迎えたケニスが、声を失う程に。

倒れてしまうのではないかという程に、顔色は悪く、服や髪が乱れて、 片方の 飾り布(リボン) はほどけかけていた。

けれどもそれ以上に、ケニスが胸を突かれたのは、彼女の表情だった。

途方にくれたような。

大切なものを全て失ってしまったような。

ラティナの『絶望』した表情に。

--ケニスが初めてラティナと出会った時から、この子は笑顔を見せていた。

森の中で、唯一頼りとするべき肉親を喪い、それでも独りで生きていた少女。

大人でも耐える事が出来ないような、幼い彼女が背負うべきではないような、辛く悲しい苦しい思いを抱えていて、それでもラティナは笑っていたのだ。

そのラティナが、彼女の心の奥にある『柔らかい部分』を表に出している。--咄嗟に思ったのは、そんな事だった。

「ラティナ……? 何があった? 」

ケニスの声に、ラティナはビクリと大きく震え、泣き出しそうに大きく顔を歪めた。けれども

「……なんでも、ない」

ラティナは絞り出すようにそう答え、くるりと背中を向けて階段を上っていった。

--このとき、ケニスではなく、デイルが出迎えていたならば、また違っていたかもしれない。

デイルが留守にさえしていなければ。

頭上から、『異音』としか言い様のない音をケニスが聞いたのは、それからそれほど時間を経なかった後の事だ。

過去、耳にした覚えのない鈍い音。

空気が重く震えた気がした。

ただ、ただ不吉な予感のする音だった。

反射的にケニスは階段を駆け上がった。

二階を抜け、屋根裏に上がる。

そこに、ラティナが倒れていた。

窓から差し込む光だけでは、 屋根裏(ここ) は薄暗い。

彼女に何が起こったのか、一瞬わからなかった。

一歩近付いて、ケニスはラティナの頭が血溜まりの中にあることに気付く。白金の髪が、鮮血に染まっていた。

「ラティナっ! 」

元の稼業上、血も怪我も見慣れているケニスが、それでも動揺したのは、この場にいるのが『ラティナだけ』だからだ。

これは『ラティナ自身』が行ったことになる。

ケニスは近くの汚れていない布--デイルの部屋から取って来た--を彼女の『傷口』に押し当てながら、彼女を抱き上げ、階段を駆け下りた。

見る間に布が赤く染まる。

押さえた位では、出血は止まらないのだ。

一刻も早く回復魔法をかけるか--もしくは、彼女の『傷口』を焼く位しか方法がない。

ラティナは、自分で、自分の、残っていた『角』を折っていた。

『魔人族』の象徴でもあるその部位には、血管も神経も通っている。

見た目の硬い無骨な印象に比べて、繊細な器官だった。

損ねれば、手足をもがれるのと何ら変わりのない、苦痛と出血が襲ってくる。

意識のないラティナはぐったりしたまま動かない。

ケニスは『踊る虎猫亭』の店内へと、ラティナを抱いたまま駆け込んだ。

鬼気迫るケニスの様子に、店にいたリタや、雑談中の常連たちがぎょっとする。

「どうしたの、ケニ……」

「こんなかに、回復魔法使える奴はいるかっ!? 」

ケニスの言葉の意味を理解するのと、ケニスの腕の中のラティナが血の色に染まっていること。気付いたのは、どちらが先だったのだろうか。

「ラティナっ!? 」

「嬢ちゃんが怪我したのか? 」

リタが悲鳴を上げた。彼女らしくないほどに、血の気が失せている。

がたんと椅子を蹴って立ち上がった髭面の常連は、自分の連れを押し出した。ケニスの元に駆け寄った初老の男は、ラティナの頭へと掌を向ける。

「俺の魔法じゃ、大したことは出来ないぞ」

「構わん。とにかく血を止めてくれ」

癒しの魔法が行使され、止まらなかった血の勢いが弱まる。

ケニスはその間にリタの方を向いた。

「念のため『 藍の神(ニーリー) 』の神殿の治療院に連れて行く。デイルが帰って来たら、そう伝えてくれ。 酒場(みせ) は今日は休みだ」

「わ、わかった。……ケニスっ、ラティナに何があったの? 」

「俺にも詳しいことはわからん。とにかく、今は治療が先だ。行ってくる! 」

ラティナを抱え直し、ケニスは『 藍の神(ニーリー) 』の神殿の方へと全力で走り出した。

--後になって知った事だ。

ラティナには、『自分を害する 存在(もの) 』を漠然と察する能力があるのだという。

『あの森』の中で、幼いラティナが独りで生き抜いていた理由だった。

--毒を含む動植物も多い中で、彼女は『食べても大丈夫』なものだけを、見分けられていた。

--自分に危害を与える獣が近くに来る前に、身を隠す事が出来ていた。

--デイルと会った時に、彼は、自分を害したりしないと、感じていた。

全ては、無意識下の、その能力の成せるわざであったのだ。

--ラティナは『本能的に』自分の『敵』を見抜く。

彼女のその『本能』は、 今回(・ ・) も正しくはたらいていたのだった。