作品タイトル不明
風を待つ(浦梅進)
やること成すこと、全てが裏目。
一体自分はどこで間違えてしまったのだろう。
「消えない……文字が、寝ても覚めて……」
日本国第105代総理大臣・ 浦梅(うらめ) 進(すすむ) は、今日も今日とて執務室で頭を抱えていた。
半年前はあんなにふくよかだった体型が今はもう見る影もない。
半年――そう、半年だ。
ダンジョンがこの世界に現れて半年。
たったそれだけの期間で世界は激変し、浦梅もまたその渦に飲み込まれた。
あまりの激務に先日は亡き父の幻影を見たほど。
川向こうで手を振る亡父の元に近づこうとしたところで目が覚めた。
「今日はこの後、会談が6件……それからダンジョン新法の草案を党議して……ああ、待て待て、答弁書の確認がまだで……あとは……」
基本的に浦梅自身が何かを考える、ということは少ない。
国会における答弁はあらかじめ官僚が原稿を用意するし、新法の作成も専門の委員会を立ち上げてほぼ丸投げしている。だが現在の“ダンジョン旋風”と言うべき流れの中心点にいるのは彼なのだ。
顔役として表に立ち、にこやかな笑顔を見せなければいけない。たとえその頻度が日に何十回あったとしても。
(…………おかしい)
朝、秘書から告げられた今日の日程。それをぶつぶつと繰り返していた浦梅は、ふと目に輝きを取り戻した。
(どうして私がこんな目にあっている?)
こんなはずじゃなかった。国民に惜しまれながら勇退し、あくせく働く元同僚たちをあざ笑いながらテレビの前で尻をかく。そんな未来がすぐそこまで来ていたのに。
何故、今もまだ――
「ふぅ……。初心忘るるべからず、か」
そうだ、己の本懐を忘れるな。
空気を読むまま流されて、こんなところまで来てしまったが、いかにして格好良く辞めるかを自分は考えてきたじゃないか。その初心を思い出せ。
「そうだ。家族のためにも……私のためにも」
つい最近、浦梅はその職務のために家族の身を危険に晒してしまった。
何と、孫の 旭(あさひ) が下校中に誘拐されてしまったのである。浦梅はいわゆる“孫馬鹿”で、常々ボディーガードをつけるべきだと娘夫妻――旭の両親に提案していたが、集団登校を基本としていることや、普通の学校生活を送らせてやりたいという思いから許可されていなかった。
犯人たちは、卑劣にもそんな隙を狙ってきたのだ。
幸い、旭とその級友は少し怪我をしただけで全員無事に戻ってきた。
事件に巻き込まれたショックで錯乱したのか、「クラゲさんが助けてくれた」という支離滅裂な話をしていたが……。
ともかく、誘拐犯は調査により華国の走狗であることが判明した。
早速華国へ“遺憾の意”を表明したものの、のらりくらり、まるで意に介さない。
ダンジョンを失ったかの国は、ダンジョンによって日々国際社会で存在感を増している日本に危機感を抱いたのか、ダンジョン急進派の先鋒というべき浦梅に狙いをつけたのだろう。もし犯行が上手くいっていたら、ダンジョン新法の撤回やダンジョン省の解体、それどころか浦梅まで操り人形にされていたかもしれない。
この事件は彼に大きなショックをもたらした。
体面がどうだなんて言っていられない、今すぐに総理を辞めなくては。
そう思うくらいの衝撃を。
けれど――
『ぼく、がんばったよ! だからおじいちゃんも、まけないでね!!』
怖い目にあったとは思えないほどの眩い笑顔と、力強い言葉。
ほんの少し見ない間に、孫はすっかり“男の顔”になっていた。
そして総理を辞めるなと言うのである。
孫の成長に浦梅が猫可愛がりしたのは言うまでもない。
さておき。
――それでも、辞めたいのは辞めたいのだ。
だって、とんでもなく疲れるから。
「う……」
不意に腹痛が浦梅を襲う。ストレス性からくる胃の痛みは、もはや竹馬の友と言っても差し支えないくらいの仲だ。慌てて机の上の胃薬――最近これが手放せなくなった――を手に取り、流しむ。
そうしていると、ドンドンとドアを叩く音がした。
「失礼いたすッ!」
大きな声とともに勢いよく戸が開けられる。
浦梅が顔を上げると、そこに壮年の男性が立っていた。
大柄な体躯にパツパツのスーツ。白髪交じりの髪をオールバックにまとめた彼の名前は 都木坂(ときさか) 一鉄(いってつ) 。現浦梅内閣のメンバーだ。ダンジョン省のトップ――つまりダンジョン大臣を務めている。
「む……」
都木坂の姿を認めた浦梅は露骨に眉根を寄せた。
何故ならこの男こそが胃痛の原因の一部を担っているからだ。
「総理、先日の件ですがッ! 自分はやはり納得がいきませぬッ!!」
「……またその話か。君も好きだな」
「もっと全面的に抗議いたしましょうぞ……! 華国の跳梁跋扈、このまま見過ごせば故国の屋台骨が揺らぎまするッ!」
都木坂一鉄は一言でいえば“熱い男”だ。暑苦しいと言ってもいい。
政治家として致命的すぎるほど真っすぐな男。ゆえに、ついたあだ名は「ガンコ一鉄」「出遅れ侍」。曲がったことが大嫌いで、すぐに他の議員と諍いを起こす。政界の中でも問題児中の問題児だ。
その竹を割った性格から庶民受けがよく、選挙では常勝無敗を誇るのだが、いざ当選しても周りの議員から煙たがられ、大して国政に関わってこなかった。
そんな彼だから、新設したダンジョン省のトップに据えられたのである。
人身御供(スケープゴート) として、いざという時さっくりと首を切れるように。
ところが、都木坂とダンジョン省は悪魔的な化学反応を見せた。
普通なら探索者制度なんてもの、時間をかけて議論すべきだ。ところが総理を御旗に掲げた都木坂はこれを敢行。ほかダンジョンにまつわる様々な制度を急ピッチで整備していき、無理やりダンジョンを開いてしまった。
それにより起きた 歪(ひず) みも と(・) あ(・) る(・) 天(・) 使(・) さ(・) ま(・) のせいでうやむやになり、 今日(こんにち) に至る。
つまり浦梅が“ダンジョン急進派”として祭り上げられたのは、この都木坂のせいでもあるのだ。まして会えば開口一番、時代錯誤な口調で話しかけてくるような男。浦梅が好きになれるはずもない。
ため息を懸命にこらえて浦梅は言った。
「君はもう少し、政治というものを理解した方がいい。軽挙妄動は慎みたまえ」
確かに浦梅も華国には腹を立てている。
自宅の前にトップを連れてきて謝れとさえ思う。
だがもしここで彼が個人的な感情から、かの国を口汚く罵ったらどうなるだろう。
自国の“メンツ”を軽んじられたと経済報復に出て、国交悪化へ繋がるかもしれない。そういうリスクを取らないで来たから、浦梅は政治家として生き残ることが出来たのだ。それに万一それで経済に影響が出たら、批判されるのは自分だろう。
そうなれば自分はきっとマスコミから袋叩きにされる。
それはもうボロ雑巾のように、ズタボロにされる。
国交がどうとか、国の未来がどうとか、そんなのは正直 ど(・) う(・) で(・) も(・) い(・) い(・) のだ。
「どうなされたのですか、総理ッ! あなたはそのような 手弱女(たおやめ) ぶりでなかったはずだッ! 思い出してくだされ、 益荒男(ますらお) の魂をッ!!」
「……ふぅ。都木坂くん、人に自分勝手な理想を押しつけるのは感心しないぞ」
「ですが……!」
誰に何と言われようと、浦梅はもう心に決めていた。
今度こそ辞職してやると。
もちろんただの辞職ではない。惜しまれて、仕方なく勇退してやる。
今、彼の心の中には握り拳のような硬い決意があった。
(私は学ぶ男だ)
思うに今までの失敗は、下手に自分から動いてしまったことだ。
迷宮事変初日の会見――今では東京ダンジョン解放宣言と呼ばれている演説の時も。
国会で「一週間以内にダンジョン内の治安を改善してみせる」と豪語した時も。
ダンジョンに初めて入って、ライブ配信を強行した時も。
全て、自分の舌禍と浅慮が跳ね返ってきた。
ゆえに。
「弱腰、結構。そんなもの、言いたいヤツに言わせておけ。今はむしろ静観の時だ」
「総理……あなたは一体、何を考えておられるのですか……?」
まるで手の平返しだ。
今までと180度違う方針転換に、都木坂が困惑の声を出す。
ここで話を終えてしまえば、自分は“手弱女”と見なされてしまうだろう。
弱腰でも構わないと言っておきながら、こっそりそれに腹を立てていた浦梅は、止せばいいのに取り繕うための言葉を探し出した。
果たして、彼の頭の中にだけある“政界を去る前に一度は口にしたい言葉100選”から取り出されたのは。
「―― 風(・) を(・) 待(・) つ(・) 」
「っ……!」
日和見の風見鶏そのものだった。
ある意味、浦梅の本質を現した言葉。
だが都木坂は感銘を受けたように息を呑む。
(ついこの間、新しいダンジョンが出来たばかりなのだから、もうそうそう事件なぞ起きまい。いや、起きてたまるか!)
先月、大阪に突如として現れたダンジョン。
大阪朱雀城と名付けられたそれは、かつて華国に存在していたダンジョンと瓜二つだった。だからこそ、余計にかの国の感情を逆撫でしたのかもしれない。
いずれにしても、そんな大事件が起きたばかりなのだ。当面、あの天使さまも大人しくしているに違いない。ここで自分が下手に動きさえしなければ、任期が来て、穏便に辞めることが出来るだろう。
(今は耐える時だ。このまま大人しくしていれば、そのうち世間の関心も他へ移っていくに違いない。それまで亀のようにじっとするんだ……!)
もしかしたら“強い総理”を求める層から反発を食らい、任期満了前に降ろされるかもしれないが、そうなってしまえば家族に言い訳も立つ。
とかく、変に活躍してこれ以上偶像を背負わされるより何倍もマシだ。
今度こそ辞めるに辞められなくなってしまう。
(うむ、完璧な計画だ)
手で隠した口元が孤を描く。
果たして彼は理想の引退生活を送ることが出来るのか、否か。
一つ確かなことがあるとすれば。
浦梅進はおよそ賭け事に向かない人間だろうということだ。
何故なら裏の裏は、もはや“表”なのだから――