軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

11-3 駿河 清水湊2

信頼というには違う、もっとビジネスよりな関係のはずの男の、安堵した表情に何かを察した。

孫九郎は一秒より長い時間、その“何か”を考えながら天王寺屋の顔を見つめ、足元に膝をついている弥太郎に視線を移した。

「どういうことだ?」

この男なら知っているはずだという確信があった。

弥太郎は孫九郎の足を布で包みながら、視線をあげなかった。

嫌な予感がした。

聞きたくない。そう思ったのは、直感というより確信だった。

「治部大輔様」

天王寺屋は丁寧な、だが有無を言わさぬ声で孫九郎を呼んだ。

それは無礼ととられるギリギリのラインだった。

「お話せねばならぬことがございます」

孫九郎は無意識のうちに息を止めていて、それに気づいてゆっくり吐いた。

現実は待ってくれない。心構えなどさせてくれない。

天王寺屋は、堺湊から伊勢湾に向かう商船に乗っていたそうだ。

「いろいろとあって」、道中、十日以上の足止めを食らったとのこと。

複雑な意味を含めた言い方だったが、衆目のある場ではそう言うしかなかったのだろう。

負傷した与平を清水湊まで送り届けたのも、「ついで」だそうだ。

現在、清水から小田原に向けた航路は制限している。

ここで孫九郎が来るのを待っていたと言った時の天王寺屋の顔には、取り繕いきれない安堵の表情があった。

それが、与平が息があるうちに、という意味を含んでいるを知ったのは、さりげない話術の中に含まれた小さなヒントからだ。

気づいた瞬間、血の気が下がった。

天王寺屋は、部屋の前まで案内してから、別室で待っていると丁寧に一礼して下がった。

その気遣いに、嫌な予感を増長されて歯噛みする。

障子をあけた瞬間に、薬草の臭いがした。

いや、もっと生々しく不快な臭いもだ。

孫九郎はそれが、人間の発するものだと知っている。

「与平」

声を掛けると、暗がりで瞼が震えた。

大丈夫。息はしている。

それは安心要素とは程遠いが、大丈夫と内心で繰り返すことでしか平常心を保てなかった。

枕元に座る弥太郎に視線を向ける。

首筋に手を当てて、脈拍と呼吸を確かめるその表情は、影になってよく見えない。

「足の骨が折れているそうです。熱が下がれば、回復すると思われます」

「そうか」

……本当に? この臭いは悪化した傷があるときのものだ。きちんと手当てをしていても、この時代では避けられない感染症の。

だがそれを言っても仕方がない。

弥太郎が最善を尽くしていると知っている。

「与平、聞こえるか? 与平」

そっと声を掛けた。返答はない。荒い息がただ続く。

孫九郎はなおもしばらく、暗い臥所に横たわる男を見つめた。

「何があった」

孫九郎のその言葉に、弥太郎が顔を上げた。

今になって思えば、弥太郎の様子は少しおかしかった。八雲の書簡を受け取った時に、ある程度のことを聞いていたのだろう。

だが、与平は孫九郎の目には触れないところで動いていた忍びだ。仮に死んだとしても、教えてくれなかったかもしれない。

「わかっていることはすべて話せ」

「まだ確証がございませぬ」

「確かめているうちに手遅れになる」

きっとこれまでも、孫九郎が知らないところで大勢が死んでいる。

人知れず命を捧げられても、うれしいとは思わない。

重い。ただ重い。

だがこれは、背負っていかなければならない重さだ。

しばらくして、弥太郎が口を開いた。

渋々という口調だった。

「志摩です」

あまりにも予想外の言葉に、「志摩?」と問い返す。

細川でも公家の誰かでもなく、一地方の名前が出てきたことに当惑した。

弥太郎はそんな孫九郎に向き直り、軽く頭を下げた。

「ご報告が遅くなり申し訳ございません。あのあたりのことは、わからぬことも多く」

そこから語られたのは、与平と同行していて、書簡を直接相模まで運んできた忍びによるものだ。主観的要素が多分に含まれているという前置きのもとで、その忍びの目から見た状況が時系列準に並ぶ。

誰がどういう意図で動いたのかはわからないが、畿内はかなり混迷しているようだ。

姫様たちを乗せた日向屋の船で裏切りが発生し、その後座礁して、八雲はそこで行方不明になった。与平が負傷したのは、舵が利かない天王寺屋の商船が、熊野水軍に襲われた時だったそうだ。

逃れながら強風にあおられ、伊勢湾方面に流された。

そしてそこでも、志摩の海賊衆が襲ってきた。

以前受け取った日向屋からの書簡には、最近海賊衆が横行していると書いてあった。

あれは瀬戸内だけのことではなく、全国的なことなのかもしれない。

「……愛姫さまと万千代君はどちらに」

孫九郎が押し殺した声で問うと、弥太郎はそこだけはっきりと、こちらの目を見ながら答えた。

「英虞湾のどこかです。鈴がともにおります」

その名を聞いて込み上げてきたのは、幼い日の記憶だ。孫九郎よりもなお幼い彼女に命を救ってもらったことは忘れていない。

「……鈴か」

「はい。お二人をお守りしているはずです」

天王寺屋の船は航行不能状態だった。体調を崩した万千代君の為にも陸に上がりたかった。

近づいてきた志摩の海賊衆は、安全は保障すると船の修理を申し出て来たそうだ。条件はもちろん、積み荷の引き渡し。

天王寺屋は了承した。だがそれでことは済まなかった。

船の修理が終わったころ、海賊衆が一条姉弟の存在に気づいたのだ。

書簡を運んできた忍びによると、与平は負傷した身でなお二人を守ろうとした。

天王寺屋は倒れ伏した与平を回収し、身代金を払ってくれそうな相手に交渉をもちかけると約束して、英虞湾を離れたそうだ。

「なるほど」

その交渉相手が、孫九郎か。

一条家に話をもっていかなかったことに、「よくやった」と褒めてやりたい。

そして弥太郎が、報告に慎重になっていた理由もわかった。

ただの身代金の問題ではすまなくなるとわかっていたからだ。

腹の底から込み上げてくる怒りを、慎重に押し込める。

弥太郎が危惧した通り、戦火を海にまで広げるのは愚策だ。

だが、許せる段階は過ぎている。

孫九郎はもう一度、眠る与平の顔に視線を落とした。

呼吸が浅い。熱も高そうだ。

だが……生きている。

生き延びてくれると、信じている。

――必ず鈴を連れ帰る。

心の中で、そう誓った。