作品タイトル不明
209 戦へ飛ぶ鷹
馬車に揺られて街道をたどり、ちょうど昼頃にルオーリオの街が見えてきた。
窓から遠目に眺めていると、感慨深さが胸に湧いてくる。
「たった一日離れていただけなのに、なんだかしみじみしちゃいますね。故郷に――お家に、帰ってきたなぁ、なんて。……って、遠出に慣れている方には、わからない心地かもしれませんが」
「いえ、俺にもその心地がわかりますよ。ルオーリオに来てから、わかるようになりました。帰ってきてホッとするような心地が」
ファルクはこちらを見て、柔らかく微笑んだ。
二人で身を寄せ、近づいてくる街を眺めているうちに外周道に差し掛かる。
そうして街の中心部に向かって進み始めた矢先に、空気を大きく震わせる、とある音が響き渡ったのだった。
――カラン、カラン、と、残響を重ねて轟く音。
空高く鳴り響くこの音は、鐘の音だ。昼頃に、この拍子で鳴らされる鐘は、翌日のルオーリオ軍の出軍を知らせる音だ。
緩んでいた表情を引き締めて、ファルクは鋭く目を細める。
「知らせの鐘ですね。昨日のうちに急な招集でもかかったか」
「急な出軍……また大きな戦でしょうか?」
「そうとは限りませんよ。ちょっとした現場かもしれません。精霊観測官が小さな魔霧を見逃していて、昨日気が付いて慌てて招集をかけた、ということもあり得ますから。そう心配をせずに」
彼はなんてことないように軽く返してきたが、これはアルメを気遣っての言葉だろう。実際のところは、そう楽観視できる事態ではないように思える。
ごく小規模の戦の場合、軍は大々的な出軍をしない。数人程度の小隊がさっと馬で出て、ささっと帰ってきて終わらせているそうなので、街の鐘が鳴らされることはないのだ。
逆に、鐘の知らせと出軍の行進があるということは、それなりの規模の戦だということ。加えて急ぎの招集がかかったとあらば、嫌な感じは拭いきれない。
何より、ファルクが普段のポヤポヤとした雰囲気を消し去ったことが、有事を物語っている。
察したアルメは、彼に提案をした。
「帰ってきて早々にお忙しくなりそうですね……。どうぞ、馬車を神殿に向けてください。今日のところは、そこで解散としましょうか。そのまま馬車をお借りして、私は寄り道をしながら帰りますので、後のことはお気になさらずに。ファルクさんはお仕事に向かってください」
「……すみません。次のデートでは、お見送りまでベッタリと添い遂げたく」
「それはそれで恥ずかしいので、潔い見送りをお願いします」
軽口を交わした後、ファルクは御者に行き先を命じた。
馬車は北側の外周道から、中央地区へと真っ直ぐに進んでいく。ほどなくして、たどり着いた中央神殿の裏側から敷地に入り、玄関前で停められた。
ファルクは躊躇いなく馬車を下りて、扉口でアルメに別れを告げる。
「慌ただしい別れとなってしまい、申し訳ございません。あなたと素晴らしいひと時を過ごせたこと、恐悦でございました」
「ふふっ、何をかしこまっているのだか。また遊びに行きましょうね」
「えぇ、また、必ず」
会話の最後に、アルメはファルクへと両手を伸ばした。応えるように、彼も手を差し出す。
大きな手を両手で包み込み、力強く握りしめて、お別れをした。
「お気をつけて、行ってらっしゃい」
ファルクはアルメの指先に口づけを落として、ゆるやかに手を放す。
扉を閉めると、そのまま振り返ることもなく、颯爽とした歩みで神殿へと向かっていった。
その背中をいつまでも見つめていたい気持ちを押しのけて、アルメは視線を外す。
馬車はゆったりと動き出し、神殿を後にした。
(……ヒヨコさんが鷹に戻ってしまったわ。私も、逞しい商売人に戻らないとね)
窓から街の様子を眺めて、気持ちを切り替える。
最近は小規模の戦が多かったらしく、軍人たちの行進イベントもなかった。明日は久しぶりの大きな出軍で、街は大いに沸き立つことだろう。
帰宅してからも休んでいる暇はなさそうだ。明日の書き入れ時に向けて、準備をしなくては。
不謹慎だと言われると、まぁ、言い返すことはできないのだけれど……それでも、こちらはこちらで商戦が始まるのだ。事業主である以上、強かな商売人であらねばならない。
アルメはペシッと頬を叩いて、気合いを入れた。
そんなアルメと同じように、ファルクも胸の内で気合いを入れ直していた。
神殿の廊下を歩きながら、手元に魔力を集中してみる。薬によって散らされていた魔力も、もうしっかり戻ってきている。この具合なら問題ない。
不在の間の指揮を任せていた従軍神官から任を引き継ぎ、隊を率いて戦地に向かう――。馬車の中で鐘の音を聞いた時には、もう心に決めていた。
ティダとの約束で気持ちを新たにしたところだ。自ら前線に立ち、戦場の人々の守り神となろう。
執務棟へ向かって足を早める。――と、そんな移動の最中に、廊下の端でルーグと出くわした。
彼はファルクの姿を見ると、足を止めて声をかけてきた。
「おぉ、帰ったか。旅行はどうだった? 楽しめたかい?」
「えぇ、それはもう。――と、旅行の土産話をしたいのはやまやまですが、従軍の支度がありますゆえ。また後ほど」
「耳が早いのう……。まぁ、そう急くな。お前さんが動かずとも、留守を預かっていた従軍神官隊は抜かりなく対応をしておるぞ」
「それはありがたいことです。皆と共に、俺も頑張らなくては」
「……――なぁ、ファルクよ、」
ふいに声音を改めたルーグに、ファルクは出しかけた足を止める。
彼は穏やかながらも重さを含めた声で、問いかけてきた。
「お前さんはこの地に来てようやく、羽の休め方を覚えたように思えるが……まだ、生き急がずにはおれぬのか。我先に戦場へ飛ぼうと翼をうずかせてしまう癖は、直らず仕舞いかい?」
「え……? ええと……」
思わぬ話を切り出されて、ポカンと呆けてしまった。
ファルクが何か言う前に、ルーグが言葉を続ける。
「今までのお前さんは、己の命を賭して他者の命を救う、という極限の行為でしか、自身の価値を見出せないでいるように見えた。だが、もうそんな方法を取らずとも、自分を認めて大切にできるのではないか」
「それは……」
「極北にいた頃も含めて、お前さんはもう一生分、戦地に出てきた身じゃ。他の者に託して、戦を見送るということもできるのだぞ? ――それでも、行くのかい?」
ルーグは澄んだグレーの目を真っ直ぐに向けて、問いを投げかけてきた。
突然、真面目な話をされたものだから、一瞬怯んでしまったけれど。呆けた顔を引き締めて、真正面から受け止める。
問いへの答えを、迷わず口にした。
「ご心配いただいていることには感謝いたします。ですが、俺はこれからも戦地へ飛びたく思います。自らの信念に基づいて、そういう人生を選び、進んでいく覚悟でいます」
そう言い切ると、ルーグは一呼吸置いてから、溜めていた息を吐いた。
張り詰めた空気を解くように、先ほどとは一変して投げやりな声を寄越す。
「……そうかい。やれやれ、人のために命を燃やす癖は変わらずか。生真面目な男じゃのう」
「えぇ、俺はこれからも世の人々のために生きて参ります。ですが、同時に、自分のためにも命を燃やす所存でございます。欲張ることを覚えてしまったので」
「ほう、欲とな?」
興味深そうな目を向けてきたルーグに、ファルクは悪戯な笑みを返してやった。
「幸せでありたい、という欲が出てきてしまいましたので、その欲のままに生きていきたく思います。明日からの従軍で軍人たちを癒した後は、欲に従い、自分自身も大いなる癒しを得る心積もりです。思い切り甘やかしてもらうべく、アイス屋に入り浸ります」
そのためのお休みを申請させてもらいますね、と、言い添えると、ルーグは呆れたように表情を崩して、肩を揺らして笑った。
危うい戦場と、幸福な止まり木の間を飛び回る人生――。
生き急いでいると思われても仕方のない、忙しなく、難しい人生だろうと思うけれど。そんな道を選んだファルクのことを、ルーグは認めてくれたようだった。
そしてアルメも、行ってらっしゃい、と送り出してくれた。何か言いたそうな顔はしていたけれど……祈りを込めて、手を握りしめてくれたのだった。飛び立つ自分に、温かい想いのお守りを授けて、見守ってくれている。
きっとアイデンやチャリコット――友人たちも、笑って背を押してくれるに違いない。
周囲の人々が、白鷹の選ぶ道を、ファルケルトという存在そのものを、尊重してくれている。自惚れなどではなく、確かに、そう感じられる。
人々が大切にしてくれているこの身なのだから、自分自身でも大切にしていきたいと思う。
戦場を飛び回ろうとも、この想いの軸は、もうぶれることなどないのだ。