軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

31.6話 ニコラウス 中編

ニコラウスがペンを置くと、女は紙を引き寄せてわざわざ上下を逆さにした。そもそも女に向けて文字を書いたため、紙を逆さにすれば文字も逆さとなってしまうというのにもかかわらず、だ。

(は? ……まさか本当に読めてない?)

目の前の人間は文字の上下すら分かってない。そうでなければありえない行動に目を疑った。古代文字は流暢に書けるのに、現代の文字はその上下すら分からない。それはもう、現代文字が使われるようになってから、人間の文化圏に暮らしていなかった証である。

だが古代文字が書ける以上、その時代は確実に生きていたはずだ。……まさか本当に、五百年もの間、竜の死地にこもっていたというのだろうか。

「ほんとに五百年も山に籠ってたなんてこと、あるわけないじゃん」

咎めるような声が出た。本当に竜との戦争の時代から生きていた魔族なら――ニコラウスの存在も知っていたはずだ。同胞の子、その存在を知りながら会いに来ることがなかったなんておかしい。

(僕は……ずっと探してたのに。宮廷魔導士になって、どこにいるか分かりやすかったはず。それでも会いに来なかったんだぞ)

自分から探すことに限界を覚えて宮廷魔導士にもなった。自分が何処にいるのか分かりやすくするためだ。他に生き残りがいれば、ニコラウスの存在を伝えられるから。ここに居るのだと分かればきっと会いに来ると思ったから。

それでも誰も訪ねてはこなかった。だからこそ魔族はもう滅んだのだと、毎日現実を突きつけられていたのに。

「生きてたなら……なんで会いに来なかった」

会いに来ない理由が分からない。お互いが唯一の同胞なら、会いたいと思うものではないのか。少なくともニコラウスは、本物の同胞であったなら会いたかった。

彼女が五百年山に籠っていたせいで、その間ニコラウスの行方を知らなかった可能性はある。しかし、ならば人里に出てきた時点で、同胞の行方を捜すものではないのか。

『ごめんなさい』

女の短い謝罪の言葉。何の言い訳もしないせいで、ニコラウスに会いに来なかった理由は想像するしかなくなった。

(偽物だから会いにこなかったのか? そうじゃないなら……他に理由は……)

ふと思い出す。この魔女は動くマンドラゴラを従えているという。特殊な進化をしたマンドラゴラにはニコラウスも心当たりがあった。

竜の死地、その血肉で肥えた大地にマンドラゴラの種をいくつか植えた。しかし瘴気の中心部は魔族であるニコラウスですら近寄り難く、四百年経ってそれが大分薄れたとはいえあまり近寄りたくなかった。

(あの場所にいたら……多分、僕は人間じゃなくなってたからな)

自分の中の何かが変質しようとしているのが分かり、種を植えたらすぐに退散した。そして回収も他人に任せたのだ。複数植えたうちの一体は少なくとも育っていたようでその痕跡が残っていたらしいが、結局行方知れずのまま。

しかし今、目の前の女が異質なマンドラゴラを管理している。竜の血で育ったなら珍しい進化をしていてもおかしくはない。

「……お前が隠れてた理由に一つ心当たりがある。……動くマンドラゴラ、あれ僕のだろ。お前が盗んだな?」

他の理由は思いつかなかった。他人の研究物を盗んだから、顔を合わせづらかったのではないか。この女は魔境の傍に住んでいたというし、竜血で育った珍しいマンドラゴラを見つけて持ち去った。その可能性もあるだろう。

しかし、そこへ折よく現れたマンドラゴラを鑑定した結果、予想は外れてしまった。五体の動くマンドラゴラは竜血で育ったものではなく、浄花によって育てられたものだったのである。

(……どれも僕のじゃない。野生個体をこの女が眷属化して、完全に無害化に成功してる訳か……それはそれで面白いし興味深いけど……)

特に五体のうち一体は非常に個性的に育っているようで、形も性格も随分と変わっている。魔物の進化の仕方として、非常に研究に役立ちそうな個体だ。

だが他人の研究物を奪うようなことはしない。じっくり自分でこの進化をさせる方法を見つけたいところである。

(あれ……? ……おかしいな。研究の熱、少し冷めた?)

いや、その表現は少し間違っている。焦燥に駆られ追い詰められるように研究していたはずなのに、ただ興味関心で魔物を調べたいという欲求に変わっているのだ。元々魔物の研究を始めたきっかけ、新しい同胞をつくるために魔物の進化を促し、望む形へ変えようという欲求が薄れてしまっていた。

(……まさか本当にこの女が魔族だと思ってるの? 違うかもしれないじゃん。期待するなよ)

自分に言い聞かせる。期待して、裏切られたら。その時自分はどうするだろう。……怒りに任せて目の前の女を八つ裂きにしようとしそうだ。相手の魔力量はニコラウスをはるかに超えているが、それでも我慢ならないかもしれない。

(……本物なら敵うはずないけどね。竜との戦争で勝ち残った魔族なんて、僕じゃ勝てるはずないし。ほんとにそんな伝説級の魔女がいるのかよって思うけど)

だから期待はしない。優しく微笑みながらニコラウスを見つめる女のその表情が、同胞へ向ける慈愛のように見えても期待してはいけない。

(……僕のマンドラゴラはどこへ行ったのやら。見つけたら、ここでこの女のマンドラゴラと性能を比べたり、性質の差を調べたり……眷属化の方法も訊いて試してみたいけど……)

竜の血で育ったマンドラゴラだ。この女の所有する浄花で育ったものよりも必ず特殊な成長を遂げているし、簡単には死なないだろう。おそらくまだどこかにいると思うが、それを見つけるのは難しそうだ。

魔境はいまだに変化を続けている。近いうちに人類を脅かす特異な個体が生まれ、あの魔境を支配するだろう。その魔物によっては魔境に留まらず、縄張りを広げてこのあたりの人間を脅かすようになるはずだ。

そんな危険地帯で小さなマンドラゴラを見つけるのは、ニコラウスとて難しい。

(このマンドラゴラも元は魔境に居て、逃げてきたんだっけ。僕のマンドラゴラもこいつらみたいに山を下りてくればいいのに。それならこの女が捕まえたとしても、訳を話せば返すだろうし)

紫の布を全身にかぶせられた、女体を模したマンドラゴラはニコラウスの見つめる先でその体をくねらせている。それにしてもこういう個性は一体どこから生まれるのか、非常に興味深い。……またここにきて観察する方がいいだろう。女の正体も見極めなければならないし、頻繁に訪れたいところだ。

そう考えていたところ、騎士が一人、慌てたように女の家に駆けつけた。

「魔女殿、ご無事で……っ魔導士殿がなぜここに……?」

まずは女の無事を心配し、ニコラウスがいることに驚いて軽く青ざめている。

その表情や台詞から、ニコラウスは察した。……この騎士はあの女に肩入れしている。これではまともな調査にはなるまい、と。