軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

241 弟の誕生と朧な悪夢

そうして翌日。ファルクは再び神殿に向かい、アルメは一人での観光続行となった。

といっても、側仕えの女性たちや護衛と一緒の移動なので、話し相手には事欠かない。

山麓の道に馬ソリを走らせて、雪化粧の街を遊覧したり、美麗な教会を訪れたり。美術品コレクターの邸宅にお邪魔して、展示室を覗かせてもらったり――……。

みんなで各所をまわっているうちに、あっという間に夕暮れ時が近づいてきた。

ベレスレナの昼間はとても短くて、ついさっき昼食を取ったかと思えば、もう薄暗くなっている。

もう少ししたら、街に火魔石ランプの明かりが浮かんでくるだろう――なんて、景色を眺めながら他愛のない話をしていると、馬ソリに同席している側仕えが提案してきた。

「少し寄り道をしながらお宿に戻りましょうか。暗くなると城々にも明かりが入って綺麗ですし、昼間とはまた違った景色を楽しめますよ」

「それは是非、見てみたいですね。今日は雪も弱めですし、街まわりを延長してもいいかしら。――そうだ。それだったら、神殿に寄ることはできますか?」

「旦那様のお迎えですか? 神殿周辺の夜明かりも見事ですから、ぐるっと見物をしながら向かいましょうか」

側仕えが護衛と御者に話をして、馬ソリは雪道を走り出した。向かう先は西神殿――ファルクの元だ。

アルメが進路を神殿に向ける、少し前――。

甥の頭部手術を終えて、ファルクは施術室を出た。後は他の神官たちの魔法にゆだねても問題ない。一足先に場を離れて、自分は次の用へと向かう。

魔法と集中力を大いに費やし、それなりの疲れがある。けれどこの後、さらに気力を消耗するであろう用事が入っている。

借りていた施術服を着替えて待合室に移動し、待っていたアーレントと合流する。

連れ立って小さな応接間に移り、改めて言葉を交わした。

「――さて。ご子息の治療は滞りなく、無事に済みました。この後、半刻ほど魔法を受けてから、入院棟の部屋へ移ります。そうしましたら面会も叶いますので、ご子息に労いの言葉を」

「……ありがとうございます。心から感謝申し上げます」

アーレントは詰めていた息を吐いた後、うやうやしく礼をして、また膝をつきそうになった。が、その前にファルクが制して、ソファーへの着席をうながす。

「仰々しい礼はお控えください。お言葉だけで結構ですから。――どうぞ、お掛けになってください」

「……失礼する」

兄が向かいに腰掛けたのを見て、ファルクも静かに息を吐く。

何となく、彼のしおらしい姿は見たくない。高慢な姿も苦手だったが、弱弱しい姿も、見ていると何だか調子が悪くなってくる……。

どうにも心地の悪い空気を振り払うように、ファルクは間を入れず、本題に入った。

「それで、急かすようで恐縮ですが……俺の生まれについて、兄様の知るところをお話しいただきたく」

「話すことは構わないが……なぜ今になって」

「最近、大神官様から生まれの話をお伺いする機会があったのです。…… 朧(おぼろ) な昔話を」

「そうか、ルーグ・レイ様が……」

「でもルーグ様は、直接的には何も見ていないとおっしゃっていました。父や家の面々の様子がおかしかった、ということだけで…… 真(まこと) は何も知らぬ、と。……兄様はどうなのでしょう。何か、知っていることはありますか」

「知っているも何も……私は……」

アーレントは口ごもり、唾を飲み込んだ。そうして一呼吸おいてから、低く重い声で、話し始めたのだった。

「……私は、すべて見ていたよ。……お前が生まれ落ち、死に、悪魔のように蘇るまでの、すべてを……」

彼の固い声音と顰められた冷たい面持ちは、まさしく、自分がずっと苦手としていた兄の姿だった――。

空から重たい雪がとめどなく落ちてくる、ある日のこと。

母がいよいよお産を迎えるとのことで、朝からラルトーゼ家の中はバタバタとしていた。

近くの集落から産婆が呼ばれて、何度か出産に立ち会ったことがあるという中年の屋敷メイドも加わり、赤子を迎える準備が進められていた。

アーレントと妹のアリエットは、邪魔になるから、なんてことを父から言われて、自室での待機を命じられていた。

妹は大人しく命に従っていたけれど……アーレントはさっさと背いて、母のいる部屋の扉を、こっそりと開けたのだった。

細く開いた扉の隙間から中を覗き込むと、お産に臨む母の懸命な声が耳に届いた。

聞いているうちに自分の拳にまで力が入り、ドキドキしてくる――……。

(弟かな……妹かな……? 一緒に遊べるから弟だといいなぁ。母様、頑張って……! 弟を産んで!)

――なんて、この時は何とも子供らしい、無邪気でのん気な応援をしていたのだった。

父は母の手を握って励まし、産婆がベッドに乗り上げてお産の補助をして、メイドが湯桶と布を用意して慌ただしくしている。

そうして母が、ひと際力を込めた呻き声を発した時――。ついに、赤子が産まれ落ちたのだった。

赤子の泣き声が耳に届き、扉をもう少しだけ広く開けて、夢中になって中を覗き込んだ。

産まれたのは弟か、妹か。目を輝かせながら、産婆の手元に視線を向けたのだが――……

……――その手の中にいたのは、性別の区別がつかないくらい汚れた赤子だった。

血の汚れではない。真っ黒な泥のようなものにまみれて、赤子は消え入りそうな弱い泣き声を上げていた。

赤子の体を覆う泥は、もぞもぞと動いているように見える。覆う、というか、うごめく泥に赤子が抱き込まれている、と表現したほうが正しいかもしれない。

不気味な黒泥に抱かれて産まれてきた赤子――。

受け止めた産婆は弾かれたように赤子を放り出して、手についた泥をそこらの布で拭いながら悲鳴を上げた。

「ひぃっ……!? なんだいこの赤子は!? 魔物だ……! 魔物だよ……っ!! 泥が動いてる!! あぁっ、手についた……! 助けとくれ!! 誰か助けて……っ!!」

パニックを起こし、部屋から転がり出てきた産婆とぶつかって、アーレントは廊下に尻もちをついた。

メイドも悲鳴を上げてひっくり返り、床を這いながら部屋の端に逃げて、蹲った。

一体何が起きているのか。

思い切り混乱し、動揺しながらも、アーレントの視線は部屋の中へと固定されてしまった。

間髪をいれずに、父が腰に据えていた守りの短剣を抜き放つ。

「魔物……!? 魔物か!? クソッ、なぜ……っ!!」

慌てふためきながらも、父は床に放り出された赤子に切っ先を向けた。

迷いを振り切るように勢いをつけて、二度、三度と、泥をまとった赤子の胸を短剣で貫き、 屠(ほふ) る。

真っ黒な泥の液がビシャビシャと飛び散り、父の体と部屋を汚した。

母は声を震わせながら、止めていた気がしたが……彼女の声に耳を傾ける余裕なんて、その場の誰にもなかった。

アーレントも、この時の母の言葉をよく覚えてはいない。

なにせ、それどころではなかったのだ。皆、異様な泥に意識を向けるので精一杯だった。

部屋の床や壁、父の服に飛び散った真っ黒な泥は、あろうことか、うごめきながら言葉のような音を発したのだった。

『もらった』

『かご、もらった』

『あかごの』

『まぶしい、かご』

人のお喋りを真似ているのか、そんなたどたどしい単語を、口々にグチャグチャと呟く泥たち……。その様は嘲るようでもあり、喜びはしゃいでいるようでもあった。

あまりにおぞましい光景に全身が震える。廊下に座り込んだまま、アーレントは身動きを取れずにいた。

父は飛び散った泥をめちゃくちゃに踏みつけたり、はらい落としたりしながら、母に声をかけている。

そうして蹲っているメイドに母の看護の命を出して、屋敷を飛び出していったのだった。

場に残されたのは介抱を命じられたメイドと、弱りきった母と……床に転がっている赤子の亡骸。血の色は黒泥に混ざって、黒茶色になっていた。

……その後のことは朧気で、よく覚えていない。

母が何かを呟き、部屋の中に眩い光を見た気がしたが――……ハッと気が付いた時には、赤子の大きな声が響き渡っていたのだった。

今さっき父が刺し屠ったはずの赤子が、母の胸に抱かれて泣き声を上げている。

部屋中を汚していた泥も嘘のように消え去り、メイドが床に倒れて眠っていた。

自分は悪い夢でも見ていたのだろうか――。

頭がおかしくなってしまったのかとゾッとして、震える体を叱咤し、妹の部屋へと走る。一人で抱えるにはあまりに恐ろしくて、たまらずに妹を巻き込んだ。

彼女の部屋に転がり込み、今見たものを話した。

そうして二人でもう一度、赤子を確認してみようとしたけれど……結局、恐怖に負けて立ち尽くし、廊下の端でただただ固まっていた――……。

これが、弟ファルケルトが産まれた日の出来事。自分が見たもののすべてである。

アーレントは子供の頃の朧な思い出話を、低い声で淡々と語った。