軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

勇者が生まれた日・上(小浪勇)

一日中閉め切って暗闇が支配する部屋。

今が朝か夜かも分からず目を覚ました部屋の主は、枕元に置いていたスマートフォンを手に取る。ぱっと画面が光り、不健康そうな男の顔が浮かび上がった。

彼の名前は 小浪(こなみ) 勇(いさむ) 。

もうかれこれ七年間この部屋に閉じこもって生活している、生粋の引きこもりだ。

「あ゛―……」

光に目を慣らすため何度も瞬きを繰り返す。

やがて焦点のあった視界、画面の端に現在時刻が映りこんできた。

21時19分。昨日――というか今日何時に寝たのか勇自身はっきり覚えていない。

ただ寝すぎたことだけは確かで、頭に鈍い痛みを感じる。

とりあえず電気を点けようとベッドから抜け出し、歩いたところで何かに蹴躓く。

「いっ」

薄闇の中目を凝らしたら、段ボールが開いたまま放置されていた。

ネット通販は便利だが貯まっていく段ボールだけが不便だなと思いながら、ゆっくり体を起こして今度こそ照明のスイッチを押した。

ぱっと明るくなる世界。勇の部屋が照らし出される。

部屋の隅で埃をかぶっている勉強机には、同じく教科書が埃を被って積まれ。

その下に空気が抜けたサッカーボールが鎮座している。

七年間干したことがない布団は皮脂で汚れ、黄色に変色し。

乱雑に散らかされた漫画やペットボトル、服で床が隠れ、ただパソコンの周りだけ綺麗にされていた。

いつもと変わらない自分の部屋だ。

これまたいつも通り、勇はノートパソコンが置かれた座卓の前に胡坐をかいて座る。

適当にキーを押せばスリープ状態が解除されてアニメキャラが前面に押し出されたデスクトップ画面が映った。

(そろそろこいつも買い換えたいな。金……ないけど……)

ブラウザがなかなか起動しないことに悪態をつきつつ、彼がまずチェックしたのは国内でも最大手の掲示板だった。

勇自身が書き込むことはあまりない。もっぱら見る専門だ。

彼はそれで自分がまだ外の世界と繋がれている気になっていた。

(まずは今期のアニメスレから……ん、なんだこれ……?)

総合順のトップに踊る「【速報】地球にファンタジーがやってきた件」という馬鹿みたいな文字。またネット民がしょうもない大喜利をしているのかと興味本位でクリックする。そして少し読み進むにつれていき、勇の口から思わず声が漏れていた。

「……はぁ?」

今日の昼頃、東京都渋谷区の代々木公園に『ダンジョン』が出来たらしい。

自衛隊が突入して中を調査したらゴブリンがいてうんぬんかんぬん。

(四月一日じゃ……ないよな)

パソコンのカレンダーで確認した日付は四月十日。

エイプリルフールはとうに過ぎている。

慌てて検索をかけたところ、内閣総理大臣による会見――何故かネタ動画まで一緒に出てきた――や自衛隊によるダンジョン内部の映像記録が出てきた。

どうやら本当らしい。けれどこんな情報をどうやって受け入れればいいのか。

しばらく勇はぼぅっと掲示板を眺め続ける。

『この中でダンジョン探索に応募するやついる?』

ふと、そんな文字が目に飛び込んできた。

昨日までまったく存在しなかった選択肢。

冷静に考えて、こんなものに飛びつく方がどうかしている。

そう思う一方で勇の心臓は早鐘を打っていた。

扉一枚隔てた外の世界から楽しそうな声が聞こえてくる。

勇は四人兄弟で、弟が二人と妹が一人、両親も健在なため六人家族だ。どうやら弟妹たちはパーティーゲームに興じているらしい。

勇は自分が恵まれた立場にあることを知っている。

両親は彼が部屋から出られなくなった経緯を理解し、極力話しかけないようにしてくれているし、弟妹もみだりに干渉しようとはしてこない。ここからさらに時間が過ぎれば分からないが、彼は今とても居心地の良いぬるま湯につかっていた。

けれど――

(このままで、いいわけがない)

ずっと頭では分かっているのだ。

何度かドアノブに手をかけたこともある。

けれど食事の配膳やトイレの時だけしか、彼がそれを捻りきることは出来なかった。

幸せで温かい理想の家族。

それを明らかに壊している者がいる。

何も言われないからといって、何も思われていないわけがない。

優しさは彼を腐らせ、ぐずぐずに溶かし、もう歩けなくしてしまった。

その上で毎日毎時間毎秒彼の心を突き刺してくる。

いっそ死んでしまえと思っても、それを実行できない弱さに腹を立て。

結局今日までおめおめと生きてきてしまったのが小浪勇という人間だった。

(……いっそダンジョンで野垂れ死んだ方が世のためかもな)

自嘲しながらキーボードに手をかける。

珍しく自分も書き込みをしてみようと思ったのだ。

仲間外れにならないよう、冗談めかして、行くわけないと発信するために。

「……?」

ところが、指が震えて最後まで書ききることができない。

まるで外に出てみようと考えた時のように動悸がする。

勇の本心は、彼の上っ面な気持ちを否定していた。

体に操られるがまま打ち込んだ文字は、

『変わりたい』

純粋な願いを記していた。

その言葉を発したが最後、もうぬるま湯には戻れない。

もしそれでもなお立ち上がることが出来なければ、自分は本当に終わってしまうから。

決して言わないよう、考えないようにしていた言葉であるはずなのに。

「変わり、たい……変わりたぃ…………!」

胸を押さえ、ぽろぽろと涙をこぼす。

引きこもった当初は泣いてばかりいた。それがいつしか泣けなくなって、泣き方が分からなくなったとさえ思っていたのに、勇の目から大粒の涙が流れていく。

そもそも外にさえ出られない自分が、ダンジョンで活躍できるわけがない。

分かっていても、どんなに怪しくても、そこに縋りたいと思ってしまう自分がいる。

何かしなくちゃならないという焦りは、今まで何度も発作のように襲ってきた。

そして同じく発作のようにしばらくすれば治まった。

けれど今回ばかりは何時間経とうと勇の胸に灯った火が消えることはなかった。

そして彼は体を震わせながら、探索者の募集に応募したのである。

変わりたい――たった一つ、それだけを願って。

◇ ◇ ◇

勇の元に探索者ライセンスが届いたのは、ダンジョン発生から1週間が経った日のことだった。ドアの下から差し込まれていた一通の封筒。どうやら家族の誰かが持ってきてくれたらしい。

その速さに驚くとともに、勇は本物だろうかと疑ってしまった。

というのも、三日前にインターネット上で簡単なテストに答えただけなのだ。

正直常識クイズに近かった。

個人情報を収集するための偽サイトかと思ったくらいだ。

中から出てきたのはイラストがふんだんに描かれた紙と、一枚のカードだった。ダンジョンの諸注意を漫画形式でまとめたものらしく、ぱらぱらと読み飛ばす。まさかこれが事前に説明のあった講座の代わりだというのか。

一方カードには勇の名前や識別番号、急造された「ダンジョン省」のシンボルマークが躍っていた。これが探索者ライセンスらしい。

念のため勇は本物かどうかパソコンで調べてみた。

結果はシロ。間違いなく正式に交付されたものだった。

(それじゃあもう今日から行けるのか。なんか……呆気ないな)

自分のような空白期間がある人間でも受かるのだから、公募といったって形だけのものだったんだろう。

そう納得して腰を上げた勇は、ほどなくしてまた腰を下ろした。

(まぁ別に……今日じゃなくたって……)

何せ時間は有限にある。

今日は準備にあてて明日出発すればいい。

そうだ、そうしよう。

全部明日の自分が何とかしてくれる――

「っ!」

勇は弾かれたように立ち上がった。勢いそのまま探索者ライセンスをスマートフォンと一緒にポケットへ突っ込む。それから中学校の修学旅行以来、部屋のインテリアになっていた木刀を手に取った。

しかし勢いが続いたのはそこまでだった。

ドアノブに手をかけたところで、ぴたりと動きが止まる。

やっぱり止めようか……そんな弱気が顔を出す。

(今は母さんしかいないはず……)

現在時刻は午前10時過ぎ。弟妹は学校へ、父親は仕事に行っている。

勇が家族と鉢合わせる確率はほとんどない。

それに家の外に出れば否が応にも他人と顔を合わせることになるのだ。

手を伸ばしては引っ込め、その動作を何度も繰り返して10分が経った頃、ようやく彼はドアを開けることができた。

案の定、廊下には誰もいない。

気が変わってしまう前にと、勇はあまり足音を立てないようにしながら急いで階下に降り、玄関へと向かっていった。

下駄箱を開けると、高校時代に履いていたスニーカーがまだそこに眠っていた。

幸いサイズが合わなくなってはいないようだ。

懐かしい靴に足を通して、勇が立ち上がろうとしたその時。

「勇、どこに行くの」

「っ」

背中から声をかけられ、勇はぎくりと体を硬くした。

聞き間違えるはずなどない、母の声だった。

頭の中でたくさんの言葉が生まれては対衝突して消えてしまう。

何か言わなくてはという焦りから「あ」だとか「う」という呻きだけ漏れていく。

(……コンビニ! コンビニに行くってことにしよう)

正直にダンジョンへ行くと言ったら引き留められるかもしれない。

そう考えて彼は後ろを見ないまま答えようとしたのだが。

「……に……こぅ……って……」

勇の口から出てきたのはかすれ声だけだった。

一生懸命喋れば喋ろうとするほど、代わりに脂汗が出てくる。

自分はこんなに話すのが下手だったろうか。

それにと勇は気がついた。自分の部屋にダンジョン省からの郵便物を入れてくれたのは、恐らく母親だろう。だから彼女は今ここにいるのだと。

もしかして叱られるだろうか。

22歳にもなって親に叱られるなんて情けないことだ。

でもその方が気が楽になる。ずっと甘やかされてきたのだから。

「……朝ごはん、まだ食べてないでしょ。おにぎりにしといたから持ってきなさい」

勇の横合いから手が伸びてくる。その手は彼の記憶よりも乾燥していて、小さく、けれど記憶通りに働き者の手をしていた。そんな手が勇の膝に二個おにぎりを落とす。

勇は恐る恐る、ゆっくりと後ろを振り返った。

(母さん、老けてる……)

7年間もまともに顔を合わせていなかったのだから、当然と言えば当然だ。

しかし時間だけが彼女の顔に皺を刻んだのではないことくらい、分かっていた。

「……ぁ……う……ぃ……ます……」

中学生までは優等生で売っていた自分。

沁みついた習慣が何とか言葉を絞り出そうとして失敗する。

勇はおにぎりを空いているポケットにしまって、逃げるように家を飛び出した。

「うっ」

季節を考えれば、今日は春の穏やかな日である。

柔らかい日差しと風が気持ちいい行楽日和であったはず。

けれど久しぶりに日光を浴びた勇には全て刺激が強すぎた。

それでも少しずつ足を踏み出し、門を出た時――

『今日もヒーロー様がおいでなさったぞ』

『かっこいー(笑)』

『俺のことも守ってくれよ~』

『ダセェんだよ勘違い野郎が』

『ちょっとやめなよみんな、小浪くんが可哀そうだって(笑)』

『アハハハハハ!』

――かつて聞いた声が勇の頭に響いてきた。

誰もいないはずなのに、誰かに見られているという感覚。

聞こえるはずもない声が脳を震わせる。

「……っえ……お、ぅろろろ……!」

気がつけば勇は膝から崩れ落ち、地面に向かって思い切り吐いていた。

起きてからまだ何も食べていないのが幸いし、ほぼ胃液だけしか溢れてこない。

涙が数滴乾いたアスファルトを濡らす。

(やっぱり……無理だ……)

今すぐに戻れば、部屋に帰れば、誰にも傷つけられないで済む。

笑われないで暮らせる。

目を閉じて、耳をふさいで、息を殺すように過ごして。

その時、弾みでポケットから、ラップに包まれたおにぎりが転がりだした。

つい先ほど持たされたばかりのそれは、ほんのり温かい。

「……変わ、るんだ」

勇は地についていた手を塀につけ替えていた。

時間をかけてゆっくりと体を起こしていく。

ここからダンジョンへ行くには、まず電車に乗る必要がある。

今の彼にとって、その道のりはとても果てしなく思えた。