軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

141 痛恨のミスと恋話アフォガード

「姉妹水入らずの食卓に長居をしてしまい、すみませんでした。では、俺はそろそろ――」

夕食を終えると、ファルクは食休みもそこそこに帰り支度を整えた。

いつもならデザートのアイスを欲して、さらにおかわりをねだり、帰りたくないと駄々をこねてテーブルにへばりつくというのに。

そんな彼のグダグダな様子を、アルメは密かに好いているのだけれど。……でも、今日だけは、サクッと帰ってもらえることにホッとしてしまった。

このまま彼が家にいたら、リナリスとのお喋りを延々と聞かされることになるので。

なんとなく、二人の楽しげな笑い声はアルメの胃に響くのだ……。

さっと支度を終えたファルクに、リナリスは慌てて声をかけた。

「もう帰られてしまうのですか? 苦手でなければ、食後酒として甘いお酒はいかがでしょう? 私、お姉様との再会のお祝いに、と思って、こういうお酒を用意していたのですが」

ファルクを呼び止めて、リナリスは鞄から小さな酒瓶を出してきた。お洒落な飾り瓶に入ったリキュールだ。

「ココアリキュールです。アイスのような甘いデザートを好まれるのでしたら、こちらも美味しく飲んでいただけるかと」

「あぁ、申し訳ございませんが、お気持ちだけいただきます。俺は酒を飲めなくて」

「あまりきついお酒ではありませんよ?」

「リナリス、ファルクさんはお仕事の事情でお酒を飲まないお方なの。お祝いのお酒は、後で私がいただくわ」

「まぁ、そうでしたの! ごめんなさい、知らずに勧めてしまって。ファルクさんは、何か立派なお仕事をされているのですね」

酒を禁じられる仕事というと、神や精霊と契約を交わす必要のある仕事や、お堅い仕事、と相場が決まっている。

リナリスはファルクにキラキラとした眼差しを向けていた。

一階に下りて、ファルクを玄関まで見送る。

ファルクはアルメに向き合うと、身を寄せてそっと抱擁を交わした。

「また次のお休みの日にお会いしましょう。あなたと過ごす時間を楽しみにしています」

「あっ、はい……!」

最近、ファルクはこの抱擁の挨拶を多用してくる。もう何度か交わしているけれど、未だに胸が変な音を立ててしまう。

アルメの背をポンポンと叩くと、ファルクはゆっくりと体を離した。

「リナリスさんも、今日は楽しいひと時をありがとうございました。ルオーリオで素敵な時間をお過ごしください」

「はい、こちらこそありがとうございました。またお会いしましょうね、ファルクさん」

可憐な笑顔でそう答えると、リナリスは軽く両腕を広げた。ファルクは目をパチクリとまたたかせる。

リナリスのこの動作は、恐らく抱擁を求めるものだろう。アルメは無意識に真顔になり、ファルクは身動きを止めた。

リナリスはコテンと首を傾げて不思議そうに言う。

「あら? もしかしてお姉様たちのハグは、恋人同士の特別なご挨拶でしたか?」

「そ、そういうわけじゃないけど……! ええと、今のはファルクさんの故郷での挨拶で――」

「それならば、私もファルクさんの故郷の文化を尊重したく思います!」

「……――では、リナリスさんも。アルメさんと共によい夜を」

ファルクは抱擁を待つリナリスに身を寄せて、彼女を軽く抱きしめた。

二人を見て、胃と胸がチクリと痛むのを感じた。さっきまでドキドキしていた鼓動はスッと静かになり、胸の奥の温度が下がる。

ぼんやりと眺めていたら、口からうっかり、考えていたことがこぼれ出てしまった。

「……極北では、抱擁はごく気安いものなのですね」

軽やかにハグを交わす二人を見ていたら、いちいちドキドキしていた自分がしょうもなく思えてきた。

アルメにとって抱擁とは、真心や気持ちを伝える特別な手段という認識だったのだけれど。ファルクにとっては、きっと軽い握手程度の認識なのだろう。

何だかガクリときてしまって、体の力が抜けるのと同時に表情まで抜け落ちてしまった。

アルメは真顔のままファルクに別れの挨拶を送った。

「それじゃあ、ファルクさん。お気をつけてお帰り下さい」

「えっ、っと、あのっ、アルメさん! 手紙を書きますね! また手紙を書きますから! 次のお休み日の予定を決めましょうね!」

「はい。それでは、後は手紙で。今日はありがとうございました。よい夜をお過ごしくださいませ」

パタリと扉を閉めて、施錠した。

玄関先に取り残されたファルクは、素っ気なく閉められた扉の前でしばらく動けずにいた。

いつもだったら、自分が小広場を歩き去るまで、アルメは玄関先に立って見送ってくれるのに……。

しばらく立ち尽くした後、トボトボと歩き出す。今日はどうにも、ついていない日のようだ。

(やっぱり、家に上がってしまったのは迷惑だったか……。妹さんと再会だなんて、大きなことが起きた後に……慌ただしいところに、お邪魔してしまった……)

夕食中、アルメは相槌ばかりで、あまり自分から喋ってはいなかった。笑顔は見せていたけれど、何か別の考え事をしていたのかもしれない。

自分はその大事な考え事の邪魔をしてしまったのかも……。

場の話の流れで、アルメを思い切り褒めちぎることができそうだったので、つい浮かれてしまった。騒がしくしてしまって、迷惑をかけてしまった。

その『褒めちぎる』というのも、彼女の性格的に複雑だったに違いない。当人が参加しにくい話題を展開してしまった……調子に乗ってしまったことを反省したい。

これが、今日の一つ目の失敗だ。

そしてもう一つ、たった今、致命的なミスを犯してしまった。

アルメの妹、リナリスに求められるままに、抱擁の挨拶を交わしてしまった。

この極北の挨拶文化は、ただの口実である。アルメをこの腕の中に収めたくて辛抱たまらず、抱擁の挨拶にかこつけているだけなのだ。……そんなしょうもない下心に、 罰(ばち) が当たってしまった。

初対面の相手――しかも、別の地方の人であるリナリスに抱擁の挨拶を求められるとは思わなかった。

直後にアルメの口からボソリと発せられた、『気安い』という言葉に、まずい、と冷や汗をかいた。

確かに、極北では挨拶としての抱擁は軽いものである。だが、そのへんの他人と交わす軽い抱擁と、親しい人への愛を込めた抱擁では、似て非なるものなのだ。

極北の民は、この微妙なニュアンスをごく当たり前に感じ取って生活している。もちろん、自分もそうだ。もはや無意識の領域である。

なの、だが。ルオーリオの民には伝わっていなかったようだ。感覚の違いを、うっかり失念していた……。

自分がアルメに贈る抱擁は、もちろん特別な愛を込めた抱擁だ。故郷であれば、誰もが察するような甘やかな所作で抱きしめていた――……つもりなのだが……。

(きっと、アルメさんの中で俺の抱擁の価値が暴落したに違いない……。……元々価値を感じてくれていたのかどうかも、怪しいけれど……)

今日は失敗の続く日だ。本当についていない。なるべく早めにアルメと予定を合わせて、挽回しなければ。

ファルクは盛大にため息を吐いて、頭を抱えて帰途についた。

アルメとリナリスは居間に戻って、ココアリキュールを開けた。無邪気に乾杯をするリナリスに、アルメは引きつった笑顔で応える。

でも、先ほどまでの三人での会よりも、彼女と二人の方がまだ気が楽だ。

リナリス一人を相手にするよりも、リナリスとファルクが二人で仲良くしている様を見る方が、より疲れるということに気がついた。

疲れるというより、胃と胸がモヤモヤチクチクとしてたまらない心地になるというか……。

やれやれ、と一息つき、ココアリキュールに口を付ける。口と鼻にふわりと甘い香りが広がって、モヤモヤとしていた心が和らいだ。

そこでふと思い至る。そういえば、リナリスはまだアイスを食べていないと言っていたような。

「――そうだ。冷凍庫にミルクアイスがあるのだけれど、食べてみる? このお酒にも合うと思うわ」

「いいんですか! 是非!」

返事を聞き、アルメはガラスの器にミルクアイスを丸く盛り付けた。リナリスに出して、自分用にもう一皿用意する。

「はい、どうぞ」

「わぁ、真っ白で綿のようなアイスですね」

「私はアフォガードにしてみようかしら」

「何ですか、それ?」

「ミルクアイスに飲み物をかけて食べるデザートよ」

アルメは自分のミルクアイスに、ココアリキュールをタラリと流しかけた。ミルクがココアの色に染まり、ほどよく解けていく。

スプーンですくって頬張ると、ココアとミルクとお酒の風味が、口の中で絶妙に交じり合う。言葉にできないくらいの美味しさだ。

リナリスも真似をして、思い切り顔をほころばせていた。

「美味しい~! さすがお姉ちゃん! アイスの女神様!」

「あの……そういう、よいしょはやめてちょうだい。私に関する話はもう、禁止ということで……」

「そんなぁ。まだまだお姉ちゃんに聞きたいことがあるのに」

そうして満面の笑みを浮かべたまま、リナリスはアルメに新たな話題を振ってきた。――いわゆる、恋話というやつを。

「ちょうどお酒も入ったところですし。そろそろ、乙女の話をいたしましょう? お姉ちゃん、ご婚約のご予定は? 街暮らしの人は、田舎の人より結婚が遅いものだけれど、それでもそろそろ頃合いでしょう?」

「今のところ予定はないわ。とある職人さんと婚約をしていたけれど、夏前に婚約破棄となりまして……」

遠い目をして答えると、リナリスは興味津々の顔で前のめりになった。

「まぁ! 婚約破棄だなんて、流行りの劇みたいね……! 婚約破棄はお姉ちゃんから? もしかして白鷹様と出会ったから、職人さんの方を破談にしたのですか!? なんてドラマチックな……!」

「そんなわけないでしょう……お相手の事情よ」

「え~? でも、お姉ちゃんは白鷹様と素敵な仲なのでしょう? 縁談が流れたのなら、次のお相手はやっぱり彼を狙っているのでは!?」

「ゴシップを鵜呑みにしないでちょうだい。狙うも何も……」

「街の人たちだって噂していましたよ。公衆の面前で手ずからケーキを食べさせて、甘やかな抱擁を交わす、よい仲だって」

「まぁ……仲が良いか悪いかでいったら、良い方、だとは思うけれど……」

詰め寄るリナリスの圧に押されて、アルメはボソボソと仲を認める。

すると、彼女は甲高い悲鳴を上げて大はしゃぎしていた。

「キャー! 素敵! やっぱりよい仲なんじゃないですかー! 私、お姉ちゃんと白鷹様を心から応援します! 結婚式には絶対に呼んでくださいね!」

「いやいやいやいや……」

無邪気で明るいリナリスとのやり取りに、アルメはそろそろ疲労を感じてきた。

疲れを癒すべく、アフォガードを口に放り込む。この甘さだけが、今のアルメの味方だ。甘味は心の癒しである……。

アイスを堪能していると、ふいにリナリスがもじもじと問いかけてきた。

「それで、あの……お姉ちゃんの本命は白鷹様、ってことなら、ファルクさんとは何もないのですか?」

「え? いや、まぁ、何もないと言えば、そうだけれど……というか、白鷹様が本命っていうのも、そういうアレではないわよ。ただちょっと、仲が良いというだけであって……というか、仲良くあれたら、嬉しいというか」

つい余計なことを喋ってしまって、言葉尻がごにょごにょと小さくなってしまった。少し酔いがまわってきたようだ。

アルメの様子を見て、リナリスは笑みを深めた。

「やっぱり本命なんじゃないですか~! 頑張ってくださいね! ――で、話戻しますけど~、ファルクさんに恋人はいらっしゃるのかしら?」

「……いない、とは思う。現状を詳しく聞いたことはないけれど」

「そう。そうですかぁ。あんなに素敵なお方なのに! んっふっふ~、ルオーリオに来たのは正解だったわ。お姉ちゃん、ありがとう! 私、お姉ちゃんに会いに来て、本当によかった!」

そう言って笑うリナリスの頬が赤く染まっているのは、酒のせいだろうか。

容姿のよく似た、若い姉妹二人の恋話。傍から見たら微笑ましい光景なのだろうけれど……アルメの胸は、言いようのないざわざわとした心地で満たされていた。