軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

白金の娘、「ただいま」を言う。

「本当、いつになっても駄目なんだから、あんたは」

柳眉を逆立て、腰に手を当てるリタは、変わらない調子でデイルとラティナに声を張る。

情報が集約されていたのが、『踊る虎猫亭』であった以上、ラティナがヴァスィリオの王妹であることも、デイルが国家規模の英雄とされていることも承知のことだろう。

それでもリタは、『変わらない』姿で彼等を迎えた。

王妹や勇者といったシンボルではなく、ラティナとデイルという、個人のままで彼等に接することを示したとも言える。

かつてこの場所を後にした時、デイルはリタに「待っているから帰って来い」と言われた。それを実行してくれるのだと思った。

だからデイルは、自分でも驚く程すんなりと言葉が出た。

「リタ」

「何?」

「すまない」

「……っ」

デイルがリタ相手に、こういったことを素直に言うことは少ない。リタは呆気に取られた後で、言われた方が恥ずかしい、という顔をする。

「ありがとう。……ただいま」

「ちゃんと……帰って来たんだから、良いのよ。……お帰り」

リタの声が詰まったことは触れず、デイルは、ただ笑った。邪気も照れもなく、素直に笑うことが出来た。

「ラティナも、勝手にいなくなっちゃ駄目って、いつも言ってたでしょう」

子どもの頃のお小言のように、リタはラティナに言う。

どれだけ大変だったかなど、おくびにも出さずに。空白の時間などなかったのだとでも言うように。

「出掛ける時は、行き先をちゃんと言う。約束だったでしょ?……心配、するんだからね……」

「うん……ごめんなさい、リタ」

デイルと違い、ラティナは笑うことは出来ないようだった。

ぽろぽろと大粒の涙を溢し、肩を震わせている。それでも泣き顔をリタにしっかりと向けて、ラティナは微笑んでみせた。

「ただいま。長く留守にして、ごめんなさい」

「お帰りなさい、ラティナ」

お帰りなさいと迎えてくれる者がいるからこそ、「ただいま」と言うことが出来る。

ようやく二人は、帰って来たかった『場所』に、帰って来たのだった。

「ねぇね!」

リタの小言が終わるまで、ケニスによって捕まっていたテオが、歓声を上げて駆け寄って来た。

記憶の中にあるよりも大きくなったテオの姿に、ラティナは共に過ごすことの出来なかった時間を察して、涙を更に溢れさせた。

「ねぇねは泣き虫だなぁ」

テオは困った顔で笑いながら、ラティナにぎゅっと抱き付いた。柔らかく良い匂いがすると、デイルが常日頃賛美するラティナの胸元に、幸せそうに顔を埋める。

「ごめんね。ごめんね、テオ……っ」

「ごめんじゃないよ?」

「……ただいま、テオ」

「お帰りなさい、ねぇね」

ちいさな弟分にこんなことを言われては、ラティナが泣くのを止めることなど出来なかった。

ラティナは、テオにすがり付くようにして、本格的に泣き始めた。

釣られたように泣くリタの隣には、いつの間にかケニスがいる。

気の強いリタが、泣き顔を周囲に見られなくて済むように、自分の胸を妻に貸している。ケニスの足元では、ちいさな幼児がきょとんとした顔で、泣く母親とラティナを見ていた。

「……子どもがいると、時間が経ったのがよくわかるな」

「そうだろ」

ケニスも静かに笑い、よちよちと歩く自分の娘を片手で抱き上げる。父親と同じ色の髪をした女の子は、ここからデイルが旅立った日には、まだ言葉も覚束無い赤ん坊だった幼子だ。

「まあ、それでもやり遂げたんだから、良いだろう」

ケニスはそうやって、及第点を『弟分』に告げる。デイルも口元を歪めて笑みを返した。

「……ただいま」

「ああ。よく無事に帰った」

二人の声に気付いたラティナが顔を上げる。

ケニスの姿を確認すると、泣き声のまま、必死に声を張り上げた。

「ただいま」

「ああ。仕事は溜まってるぞ。また頑張ってくれるんだろ? ……お帰り、ラティナ」

そんな父親の姿を見て、幼いエマが親と兄を真似て声を出す。

「おきゃーりなちゃい?」

「ただいま、エマ」

帰って来られて良かったと、失わなくて済んで良かったと--ラティナは大切な温かい場所に、ようやく帰って来られた幸福を胸いっぱいに感じていた。

改めて周知する必要もなく、ラティナとデイルが帰って来たという話は、クロイツ中の『必要な場所』に広まっていった。

緊急事態に精度を磨きあげられた、クロイツの某組織の仕業である。末恐ろしさすら感じた。

ただ『広まっていった』だけならば、救国の英雄たる『白金の勇者』を一目見たいという輩も集まって来るだろう。だが、そういった野次馬は一切現れなかった。

『白金の勇者』というふたつ名を、意図的に広めた意思も感じた。何せ普段のデイルは、茶色まじりの黒髪に黒いコートという、地味な外見なのである。『白金』とは程遠い。

そして事実を知る人びとには、『白金の勇者』のふたつ名も世間とは異なって捉えられている。白金色の鎧を纏っているからの異名ではなく、白金色の少女の為だけに働くという、事実故の残念な異名であることも、同時に知れ渡っているのである。

『虎猫亭』の裏庭には、テオと遊ぶわんこが二匹に増えていた。あれは幻獣などではなく、『 犬(わんこ) 』である。

当犬(とうにん) が「我が『犬』とされるのも、それが流儀であるならば致し方なし」と言っていたので『犬』なのである。

大人たちが、一斉に視線を泳がせる無理のある設定であったが、『誰が何と言っても犬』で押しきる口裏合わせは済んでいたのであった。

常連客の誰よりも先に、一報を聞き付けて『虎猫亭』に駆けつけたのはクロエだった。

仕事を途中で放って来たのだろう。普段着のワンピースの裾には、まち針が何本か留められている。息を乱したクロエは、何故だか大きなクッションを抱き締めていた。

「クロエ……」

「……この……っ」

ラティナの姿を確認すると、クロエは抱きかかえていたクッションを振りかぶる。

「バカラティナっ!」

ぱすんと、ラティナの頭にクッションを振り下ろした。

「ひゃっ」

ぱすんぱすんと、クッションによる殴打は連続した。

どうやらこのために、 打撲武器(クッション) を持参したらしい。

「本当に、本当にバカっ! また、勝手に悩んで、勝手に独りで突っ走って!」

「ごめんなさいっ! ごめんなさい、クロエっ!」

「心配する方のことも、考えろって、いつもあんなに言ってるのに!」

クッションによる殴打の間隔が狭くなる。ぱすんぱすんが、ぱすぱすぱす程度の間隔になった。

「バカっ! 反省しても繰り返したら、意味ないのっ! 本当にバカっ!」

「ごめんなさい、ごめんなさいっ」

それでもラティナは、クロエの攻撃から逃げようとはしなかった。頭を庇う仕草のまま、クロエの殴打にされるがままとなる。

「バカっ!」

「ひゃんっ」

最後にクロエが、力いっぱいクッションをぶつけると、流石にラティナは驚きの声を発した。

だがその直後、クロエによってぎゅっと抱き締められる。

顔は見えない。それでも視界に入る親友の肩は震えていて、ラティナは、自分もまた涙を滲ませた。

「バカラティナ……」

「ごめんなさい、クロエ……」

心配してくれたひとがいる。

それがこれだけ嬉しいなんて言ったら、この親友に、当たり前のことを言うなと、また怒られてしまうだろう。

だからラティナは何も言わずに、親友をただ抱き締めた。

クロエが泣き止むまで、ずっと、そのままでいた。

「ただいま、クロエ」

「……お帰り。帰って来るのが遅いのっ……バカラティナ……っ」

掠れた親友の声は、罵倒の言葉だというのに、優しい響きを含んでいた。

満員御礼という言葉で言い表せ無いほどに、本日の『踊る虎猫亭』は、客が押し寄せる事態になっていった。

「これは、会計も注文も受けるのは、無理だな」

「大丈夫よ。今日の分は全部デイルが払ってくれるから」

「そうか。なら良いか」

「相変わらずお前ら、俺に対して酷ぇよな」

『虎猫亭』の夫婦は、そうそうに、本日は酒も料理も デイル(スポンサー) 払いの無礼講とすると決める。デイルは、半目でそんな夫婦を見た。

「国から報償金のふたつやみっつ出てるだろう」

「それを、俺抜きで勝手に決められるのが……」

文句を言おうとしたデイルの言葉は、

「ケニス、リタ。私が、今日の分のみんなのお支払するよ。心配してくれたお礼がしたいの」

「ラティナに払わせる訳ねぇだろっ!?」

ラティナが口を挟んだことで、あっさりと転回された。

デイルも本心から嫌がっているわけではない。ラティナとイチャイチャ出来ない分を、 労働(たたかい) に勤しみまくっていたデイルの財布は、一晩やそこら、下町の酒場を貸し切っても痛まないのである。

ケニスが次々と作る料理を、ラティナは両手でせっせと運んで行く。客で埋め尽くされた店内は、移動することすら難しいが、彼女は危うげなく大盛の皿を空いたテーブルに並べていった。

「嬢ちゃん、こっちにもつまみだ!」

「はーいっ、ちょっと待っててっ」

明るい声で答え、視界に入った空いた皿を掴んでひょいひょいと重ねていく。下げようと踵を返したラティナに、周囲の客たちは隙間を作り協力した。

「ラティナっ」

「嬢ちゃん」

と、彼方此方から声が飛ぶ。名を呼ばれる度に、彼女は心底嬉しそうに微笑んで、元気の良い返事をして回っていた。

「はいっ、すぐに行きますっ」

長い不在の期間のことを、聞きたくはないという訳ではないだろう。

それでも皆、今は、明るい笑顔の少女がこの場所に戻って来たことを、ただ噛み締めていた。

「ラティナ、次のつまみ上がったぞっ」

「はいっ」

厨房で張られたケニスの声にも、楽しげな響きがある。

軽い足音で厨房に戻って来たラティナは、空になった皿を洗い場に置いて、新しく完成した料理を受け取った。

そんなラティナの姿に、ケニスの目元は自然に下がった。

これほど忙しいのは、この店開店以来初めてのことだろう。だが、苦痛ではない。

それにこれだけ楽しそうに働く少女の前で、店主たる自分が情けない姿を見せる訳にはいかない。そんな思いが胸を占める感覚も、久しいものだった。

リタはひたすら酒を注いでいた。

樽を幾つか放出して、勝手に飲めるようにもしていたが、それだけでは、この大酒飲みは満足しないようだった。

頭の中で在庫と金額を計算しながら、奥から新しい酒瓶を並べる。

「ラティナ! ごめん、新しい樽出すの手伝って!」

「うん、わかった!」

酔っぱらいどもが文句を言う前に、補充の樽を運び出す。リタでは重くて動かせないそれも、ラティナは魔術を使い、難なく店の中まで運んでみせた。

「ありがとう、ラティナ」

「うんっ」

リタの礼の言葉に、目映いばかりの笑顔が帰ってくる。リタもそれに応じるように、にこりと優しい笑みを浮かべた。

デイルは、そんな様子を見ていた。

ラティナを中心に、皆優しい表情をして、笑っている。

かつての自分もそうであったように、彼女にはいるだけで、周囲を癒し笑顔にする力がある。

そして、中心にいるラティナも、幸せそうだった。

(なら、それで良いよな)

心の中で呟いて、手の中の杯を飲み干した。

「デイルっ」

「大丈夫か? 無理はするなよ」

「大丈夫だよ。忙しいけど、凄く楽しいの」

ほんの一時、手が空いた時を見計らって、ラティナはデイルの元に駆け寄って来た。手首に嵌めた婚約記念の腕輪が髪をかきあげた瞬間に光る。

デイルは微笑みながら、誰よりも大切な女性の頬に口付けを落とす。頬ぐらいで留めて置かなければ、止まらなくなってしまうので、今は我慢するしかなかった。

「ん?」

「なあに?」

その時デイルが首を傾げたのは、この店では本来ご法度である筈なのに、吟遊詩人が商売道具を広げたからだった。周囲もそれを咎めることなく、様子を窺っている。

やがて流れ出したのは、『最も新しい 英雄譚(サーガ) 』だった。

「悪趣味なことしやがって……」

眉間に深い皺を寄せるデイルに対して、ラティナはよくわかっていない顔をしている。

『勇者』が、奪われた『 妖精姫(こいびと) 』を取り戻すべく、数多の障害を打ち払い、邪悪な魔王すら打ち倒す--何処にでもありそうな 英雄譚(サーガ) である。深く考えず、聞き流してくれれば良いだろう。

デイルは、転げ回りつつ、周囲のテーブルをひっくり返したいような衝動を、そうやって考えることで誤魔化した。

「でも、まあ、良いか」

「ん?」

不思議そうに首を傾げるラティナを、腕の中に抱き締めて、デイルは笑った。

「こういった 物語(サーガ) の結末は、だいたい『末永く幸せに暮らしました』だもんな」

「物語は 幸せな結末(ハッピーエンド) の方が良いよね」

「だな」

あまりよくはわかっていなそうだが、ラティナも微笑んで答えた。

流れる 英雄譚(サーガ) は、クライマックスを迎え、『勇者』は無事に愛する姫との再会を果たしている。

この曲に 続き(・ ・) が作られる日が来たとしても、それはきっと幸福な物語であるに違いない。

「めでたし、めでたし、の後も、幸せでいような」

囁くデイルに、ラティナは、微かに恥ずかしそうな色を浮かべて、答えた。

「デイルと一緒なら、私はいつも幸せなんだよ?」

「じゃあ、ずっと一緒にいれば良いな」

「うん」

「そうして、心優しき『妖精姫』は、愛する『勇者』といつまでも幸せに暮らしました」

英雄譚(サーガ) の調べが、そう締め括られた時--二人は幸福そうな笑顔を交わしあって、誓いの口付けのように、唇を寄せ合ったのだった。