軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

泥濘に足掻く・下(カマラ)

延々歩いても、見つかるのはコボルトだけ。

柱の傍や陰になっているところなど、見落としがちな場所も覗いてみるけれど、目当てのマンドラゴラになかなか遭遇出来ない。

時が経つにつれ、カマラの足取りは重く、口も貝のように開かなくなっていく。

それでも隣をついてくるアナ・ライのことが気になって、何とか言葉を絞り出した。

「……あの」

「うん?」

「アナ博士は、なんでオレを――いやオレじゃなくても。どうして、だれかと組もうだなんて思ったんスか。だって……めちゃくちゃつよいでしょ」

道中出会うコボルトはカマラが相手することもあったが、大抵、アナの手によって倒されていた。その方法も様々で、剣を使うこともあれば、ドロップしたただの木の棒を巧みに突き出したり、気分によって素手で戦ったりもする。

カマラが事前に聞いていた 職業(クラス) システムとは余りに勝手が違う。

あるいはレベル0だから自由奔放に振る舞えるのか。

そんなことを言ったら、カマラもまた同じレベル0なはずなのだが……。

ともかく、アナはたとえ 一人(ソロ) だったとしても十分ダンジョンで戦っていけるはずだ。それなのに何故、カマラのような子どもを同行者に選んだのか。言い方は悪いが自分からハンデを背負いにいくようなものだ。

よしんば勧誘されるのが鬱陶しかったからだとしても、一人が良いと断れば良いわけで、理屈に合わないような気がした。

「まぁ、そうだね。少なくともこのフロアのモンスターはボクの敵じゃないね」

「なら……どうして?」

「うーん。ひとつは行きがけの縁。キミをあのまま捨て置くのも忍びない気がしたから。でも一番の理由は、カマラくんが神薬を求めてここへ来たように、ボクにもまた果たしたい目的があったからさ。しかもそれは、ボク一人じゃなし得なくてね」

そこで言葉を切って、アナは隣を歩くカマラを見下ろした。

その視線は傍の子どもを見ているようで、茫洋として、どこか別の場所を眺めているようにも思えた。

「――ボクは、生命の発露が見たいんだ」

静かに零された言葉。

それまでの飄々とした、掴みどころのない語り口と違って、その音には切実な想いが籠められているようにカマラは感じた。もっとも何を言っているのか、意味はまったく分からなかったが。

「それ、どういう――」

「しっ。耳を澄まして」

「……?」

突然、アナが薄い唇に人差し指を当てる。

沈黙を促すジェスチャーに疑問を抱きつつも、カマラは黙り込んだ。

すると。

「……なんだ、これ?」

「金切り声、というやつかな。たぶんマンドラゴラが絶命する時に上げる悲鳴だね」

「……!」

その言が正しければ、状況は分からないが、音のした方向にマンドラゴラがいるということだ。カマラは思わず走り出そうとして――直前で何とか踏ん張った。

つんのめるように止まったカマラを見て、アナが微笑む。

「よく出来ました。失敗から学ぶ子は好きだよ」

「……ウス」

焦る気持ちはある。だが先ほど一人で飛び出してどうなったか。さすがに忘れてしまうほどカマラは鳥頭じゃない。

「その成長に免じて、露払いはボクがしてあげよう。走れるかい?」

アナからの問いかけに、カマラは力強く頷いた。

そうして風のように走り出す。

どうやらアナは音の出所を正確に把握出来ているらしく、迷いのない足取りで進んでいく。コボルトと鉢合わせても、あっさりと処理してしまいスピードが落ちない。カマラはただ置いていかれないよう必死に足を動かした。

そうして幾つか角を曲がった先、見えてきたのは、倒れ伏す探索者とそれを囲むコボルトの群れだった。

息を切らすカマラと対照的に落ち着いた調子でアナが零す。

「なるほど、馬鹿正直に抜いたね。ほら、見てごらん。彼が握っているのが、キミの求めていたマンドラゴラだよ」

見れば、倒れ伏す探索者の手に萎びた人参のようなものが収まっていた。

「知っているかもしれないけど、マンドラゴラは正しい手順で抜いてあげないと“癇癪”を起こすのさ。それにやられて気絶しちゃったんだろうね」

そんなことを話している内に、気絶した探索者はコボルトの群れに成す術もなくタコ殴りにされ、ポリゴンを散らして消えてしまった。後にはその手に握られていた、萎びたマンドラゴラだけが残される。

必然、カマラの眼はそれに釘付けにされた。

(あれが……あれが……!)

カマラの家は母子家庭だ。カースト制度の色濃く残る社会では、女性が仕事を見つけるのも一苦労で、やっと雇ってもらえる場所に巡り合えても、ちょっとした弾みですぐに首を切られてしまう。

だから、そもそも自分が食べる分を稼ぐだけでも精いっぱいだろうに、それでも彼女はカマラを“宝物”だといって育ててくれた。

他の子どもたちと違って学校に通えないこと、遊ぶ暇もなく大人たちに混じって毎日働くこと。それをカマラの母は自分の不手際のように、申し訳ないと泣く。けれど、カマラからしてみればそんなのは当たり前で、不幸でも何でもない。

だって、その生き方しか知らないのだから。

いつか大きくなったら、母親に楽をさせてあげたい。

貧困の中にあっても、自分たちはきっと大丈夫。

二人でなら生きていける――という楽観的な思い込みがあった。

ヒルタ熱が猛威を振るい始めるまでは。

満足な福祉を受けられるだけの納税はもちろん、知識だって足りていない。

他人なんて頼りにならない。

だから自分が助けるんだ。

自分が、自分が――

「 や(・) め(・) と(・) き(・) な(・) よ(・) 」

端的に、冷たく。

茹で上がったカマラの頭を冷ますように、アナが言う。

「あの数はキミじゃ厳しいぞ」

「ぐっ……」

求めていた存在がすぐ先に転がっている。

けれど、傍には六体のコボルト。その中に分け入っていけばどうなるかなど自明の理だ。袋叩きにあって終わりだろう。

今はまだかれらも無抵抗な探索者を葬って喜んでいるから、こちらに注意が向いていないが、気付かれるのも時間の問題だった。

「ここは一度冷静になって引くべきじゃないかな?」

アナの発言は至極正しい。

功を焦って死んでしまえば元も子もないのだから、コボルトたちがこの場を去るまで息を潜めて待つか、他の場所を探索すべきだ。

カマラは歯噛みして、現実を受け入れようとした。

けれど――諦められるわけがなかった。

「博士……」

「うん?」

こうしている間にも、コボルトたちは己の足元に転がっていた 戦利品(マンドラゴラ) に目を落とす。これは何だろう、食べられるものだろうか。そう言わんばかりに匂いを嗅ぎ、矯めつ眇めつ眺めてまわる。

早晩、かれらの胃に収まってしまうのも時間の問題のように思えた。

一つ、カマラは息を吸う。

それからはっきりと宣言した。

「いまからオレ、 バ(・) カ(・) やるんで。博士はにげてください」

でないと、仲間だと思われてしまうから。

言外にそう伝えられ、アナは僅かに目を細めた。

「いろいろ、ありがとうございました」

「正気かい? 言っておくが、勝率は1%もないよ。無謀の極みだ」

「…………」

「理解できない。そも、母君のためだというが、遺伝子上のルーツというだけで、究極的には“他人”だろう? キミが傷ついてまで助けなければならない理由は何だ?」

カマラが今からやろうとしているのは、ただの無謀な突撃だ。

きっとアナ・ライの言うことが全部正しくて、自分は間違いだらけなんだろう。

「っ……!」

だから話を打ち切って、勢いよく駆けだした。

どうやらコボルトたちは、相談のうえ、一口かじってみようという結論になったらしい。犬らしく、長いベロの上にマンドラゴラが載せられようとした寸前で、

「そのきたねぇ手をはなしやがれ、犬ッコロが!」

間一髪、カマラの拳が間に合った。

コボルトたちは勝利の余韻に浸り、すっかり油断しきっていたらしい。

薄闇から猛然と走ってくる子どもの姿を見落としていた。

「キャイン!?」

哀れ奇襲を受けてしまったコボルトは、頬を殴られ、舌を嚙みながら吹き飛んでいく。しかし消滅には至らない。のたうち回る仲間を気にした素振りもなく、残りのコボルトたちがカマラを囲もうと瞬時に動き出した。

ころころと床にマンドラゴラが転がるも、拾いに行く余裕はない。

(足を止めるな)

思い出すのは先ほどのアナ・ライの戦いぶりだ。

まるで未来が見えているかのように、最小の動きで敵の攻撃を躱し、誘導して、痛打を食らわせる。あんなやり方、到底真似できそうにもない。ただ見ていて分かったことがある。それは一対多の心構えだ。

数はいつだって有利に働く。

しかし、時として邪魔になることもあるのだと。

「オラオラ、こっちだぞ!」

「ガルルルル……!」

挑発して逃げ回るカマラを捕まえようと、コボルトたちが三々五々に動き出す。隊列など存在しない捕り物劇は、すぐに混沌を作りあげた。伸ばした腕が交錯し、お互いにぶつかり事故を起こしてしまう。

ついには同士討ち――躍起になって振るった爪が仲間を傷つけ、悲鳴があがった。

「ギャウッ!?」

「キュ、キューン……」

「バウバウバウ!」

眉をハの字にして申し訳なさそうに、か細い声を出すコボルトに対し、気を付けろと言わんばかりに吠える犬人の群れ。

それを見て、カマラは隙ありと判断した。

逃げるのに使っていた足を踏み切って、先ほど最初に拳を当てたコボルトへ向かって跳び蹴りを放つ。

「う、らァ!」

カマラの左足が鞭のようにしなって空を裂いた。

結果、舌を垂らし、大口を開けていたコボルトの顔にクリーンヒットする。

「ギッ――」

どうやら頬骨を砕いたらしい。

カマラの足先に嫌な感触が伝わってきた。

膝から崩れ落ちるコボルトを見て、胸の中で息を吐く。

(……まず一匹)

この調子ならいけるかもしれない。

そんな風に気を緩ませたのが仇となった。

「いっ……!」

初め、背中を強く押されたような感触。

次いで鋭い痛みが走った。

――切られたと気付いたのはその後だ。

コボルトの爪がほつれだらけの服を貫通し、小さな背に五本の傷をつくる。押されるまま転がって、カマラは足を止めた。止めてしまった。

「ガァアアッ!!」

「うぐ……!?」

地に伏せるカマラの頭をコボルトが蹴り抜く。

意趣返しのつもりか、あるいは仲間の恨みでも果たしてやろうというのか。すぐさま他の個体も集まってきて、暴力の雨を降らした。錆びた武器や棒で滅多打ちにされ、カマラは血反吐を吐く以外に成す術がない。

「……! ……!!」

日に焼けて乾燥しきった肌はあっという間に傷だらけになり、砂埃に塗れた。

くぐもった悲鳴も半狂乱に泣き喚くコボルトたちの声に塗り潰される。

(ぐ、ぞが……ッ!)

最早体のどこが痛いかも分からない。

それでも、ぼんやり働かない頭だけは守ろうと両手を被せた。

――何故、自分はこうまで必死になっているのか。

つい先ほどの問いかけが、走馬灯のようにカマラの脳裏をよぎった。

母を助けるためと言えば聞こえはいいが、何となく、それだけじゃない気もする。

おそらくもっと単純な。

そう――きっと、 怖(・) い(・) からだろう。

一人は怖い。

一人は辛い。

一人は寂しい。

もし母に先立たれてしまえば、カマラは一人ぼっちになってしまう。

そうしたらもう、どうやって生きていけばいいのか分からない。

そんなの、真っ暗な海に投げ出されるようなものだ。

つまるところダンジョンに来たのも自分のためであり、今こうして無様に殴られ続けているのも、全て自業自得だ。

だから大人しく死を受け入れ――

(ふざ……けんなよ……!)

――られる、わけがない。

貧乏人は貧乏人らしく、弱者は弱者らしく。

素直に運命を受け入れて、貧民街の片隅でただ朽ち果てるのを待てというのか。

そんな諦めの良い人間なら、はじめからこんな場所に来ていない。

だから、足掻く。

「ふぅ……ふぅ……!」

五体のコボルトに囲まれ、ぼろ雑巾のように叩かれ通したカマラは、勢い余って壁際へ転がされていた。痛みが信号となって、脳が立つなと盛んに訴えてくる。

だが、カマラは立った。

壁を支えに震えながら起き上がって、前を睨む。

瞼を切ったらしく、視界が真っ赤に染まっていて邪魔臭い。

折れた左手は捨て置いて、何とか右の拳を構えた、その時。

『――レベルが上がりました』

凛と、鈴を転がすような声が聞こえた。

『スキル【 必殺拳(ストレート) 】を習得しました』

「……よく、わかんねぇ、が」

あたかも、突然回路が繋がれたような。

今まで使ったこともない 技(スキル) の使用法が突然頭に浮かぶ。

天の声に導かれ、カマラは拳を青く輝かせた。

「まだ、まだァ……!!」

レベルアップにより僅かに軽くなった体を引きずって、よたよたと歩きだす。

緩慢な動きで迫るカマラを見て、コボルトたちは勝利を確信した。

半死半生の身で何が出来るというのか。

陣形も作らず、軽く構えて挑戦者を迎え入れようとする。

その慢心が身を滅ぼすとも知らず。

「――【必殺拳】」

スキルが発動し、カマラの体が見えざる糸によって動かされる。

怪我や痛みなど一切考えてくれない、無遠慮な操作。しかし、だからこそ意表を突く。直前までの歩みが嘘のように、鋭い踏み込みから加速する。

職業〈拳闘士〉が初めに覚えるスキル。

その挙動は恐ろしく単純だ。

何せ、肩の上で拳を引き絞りながら、標的に向かって真っすぐに進み、

「お――らァアアアアアッ!!」

ただ、全力の一撃を叩き込むだけなのだから。

裂帛の気合いとともに放たれた拳は誰かに遮られることもなく、愚直に、ひたすら真っすぐ、風を切って猛り 疾(はし) る。先頭にいたコボルトが慌てて迎え撃とうとした時には、もう遅かった。

乾坤一擲の右ストレートがコボルトの腹部を 貫(・) 通(・) する。

「――――!!??」

恐らくは悲鳴を上げようとしたのだろう。

だが、その暇さえも与えず、【必殺拳】を受けたコボルトはポリゴンに変わった。

一方で、カマラもまた必死に声を抑え込む。

「ぐっ……」

本来動けないはずの体を無理やり働かせた代償は大きい。

息を吸うだけで体中に激痛が走った。

残るコボルトは四体。楽観的な気分に浸っていたかれらは、仲間がいともたやすく――少なくともかれらの目から見れば――やられたことで、即座に気を引き締めた。

窮鼠猫を噛む。

追い込んだ獲物だからこそ、最後まで油断してはいけない。そう顔に浮かべて、コボルトたちは軽率に飛び掛かろうとせず、慎重にカマラへ近づいていく。今度という今度こそ、不意打ちは通じそうにない。

(あきらめて、たまるかよ)

依然、状況は絶望的だ。

それでも最後の最後まで、噛みついてでも抵抗してやると闘志を燃やすカマラへ、一斉に犬人の群れが襲いかかる。身を捩り、少しでも避けようと努力してみたが、無駄な努力に終わった。

(クソ……足が、もう……)

体勢を崩し、よろめくカマラ。

黄色く濁った牙が、爪が、鈍い光を放つ――

「おいおい、まだボクの話は終わってないよ。まったく……地球人というのは、みんなこうも性急なのかい?」

茶色く赤錆びた剣が、突如、カマラの眼前に差し込まれた。

巧みに角度をつけたそれが、コボルトたちの襲撃をいとも容易く受け流す。

「それともキミが特別そういう個体なのかな。ねぇ、カマラくん」

「……なん、で」

気がつけば、すぐ傍にアナ・ライが立っていた。くるくると手の中で剣を回し、何が面白いのか口元を緩めている。

「言ったろう? まだ問答は終了していないんだよ。まぁ、キミが言語化出来ない複雑な想いを秘めているのは観察していてよく分かったけれどね。それに――安易にボクを頼ろうとしなかったのも好印象だ。生涯他者を頼って、他人の顔色を窺いながら生きていく。そんなもの、生命とは呼べやしない」

「なんの……はなし……」

「おっと、話が逸れた。どうやらボクの悪い癖らしい。まぁ、なんだね。端的に言うと、加勢してあげるよ。ただし――最後の一匹はキミが、キミ自身の手で討つんだ。もう指一本動かないかもしれないけれど、それでもやりたまえ。キミがキミであるために」

一方的にそう告げて、アナ・ライが動き出す。

強敵の出現に戸惑っていたコボルトたちも気を取り直したらしい。長身痩躯の麗人に飛び掛かっていくが、その全てをアナは踊るように捌いていく。やがて、一体のコボルトが弾き出されてカマラの前にやってきた。

「グルル……」

一人と一匹が睨み合う。

牙を剥き、威嚇するように喉を鳴らすコボルト。

対してカマラは荒い息を隠せず、腕もだらりと垂れ下げている。正直立っているのもやっとで、ここから何が出来るのかと思うくらいだ。

(もっぱつ、アレを)

へろへろの拳ではコボルトを倒せない。

狙うのならば当然、スキルによる攻撃だ。発動したが最後、カマラの肉体は今度こそ壊れてしまうだろう。だが幸いなことに、残る三体の敵はアナが引き付けてくれている。自分は目の前の敵だけを倒せばいいのだと考えれば、幾分気が楽になった。

動かない、というより動けないカマラを警戒して、コボルトがじりじりと距離を詰めてくる。濃密な死の足音。恐怖から、すぐにでもスキルに身を委ねたくなったが、寸でのところで抑え込む。

もしカマラが武術の達人なら、きっと間合いを正確に把握出来るだろうが、普段あれだけ動かしているというのに、自分の手足がどこまで届くか不安で仕方ない。

だから待つ。

(……まだ、まだだ。まだ――――)

息がかかるほどの距離まで。

見開いた眼が、躍る毛の一本一本を捉えるまで。

辛抱強く待ち続ける。

瞬間、カマラの耳は確かにコボルトの関節が軋む音を捉えた。

「グル、ゴァアアアッ!」

「……【必殺拳】」

鋭利な爪がカマラの肩を抉り、首元にまで迫る。

しかし、同時に蒼い輝きが閃いた。

瞬きも忘れるほどの速度で打ち出された拳が、コボルトの顔面を打ち砕く。

――パァン。

という、鞭で叩いたような音。

事実その音はカマラの拳が空気を貫き、叩き割った音だった。

首を切られる刹那、コンマ一秒以下の世界で何とか反撃が間に合う。

放たれたスキルは矢の如くに走り、間一髪、相手を破った。

首から上を失くしたコボルトの死体が宙に舞い 花火(ポリゴン) を散らす。

勝った――と喜ぶ余裕は無かった。

何故ならば。

「かっ……ひゅっ……こは……!」

痛みを訴える余裕すらない。

カマラは膝をつき、地面へゆっくりと倒れ込んだ。

今までの生涯で聞いたこともない音が喉から漏れ出てくる。

「――――」

一瞬気絶して、痛みでまた起こされる繰り返し。

まずは体の感覚が消え失せて、それから何も見えなくなった。耳鳴りも酷く、今自分がどこにいて、そもそも生きているのかさえ分からない。それでも地面に臥せり続ける内、少しずつ五感が戻ってきた。

気がつけば、痛いほどの静寂が場を支配している。

「驚いた。まさか本当に一人でやっつけちゃったのかい? ボクの計算だと良くて相打ちかと……いや、実際そのようなものか」

カマラはもう目を動かすことすら出来ないため、声の主を確認できない。

だが状況からしてアナ・ライだろうことは想像できた。つまるところ、カマラが命を賭してコボルトと一対一をしている内に、向こうはさっくりと三体のコボルトを片付けてきたというわけだ。

さておき。

(そっちがやれって……いったんだろうが……)

自分からけしかけておいて、勝てると思わなかったとは酷い言い草だ。

もっとも、アナがいなければ今頃カマラは土に還っていたわけで、文句も言えない。第一、口を開く気力もない。

「さっきボクもレベルが上がったからね。まだ気休め程度の術だけど、今のキミには必要な措置だろう。さぁ…… い(・) た(・) い(・) の(・) い(・) た(・) い(・) の(・) 飛(・) ん(・) で(・) い(・) け(・) 」

「……あが!?」

軽い口調とともに、アナがすいと指を振る。

すると次の瞬間、カマラの肉体が淡い輝きを放ち――出血が止まった。あふれ出たものは戻らないが、僅かに活力も湧いてくる。ゆえに、すっかり感じ取れなくなっていた痛みまで帰ってきて、思わずうめき声が上がった。

「古来より、試練を乗り越えた英雄には褒美が与えられると相場が決まっている。ほら、キミが求めていたものだよ」

痛みに悶えるカマラの鼻先に萎びた人参のようなものが置かれる。

それこそは、万病を癒す薬になるとされているマンドラゴラの遺骸だ。

「あ、あぁ……!」

自然とカマラの目から涙が零れた。

これさえあれば母親は助かる。一人ぼっちにならないで済む。

震える指先が、ついに願いへと届く。

「しかし……どうしたものかな」

ただし、そこには一つ落とし穴があった。

「カマラくん、キミ、調剤の腕に自信はあるかい」

「……?」

「ないよね。そりゃあそうだ。うーん、その、ね。落ち込まずに聞いて欲しいんだけど、マンドラゴラはあくまでも神薬の素材であって、薬そのものじゃないんだ。つまり加工する必要があるんだけど」

「え……」

カマラは驚愕の声を漏らす。しかし、考えてみれば当然だった。

こんな土臭そうな薬草を患者の口に詰めて良いわけがない。

所詮、カマラが集めた情報は人伝に聞いたものであり、抜けがあったのだ。

刻んで食べさせれば効果があるのか。

あるいは何かと混ぜて調薬しなければならないのか。

何一つ分からない。

「そ、んな。ここまできて……?」

一度希望を見せられたがゆえに、絶望もまた大きかった。

今から情報を集めたとて、母の体力が持つだろうか。

いや、考えたって仕方ない。

諦めてたまるものかと、カマラは全身に力を入れた時。

「――これは“やむを得ない場合”に該当するんじゃないかなぁ、うん」

不意に。アナがそんな言葉を零して、一人頷く。

体を起こしかけていたカマラは意味が分からず、眉を動かした。

「カマラくん。今から見ること、聞くこと、全部秘密に出来るかい」

「……あ?」

「出来るなら、ボクが問題を解決してあげるよ」

しゃがみこんだアナがじっとカマラの目を覗き込む。

ワインレッドの瞳は底が無く、見ていると吸い込まれてしまいそうで、カマラは知らず息を呑んでいた。それからわけも分からず、気圧されるように首肯してしまう。何故だか逆らおうという気が一切湧いてこなかった。

「じゃあそれ、借りるね」

「あっ、おい! なにす――」

カマラの手からするりとマンドラゴラが抜き取られる。

さすがに、これには抗議の声を上げようとして、

「……!」

どくん、と心臓が跳ねた。

両の手でマンドラゴラを包み込み、目を細め、俯くアナ・ライ。薄暗いダンジョンの中にあって、その立ち姿は後光が差して見えるほどに神秘的だった。しかし、カマラが声を失ったのは綺麗だからじゃない。

言いし得ようのない圧を感じて、固く口を閉ざしたのだ。

とてつもない重力がかけられているかのように身動きが取れない。

今、目の前にいるのは、本当に自分と同じ人間なのか?

自信が無くなる。

馬鹿らしい考えだ。

しかし否定出来ない自分がいる。

言うなればそう――――生物としての 格(・) が違う。

「分解――解析――再結合」

そうして、カマラは見た。

アナの手の中で光に包まれたマンドラゴラが、 解(・) け(・) 、 編(・) ま(・) れ(・) 、まったく新しい存在へと変わるところを。奇跡といっても差し支えない御業に目を奪われる。

気がつけば体の震えが止まっていた。

「さぁ出来た。この薬を早く母君の元へ持っていってあげるといい。自分で言うのもなんだけど、覿面に効くはずさ」

差し出された薬包を掴むのに時間がかかったのは、きっと。

疲れだけのせいでは、ないだろう。

◇ ◇ ◇

安アパートの一室。

そこで病臥する母の元へ転がるように戻ったカマラは、汗まみれの病身を慎重に起こす。それから取るものも取りあえず、ポケットから薬包を抜き出した。

ダンジョンで負った怪我はダンジョンを出る時に治療される。服こそ見るも無残な状態であるものの、カマラの肉体はすっかり元通りになっていた。

「母さん!」

「……ぅ……?」

「クスリ、クスリだよ! のめる? いま、水をもってくるね!」

カマラの母は虚ろな目をしていて、果たしてその言葉が聞こえているのかどうかも分からなかった。ともかく、カマラは壺から柄杓で水を掬い上げ、零さないよう母の口元へと運んでいく。

それから母が咳き込まないよう細心の注意を払いながら、アナ・ライから渡された“神薬”をゆっくりと投与していった。

「たのむ、効け……効いてくれ……!」

祈るような目で見守ること、少し。

効果は劇的に現れた。

あれほど熱かった体温が急激に平常へ戻り、息も落ち着いて、目に光が宿る。さすがに体力だけは回復せず、げっそりとした顔をしているが、間違いなく峠を越えていた。

「カマ、ラ……?」

「っ、母さん! オレだよ、わかる!?」

「あなた……どこへいって……怪我は、どこも……痛くない……?」

本人からすれば、病状が悪化してからの記憶が無いのだろう。

久しぶりに覚醒した世界の中で、ボロボロの恰好になっていた我が子に驚き、痩せ細った手でその頬を撫でる。

「あなたは…… 女(・) の(・) 子(・) なんだから……無理は、しちゃ駄目よって、いつも……」

この国は――少なくともカマラを取り巻く世界は、貧乏人の子ども、それも幼い少女にとってあまりにも優しくない。だから髪を短く切って、荒っぽい言動を振りまく。カマラの母にとって、それはたとえ必要なことであっても痛ましい行為に映った。

二度と聞けないかもしれないと思っていた声に、油断すると泣きそうになってしまうから、カマラはきゅっと眉間に力を籠める。

「オレのことより、自分のしんぱい……しろよなぁ……! オレ、オレ……母さんが……しんじゃうんじゃないかって……!」

「あら……カマラは、いくつに……なっても……泣き虫さん、ねぇ……」

「そうだよ! 泣き虫だよ! だから、だからっ……オレを一人にしないで……!」

「お馬鹿、さん。こーんな……可愛い子、残して……先に逝ったり、なんか……」

そこが限界だった。

カマラの母は瞼を落とし、やがて、穏やかな寝息を立て始める。失った体力を取り戻そうと――彼女の体が生きようと活動を再開した証拠だった。

ただ、それでさえカマラにとっては気が気じゃない。

「母さん……? ねてるだけ、か。よかった……」

規則正しく上下する胸と安らかな寝顔を見て、ようやくほっと息を吐く。

気が抜けたら急に膝が笑いだして、カマラは床に座り込んだ。それから膝を抱えて顔も伏せた。達成感と同時に、今まで押し殺していた恐怖がどっと押し寄せ、頭の天辺からつま先まで通り抜けていくのを感じる。

「ぐすっ……」

本当は、心の中でもう駄目だと思っていた。

じっとしていたってどうしようもないから、足掻いてみただけで、勝算があっての行動じゃなかった。

もし、あの時、あの瞬間。

たまたまアナ・ライと出会わなかったら、どうなっていただろう――

「なんだァてめェ! やんのかァ!?」

「スカした面しやがって……! 喧嘩なら買うぜ、あァ?!」

「俺たちゃ善良な市民だぞ!」

「そうだそうだ!」

突然、アパートの外から諍いの声が聞こえてきた。

次いで激しく争うような音。

カマラは驚いて、涙を引っ込めてから外に出る。

するとそこには“山”が出来ていた。

大の男たちが昏倒し、積み重なって出来た“山”が。

その頂点に腰を下ろし、優雅に足を組んでいた存在がカマラに気がついて、ふりふりと手を振ってくる。

「やぁ、カマラくん」

片目隠れの麗人、アナ・ライがそこにいた。

「博士ぇ!? な、なにやって……?!」

思わずカマラの目が点になるが、無理もない。

何事かと集まってきた人々の目が、遠巻きに自分たちへ降り注ぐ。

恩義があるため逃げるわけにもいかず、カマラが恐る恐るわけを尋ねると、アナは“山”の上から飛び降りて、カマラだけに聞こえるよう囁いた。

「キミ、脇が甘すぎるよ。あんな如何にも大事なもの持ってます、って顔して走ったら、そりゃよくない人間に目をつけられるだろうさ」

「あ……」

「まったく、世話が焼ける」

ダンジョンから自宅へ帰る道中は、とにかく母の元へ急がなくてはという思いで何も考えていなかった。傍から見れば、さぞ狙い甲斐のあるカモに映っただろう。しかもそのカモは貧民街に入っていくときたものだ。

もはや襲ってくれと言っているのと同義だった。

もちろん普段のカマラならそんなへまはしない。

辛気臭い面をして、きちんと 不(・) 味(・) そ(・) う(・) なフリをする。

ただ今日ばかりはその余裕がなかった。

ゆえにカマラの後をつけてきた賊徒を、アナが全て成敗した――というのが事のあらましのようだった。

「ありがとう……ございます?」

有難いのだが、あまりにも解決方法が剛腕過ぎて微妙に口ごもる。

「いいさ、これもまた刺激的な体験だったよ。特にこのことから導かれる論もないけれど、全ての物事は密接に繋がって、層を織りなし……っと、危ない危ない。本題を忘れてまた脱線するところだった。いやぁ、一人だと悪癖にも気付かないものなんだね」

立て板に水とはこのことか。

滔々と流れ出す言葉の洪水にカマラは閉口するしかない。

そのため、遮る者もなくアナが続けた。

「おほん。カマラくん、キミ――ボクと正式にパーティーを組んでよ」

朗々と、唄うように言葉を紡ぐ。

「自分で蒔いた種だけど、一応監視しないと不味いかもしれないし、何より……。キミといると、退屈しなそうだ」

からかわれている、とは思わなかった。

何故ならカマラは、己を見るワインレッドの瞳に既視感を覚えたからだ。

母のそれと近い、けれど似て非なるもの。

何とは断言出来ないけれど、温かく、包み込んでくれるようなそれ。

「……オレでいいんスか」

「キミが、良いんだよ」

謎多き実力者。

黙っていれば超がつくほどの美人なのに、ひとたび口を開くと妙な胡散臭さがついて回る。何より、ダンジョンで感じたあの総毛立つほどの存在感。

――いつか、その正体が分かる日が来るのだろうか。

分からないけれど、カマラは頷いた。

窮地を脱したとはいえ、ダンジョンに通えば極貧生活を脱することが出来るかもしれないし、何より、受けた恩は返さなければならない。

「……オレでよければ」

そう言って差し出した手を、しかし、アナはきょとんと見下ろした。

握手を期待してのことだったが、何故だか手の平をくすぐられたり、指と指をからめられたり――散々弄んでから、ようやく「よろしくね」と返事がくる。

何でも、後から聞いたところによると……。

アナ・ライが認知する“握手”は何百種類もあって、どれが正解なのか決めあぐねていたらしい。思わず「本当かよ」とカマラが思ったのは内緒だ。