作品タイトル不明
248 極北の貴族夫人と南方の庶民女
にこやかなアルメに迫られたプリシラは、一瞬後退りしそうになったが、グッとこらえて踏みとどまった。
(……夫となる人の悪口を言われたというのに、のん気に笑っているなんて……何を考えているのかしら、この女。……もしや悪口だと気付いていない?)
このアルメとかいう南方の女……酔っているのか何なのかわからないが、なかなかこちらの思う方向に話を誘導できなくてモヤモヤする。
『ささやかな社交を』と、お喋りに誘ったのは自分だが、実際のところは『ささやかなちょっかい』である。
問題にならない程度に、ほんの少しだけチクッと言ってやったら、もうさっさと撤退するつもりだったのだけれど……想定外に、アルメのほうが社交の続行を告げてきた。
ここで引いたら、なんとなく負けた気がしてむしゃくしゃする。
(……そっちがその気なら、お望み通り、お喋りに付き合って差し上げましょう。もう少し、強く言ってやろうかしら)
プリシラはグラスの酒を口にして、次の話題へと思いをめぐらせた。
プリシラにとってファルケルト・ラルトーゼという男は、十代半ばくらいの頃に縁談が進み、結局こちらから破棄して白紙に戻った相手である。
自分と、あの男との縁談が破談になったのは、あっという間のことだ。一年そこらの関係である。彼は忙しくしていた人だから、体感としてはもっと短い期間であった。
家同士で古い付き合いがあったから、というだけの薄い縁。家柄は微妙だし、生まれに関しても、彼の姉からは変な怪談のような話を聞いていたので、まったく良い印象のない相手だった。
加えて、当時彼はまだ駆け出しの神官で、仕事にかまけて構ってくれないし……あの頃の若い自分にとっては、どうしようもなくつまらない相手。
本当に、『顔だけの男』という印象でしかなかった。家格は低くて貧乏、父母を亡くして生まれも育ちも暗い、性格も生真面目で遊びを知らない――……何も面白いところがない男である。
唯一優れている容姿だって、ベレスレナの雪に紛れて消えてしまいそうな弱さを感じて、頼りなさにため息を吐いていた。
だからまったくもって、縁談がどうなろうと惜しくはなかったし、当時は破談で身軽になれたことに嬉しさすら感じていたのだ。
そうやって破談に至った後、自分はすぐに次の相手と結婚した。遊び友達の中から、一番良いお相手を選び抜き、無事に縁を結ぶことができた。
自ら見繕った相手ともあって、素晴らしい満足感の中で、新しい人生のスタートを切ったのだった。
……けれど、その少し後くらいから、じわじわと『ちょっと惜しいことをしたかな』というような気持ちが胸に湧くようになった。
蹴った縁談のお相手――ファルケルトは、いつの間にやら身を立てていて、『軍人の守り神』とか、『極北の白鷹』なんて大層な通り名で呼ばれるようになっていたのだった。
微妙な貴族家の出だから、表向きの目立った称賛はなかったけれど……でも、社交場でよくよく情報を集めてみると、今の彼を取り巻く状況が見えてきて、驚かされた。
軍人家に慕われている、とか、神殿での働きぶりも優秀で、着々と位を上げていっている、とか。
そんな話を耳に入れて、ふ~ん、なんて気のない風に返事をしているうちに、白鷹ファルケルトはついに、若くして上位神官の身分まで得たそうで。
彼の立場はゆるぎないものになっていた。……それと同時に、『惜しいことをした』という自分の気持ちも、確かなものになっていたのだった。
(惜しいことは惜しいけど……でも、それだけだわ。どんなに良い身分を得ようとも、あの男の本質は変わらない。わたくしにとって――いや、世の女たちにとって、ああいう殿方は耐え難いに違いないわ。あのお方は結婚に向かない、変わり者の難あり男なのよ)
胸の内で批評を連ねて、うんうんと頷く。薄い縁ではあったが、自分はあの男の本質をよく知っている。
『白鷹』なんて高潔なイメージの通り名とは裏腹に、情けなくてしょうもない男なのだ。仮にも貴族家の出だというのに、貴族男らしいプライドの一つもない変わり者。あれはそういう人間だ。
だから別に、縁談を蹴った選択に対して後悔はしていない。ちょっと惜しかったかな、と、過去を懐かしむくらいである。
……そう、自分を納得させてきたのに――。
昨年ベレスレナを離れたと、風の噂に聞いていたのだけれど、まさか氷城の夜会で姿を見ることになろうとは。さらには女性連れで現れるとは思わず、驚いた。
幸せそうに寄り添いあって、彼は挨拶ついでに新たなファミリーネームを口にした。
どこぞの女が緩んだ笑顔で気安く添っているのを見て、なんとなく胸の奥がピリついた。
二人の姿を無意識に目で追ってしまっていたのだけれど……女が一人になった瞬間に、もう体が動いていた。
『ちょっとだけちょっかいを出してやろう』という気持ちを抑えきれず、近づいてしまった。
(今でこそ良い身分でもてはやされているけれど、本当はしょうもない男なのよ。あの男の本性を、お相手様に教えてあげましょう)
生真面目な神官男が選んだ女だ。きっと世間知らずの箱入り令嬢に違いない。盲目的に白鷹を慕っているようなら、目を覚ましてあげよう――。
そんな下心をもって、白鷹の女――アルメにお喋りの誘いをした。……の、だけれど。
仕掛けたはずのちょっかいは、なんだか変な感じに流されて、アルメはさも愉快そうに笑ってお喋りの続きを望んできた。
これは余裕の 誇示(マウント) だろうか。それとも単純に、ちょっかいを出されているということに、気が付いていないのだろうか。
……のん気な笑顔を見ているうちに苛ついてきた。
(……ほんの少し、つついてやろうと思っただけだったけど、効かないんじゃ意味がないわ。もう少ししっかりと、痛い目を見せてやろうじゃない)
もう少し言葉を強くして、わかりやすく言ってやろう。『あなたは駄目男と縁を結ぼうとしているのですよ』ということを。
見る目のなさを指摘して、己の男選びの過ちに気付かせてやろうじゃないか。そうして存分に落胆して、南の街に帰るといい。
寒い北の地に足を踏み入れて、身も心も、婚約者への愛も冷え切ってしまいました――なんて結末を迎えたら、ざまぁない。よい酒のつまみになりそうだ。
プリシラは昔話をする体で、アルメに白鷹の情けないエピソードを暴露してやることにした。
一口、酒を飲み下してから、ニコリと微笑みながら言ってやる。
「……――面白い話、と呼べるかはわかりませんけれど、いくつかファルケルト様の昔話をいたしましょうか。アルメ様はご存じかわかりませんが、ファルケルト様はご実家のお兄様――ご当主様のことを大変に怖がっておいででしてね。 彼(か) のお方の前ではいつもビクビクしていて、情けなく震えるようなお方でしたのよ」
「そうだったみたいですね、存じております。とても仲が悪かったとか」
「ご当主様と同席する場面では、いつも青白いお顔をしていて、さながら死人のようでございました。見るからに頼りなさそうで、こんな殿方が将来女性を守る 騎士(ナイト) になれるものかと、わたくしは酷く困惑したものです」
さぁどうだ、と、チラとアルメの様子をうかがう。こういう話を聞いて、何も思わない女などいないだろう。
と、アルメからの何かしらの負のコメントを期待していたのだけれど……彼女の、のほほんとした態度は変わらなかった。
「昔はそんなご様子だったのですね。何と言いますか、こう、守ってあげたくなる状況ですね。今後、もし彼が怯むような場面が訪れたなら、私が彼の騎士になれるとよいのですが」
「は、はぁ……? アルメ様が、騎士に?」
どこの世界に、男の騎士になりたいという女がいるのだろう。逆だろうに。
何を言っているんだ、と怪訝な思いに歪みそうになった顔を愛想笑いで隠しつつ、プリシラは言葉を返す。
「……うふふ、ご冗談を。女性が騎士になどなれるわけがないでしょうに」
「そうですねぇ……あぁ、でも精霊をけしかければ、殴打くらいはできそうです。私の昔話になってしまいますが、恥ずかしながら、以前、元婚約者の頭をこん棒で殴りつけて、吹っ飛ばしてしまったことがありましてね。それなりの力でしたので、上手く精霊を使いこなせば、いざという時には騎士になれないこともないかと」
「……ご、ご冗談を。……ご冗談、ですよね?」
のん気な笑顔で、とんでもないことを言ってのけた気がするが……きっと酔いに任せた冗談だろう。
ペースを持っていかれてはいけない。気を取り直して、プリシラは次の話を繰り出した。
「そ、それから、こんなこともありましたわ。あのお方が神官の道を歩み出した頃、お仕事で失敗をしたらしく、すっかり塞ぎこんで弱音を吐き連ねていましてね。職場での失態や泣き言を家に持ち込み、女性に曝け出すなんて、男として恥ずかしくないのかと叱りつけてしまいましたわ」
「あら、私は話してくださったほうが嬉しく思いますけれど。気を許されているように感じて。それに、仕事の弱音は私もこぼしてしまうことが多いので、おあいこにするためにも愚痴っていただけたほうがいいなぁ、と思います」
「仕事……? アルメ様はお仕事をしていらっしゃるのですか?」
「えぇ。ルオーリオで菓子店を経営しております」
「経営者……女性の身で……?」
白鷹の相手なのだから、てっきりどこぞの貴族家の令嬢かと思っていた。
世間知らずの箱入り小娘なら、一対一の状況において、社交慣れした自分の敵ではない――と、判じて近づいたのだけれど。まさか女経営者とは。
女経営者と聞くと、男勝りで、社会の荒波の中でガンガンやりあっていく、という血気盛んな印象がある。――知り合いに女経営者なんていないので、実態は知らないけれど。
大人しそうな見目をして、彼女も実はそういうタイプの人間なのだろうか。
ちょっと判断を間違えた……かもしれない。不用意にちょっかいを出すべき相手ではなかったか……?
怯みそうになる心を叱咤して、プリシラはどうにか踏みとどまる。増していく胸のモヤつきだけが支えだ。……余裕をこいているこの女に、一撃くらいは食らわせてやりたい。
もう一つ、もっと決定的な駄目男エピソードを暴露してやろう。プリシラは過去に思いをめぐらせて、これぞという話を持ち出した。
「……あぁ、そうだ、思い出しましたわ! あのお方は、なんと人前で涙を流したこともありますのよ。なんでも、患者から感謝の手紙をもらったとかで。そんな些細なことで、人目もはばからずに屋敷の玄関先で泣いていましたの。子供のように顔をくしゃくしゃにして、はしたなく鼻水なんかも垂らして……。こんな情けない殿方、他にいましょうか」
鼻水が出ていたかどうかなどは、正直覚えていないが、適当に話を盛って言ってやった。泣いていたのは確かなのだ。男がめそめそと泣く姿を晒すなど、ありえない醜態であろう。
これはさすがに引くだろう、と、アルメを見たが――……彼女は、声を上げて笑ったのだった。
「ふふふっ、想像できます。過去に飛んで行って、鼻紙を差し上げたくなってしまいました。あのお方はよく泣き顔をお見せになりますよね。こんなことを言っては彼に悪いですが、それがまた、なんとも可愛らしかったりして」
「可愛い…………?」
「泣き顔もそうですが、しょんぼりとしたお顔なども、なかなかに可愛らしくて。……当人には内緒ですけれど」
思わぬワードが出てきて、プリシラはポカンとしてしまった。『可愛い』という言葉は、女子供にとってはステータスだが、大の男にとっては何の価値にもなり得ない言葉である。
男のステータスとして相応しいワードは、『格好良い』とか『強い』『逞しい』とか、そういうものだと相場が決まっている。
……はずなのだけれど。アルメは嬉々として、ファルケルトを可愛いと褒めちぎった。
「まぁ、どんなお顔をしていても可愛らしい雰囲気がありますけれど。なんでしょう、こう、普段のお姿がぽやぽやしているからかしら? ルオーリオには――というか、私の店には、白鷹様をイメージした可愛いマスコットもいましてね。これが街の人たちにも人気でして」
「可愛い、マスコット……って、それは殿方への侮辱ではありませんこと……?」
「ご心配なく、本人も気に入っておられるみたいです」
「……」
もう何度も頭の中をめぐっている思いだが……何なんだ、この女は。というか、何なんだ、このカップルは。一体、南方でどういう暮らしをしているのか。そもそも南方の街ルオーリオという場所がおかしいのか……?
なんだか頭がクラクラしてきた。酒には強いほうだが……自分も酔いがまわってきてしまったのかもしれない。
もはや頭をまわすこともせずに、プリシラは直接的な悪口を言い放ってやった。
「……可愛い、なんて、喜ぶのは女子供だけでしょうに。大の男が気に入るだなんて、おかしいのではなくて? やっぱり、顔と身分だけの相当な変人でございますよ、ファルケルト様は。アルメ様、縁を結ぶお相手はよくよくお選びになったほうがよろしくてよ」
やけくそぎみに、フンと鼻で笑ってやった。が、アルメのほうもヘラッと笑いを返してきた。
「ふふっ、本当に変な人ですよね。他にも、人の家の前で土下座をしてきたり、宝石をガラスだと偽って贈って寄越したり、お菓子を前にして子供のようにはしゃいだり。かと思えば凛々しい姿で出軍なされたり、死に瀕したと思ったら、神殿を脱走してきたり。面白くて、心配で、可愛くて、格好良くて、時々腹が立ったりして。本当に目が離せない、素敵なお方でございます」
アルメは心底愛おしそうな声音で、ファルケルトのことをそう評した。
もう何度目かの、なんだこの女は、という気持ちがじわりと胸に湧いた。――いや、今までよりももっと、暗く 澱(よど) んだ気持ちが湧いてしまった。
自分が仕掛けていたはずの幸せ 誇示(マウント) を、ガツンとやり返されたような心地がして……腹が立ってきた。
ここまできたら、この女から『ファルケルトに対する嫌悪』の表情を引き出してやるまで、引き下がれない。
その表情をチラとでも見られたならば、この胸のモヤ付きを晴らすことができる気がする。
――自分が、かつてファルケルトというしょうもない男との縁談を蹴って、別の男を選んだことが間違いではなかった、ということを、スッキリ肯定できる気がする――……。
見ないようにして、自分の気持ちを誤魔化し続けてきたけれど……やっぱり、胸の奥の奥には、酷く後悔する気持ちがあったのだ。
そして、自分が逃した選択を選び取ったこの女に、嫉妬している――……。
自身の心境を正しく認識し直して、プリシラは酒をあおり、開き直った。
(そうね……わたくしは結局、後悔しているのね。選択を間違えたのではないかと……。でも、もう過去には戻れない……。……ならば、いっそ、この女も巻き添えにしてやりましょうか。わたくしと同じところに落として差し上げましょう)
幸せそうに笑うアルメを見て、そんな意地悪心に火がついた。
プリシラは改めてアルメに向き合い、別の話題を持ち出した。
「……あぁ、そういえば。彼の生まれに関わる、おぞましいお話はご存じですか?」
「おぞましい話? どういうお話でしょう?」
「あらあら、あのお方はあなた様には黙っておいででしたのね。まぁ、気味の悪いお話ですから、仕方ありませんわね。魔物と生まれてきた忌み子だなんて、明かせるはずもないでしょうし」
「え……ええと……?」
のん気に笑っていたアルメが、初めて困惑した顔を見せた。
主導権がこの手に戻ってきたようで、プリシラはニヤリと笑みを深める。
気持ち悪い生まれの話を聞けば、お熱い愛もすっかり冷めることだろう。そうしてファルケルトを嫌悪して、縁を手放し、未来で後悔するといい。自分と同じように――。