軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

215 姿なき帰来

「あっ……」

首元のネックレスがするりと解けて、白い宝石のペンダントトップが床に落ちた。

朝の支度を済ませて、開店準備をしようと一階に降りてきた直後のこと。

オープンシフトの従業員たちもまだ来ていない、早朝の薄暗い店内で、アルメは慌ててネックレスを拾い上げた。

(留め具が緩くなってるみたい。危なかったわ……仕事中じゃなくてよかった)

忙しい中で外れていたら気が付かなかったかもしれない。なくさずに済んだことにホッと息を吐く。

次の休みに金具交換の修理に出そう、と頭の中のスケジュール帳に予定を追加した時――。遠くで響く、街の鐘の音が聞こえてきた。

時刻を告げる鐘ではなく、これはルオーリオ軍の帰還を告げる音色だ。

(帰ってきたみたい。まだ時間はあるし、ちょっとだけ――)

弾かれたように顔を上げて、急いで店の鍵を手に取る。開店前に雑務を片付けようと思っていたのだけれど、予定は変更だ。

オープンまでまだ十分に時間があるので、凱旋の行進をチラと見に行くことにした。

荷守り精霊にネックレスを預けて、慌ただしく店を出る。朝早い時間ともあって、大通りにも人は少ない。

今回は南地区からの出軍だったので、帰りも南からだろう。そう思ってそちらの方向を見ながら隊列を待っていたのだけれど……ほどなくして通りの向こうからやって来たのは、隊列ではなくて一台の馬車だった。

なんてことない軍の荷運びの馬車だが、速度は早馬のそれだ。三頭の大きな馬が全速力で馬車を引き、通りを突っ走ってきた。

馬車を囲んで複数の騎馬兵も並走している。先導する兵が通りを行き交う人々や馬車に向かって大声を放ち、道を開けさせていた。

そうして馬車はあっという間に、目の前を駆け抜けていった。

ホロ布で覆われていて、中の様子などは何も見えなかったが……乗り口に赤黒い汚れがこびりついていたのが、嫌に目に留まってしまった。

通ったのはその馬車一台だけで、しばらく待っても後続はない。通りに出ていた人々は、疾走していった不思議な馬車を見送って呆けていた。

「あら? 凱旋の鐘じゃなかったのかしら?」

「なんだよ~、帰ってきたのかと思ったのに」

「あんなに馬を飛ばして……何か急ぎの用でもあったのかしらねぇ。変なことじゃないといいのだけれど。なんだか嫌だわぁ」

皆、口々にぼやきながら散っていく。アルメも肩透かしをくらったような、釈然としない心地のまま歩き出した。

足は帰り道へと向いているが、目は未だ、馬車が駆けていった通りの先へと向いている。なんとなく胸の奥がざわざわする、変な気分だ。

ネックレスに不具合は生じるし、凱旋の鐘の音は期待外れだったし……二重のガックリ感が、この妙な胸の重さの原因だろうか。

結局、この日は一台の早馬車が通っただけで、ルオーリオ軍の凱旋隊列が姿を現すことはなかった。

改めて凱旋の鐘が鳴らされたのは、それから二日後のこと。空が夕焼けに染まる頃、高らかな鐘の音色と共にルオーリオ軍が帰還した。

ちょうど閉店作業に追われている忙しい時だったので、出迎えには遅れてしまった。

クローズシフトに入っていたジェイラと一緒に、大急ぎで最低限の仕事だけ片付けて、駆け足で大通りを目指す。が、たどり着いた時には、隊列の最後尾が過ぎ去ろうとしていた。

「あちゃ~、一足遅かった!」

「皆さん、ご無事だったのでしょうか……心配ですね」

「そのへんの人に聞いてみっか。――よう、兄さん! ルオーリオ軍どうだった? アタシら身内に軍人いるんだ、教えとくれよ」

ジェイラは躊躇うことなく、近くにいた男性に気安く声をかけた。

「なんだい姉ちゃん、見損ねたのかい? なんか今回、みんなスゲー疲れた顔してたよ。まぁ雨が酷かったしなぁ……どこもかしこも泥だらけさ」

「怪我してた奴らはいた?」

「さぁ、どうだか。あぁ、でも、馬車に何人か乗ってる感じだったな。よくわからんが、ありゃ怪我人かね? あとはあれだな、神官隊がいなかったらしい。近くで見てた嬢ちゃんたちが残念がってたよ」

「そう……ですか」

男性は会話を終えると、ヒラッと手を振って歩いていった。

この数日、ずっと胸を占めていたざわざわとした心地が増して、思わず眉間にシワが寄る。ジェイラがポンと背中を叩いてきた。

「神官たち、また前みたいに魔法疲れでも起こしてるんじゃね? きっとみんな馬車の中で転がってんだよ」

「だといいのですが……」

それはそれで大変そうだが、でも、それくらいの疲労で済んでいればいい、と思う。ファルクも前みたいに、数日休んで、またひょっこりと顔を出してくれたらいい。

――と、前向きに考えたいところだが……どうにも胸のざわめきが収まらない。

ひとまず家に帰って、急ぎ、手紙をしたためてみたけれど。いざ郵便屋の前まで来て、足を止めてしまった。

手紙にゆだねる、というのがもどかしく感じられてたまらない。

ソワソワする心のままに、アルメは中央地区へと行き先を変えた。向かう先は神殿だ。

日没を迎えて夜へと沈んでいく街並みを眺めながら、乗合馬車に揺られる。

そうしてたどり着いた中央神殿へと歩を進めて、とりあえずロビーに入ったけれど……そこで改めて、盛大なため息をついてしまった。

(直接来てしまったけれど……来たところで、どうにもならないじゃない……。私、何やってるんだか……)

白鷹に会いたい、と末端の受付に申し出たところで、怪訝な顔をされるだけだ。だって自分は、彼にとって何者でもないのだから。

私的な想いはどうあれ、少なくとも公的には『他人』でしかない。こういう場面で面会が叶うのは、家族として縁を結んでいる間柄や、仕事の繋がりがある人間だけである。

神殿の 空(から) 魔石への魔法補充士の仕事を辞めた今、白鷹はもう保証人でも何でもない関係だ。自分には彼との公な縁が、何一つない。

そういうわけで、神殿に足を運んだところでどうにもならないというのに……自分はどうしようもないくらいに、冷静さを欠いてしまっているみたいだ。

ロビーの端に立ち尽くして、無力さにガクリと肩を落とす。

「こんなことなら、 例(・) の(・) 返(・) 事(・) を先にしておくんだった……」

思わず、ポツリと独り言をこぼしてしまった。

時間ができたらゆっくりと――なんて悠長なことを言ってないで、早く返しておけばよかった。そうすれば、こうして焦れることもなかったかもしれないのに。

そんなことを考えてしまったが――……その思いが凄まじい後悔に変わり、胸を引き裂くことになるのは、直後のことであった。

ロビーの端で一人、肩を落としていると、奥の廊下を歩くルーグの姿が視界に入った。反射的に顔を上げると、向こうもこちらに気が付いたようで、慌てたように足を止める。

アルメが小走りで寄ると、ルーグは挨拶も飛ばして話をしてきた。

「アルメ嬢! あなたの元へと、使いを出そうと思っていたところだったのだが、会えてよかった。ファルクのことじゃが――」

「ファルクさん、何かあったのですか……!?」

どこかやつれた面持ちでファルクの名前を出したルーグに、アルメは目をむいて声を被せる。ルーグはアルメの肩に手を置き、事を告げた。

「どうか落ち着いて聞いておくれ。ファルクは 此度(こたび) の戦にて、魔物に胸を貫かれて 昏(くら) き眠りについた。早馬で届けられ、今は神殿のベッドにいる。顔を見てやってほしい。ワシと顔を突き合わせるより、あなたといるほうが、ずっと良い慰めとなるだろう。四階の一号室、廊下の一番端の部屋に――……」

ルーグが話を終えるより先に、アルメは震える体を無理やり動かして走り出す。

頭の中も、胸の内も、何もかも真っ白になったまま、彼の元へと駆けていった。