作品タイトル不明
214 鷹の葬列
「魔霧の消失と、出現魔物の泥状化を確認しました!」
「皆、ご苦労であった! ――この悪天だ、撤収まで気を抜くな! さぁ、取り掛かれ!」
森の中に新たな号令が響き渡った。
騎馬兵型魔物との戦いは数日に渡って続き、先ほどようやく掃討が完了したところだ。
結局魔物はずるずると現れ続けて、六陣まで出現した。小出しの長丁場に加えて、回を追うごとに魔物の造形が複雑になっていき、ルオーリオ軍は大いに消耗したのだった。
六本の腕に黒剣を握りしめた騎馬兵キメラが現れた時の、軍人たちのうんざりとした顔といったら……気の毒になるほどであった。
どれだけ姿形が盛られようと、所詮は下等魔物なので、動作はめちゃくちゃのままだ。攻撃が読めない相手との交戦は、思わぬ怪我を負うことが多いので、後衛を担う神官としても神経をすり減らすことになる。
そんな疲れに追い打ちをかけるかのように、天気まで崩れ出したのでたまったものではない。雷鳴轟く中での乱戦は、薄暗さも加わって最悪であった。
軍人たちは言うまでもなく、神官隊も皆クタクタだ。気力体力の消耗と魔法疲れとが合わさって、呻きを上げることとなった。
掃討戦が終了した今現在、二人の神官がダウンしていて、荷馬車で横になっている。彼らは帰りもこのまま、馬車に揺られての帰還になりそうだ。
未だ雷鳴を響かせている黒雲からは、しとしとと、とめどなく雫が落ちている。
ファルクは雨除けの黒い外套を被り、帰りの荷支度に勤しんでいた。
戦闘員たちももう鎧を脱ぎ去り、外套姿へと変わっている。怠い体を引きずって、いそいそと撤収作業をしている最中だ。
初日に壊れた魔法杖を馬の横腹に括りつけていると、側で作業をしていたカイルが声をかけてきた。
「ファルケルト様、重ねてのお詫びとなりますが……庇っていただき、魔法杖を失してしまいましたこと、本当に申し訳ございませんでした。この埋め合わせは、必ずや……!」
「カイルさんのその意気込みと、ご活躍に期待しています。ですが、気負うのは街に帰ってからにしなさい。疲れた心身に鞭を打つことはありませんよ」
「……そう甘やかさないでください。今、ひとたび気を抜いてしまうと、疲れに負けてへたり込んでしまいそうなので。馬車で運ばれる神官が増えてしまいますよ」
そんな冗談めかした返事を寄越したカイルの顔を見て、胸の内で密かに思う。
初日の、神官隊への魔物の襲撃には肝を冷やしたが……彼のこの顔が、めしゃめしゃにならなくて本当によかった、と。改めて胸をなでおろした。
今回の戦でも、ルオーリオ軍は死者を出すことなく、帰途に就くことになったのだった。
けれど晴れやかな雰囲気はなく、どことなく重苦しさが漂っているのは、この悪天と酷い疲れのせいであろう。
撤収作業を終えて、一団が戦地を後にした頃には、雨粒はさらに大きさを増していた。
人から馬まで、隊列は黒い外套に覆われている。すっかり鈍くなった歩みで粛々と進む様は、なんだか葬列を彷彿とさせる。
凱旋の帰途だというのに、どこか陰鬱とした光景だ。
(アルメさんと一緒の雨なら、土砂降りだろうと楽しいのに)
馬の背に揺られながら雨雲を仰ぎ見て、以前、雨の日に霰を作って遊んだことを思い出す。あの霰は、後につぶつぶのアイスへと姿を変えたのだった。
街に帰り着く頃には、また彼女の手によって、新たなアイスが誕生しているかもしれない――。
そんなことを考え始めると、重い胸が少しずつ軽さを取り戻していく。
(帰ったらアイスをいただいて――……それから、凱旋の褒美に口づけを)
戦の最中は務めに集中していて、意識の端の端に追いやられていたが……帰還後の約束が、今、パッと思い出された。見送りの時に、アルメは確かに『口づけを贈る』と言っていたのだった。
あぁ、早く帰りたい。と、心の底から思う。
が、気持ちが急いても、実際の移動速度が伴わないのがもどかしい。消耗した隊列の歩みを見るに、帰りは行きよりも日数がかかりそうだ。
道の先へと伸びている黒い隊列を眺めた後、ザーザーと落ちてくる雨を見る。順番に視線を動かして、さらに雨の元をたどった。空を覆う雷雲を仰ぎ見て、小さなため息をつく。
そうして時間潰しに風景を眺めながら、ぼんやりと考え事をしていると――……ふと、上空に鳥の影を見つけた。黒い鳥が一羽、空高くを飛んでいる。鷹だろうか。
(俺も 真(まこと) の鳥であれば、空を渡ってひと飛びで帰れるのに)
疲れ切った頭で、いいなぁ、羨ましいなぁ、なんてことをしみじみと思ってしまった。
……――が、すぐに思い直して目を細める。
あれは真の鳥だろうか。雷雲の下で高く飛ぶ愚かな鳥などいるものか……?
胸に湧いた疑念は、じわりと嫌な予感に変わった。
地上の白鷹に応えるかのように、遥か上空の黒鷹は翼を畳んで、異様な動きで急降下を始めた。
落ちる速さで近づいてくる姿をとらえて、予感は確信に変わる。
鷹と思われたその黒い姿は、上体が人の形をしている。手には槍のような武器――。
思い至った瞬間、ファルクは弾かれたように大声を響かせた。
「空に魔物がいる! 伏せよ!!」
注意の声を放つと同時に、馬の手綱を強く引いて動きを制する。が、直後に鳴り響いた雷鳴に驚き、馬は前足を跳ねてたたらを踏んだ。
その一瞬の間に、黒鷹の魔物はもう頭上に迫っていた。
まさしく落雷のような魔物だ。凄まじい速さと勢いで、文字通り落ちてきたのだった。姿を真似るばかりで、ろくな飛び方など知らないのだろう。落下に任せて隊列に――自身の真正面に、突っ込んできた。
――この魔物はいつ出現していたのか。皆が騎馬兵に気を取られている中、一羽だけ別の姿で出現して、空の高くから戦場を眺めていたというのか。
だとしたら、まるで遠巻きに戦いを見守る従軍神官のようではないか。腹立たしい猿真似だ――。
またたきをする一瞬のうちに、色々な思いが胸をよぎったが――……その時にはもう、魔物の持つ黒槍の先が、胸の真ん中を突いていた。
肉を裂き、骨を砕いて、体を貫いた槍の先端が背の皮を突き破る。
黒い鷹の魔物は、白い鷹を串刺しにして、馬や周囲の兵をも巻き込みながら地に落ちた。
凄まじい衝撃を伴って、全身を地面に打ち付けた気がするが……もはや落馬の痛みなどは感じない。ただただ胸に焼けるような熱さを感じる。
裂かれた外套の下からは、真っ赤に染め上げられた騎士服が覗く。顔は咽喉からあふれた血で覆われた。
魔物はこの身に乗り上げたまま、突き刺さった槍を握って顔を覗き込んでいる。
なすすべなく、その姿を仰ぎ見ていると、ふいに脳裏におかしな思考がチラついた。
(……――あぁ、またか……)
と、なぜだか既視感のようなものを感じてしまった。負傷による意識の混濁のせいだろうか。
なんだか遠い昔にも、こういうことがあったような、妙な心地を覚えたのだった。
誰かに胸を貫かれたような……。はて、誰だったか……。
(…………父……上…………?)
チカチカと脳裏に浮かんでは消える光景の中に、父の姿を見た気がした――……。
まとまらない思考はそこで散り、消えていく。
槍を握りしめたまま、こちらを覗き込んでいた魔物は、直後にめしゃめしゃに切り捨てられた。
……いや、槍ではない。どうやら自身の胸を貫いているこの得物は、魔法杖の形状をしているみたいだ。柄を突き立てられたよう。
魔物は瞬きをする間に屠られたが、その間際に見た人型の上体は、どことなく自分の姿に似ていたような気がした。
魔物の首をいち早く落とした剣兵はチャリコットだろうか。何か叫んでいるように見えたが――……音が、何も聞こえない。
響いているはずの雷の音も、とめどない雨の音も聞こえない。
そういえば自分の息の音も、先ほどからずっと聞こえていない。血にむせ喘ぐ間もなく、呼吸が止まってしまったのか。
いつの間にか胸の熱さも感じなくなっている。鼓動も、感じられない。
これは死のふちの凪だろうか――。
あらゆる感覚を奪われて、自分はただ転がっているだけのよう。けれど、視界だけは妙に良好だ。
……いや、もう視覚も断たれているはずだ。自分は今、魂の目で別の世界を見ているのか。
ふと、そう思い至る。
理解が及んだと同時に、黒雲に覆われているはずの天が裂けて、眩い光が漏れ出してきた。その神秘的な光景に、ただただ目を凝らす。
光は女神の姿を形どり、舞い降りてきた。優美な衣に輝く鎧をまとった女神は、戦の女神であろう。戦死者の魂を導き、天へと連れていく女神ヴァルキュレーが、迎えに来てくれたようだ。
女神は傍らに降り立ち、そっと手を引いてきた。肉体と魂が分かたれて、導かれるまま立ち上がる。
道に転がっている自身の亡骸が見えた。どこを見ても真っ赤で、酷い有様だ。
心臓が破かれて、もはや形を留めていないように見える。神官たちが群がって、尽きかけの魔法を振り絞っていた。
その脇では、もう泥状化して果てている魔物に、なおも荒々しく剣を突き立てめった刺しにしているアイデンとチャリコット。隊長のシグまでも、泥の残骸を踏みつけている。
自分も、魔物も、どちらも見るに堪えない状態の亡骸だ。
先ほどまで、軍の行進が葬列のようだな、なんてことをのん気に思っていたけれど。他でもない、自分と魔物のための葬列であったようだ。
真っ赤な血と魔物の黒い体液で、汚れまみれの亡骸だが――……左手に巻かれたブレスレットのビーズだけが、美しい輝きをたたえていた。
(……――鳥のように飛んで帰れたら、なんて願ってしまったが……まさか本当に、街へと飛び帰る手段を得ることになろうとは)
ひとしきり、眼前の光景を眺めた後――。
手を引く戦の女神に向き合って、地に膝をついた。
もう、こうなってしまっては仕方ない……女神に乞うてみることにする。
「戦女神ヴァルキュレー様、お願い申し上げます。どうか俺を、想い人の元へ。アルメ・ティティーの元へと――……」
戦の女神はただ静かに、こちらを見据えていた。